新年のご挨拶の差し控え
    
日本の習慣には、奇妙なものが多々ありますね。
喪中につき、の年賀状の差し控えは、差し控える側はバーット出せばいいけど、応対するほうは、年末に喪中葉書がきた家を一々記録して、年賀状を出さないようにしなければならない。面倒ですねえ。
               
何故?喪中って、考えると、わからない。
まず、喪中とか服喪って、今、年賀状以外にやっている?
服喪って云うと、肉とか魚を食べないことを連想するけど、葬式が終わるとすぐ、精進落しって、料理屋で、ささやかとはいえ宴会風の会食をしますね。服喪ならご馳走を食べてはいけないのと違う?
料理屋によっては、肉とか魚を抜いた料理を用意しますが、それから何日間も肉や魚を食べないことってないでしょう。
服装だって、翌日からは普通だし。
それが、一年前に近親者がなくなったから、年賀状を差し控えて服喪するって、なんか、違和感がある。
             
日本の古い信仰では、穢(けが)れているから、って書いてあるけど、愛しい父や母が亡くなったから穢れているっていうのは、何とも納得できない。
僕の父母は特別穢れた人間でもなく、天寿も全うしたんですがね。
それに、そんな穢れているって実感ある?
もう一つの服喪理由として、服喪しないと死者が復讐する、って書いてある。
これを書いた人は、よっぽど親不孝をした人らしい。
どんなに親不孝をされても、普通の親なら、自分の子供に復讐なんてする?
日本の古代史を読むと、権力を握るためには、親兄弟を殺しています。こんな人達は、死者の復讐を恐れたでしょうが、普通の親なら39日も49日も子供たちが、服喪して働きにいかないで、肉魚も食べない生活を、喜ぶ?
        
いわんや、服喪も一切しないで、一年もしてから、新年の挨拶を欠礼するのは、僕には全くわからない。
             
わからない、その2は、旧暦の祭りごとを新暦でやること。
今年も、七草粥を1月7日に食べたけど、春が来たとの実感はなかった。そりゃあ、本来なら2月の行事ですもんねえ。
野原には、七草なんて、出ていないから南国の温室で作られた七草を時節はずれに食べても、気分でないなア。
        
3月3日の桃の節句だって、3月初めに桃が咲いているわけがない。
5月5日の菖蒲でも、旧暦の5月5日は梅雨の最中だから、減菌消毒の意味があるけど、新暦5月は爽やかな時候ですから、実感が湧かない。
          
まあ、新暦5月の爽やかな、ずーっと晴れの日を「さつき晴れ」って云うのもNHKがはやらせたから、これはこれでいいのかなア。
(さつき晴れ、は梅雨の晴間のこと。芭蕉の「さみだれ(5月雨)を 集めて早し 最上川」は、梅雨の豪雨で荒れた、最上川を船で下る恐怖のこと。念の為)
わからない、と言われる、その3。日本人は、仏教徒かと思うと、新年には神社に御参りするし、クリスマスをするし、で、宗教的節操がない、と言われますねえ。
でも、あれ、宗教的節操なんて、難しく考えたことある?
            
キリスト教関係とか、神戸は華僑のひとが多いから、関帝廟でお御葬式がある場合、どんなにすればいいのか、迷いますし、少し緊張しますよね。緊張するのは、異教徒なのを意識するんかな。
           
でも、お寺と神社って、別に宗教的節操とかの違和感なしに、平気で参っていません。
日本書紀にも、出てくるけど、天皇さんが、仏教を重んじ過ぎて、神祇をないがしろにした、なんて非難されておられますね。聖徳太子は、仏教を重んじられたけど、神祇も大事になさった、とあがめられておられますね。
           
明治の初めまでは、神仏混交でしたね。今でも、大きなお寺には地主神が祭ってあります。
清水寺には、奥にその名のとおり地主神社があります。
寺に神社があるのは、宗教的に考えると「わからない」ことですが、私のような平均的エエカゲン日本人には、別にどおってことないですねえ。
                
わからないの3は、わからないと言われることが、判らないなんてことになってしまいました。
それにしても、年賀状の欠礼は、わからない。