美しい言葉
      
「すみません」は謝る言葉だから、と嫌う人がありますが、あれ日本独特の美しい言葉ではありません?
たとえば、電車で席を譲ってもらった、年寄りが「すみません」って挨拶するのは、いいですよね。
あれ、英語風に理屈っぽく言うと「年寄りの私が乗ってきたばかりに、せっかく座っていらっしゃるのに、立たせてしまって、ご免なさい」って言う詫びことばですね。
これな理屈っぽいことをいわなくっても、日本人は「すみません」一言でわかりあえますね。美しい言葉。
         
このとき「ありがとう」とか「ありがとうございます」って言い方があるけど、これはちょっと相手を見下げた言い方になるようなニュアンスがあって、時と場合では避けたい言い方ですね。
         
よく言われるのに「ご苦労様」と「お疲れさま」は使い分けが難しい言葉ですね。
「ご苦労様」は目上が目下に言う言葉ですから、若い人が課長に向かって「ご苦労様」と言うのは適切ではないでしょうね。
これからすると、とっさにでてくる言葉として「すみません」は重宝な言葉ですね。
           
これと似た言葉に「おそれいります」って感謝の挨拶がありますね。これも奥ゆかしい言葉。
でも、とっさには出てきませんねぇ。これはあきらめた。
         
ところで、これで思い出すんですが、女言葉は平安時代の殿上の女房言葉から始まったと言いますが、だいたい、仮名を女文字として使ったのは奈良時代からでしょう。
清少納言が漢字を使うのを紫式部は、さげすんでいますね。
         
輸入された漢字から仮名が創られる以前から話言葉としての女言葉ってあったように思えるんですが。
でも、いまでも女言葉のない地方ってあるそうですね。      
もう一つに「お陰様で」って言葉がありますね。
あれ、「だれのおかげ」だと言うと、「阿弥陀如来のお陰様」だそうですから、門徒さん言葉で浄土真宗の発想ですよね。
「お陰様」っていう真宗の宗教用語が一般化したのは門徒の多い大阪の商人達が多用したことからだと言いますね。
            
お陰様と同じ発想だと思われる言葉に、「させていただく」って間接表現がありますね。
誰に、「させていただく」のかと言うと、これも「阿弥陀さんに、させていただく」んですから門徒さん言葉ですねぇ。
なかには公式の会の開会宣言で、「開会させていただきたいと思います」なんて訳の分からない過剰丁寧語を使う人までありますねぇ。
          
あれ、決議の反対者から「思っただけで」開会宣言がなされなかったから、そのごの会議は全部無効、だから決議無効だっていちゃもんがつけられたことがあったけど、公式会議の開会宣言に宗教用語とか、訳のわからない丁寧語が使われるのはまずいですね。
         
でも、「阿弥陀さんのお陰で」なんて、感謝を信仰の基礎において宗教にしたのは凄いことですね。
門徒さんでなくっても、「お陰さんで」とか「・・・させていただきます」も使い方にもよりますが、優しさのあふれた美しい言葉ではありません?
        
これに類した日本語の使い方に「そうです」と「そうですね」があります。
「そうです」と言うと自分の意見の表明ですが、「そうですね」は相手の意見への同意ですよね。
あくまで、相手に沿っての言葉って、いかにも日本的な思いやりで、ボクは好きですから多用しています。ボクの口癖、お気づきになっていました?
    
誓文払い(せいもんばらい)
        
落語の外題に3人起請ってのがありますね。
喜瀬川って言う女郎が3人づれに、それぞれ起請文(きしょうもん)を渡していたのを3人が知って、こらしめに行く話。
女郎はいけしゃあしゃあとして、
「カラスが死ぬぐらいなら、起請文なんて、なんぼでも書くよ」
「三千世界のカラスを殺し、主と朝寝がしてみたい」と都々逸の文句をうそぶく。
     
落語に講釈を付けるのは野暮だけど、これには解説が少々必要。
江戸時代には何でか、カラスがむやみにいたらしい。むやみにいたから朝っばなから餌を求めて啼き喚いていた。だから,やかましくって寝ておれなかったらしい。
      
次は起請文の長い講釈になります。
今でも紀州の熊野大社に参りまして、お札を求めますと、牛王宝印(ごずほういん)の起請文用紙(?)をいただけます。
ご参考までに、右に牛王宝印を掲げました。
この宝印は江戸には勧進比丘尼が売り歩いていたそうで。
          
これに契約を書いて、嘘だったり、契約違反をすると熊野の神さんのカラスが落ちて死ぬんだそうです。
そうすると、神さんが怒りはって、「神罰が下り、血を吐いて死ぬ」ってことになる。
だから、契約とか誓詞を書くときには、この牛王宝印の紙に誓いを書きました。
博物館には誓文の書かれた現物が飾ってありますが、こんな模様の上に書いてあるから,読みづらいですねぇ。
昔の誓詞はもっと印刷がうすいものが使われていたんでしょうね。
その後江戸時代になると、遊女が使いだしたらしい。あんまり霊験がないことがわかっていたから、嘘ついても平気だとばかりにね。
で、先の落語の落とし噺になる。
       
遊女の起請文は、「年季が開けたら、あんたと夫婦になる」って約束。
こんなもん、嘘だとわかっていても男はみんな単純だから、信用したんですねぇ。江戸時代だけでなく、今でも、男って単純?
      
ところが、今でも霊験を信じている人間がいるんですよ。誰? うちのカミさん。
プロ野球のシーズン終わりに毎年、「もう、タイガースの応援はやめた」って言うから、
「本当? 熊野誓詞に一筆書け」って言っても、さすが書かないもんねぇ。
あれ、熊野のカラスを怖れているんですよね。きっと。それとも、やめたが本心でないからかなぁ?
       
で、やっと表題の「誓文払い」の噺にたどり着いた。
もう、意味はおわかりでしょう?
嘘ついて誓文に違反したから、罰を怖れて、これの「お払い」を受ける。
お払いを受けに行くところは、京都の四条寺町にある官者(かじゃ)殿って神社。この行事は10月20日。行くのは遊女でなく、商人。
この期間の前後に「罪滅ぼし」に安売りをしたことから、年末の安売りのことを京都では「節季の誓文払い」って言い、この言葉が全国に広まったらしい。
         
でも、誓文払いを、「赤字大出血」なんて嘘ついてもうけにかかるのは、「お払い」にならんで、罪を重ねることになるんでは?
でも、行くお宮さんが、官者殿って意味深長ですねぇ。
「官者」って政治に携わる者のことだから、何時も嘘ついてるのを「払い清めて」くれるお宮が昔からあるんかなぁ?