幸福遺伝子
              
日本は豊かな国ということになっているのに、豊かさの実感がない、って言われますね。
でも、私達のような「戦後飢え世代」は、今の日本は豊かになったと思っていますが。
まず何より、子育てをするときに、子供を飢えさせなかったことが、幸福だったと思っています。
だって、僕たち世代を「戦後飢え時代」に育ててくれた、親たちは、子供に食べさせるものが無かったのは、何より辛かったと思います。
ですから、国の内で、飢えに苦しむ人達がいないのは、社会として豊かでしょう?
             
日本が豊かでないと言う人は、多分アメリカの事情と比べているのだと思いますが、アメリカは貧富の差が日本より大きいですから、もし、アメリカの富裕階級とくらべるのであれば、日本の平均的中産階級は、豊かではないですね。何しろ、日本は平等社会ですから。
              
それに、日本が豊かになったのは、せいぜい、ここ15年位でしょう。
僕たち個人の暮らしに引き換えると、社会の15年は、せいぜい5年ですか?
5年位では、食べ物と、着るものは少し余裕ができても、とても、家にまで、手が回りませんですよね。
ヨーロッパみたいに、豊かさが、100年も続いた国では、道路とか、下水とかの社会投資をたっぷりしてきていますから、一番お金のかかる住居を比べれば、日本は確かに豊かとは言えないでしょうね。
            
パリなんか、ホテルでも100年前の建物を使っていますよね。
もう、何十年も前に原価償却がすんでいるんですから、内装にも凝れますヨ。
              
ここまでの、僕の話に、程度低いナ、と思っている方もあるでしょうね。
これは世代の違いもありますが、幸福とか満足は多分に主観的な心情の問題。
幸福とか満足の心情について、ですが、これは心の持ち方って云うか、遺伝子の問題が多分にあるらしい。
こんなことで幸福だと感じるのは、遺伝子のなかに幸福遺伝子がたっぷりある人間の心情らしい。
          
よく言われる諺に、コーカソイド(白人)、特にアングロサクソンは攻撃的な人種だと言うのがあります。
確かに、アメリカ人の中心を占めるアングロサクソンは攻撃的な傾向の強い人達ですよね。
夫から死ぬほどの暴力をうける妻が年間20万人もいるとなると、これだけで、攻撃的暴力的な人種だと言われてもしようがない。
もちろん、攻撃的暴力的傾向といっても、アメリカ人全部が攻撃的暴力的で、日本人全部が温和な人間だというわけではありません。あくまで、どちらかと言うと、との傾向の話。
           
こういった傾向は、文化にかかわる民族性もありますが、その基に遺伝子に関わる人種的な傾向が顕著にあるっていいますね。コーカソイド(白人)は攻撃的競争的で、自立心が旺盛、モンゴリアンは温和で、協調的だと比較文化人類学でもいいます。
多分に、幸福感についても、モンゴリアンには幸福遺伝子が豊富のようです。
物質的な満足感は際限がなく、こんなのは人生の目的にならないってことは、別に悟った聖人でなくても、日本人のほとんどは皆な知ってますよね。
             
大阪人でも、アメリカ人みたいに、出会うなり「あんた、年収なんぼ?」なんて、訊かないですよ。
それに、年収で人間の評価なんてしませんね。
せいぜい、「儲かりまっか」「まあ、ボチボチですワ」でしょう?(大阪人は、本当はこんな会話はしませんが)