ウソ、ダマシ、サギ
      
世にサギ商法ってのがありますね。あります、どころか盛んですね。
ホーム・ページ作成のバイトって言うのまであります。
            
「簡単なパソコン技術を取得すれば、月々何10万円かの収入になります。収入を保証します。」って触れ込みで、一式70万円ものパソコンを、ローンで買わせます。
ローンの支払いが月々5万円。保証(?)する収入が毎月15万円、ってことで売り込みます。
これ真っ赤な嘘。
今時、パソコンが70万円もするなんて、アホと違うか?って、あなた思うでしょう。
         
そんなあなたでも、証券会社って名前の株屋が、「絶対もうかります」って言っても、株を「絶対」買わないとはかぎらない。
後知恵で見ると、何故そんな見え見えの嘘に引っかかったの?って思う。
どうも、引っ掛かる人が、特別なお人好しとは思えない。
これで、思い出すのは、アイヌの人達。
       
ヤマト・タケルから始まって、和人に騙され続けたでしょう。
和睦の宴会をしょうと集められて、皆殺しにされたとか、平和の約束をするからと都に連れてこられて斬られたとか。あれ、坂上田村麻呂でしたね。
アイヌの倫理の基本は、嘘をつかないことだったと言いますね。だから、和人も嘘を付かないと信じていたらしい。
 
最近の詐欺商法に引っ掛かる人は、「人は決して、嘘をつかない」と信じているとしか考えられない。
と言うことは、嘘を付かないってことを人倫の基本と考えるのは、何もアイヌの人達とは限らないと最近思い始めました。
「嘘をつくと、鴉が落ちて、熊野の神さんに告げに行く。すると熊野の神さんが罰をあてて、血を吐いて死ぬ」なんて話を聞かされたことない?
そんなことあれへんよなぁ。そんなことがあるんなら、国会議事堂の周りの鴉が死に絶えて、議事堂は空っぽになっているはずだもんね。
           
アイヌの人達だけが、お人好しだったのではなく、日本人は昔から嘘をつかないことが人倫の基本だった。嘘をつかない文化が古代の縄文人の文化であったとしても、弥生人とか、その後に来たと言われる騎馬民族が嘘をつかない文化を破壊したとするには、腑に落ちないことがある。
世界の征服者の歴史をみても、征服者は自分たちの文化を被征服者に押しつけるものですわな。
この歴史観では、いまだに日本人が嘘をつかない文化を持っていることの説明がつかない。
しかし、言語に関して言えば、後から来た征服者達は、縄文人の言葉に染まっていったのではないかとの説があります。
最近、古日本語はアイヌ語とよく似た言葉ではなかったか、とする説がでていますね。
現在言語に縄文言葉の骨組が、残っていることをみると、文化とか倫理も、縄文文明が根強く残ってきたと考えられる。
           
で、何を言いたいのかと、言うと、詐欺にたいする日本の偉い人達の態度。特に裁判所の態度。
詐欺とか、騙しに対する量刑の甘さ。詐欺罪の処罰は世界一軽い。
         
これは、だまされるのは、騙される方が、バカだとか、欲に駆られるから騙された、って考えるからそうなる。ボクが言うように、嘘をつくのは日本の伝統文化の破壊だと考えると、詐欺は日本の文化破壊。文化破壊は、厳罰で臨むべきである。ホクには、そう思える。
           
金融機関の崩壊に対して、アメリカでは銀行マンが2000人刑務所に入ったのに、日本では有罪になったのは100人にもならなかった。それも執行猶予付き。
いつから、信頼を裏切った犯罪者に、こんなに寛大になったのかなぁ。