異文化
 
司馬遼太郎のエッセイ的な文章を昨夜読んでいましたが、ボクの年齢ではわからない単語が出てきますねぇ。
    
戦前に育った人は、少年時代に漢籍の素養がありますからね。
漢籍って戦後世代からみると、外国語としてのチャイニーズですよね。
それに大衆小説家って呼ばれる司馬遼太郎のつかうやさしい漢語でも、普通の字引には載ってないものが多く、漢和辞典を引いてはじめて判る単語があります。
           
最近、英語とかフランス語とかの外来語を使うのは日本文化を破壊するってかしましいけど、ボクら戦後派に言わせると漢語も、英語も外来語に変わりがないように思えるんですが、あなた、どう感じています?
           
日本の文化は、宋・元文化の刺激で室町時代に花開いたことも確かでしょう。(室町時代はもう、シナは明時代ですが)
と、なると漢籍も外国文化、時代が変わってヨーロッパ語も外国文化。ヨーロッパ語であろうと外国文化に変わりが「あるじゃなし」。チャイニーズと英語と、どこがちがうんかなぁ?と思えるんですが。
いずれにしても、読み手がピントこない用語を使うのは、ただ「俺は偉いんだぞ」って言ってるみたいに思えるのは、教養のない無学者のヒガみかなぁ。
  
でも、日本は平安時代をみても、50年もすると外来文化をちゃんと自分の文化にしてしまっていますね。これで、日本文化は幅広くなり、豊かになってきた。
       
ところで、平安時代の文化っていうと源氏物語、枕草子ですか。
源氏物語の現代語訳には瀬戸内寂聴さんの名訳がでています。
たくさんの現代語訳があるのに、なぜ寂聴訳を名訳だと云うと、現代に伝わっている源氏物語はオリジナル以外に、後で付け加えられた仏教説話が54帖の内37帖だとするのが武田宗俊以来の定説。
ですから、仏教説話の部分の訳は仏教者がいいにきまっている(?)
?を付けたのは平安時代の「仏教」は、その後にできた浄土信仰とは、少しニュアンスが違うって言いますのでね。
         
だから、源氏物語にでてくる仏教は、ボクらが、いま目にする「仏教」と雰囲気がグッと違いますね。
源氏物語の時代の方違(かたたがい)なんて、仏教と関係ない日本古来の迷信が生活の重要な信仰になっていたように思うし、それに、当時の仏教って葬式とは関係なかったらしいですね。
東大寺はむかしの仏教の華厳宗ですが、東大寺では自分の寺の僧侶の葬式は町中の真宗で出すんだそうですね。お釈迦さんの教えは輪廻転生ですから葬式なんて関係ないんでしょうからね。
だったら、華厳宗に帰依しているはずの僧侶が死んで、なぜ葬式をだすのか、これも素人には判りづらい。         
でも、男女の心のヒダを描写している源氏物語は、現代小説として読んでも、面白いですね。
これ以上喋ると無学文盲がばれるからやめとこう・・・