魂を貪るもの
其のニ 死霊都市
5.女占い師

 シャロル・シャラレイは二十代半ばと思われる女性だった。
 卵の殻の中の薄皮のように真っ白な髪は腰の辺りまで伸ばされ、宝石のように透き通った青い色の瞳が神秘的な光と静かな知性を湛えている。
 雪のように白い肌の上に純白の法衣を身につけた姿は、白い色の女神とでも表現したくなる雰囲気を醸し出していた。
「今日の仕事は、次のお客さまで最後ですね」
 シャロルがドアへと目をやるとすぐに、こんこんっとノックする音がした。
「どうぞ、お入りください」
 静かな、美しいソプラノで、シャロルは客を部屋の中にいざなった。
 開いたドアの向こうには、ちとせ、悠樹、鈴音の三人の姿があった。
 葵は神社で留守番をしながら、神社の倉の書物で調べものを続けている。
 猫ヶ崎高校パソコン部の火乃の協力で評判の占い師の情報を入手したちとせが、鈴音を連れてやってきたのだ。
 ちとせと悠樹は、猫ヶ崎高校の制服のブレザーのままだったが、鈴音はここへ来る途中でショップに寄って、新しい服を整えていた。
 チャイナドレス仕様の服という格好だった。
 上半身は、露出度自体は少ないのだが、身体の線がはっきりとわかり、彼女の豊かな胸とくびれたウェストという整った体型を強調していた。
 下は動きやすいように、大胆に腰までの深いスリットが入っているものを選んでおり、すらりとした見事な脚線美が立っている状態でも露わになっている。
 三人が部屋に入ってもまだ十分な広さを部屋は保っていた。
 部屋の中には、水晶球やカード類のような占いに使うであろう道具の他に、豪奢な飾りや高価そうな家具が置かれていたが、まったくといっていいほど嫌味は感じられない。
 すべて、最初からそこにあるべきであるように感じられた。
 しかし、それらもシャロルの神秘的な美しさに比べれば霞んでしまうようだった。
「そちらへ、おかけください」
 シャロルの勧めに従って、テーブルを挟んで正面のソファーに三人は腰を下ろした。
「うわっ、きれい」
 ちとせがシャロルを見て思わずもらした感想に、シャロルが人好きのする笑みを浮かべて軽く頭を下げる。
「お世辞でもうれしいですわ」
「お世辞じゃないですよ。ホントのことです」
「ありがとうございます」
「結構気さくそうな人ね」
「占い師さんだから接客は慣れてるんじゃないかな。でも、商売抜きでも話しやすそうな人だね」
 ちとせの耳打ちに、悠樹が頷く。
「では、早速ですが、何を占いましょうか?」
 シャロルが尋ねてきた。
 それに対して、鈴音が前髪をかきあげながら尋ね返す。
「あたしたちの用件を当てることは出来るかい?」
「はい?」
 シャロルが小首を傾げる。
「あたしは、ね。評判だけじゃ信じるわけにはいかないんだ。悪いけど事情が事情なんでね」
「かまいませんが、見料を一件分頂きますがよろしいですか?」
 占いの力を試す。
 そういう客もたまにいる。
 シャロルは気を悪くした様子もない。
「ああ、かまわないさ」
 シャロルの力を確かめることができて、その力で、霧刃を見つけることができるなら、見料ぐらいいくらでも払う。
 鈴音が頷くのを見て、シャロルは彼女の目を真っ直ぐと見据えて、さらに問うた。
「……心を覗くことになりますが?」
 シャロルの声が心なしか平板になる。
「心を?」
 鈴音が疑わしそうに見返す。
 シャロルの目に動揺はない。
「ただの占いならば将来の方向性を見通すだけです。ですが、目的そのものを言い当てろといわれるなら、心を覗くしかありません。これは占いというよりも透視能力(クレヤボヤンス)に近いものですが、私の霊力の証明にはなるでしょう」
 気さくな雰囲気を一変させて、シャロルが冷たい声を放つ。
「ですが、私はそういうことは望みません。覗かないで済めばそれに越したことはないのですが。断っておきますが、これは脅しではありませんよ」
 シャロル・シャラレイは白髪を揺らしながら、鈴音の目を真っ直ぐに見つめ続けている。
 その瞳はどこまでも透明で、嘘を吐いているような雰囲気はなかった。
 鈴音に微かな迷いが生じた。
 心を、覗かれる。
 誰もが望むところではないだろう。
 それは鈴音とて例外ではない。
 織田鈴音という一個の人間の内面を侵されてしまうのだから。
 首から下げたロケットペンダントを、ギュッと握り締める。
 そして、迷いをふっ切ったように、シャロル・シャラレイへ力強い視線を返した。
「やってくれ」
 この女占い師の力の精度を知ることができるなら、実体験をするのが一番に決まっているのだ。
 霧刃を止めるための手掛かりを得ることができるなら、自分がどのような目に晒されても耐える覚悟はできていた。
「では……」
 鈴音の真摯な響きを含んだ短い答えを受けて、シャロルは目を閉じた。
 微かにシャロルの髪の毛が、ゆらりと揺れ広がる。
 それは神秘的な光景だった。
「……あなた……鈴音さんとおっしゃいますか。あなたは……大きな……」
 シャロルの言葉が詰まる。
「大きな孤独を抱えています」
 鈴音の心、特に過去の部分は絶望に彩られていた。
 家族を失い、ただ独りで生きてきた。
「それでも尚、天武夢幻流という人を守るための剣を振るい、そして……」
 退魔の力を継承するものとして、人々を守りながらも他人と積極的に交わろうとせず、独りで生きてきたのだ。
 一振りの剣となって人々を脅かす闇を切り裂いてきた。
 しかし、いくら鈴音が強いといっても、若い女性である。
 幾度となく危機に陥り、敵の罠に嵌められて地獄を見たのは一度や二度ではない。
 敗北、そして、敗者に与えられる拷問、陵辱。
 闇の者たちが敗者に与える責め苦は凄惨を極めた。
 時には肉体を極限まで痛めつけられ、時には発狂寸前まで心を責め立てられた。
 敵に見せしめとして心身がボロボロになるまで犯されたのも一度や二度ではなかった。
 どんなに頑張っても力の及ばない絶望感。
 どんなにひたむきになっても通じない想い。
 肉体を破壊され、心を蹂躙され、それでも屈せず、天武夢幻流の誇りを胸に生き抜いてきた。
 すべての元凶である過去の惨劇を受け止め、そして、鈴音と同じく惨劇の被害者であり、唯一の希望である姉を求めて。
「過去を清算しようとしていますね。あなたの目的は……」
 シャロルはそこで目を開けた。
 髪も元に戻った。
 少々、辛そうな眼差しが、鈴音に向けられる。
 鈴音は、自分の心を見られたのだと確信した。
 シャロルの力は本物だ。
 過去も知られたのだろう。
 気持ちの良いものではない。
 もちろん、鈴音が頼んだことだ。
 むしろ、凄惨な過去を見せられて戸惑っているのはシャロルだろう。
「ご依頼は、あなたのお姉さまの居場所を占うこと、ですね?」
 シャロルの答えは的確だった。
「すごっ。何でわかっちゃったんですか?」
 ちとせが驚きの声を上げる。
 シャロルは複雑な表情を浮かべ、静かな声で、「私には見えるのです」とだけ答えた。
 そして、鈴音に向き直った。
「試して悪かった」
 鈴音は頭を下げた。
「かまいません」
 シャロルの青い瞳には鈴音の心を知る前よりも翳りが濃い。
 人は苦しみから逃れることができない。
 心に刻まれた苦しみを消し去ることは、できはしない。
「私は見えるだけで、何も救えないのですから」
 ぽつりと呟いたシャロルの言葉は三人の耳には届くことなく、消えた。
 シャロルは青い瞳からすぐに翳りを消し、鈴音の顔を真正面から見た。
「では、本題の方を占ってもよろしいですか?」
「頼む」
「では……」
 今度は、シャロルはテーブルに置かれた水晶球に手を翳した。
「……いきます」
 シャロルは集中するように目を閉じた。
 風もないのに再び白銀の長い髪と白色の法衣がなびく。
 先程とは異なり、シャロルの全身が淡い光を帯びる。
 ちとせは、その姿に見惚れた。
 神々しいとさえ思った。
 その姿は、運命の女神と呼んでも差し支えないだろう。
 シャロルの目が開かれる。
 双眸から黄金の光が漏れた。
 そこにあるのは透き通った青い瞳ではなく、金色の輝きを帯びた瞳だった。
 銀の髪がなびき、純白の法衣が揺れ、金色の光とそれらが絡み合ったその姿は、この世のものとは思えぬほどの美しさで彩られていた。
 水晶球に影が浮かぶ。
 それは、ルーンと呼ばれる北欧の古い文字だったが、この場でそれを知っているのはシャロル・シャラレイだけだった。
「……『ハガラズ』、『ナウシズ』、それに『スリサズ』……」
 次々と浮かぶルーン文字を見ながら、シャロルが眉を顰める。
「求めし娘、心は闇に捕らわれ、しかし輝きは衰えず。……虹の橋、大いなる流れの近くに、闇の娘あり。されど……」
 シャロルの言葉は先程と違い抽象的だ。
「されど…………」
 びくんっ!
 突然、糸が切れた操り人形のようにシャロルの身体から力が抜けた。
「シャロルさん!?」
「だ、大丈夫です」
 荒い息でシャロルは顔を上げた。
 びっしょりと全身に汗をかいている。
「どうしたんです、一体?」
 悠樹が心配そうに尋ねる。
 息を整えながら、シャロルは言った。
「申し訳ありません。標的がかなりの霊力の保持者。それに何か大きな力に遮られてしまって……。でしたので、私の力が弾かれてしまいました」
 シャロルはかなり消耗しているらしく声もぐったりとしていた。
「それじゃあ……」
「はい、私にも完全には、鈴音さんのお姉さまの居場所はわかりません」
 シャロルの言葉に、鈴音は肩を落とした。
 しかし、彼女を責めるわけにもいかない。
 こんなにも消耗するまでやってくれたのだから。
「しかし、いくつかの光景は見えました」
 シャロルは申し訳なさそうに、それでも凛とした声で続けた。
「まず、虹が、……大きな虹の橋が見えました。それにやはり大きな川が……」
「虹の橋に、川?」
 ちとせは額に指を当てた。
 さっぱりわからない。
 その隣で悠樹が声を上げた。
「わかったかもしれない」
「ホント?」
「ああ、たぶんね。虹の橋というのは、最近、猫ヶ崎に進出してきた北欧系の企業『ヴィーグリーズ』のことだと思う」
 ちとせもその企業は知っていた。
 『ヴィーグリーズ』は、世界各地に支社を持つ大企業であり、猫ヶ崎にも日本支社ビルとして超高層ビル『ヴァルハラ』を建造している。
 今は総帥であるランディ・ウェルザーズも来日しており、先日も、この猫ヶ崎市に本拠を置く、世界経済を牽引する地元大企業グループ『吾妻コンツェルン』との提携を模索しているというニュースが伝えられたばかりだ。
 ランディ・ウェルザーズは、髪碧眼、長身の紳士然という風貌をしており、切れ者との評判だった。
 しかし、ローカル局のテレビ出演で彼を見た時、その目から冷徹な感じを受けたために、ちとせはどうもランディという男が好きになれなかった。
 悠樹が言う。
「あの会社の社章(エンブレム)は、北欧神話に出てくる虹の橋『ビフレスト』をあしらったものだって聞いたことがあるよ」
「虹の橋『ビフレスト』?」
「北欧神話の中では、世界と世界を繋いでいる大きな橋だよ。そういう大きな意味を込めて『ヴィーグリーズ』も社章の原型に選んだんじゃないかな」
「ふぅん、じゃ、川は?」
「私の見た感じでは、爪研川(つめとぎがわ)だと思います」
 シャロルが言うと、鈴音は首を傾げた。
「爪研川?」
「はい。私、あの場所がお気に入りなんです」
「お気に入り?」
「はい。夜空の星を眺めるには、とても良い場所なのです」
 そう答えたシャロルの声音は、ちとせにはとても楽しそうに感じられた。
 だが、不思議なことに、声音とは裏腹に一瞬だけシャロルの瞳に悲しげな光が宿ったような気がした。
 しかし、次の瞬間には、それは跡形もなく消えていた。
 気のせいだったのだろう。
「でも、その二つがどこで結びつくんだ?」
 街に詳しくない鈴音が聞いてきた。
「えっと、最近、確か爪研川の上流の方に『ヴィーグリーズ』の関連施設ができたんです」
「そうそう、何か怪しげな実験やってるらしいよ。周辺からも苦情が出ているらしくて、それが原因で『吾妻コンツェルン』との提携が困難になってるって話もあるし」
「『吾妻コンツェルン』って、あの世界最大規模の大企業グループか?」
「そだよ。猫ヶ崎は『吾妻コンツェル』の地元だし、中核企業の『吾妻グループ本社』もあるし、関係法人の就業者数も半端じゃないから、この街に進出してきた企業としては、提携するにせよ、競争を挑むにせよ、心証を悪くするような余計なことはしたくないと思うはずなんだけどね」
「なるほどな。つまりは、『吾妻コンツェルン』との関係をこじらせてでも、『余計なこと』をしなければならないわけがあるってことだな」
 鈴音の目に鋭い輝きが走った。
「当たってみる価値はあるようだな」
「そだね」
 ちとせも悠樹も頷いた。
「お待ちください」
 席を立とうとする三人を、シャロルが呼び止めた。
「鈴音さん。占いの中で私が見たあなたがあなたのお姉さまとの再会への道を進むことによってもたらされる未来を暗示するルーンは、避けることのできない不運を表す『ハガラズ』、欠乏を意味する『ナウシズ』、そして、前進への障害物である茨の棘や門を暗示する『スリサズ』というものでした」
 黄金から青に戻った瞳と声が、鈴音へと向けられる。
「……あなたのお姉さまの闇の輝きは強力です。過去を清算するには、まだ時ではありません」
 シャロルは、そこで視線を下げ、はっきりとした言葉を続けた。
「今は再会の道を避けるべきです」
「あいつの強さは知ってるよ」
 鈴音は、前髪をかきあげた。
「でも、悪いが時なんて待ってられないんだ」
 穏やかだが反論を許さない口調でそう言って、鈴音は立ち上がった。
 そして、占いの見料を払おうとするが、シャロルは白髪を揺らしながら首を横に振った。
「見料はいただけません。最後まで占えませんでしたから」
 シャロルは哀しそうな視線で答えた。
 三人は部屋の出入口へ移動した。
「ご武運を」
 シャロルが目を閉じて、祈るように胸の前で手を合わせる。
 閉じられたシャロルの両瞼の裏には何が映っているのだろうか。
 ちとせたちは礼を言うと部屋を出た。
 シャロル・シャラレイは、「私には見える」と、言っていた。
 運命が見えているのだろうか。
 それでも、鈴音の決心は揺るがない。
 運命というものは自分で切り開くものだと思っていたから。
 いや、運命という言葉を憎んでさえいた。
 そうでなくては、困難な人生を生きて来られなかったのだ。


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