福祉、生活保護
   
ミレーの絵に「落ち穂拾い」がありますね。
そら、三人の女性が刈り入れのすんだ畑で、かがんでいる絵があるでしょう。あれが、「落ち穂拾い」。
あの三人は寡婦なんだそうです。
水田の稲は株になっていますし、日本では畝に作って、丁寧に刈り取りますから、落ち穂なんて、沢山は出ない。
だから、僕らが見るとあの絵は裸地の畑で、何してるの?と言うことになる。
何で、女性ばかりが落ち穂を拾っているかと言うと、貧しい寡婦に対する福祉なんだそうです。
落ち穂は沢山出ますが、持ち主の農家では落ち穂は拾ってはいけなく、福祉用。
で、落ち穂より小さい落ち粒はどうなるかと言うと、これは野鳥のもの。
   
さすが、ヨーロッパは優しい、って思うけど、日本はもっと優しい。
下北半島では、海岸に昆布が打ち上げられるそうですが、朝早くに、打ち上げられた昆布は貧しい寡婦の利権なんだそうです。今でも、そうらしい。
          
でも、時期によっては、浜に打ち上げられる昆布は多いから、「寡婦利権」は朝早くの一定の時間まで、となっているそう。
で、その後は浜の集落全員の共有となる。
でも、この拾い作業での収穫は病気とかで出られない家にも平等に分配されるとか。
欠席しても、平等に配られる先は「お寺と学校の先生」。
      
また横道にそれますが、浜の漂着物の話題。
渥美半島の「伊良湖焼」って陶器、知っていますか? そんなところに窯あった?と不審に思っているでしょう?
そのはず、窯元のないやきものなんです。浜の漂着物。そう、伊良湖岬の沖は海路の難所。
で、沈没しそうになった船は積み荷を捨てる。それが流れ寄ってくる。この漂着物が渥美半島の特産(?)陶器で、伊良湖焼って言うらしい。
         
次も漂着物の話題。
日本海側の海岸では、漂着した木材に、石が乗せてあるのは触ってはいけないことになっているんだそうです。これは朝早く浜に出て拾った人が、「これは俺の物」と宣言している標識だそうです。
昔は、この流木だけで家を建てた人もあったそう。海水浴とか、魚釣りに行っても、家が建つほどの流木を今は見ないですね。よほどの洪水の後以外はね。
        
昔は、材木は筏で川を運んでいました。しかも、筏に組む前は、「筒流し」と言って、集積地点にまでは1本ごとにばらばらに流していたから、洪水になると海に流れて、浜に流れ寄る流木は多かったそう。
だから、漂着材で家が建った。
      
閑話休題
福祉の話に戻ります。
江戸時代は視力障害者へ、職種利権を与えていました。按摩は有名ですね。視力健常者はしてはいけないことにしていた。お琴の宗匠もでしたね。
しかも、努力次第で、検校の位まで用意していた。検校は大名と同格だったそうですね。
         
まあ、江戸も末になりますと、位もお金で買えたそうですが。でも、この利権制度は身障者への福祉の最高の制度だと思える。お金を恵むのよりは、本人の努力の機会を与えるのだから、人間の尊厳を崩さないのが、いい。