土地の気風
           
よく、国民性って、言う人がありますが、その国のほんの僅かな土地に行って、国民性を論じるのはおこがましいので、土地の気風の話をさせていただきます。
           
よく聞く話に、フランス人は、釣銭をごまかすが、ドイツ人は品物を誤魔化す、っていいます。
そこで、僕の体験談。
南ドイツ(高地ドイツ)に行った時、シュバルツバルト(黒い森)の行楽地で、パイプ・タバコの道具を買いました。計算は正確でしたが、いざ、包む段になってカウンターの上に並べてあった、品物を一つ抜いてカウンターの下に隠すんです。
         
指摘すると、悪びれる風もなく、ニコニコして「忘れてました」って、もとに戻しました。
忘れたんでなく、はっきりカウンターの下に隠したんです。
だけど、ぜんぜん、悪びれないところをみると、日頃からやっているみたいでしたヨ。
            
パリでの話。
ベルサイユの庭に、屋台がでてまして、子供たちにサービスにお菓子を買ってやったことがあります。
「それそれ、釣銭をごまかすぞ」って言って見ておりますと、てっきり5パーセントほどをごまかされました。
計算係の、当時中学生だった、次男が暗算していて、
「違うや、ないか?」
って、怒っている姿が家族写真帳に残っています。
ごまかすのを予見して、写真係がかまえていたってこと。
            
もう一つ、凄かったのは、下町のモンパルナスの駄菓子屋での話。
れいれいしく、キャッシャーを打って、僕たちの暗算の倍額を言うんですね。
間違いを指摘すると、プーンとして、売らないとばかりに品物をカウンターの下にしまうんです。
そのあと、どうしたかは正確には覚えていませんが、ボク達も憤然として出てきたように記憶します。
              
皆さん、海外旅行では、こんな、ご経験あるでしょう? 
日本では、決してありえない話。
                  
誤魔化されないのは、釣銭を引き算ではなく、足し算でやる方法。
300円の買物に千円、まあ、フランとかマルクですが、を出すと、まず、品物を置いて、品物代金300円と言う。それに100円玉を2ツ足して、500円。
更に、500円玉を足して、1000円、って云う計算をヨーロッパではしますね。
始め、面食らうけど、この方式をやる店では、ゴマカシはないように思いますが。
          
10年ほど前、ロンドンの銀行で、両替をしたときの話。
ちゃんと、電卓がありまして、まあ、銀行だからありますよねぇ。電卓で計算をしたのを計算機で検算するんです。
やおら、機械式の計算機を、ガチャガチャ回して、検算やります。見てると、合わないらしいくって、首をひねって何度も、やっている。
その内、諦めて、電卓の結果で両替してくれたけど、頑固なんヨ。
まあ、この時は、ヨーロッパを遍歴して、各国通貨を4、5種類出したんだから、そら、まどいますわなぁ。
でも、照れ隠しに、「あんた、東京銀行?」なんて、愛想をいっていたけど。
                 
その後、輪島の朝市に行って、オバさんが、さっと、釣銭をだしたのは、失礼ながら感激しましたね。日本の算数水準の高さ!
目方で売る、行商のおバアさんは、いまでも算盤使ってますね。
目方計算を瞬時にやってのける。これは、もっと、感激。
           
メスセデスって言うのか、ベンツって言うのかのドイツ車は、中々、モデルチェンジしないのは、車作りの哲学が違うって言うけど、現場の職工さんが、図面が読めないから、モデルチェンジすると大変だっていうのが、真相らしい。
          
日本人の教育水準の高さは、明治後の義務教育のお蔭だっていうけど、その前の江戸時代、寺子屋が盛んだったっていいますね。
字が読めない、算盤が使えないと、不便だから寺子屋に行ってたと言うよりも、できないと恥だから行っていたらしい。
こんなことから、日本の文化は恥の文化である、なんて言うつもりはないけど、日本人には向学心遺伝子ってのが、豊富にあるみたい。
               
ところで、話が飛びますが、大学受験って、ボクは楽しかったんです。少し、キザかな?
ボクは貧乏な田舎教師の息子だったので、試験にさえ通れば、出自とか門閥にかかわらず、東大京大に行けるって思うと試験勉強は楽しかった。
           
その後、実社会に出てからは、努力すれば、そのまま報われるってことがあんまりなかったからね。