月日に数え方   
        
「3日先」って言われたら、例えば今日が4月1日だとすると、4日のこと? それとも、3日のこと?
これの正解はありません。それほど不正確な表現なんです。
      
先ほどワイフから「一両日って、あさって、入るの?」って訊かれて、これを書き始めました。
一両日って、もともと不正確な表現だと、みんな知っているから、正確な意味をもめることはありませんが、これが「まで」となると深刻な問題がおこってくる。
         
例えば「4月15日迄に返済すること」と約束したのに、相手が15日にお金を支払ったら、どうなる? 約束違反?
「迄」って、実は曖昧な表現なんです。
        
僕はあるところでスピーチしたときに、アンケート的に挙手してもらったら、15日を含むっていうひとと、いや、14日でないと駄目って人とが半々でした。
               
誰かの本で「15日迄」に15日を含むのは英語のuntill の影響だと言っていたのがあったけど、先のアンケートでは老若、英語使い人間とは関係なかったですよ。
               
英語のuntillが当日を含むとは限りません。
英文の契約書を扱われた経験のあるお方はご存じのとおり「untill 15 and 15」、時として15include ってつけます。
英語でも、これほど曖昧なんですねぇ。曖昧言語の日本語では、もう、お手上げ。
          
法律用語は曖昧では困りますので、15日を含むって時には「15日限り」って書きますが、これも一般には判らない業界方言ですねぇ。
         
ついでに、法律用語を書きますが「15歳以上」には、「以」ですから15歳は入りますね。
でも、日常会話ではどうかなぁ。
「二つ以上はいらんでぇ」なんて会話は、二つはあってもいいって意味につかいません?
ここらあたりになると、曖昧模糊。
             
「土曜日まで忙しい」って言ったら土曜日は暇と受ける人と、土曜日も忙しいと聞く人と半々と心得ておいた方がいい。
「く(来)るまで待とう」って言ったら、やおら車の中に入った、なんて笑い話がありますけど、これは「迄」とは関係ないかなぁ。
     
新暦と旧暦話が飛びますが、事典には、義士の討ち入りは「1702年12月14日」って書いてあるけど、あれ、紛らわしいですねぇ。
討ち入りは元禄15年12月14日。
これもエエカゲンなところがありまして、午後10時からとか、12時からだとか、朝の4時からだったとかの説がありますから、終わるまでに6時間はかかったらしいので、14日から15日にかけて、って言うのが正確な表現らしい。
         
ところで、1702年と書いてあれば、それに続く12月14日は、当然今使っている太陽暦のことだと理解してしまう。ところが、この12月14日は旧暦(和暦)なんですって。
だから新暦に直すと翌年の1月30日になるらしい。だから、新暦で表記すると1703年1月30日になります。
            
「12月中旬に東京に雪が降るか?」って書いている人があったけど、この人にかぎらず、字引に書いてあったら、そのまま信じてしまう。
字引だけがたよりですもんね。どうしてくれる?
       
これで有名なのは元寇の役。
二度目に攻めてきた弘安の役は7月って書いてる字引があるけど、これも旧暦で、新暦では8月。
台風で元軍が壊滅したのは新暦の8月22日深夜から23日にかけての台風であったらしい。
この台風は950ミリバール、失礼しましたヘクトパスカル。
                
さらに「風速60メートル」と書くと、「おまえ、そんな時生きていたのか?」って、あなり思っているとおもうけど、これ根拠があるんです。
大きな台風で木が撓むと年輪に斑点ができるので、屋久島の杉の年輪の斑点からわかるらしい。
鉄砲を伝えることになった1543年(天文12年)の台風も同規模であったのも、これからわかったらしい。
        
もとの話に戻って、
字引って、ちゃんと新暦で正確に書いてほしいと思うけど、これが生やさしいことではない。
旧暦って閏月があるから、単純な計算では換算できるものではないとか。
忠臣蔵の討ち入りの日時については「アホ、馬鹿」って投書が山積するから、一部の辞書は1703年1月30日に訂正したらしいけど、これが大混乱を呼び起こした 。
ほとんどの歴史上の年月は新暦旧暦まだら書きのまま。引く方は、余計に混乱しています。
諸兄もご注意のほどを。

        
桜かざして
今日(4月6日)私達夫婦は恒例の東山への花見にでかけました。
「ももしきの大宮人(貴族)はいとま(暇)あれな 桜かざして 今日も暮らしつ」
って歌がありますが、大宮人気取りで。
      
毎年 東山の花見は、北の銀閣寺道から南下しますが、今年は地下鉄蹴上駅から北上するルートにしました。
ところで、庭は北庭が原則です。庭木は南から見ると「表」になりますからね。
疎水沿いの桜も南からの日差しを浴びているのを「表」から見ると、風情が北から見るのとは違うんです。それにしても、歩いている人達の表情が「(今宵)逢う人 皆美しき」って風情なんですね。
桜の精が移って、かなぁ?
あれ、与謝野晶子の歌でしたね。「清水へ 祇園をよぎる さくら月夜 今宵逢う人 みな美しき」って。
       
途中、叶匠寿庵っていう名の売れたお菓子屋さんがあります。
店の庭でおうすをいただいておられる方が見えまして、疎水を跨ぐ小橋を渡って、お品書き(メニュー)を覗きに行きました。なんと、抹茶が1000円。
       
妻はお香の会で来たこともあって値段を知っており、永年のつき合いで僕がどんな反応を示すか判っていますので、傍にはいませんでしたねぇ。賢い。
         
橋を戻って来ると、数人の中年婦人グループが、恐るおそる覗きにこようとなさっています。
「おうす、千円」って言うと、彼女たち「やめた、やめた」の合唱。
アクセントは神戸弁。神戸っ子って、やっぱり同じ反応をするなァ。
     
哲学の道で、お昼をするときは銀閣寺から少し下がった、疎水向こうの饂飩屋ですることにしています。
このうどん屋の佇まいが、いかんのですわ。屋根が、今時はやりの半円形。表が総硝子張り。
どう見ても観光地の「高い、不味い」屋さん風。
ところが「安い、旨い」んです。かけ 400円、これが結構いけます。
しかも、前は哲学の道随一の桜の群生。だのに初めての人は、入るのちゅうちょしますよね。
    
出てくると、さっきとは別の人達ですが、またしても数人の女性グループ。
「安くって、美味しいですヨ」って、言ってあげると、「決めたァ」って合唱。
あれも、神戸っ子だったような気がする。
その後乗ったタクシーの運転手には、なにも言わないのに、「神戸からですか?」って言われたもンね。
家内は「あんたがお洒落だからヨ」って慰めてくれたけど。それはないだろう。
      
次は、ちょっとええ格好の話。
その後、カミさんに連れられて川端通り3条下がるにある「今昔西村」へ人形衣装の端切れを見に行きました。ボクだけは、あたりをウロウロ散歩して遅れて、入っていくと、小さな帯地の端切れの1万円に彼女思案しているんですわ。
永年、貧乏亭主へのいたわりで生きてきましたから、欲しいもんでも大思案。
ボクが入って行った時には、買うことをほぼあきらめていましたね。
「こんな珍しいもンは、思い切らんと、もう出会えンでぇ」でやっと買えました。1万円でもボク達には大散財。
でも、カミさんは帰りの電車の中でも、又しても袋の中をのぞいていましたね。子供みたいに。