日本書紀は誰が書いたのか?
         
古事記とならんで、日本書紀ってのがありますね。
古事記は3巻、日本書紀は30巻。しかも、日本書紀は正史ですから、重みがちがうんですねえ。
重みがあるからって、信憑性が増えるものではありませんでしょうが。
             
話は、日本書紀から始めますが、ごぞんじのとおり日本書紀は漢文で書かれています。
といっても、私が原文で読み通したわけではありません。参考書を見て、原文と比べ、フンフンですが。
          
昔から、日本書紀は一人の人が書いたものではない、ってのが言われてきましたが、これを分析するのにコンピューターを使って分類する学者が増えてきました。
そうすると、神話の1、2巻、先史の3〜13巻、雄略天皇が書かれている14巻から用明、崇峻天皇の21巻まで、22巻の推古天皇と23巻、24巻から29巻までと、最後の持統天皇の30巻とは、書いた人が別ということがわかってきたらしい。
            
雄略天皇の14巻から用明、崇峻天皇の21巻と、皇極天皇の24巻から天武天皇の29巻までは、ネイティブ・チャイニーズが書いたと思われる、パーフェクトな漢文。
ところが、その外は、ネイティブがおかすことがありえない、誤記が山積しているって指摘できるらしい。
ところが、パーフェクトな漢文で書いているネイティブは、漢文の中に混じる和歌の万葉文字の音の当て方で、不思議な誤りをおかしているとか。
         
まず、濁音を清音にヒヤリングしたと思われる間違いとして、
(注・ここは詮索好きの人以外は読み飛ばすべし)
「ぬば玉の」を「ぬはたまの」に(14巻81)
「上にでて」を「うへにてて」(17巻97)
「米だにも」を「米たにも」(24巻107)
「雉(きぎし)を「ききし」(24巻110)
「水」を「みつ」(26巻118)
「橘」を「たちはな」、「枝々」を「えたえた」(27巻125)
もう、書くのはじゃまくさくなったから、以下省略。
        
外国語のヒャリングって、難しいですよね。
僕は、若いときに、勤めていた商事会社の早朝英会話で、喧しく言われたから、L音は、ほぼ発音できるらしいけど、白状するとL音の聞取りは、からっきし駄目。
L音発音は出来るつもりになっているけど、これも怪しいか?
          
先年、オーストラリア人が沢山参加していた会議で、こんなおかしなことがありました。
僕は、オッチョコチョイなところがありまして、国際会議になると、飯食うときでも、外国人の中に入っています。これは、日本人の友人達から見ると、エラク外国語に堪能だとみえるらしい。
でも、これは単に心臓が強いだけの話。誤解しないで!
        
会議になって、簡単な言葉もわからないで電子英和辞典を引いていたら、親しくなった隣のオーストラリア人がなんと言ったと思う?
「その辞書には発音記号はのってないのか?」だって。思わずいったなア、「お前が言うな!」って。
だって、そうでしょう、オーストラリア語は、ロンドンの下町言葉のコックニー訛りの酷いヤツ。しばらく慣れないと、なに言ってるのか判らない。
選りにもよって、そいつが、「発音記号はのってないのか?」って言えば、「お前が言うな!」になるよ
       
閑話休題
日本書紀の漢文部分を書いたネイティブ・チャイニーズはもっと、ひどい間違をしているです。
妻の意味の吾妹(わぎもこ、わぎも)を妹に間違えているらしい。
これからすると、この著者のネイティブ・チャイニーズは日本に来て間がないことが判るっていうんですねえ。ここら当たりは、僕みたいなド素人にも判りますねえ。
で、日本書紀の書かれた680年頃、日本に来て間がないネイティブ・チャイニーズには続守言と薩弘恪がいたらしい。
この前後に報償をもらったことが書いてあるから、書いたのを、この二人に決められるらしい。
         
あんまりヤヤコシイ話なので、結論をさきに言うと、雄略天皇が書かれている14巻から用明、崇峻天皇の21巻までは続守言が、24巻から29巻までは薩弘恪が書いたらしいのです。
          
二人までは、そうとしても、前が続守言で、後が薩弘恪とする根拠は、同じネイティブ・チャイニーズでも、文章の格が違うらしい。続守言が日本に来たのは、唐軍の従軍記者か、戦闘記録者であったのが、白村江(はくそんこう、又は、はくすきのえ、663年)の戦いの直前に百済の捕虜となり、日本に送られてきたとなっている。薩弘恪とは、文格が違っているらしい。
         
それと不思議なのは、時代が後の14〜21巻と24〜29巻が古い中国暦の元嘉暦で書かれ、反対に時代が先の1〜13巻が、元嘉暦より新しい儀鳳暦で記されていること。
これからすると、1〜13巻が、あとで書かれたことがわかる。
          
ところで、神代の1、2巻の神話は、原典が全てわかっているらしい。
それ以外の3〜13巻は、仏教説話からの援用であるとか。これはそれぞれ現代語訳があるから、僕達にもわかる。
3〜13巻は文武時代(697〜706)になって、山田史御方が書き足したらしい。
これがわかるのは、この部分が新羅訛りの仏教漢文であることと、普通文が文武時代のジャパニーズ・チャイニーズであることにあるらしい。
唐に留学の経験がなく、新羅にだけ留学した仏教学者は、山田史御方に限られるらしい。
日本風漢語は、今風に言うとジャパニーズ・チャイニーズ。和臭とか、倭習とかガクモンの世界では言うらしい。
          
ネイティブでない、日本人は、言葉遣いに、とんでもない間違をしますよね。
よく出てくる笑い話に、「タクシーを呼んで」ってつもりで、ホテルのドアマンに「コール ミー タクシー」って頼んだら
「ノゥ」って断られたって話があります。call me taxyって言えば、「僕をタクシーと呼んで」って意味ですよね。そら、礼儀正しいドアマンは断りますわな。
それに、米語って、普通の言葉に変な意味があるでしょう。
俗語辞典を引くとタクシーって「誰でも乗せる女(男)」って意味があるらしい。
そんな失礼な呼び方、頼まれても言えないだろうね。
          
これに類する言葉遣いの間違いが、コンピューターで分類した3〜13巻にはワンサカ出てくるとか。
ネイティブだと、決して使わない、(使えない?)間違いとされるのは、有と存は同じアリだが、有は不特定の存在、存は特定の存在とネイティブは使い分けるらしい。
「殺人者死」と書けば「人を殺さば、死に」って風に。
           
外国語でおかす誤りに、否定形がありますねえ。
英語で、yesって答えなければならないのにnoって答えた経験ありません?
まず、山田史御方の書いた3〜13巻では、「不」の位置が間違っているし、不と非の区別がされてない。因以、所以、是以、由以の使い方が間違っているらしい。
どう、間違っているかを書こうと思ったけど、邪魔くさくなったし、こんなとこ皆、読んでくれるはずがないから、やめとコ。
          
もう一度、結論を書くと神話の1、2巻、先史の3〜13巻と22巻の推古天皇から23巻までは山田史御方が後で書いた。雄略天皇の14巻から用明、崇峻天皇の21巻までは、続守言。24巻から29巻まで、は薩弘恪。最後の持統天皇の30巻は紀朝臣清人が書いたってこと。
この分析でいくと、聖徳太子の書いたとされる17条の憲法に偽作の疑いが出てきたとか。
次回に紹介します。