まいないと賄賂
                 
暮れになると、毎年、忠臣蔵が気にかかる。
去年、忠臣蔵の謎って、長々と書いたけど、また今年も書こう。
              
芝居忠臣蔵が始めに掛かったのは、大阪竹本座の文楽「仮名手本忠臣蔵」らしい。すぐ、続けて歌舞伎でも、上演されたといいますね。
忠臣蔵事件、赤穂事件とも呼ぶらしいけど、あれが起こって、40年後のこと。初演から、大変な評判だったらしい。
            
赤穂事件のそもそもの始まりは、吉良の意地悪に、浅野内匠頭が遺恨をもったこととか。
朝廷からの勅使接待を浅野内匠頭が担当したのに、吉良上野介が意地悪したんですって?
吉良上野介は高家筆頭の有職故実の専門家で、接待作法の権威者でありました。
ですから浅野内匠頭は、吉良上野介に接待作法の指導を受ける立場でした。
この指導に、浅野がお金を出し渋ったことは確からしい。で、この場合のお金って、今では賄賂だということになっている。
             
江戸時代は賄賂が盛んだったようで、言葉にも「音物(いんもつ)、袖の下、鼻薬、礼物、手土産、御為の筋、それに、まいない(賄賂)」と数多くあります。
今の僕たちでも、何となく、この区別がわかるから、昔のことだけでもないみたいですがね。
でも、茶道をやっている人は判ると思うけど、町のお師匠さんに習いに行く時には、月謝なんぼ、って言われるけど、京都の今日庵に宗匠のお手前を見せて戴いて指導をうける場合、定価表なんてないでしょう。まあ、お茶の世界に限りませんが。
          
こんな、場合、お誘い下さった人には、一旦、お受けして、「有り難うございます」となって、後日、いかほどお包みすればいいか、聞きますよね。あるいは、慣れている場合は、適当に包みます。
こんなの、賄賂とはいいませんよねぇ。賄賂って云うと、何か不正な便宜を頼むか、期待する贈り物のことでしょう?
宗匠が門人に指導してくださるのは、不正な便宜ではありませんから、指導料的な謝礼ですよね。
              
形のないパソンコンのソフトでは定価がありますから,お金を払うのは、当然と考えますよね。
何にぃ! ソフトなんて買ったことないって?
           
バソコンでも、ソフトなんて買うことない、って云う人は困る。
お医者さんへ、風邪看てもらいにいって、注射してもらって沢山薬くださるとありがたいけど、「温かくして寝てなさい」って診断されるだけで、お金を払うのは、何や、せがないですよね。
本当は風邪を治す薬なんてないから、安静にしているしかないことを知っているから、お医者さんへ行くのは、悪い病気でないことを確かめに行くだけですのにね。
僕たち日本人って、形のあるものにはお金を出すけど、ノウハウとか、バテントにお金出すの、なんや損した感じ持ちますよね。
           
だから、浅野が、吉良に形のない指導に、まいない(賂)を出さなかったっても、指導を受けた浅野の方が悪いなんて考える人って少ないと思う。
でも、今日庵に連れていってもらって、相応のお金を包まなかったら、連れてくれた人は、これからは、まともに相手にしてくれなくなるでしょう。
お茶室を造って宗室や、高弟に来てもらって、お礼を包まなかったら、もう非常識ってことになる。
            
ところで、浅野の江戸詰家老は、付き合いとか社交の係ですから、吉良への賂(まいない)には気をつけていたのに、浅野の殿様は払わせなかったと言いますね。
国元家老の大石も、こんな事情は知っていたはず。
国元家老は家老筆頭ですから、江戸詰家老は部下。大石が知らなかったとしたら、無能、怠慢。
だから、浅野の殿様が払わせなかったというのは本当らしい。
            
吉良は、お金以上に、高家筆頭のプライドを傷つけられたでしょうね。ハキハキ教えなくなったのはボクにはわかる。これ怨恨を持ったのは逆恨み。
           
次は、浅野の殿様の切り付けかた。
松之廊下を歩いている吉良の背中をいきなり、小さ刀を順手にもって、切りかかった。
驚いて、振り向いた吉良の眉間に、さらに切り付けたとかいいますね。
         
武士が、儀礼用に佩るのは、脇差とは言わないようですが、まあ、平たく言えば、脇差。
これで、人をあやめるには、逆手に持って、体当たりするか、組敷いて喉笛を突くのが武士のやり方ですってね。
              
浅野のやったように、脇差を順手にもって、切りかかるなんて、ヤクザでもやらない稚戯だそうですね。
将軍綱吉が激怒して即日、切腹を命じたのは、朝廷の勅使の接待室の隣で刃傷沙汰を起こしたこともあるんでしょうが、やり方が「武士にあるまじき仕業」って激怒したとか言いますね。
浅野内匠頭が何で、稚戯をふるったのか?については、母方から受け継いだ精神病の家系だとかの分析もありますが、まあ、これは、この際べつ問題として…
           
もう一つ、腑に落ちないのは、討ち入りを果たしてからの47士の行動の不思議。
流れからして、浅野内匠頭の墓前で、全員が腹を切っておれば、これは文句なしの美談。
          
彼らの処遇については、幕府も困惑したとか言いますね。
荻生徂来らの意見を徴して、切腹となりましたが、墓前で切腹しないで生き延びて、あれこれやったことから、名前を売っての再就職運動だったとか、痛くもない腹を探られていますね。今に、なってもね。
            
暮れの忠臣蔵は、あれこれ考えさせてくれる、芝居。