白昼の恐怖
           
満員電車の中でチカンをするのは卑劣な振る舞いですねぇ。
絶対赦されない。みんなそう思っている。
             
ところが、みんなが皆んな憎んでいることって、憎しみに目がくらんで、その人がホントにやったのか、どうかが、冷静に判断されないで、決めつけられてしまうことって、ありますよ。
         
古い話になりますが、戦時中には国内放送もまともに入らなかった鉱石ラジオを持っているだけで、スパイ扱いされたことがありました。
あのころはスパイは売国行為ですから、みんなが売国行為を心から憎んでいました。
そうなると、聞くこともままならぬ鉱石ラジオで、アメリカに情報を発信できるはずがないと冷静に判断されないで、スパイだと決めつけてしまうムードがありました。
         
ところで、意外な人が電車の中で痴漢で捕まったと報道されることがありますねぇ。
新聞も、最近はよほどはっきりした、専門の刑事が現行犯で捕まえたものでないと実名で報道することはなくなったようです。
これにはこんな事情があるんです。
最近裁判で無罪になったケースを紹介をしますと、従業員40名ばかりの企業の中年経営者Aさんが、季節もいいし、健康のためにもと思って、会社への出勤にラッシュアワーの電車に乗ったそうです。
彼は、こんな時間に満員電車に乗るのは初めてのことだったらしい。
ところが、突然後ろの女性が「何にするのよ、チカン」って、A氏の手首を掴んで持ち上げたそうです。
近くの乗客も一緒になって、ワッショワッショとA氏は次の駅で降ろされました。
           
Aさんは身に覚えのないことですから駅長室では、冷静に話を聞いてもらえるものと思っていますと、近くの警察から警官が飛んできて、頭から、「こらアホウ」って、怒鳴りつけられ、初めから犯人扱いが始まったらしい。まあ、だいたいそうなる。
         
任意同行と言う名目でその近くの警察に連行されました。取調室に連れ込まれ、犯人扱い。
「認めないと、何時帰れるかわからんで」てなことになりますね。
        
警察の取調室は、普通の生活をしている人間には想像出来ない雰囲気を持っています。
たいていの人は、3時間も頑張るのがせいぜいで4時間目には「どうしたら、帰してもらえますか?」なんてことになります。
ところが、このA氏は気丈な人で、自分の冤罪を訴え続けました。
日本人にすれば、ずいぶん「あきらめの悪い」人ですね。
          
犯罪を否認しているのですから、逮捕になります。48時間、豚箱って呼ばれる警察の地下にある留置場に放り込まれます。これで、もう容疑者。
      
被害者と呼ばれる女性は「この男にチカンされた」って言いつのっているんです。ですが、自分が痴漢していないってだれも証明でません。
「してない」って証明できるのは、アリバイだけ。アリバイなんてありえない。だって、その女性の隣に居たんだから。
             
たいていの人はここであきらめますねぇ。
「刑事さん、どうすればいいんでしょう?」
「被害者と示談出来れば罰金ですむように、してあげる」と答えるのが刑事の最大の親切でしょうねぇ。
ところで、示談ですが、貴方が大したことのない社会的地位にあれば10万円で手をうってくれることもあるし、大会社に勤めているとかであれば相場は40万円でしょうねぇ。
          
ところがA氏は、警察では駄目でも検察庁に行けば、検事は、あの難しい司法試験を通ってきた人権擁護を使命にする人達だから、自分の無罪を判ってくれると頑張ったそうです。
でも、検察庁でも被害者の、「か弱い」女性の人権擁護が通ったようで、正式裁判になってしまいました。やっと弁護士に頼めることになりました。
          
この弁護士にはA氏の会社の問題を以前に頼んだことのありましたので、親身になって弁護をしてくれることになりました。着手金は特別安くしていただけ、120万円でした。
この弁護士さんは、調査会社を使って、被害者の身辺の聞き込み調査をしてくれました。
何と、この被害者は過去に数件、チカン被害の示談金を受け取っていたことがわかりました。
幸い、お喋りで、またお喋りの複数の友達に自慢していたからです。
よかったですねAさん。
          
と思うのは浅はか。日本の裁判所はそれほど甘くない。
女性がチカンに遭うのはしょっちゅう。だから、以前にもこの人が被害にあっていたとしても、A氏が無罪とはいえない。そら、そこまで言えば、そうなりますよね。
          
この弁護士さんは、熱心に弁護をしてくれ、友人達も日頃の素行を証言してくれたそうです。
何と、A氏は目出度く無罪を勝ち取りました。
これは現在の日本の裁判では奇跡。
それにようした期間は2年。費用総額は調査会社への支払いも込めて数百万円。
         
でも、貴方。A氏はひょっとして、ホントに無実ではなかったんではと思っていません?
お金があり、黒を白と言いくるめる悪徳弁護士に頼んだから無罪になったんでは?との疑心はまったくない?
本当?
          
冤罪事件なんて、日頃、素行の悪い人間が関わることで、品行方正な自分には関係ない、と思っていらっしゃらない? 自分は痴漢なんてしないから大丈夫だって、思っていらっしやるのでは。
結構。それなら、満員電車には乗らないこと。
何?そんなことは出来ない。
せいぜい、女性の傍には近寄らないこと。
          
では、楽観的な貴方に、ある日突然、白昼の恐怖が降りかからないことを祈っています。