女帝賛成論
      
女性が天皇になることへの反対意見が、新聞社の世論調査によると70パーセントだといいますね。
となると、へそ曲がりは女帝賛成論を言わないと気がおさまらない。
               
皆さんごぞんじのとおり、明治時代につくられてそのままの皇室典範では、女性は天皇になれないことになっています。
皇室典範は憲法ではなく、ただの法律ですから国会の決議で改正は可能ですね。
なんで、暇な話柄をもちだすかと申しますと、雅子妃殿下が懐妊なさったのに、赤ちゃんが男でなかったとなると、うるさいことになるのでは?
何か、ご懐妊をお祝いすると言うよりも、皇統の話題が中心になっているように思えるんですが。
        
こんなに男のお子さんをみんなが期待すると、雅子さんにはプレッシャーでしょうね。
子供を産んだことのない男のボクでも気持ちが重い。
女のお子さんが生まれても、心からお祝いをしたいですもんね。庶民でも同じですよ。
で、女帝賛成論。
         
イギリスではビクトリア女王、エリザベス一世の治世時代は国の興隆期だったせいもあって、「女王は国の栄え」っていいます。
今のエリザベス二世の治世はまだ終わっていないから、後世から「國の栄」と評価されるか、どうかはわかりませんが。
     
日本の歴史からすると奈良時代には女性の天皇が続きました。
その中でも、僕たちにお馴染みなのは推古、持統、用明の3帝ですね。
まあ、天照さんは神話時代のことですから、これは別にして。
        
で、推古天皇。
摂政の聖徳太子の事績が目立っているから推古さんの影が薄いけど、聖徳太子が天皇になれなかったのは、やっぱり推古さんが実力もあり、人望もあったように思えます。
推古時代は天皇と聖徳太子、それに藤原不比等の3人のトロイカ政治だった、ってことになっているけど、聖徳太子、不比等の2人を登用したのは推古天皇。
それに国の基礎を築いた律令制度も天皇の裁可がないとできたはずはない。
まあ、これは偉い学者のいうように、推古さんはカイライだったとしても「良きにはからえ」って任せた推古さんの事績だといってもいいでは?
             
次は持統、用明両帝。
この両帝の事績は一体となってのことと思えます。
古事記、日本書紀と、万葉集の勅撰ですね。
これは文書が作られただけではなく、天皇制、言い換えれば中国輸入の律令制を日本の制度に作りかえた、って意味で律令制を本物にした事績は大変なものですよ。
これで天皇制は確固としたものになり、以後連綿として日本の政治制度だけでなく社会制度までつくったのですからね。
今、天皇制反対論者でも、過去の歴史を作ったこと、この間の政治的安定に貢献したことは否定できないでしょうからね。
        
現在の天皇は象徴天皇ですから、政治権力を持った奈良時代の天皇とは様違いでしょうが、女帝の時代に日本は確固たる制度ができ、繁栄をもたらしたことはたしかですよね。
        
と、まではよかったんですが、僕の女帝賛歌で困るのは称徳天皇。
道鏡に帝位を譲ろうとなさった女帝。