笑う門には
       
最近、化粧のせいか、怒り顔の女性が目につくんですが。
目につくってことは、そんな表情の人って稀なんでしょうね。
電車に乗っても、ちかごろはみんなの表情が、穏やかになったように思いません? バブル崩壊後はね。
まぁ、不動産屋とか、奴らに金をかして自分の会社を崩壊させている銀行家は別にして。
      
花の東京には、いまだに、金カネって走り回っている手合いとか、これ見よがしに金をかけたお洒落をするヤツらがいるらしいけど、地方の電車に乗っている人達の表情は最近いいですね。
         
日本人って険しい表情の人って、人気がないですねぇ。これは昔から。
僕の若い頃には先輩が、柔和な表情をするようにアドハイスしてくれました。若い時って、どうしても表情が堅いですからね。緊張すると、よけいに堅くなりますもんねぇ。
        
昔、三井物産っていう会社の社長をしていた新関八州太郎って人の話がありまして、この人の若いときは東大出のいかにも秀才面で、ギラギラとしていたそうです。
先輩から、「ひとに警戒されると社長になれないぞ」って忠告されて、毎朝、鏡を見て柔和な表情をする練習をしたっていう伝説がありました。
新関氏は壮年では、いかにも、自然な、茫洋とした顔つきでしたよ。
ここまですると、嫌らしいようにも思えるんですが、意識しても表情を和らげると性格も茫洋としてくるかというと、そうはならないらしい。でも、立身出世主義の世の中では、顔つきまで変える努力がいったんですね。
    
立身出世のためでなく、努力して作る顔つきに「顔施」ってのがあります。美しい優しい表情の人に出会うと一日中、幸せな気分になるときってあります。あれは人に施す立派な布施ですね。
仏頂面で、人に不愉快な気分を振りまくのは、申し訳ないので、私も鏡で練習しましょうかね。
            
でも、立身出世のための表面的なものは、鏡での顔作りで出来ても、顔施の表情となると付け焼き刃では無理で、心から湧き出る人格でないといけないんでしょうね。邪気なく楽しく過ごして自ずから滲み出てくるものでないと、駄目なような気がする。
          
このためか、日本人は昔から「笑い」って好きでしたねぇ。
日本人の笑いで、いつも思うんですが、落語に「あたま山」ってのがあります。あれ、馬鹿バカしいと言えば、バカバカしい。でも、あのナンセンスは高級な笑いですよね。
すぐには思い出せない方のために、粗筋を申しますと、自分の頭に池ができて、その周りに桜が咲いて、花見に人が集まって、喧しいから桜を抜いたけど、魚釣りの連中が喧しい、って自分の頭の池に身投げした、っていう咄。シュールリアリズムの笑い。
落語の粗筋なんて聞いても、全くおもしろくなかったですか。あれは噺家のくすぐりが面白い咄ですもんねぇ。
       
ところで、「笑う門には福来たる」っていいますが、健康にいい笑いって、大声で笑うのがコツらしいですね。意識的に大声を出して笑う。はしたないと思わずにゲラゲラと笑うのがいいらしい。
          
話が突然とびますが、笑うのは大声がいいらしいけど、くしゃみはあんまり盛大にやるものではないらしい。横隔膜を痛めることがあるとかいいますね。
これと反対に、意識的に大げさにやるといいのは、アクビだといいますね。
でも、人が話しているのに大欠伸は気がひけますねぇ。ひとりの時は盛大にやりましょう。
                
話が例によって、迷走してしまいましたが、笑いも、ひとりの時には、ゲラゲラと大げさにやりましょう。
家人に、何と思われようと気にしないで。