魂を貪るもの
其の二 死霊都市
4.人心地
――翌日、日暮れ。
猫ヶ崎高校。
この黄昏の時間帯に学校に残っているのは、熱心に部活動に参加している生徒と顧問の教師くらいであろう。
ちとせの所属する猫ヶ崎高校の陸上部は全国大会に出場する強豪で、専用グランドを照らすスタンドは付いているが、それでも太陽が完全に隠れてしまえば、活動は終了になる。
だが、今日は、ちとせは部活動を終えた後も学校に残っていた。
それは、鈴音の話を聞き、彼女に協力しようと考えたからだ。
鈴音の姉――織田霧刃――の行方を掴む。
その手伝いをできる範囲でしていきたい。
そう決めたのだ。
そして、猫ヶ崎病院で出会った柳川と名乗っていた悪魔が何をしていたのか、それを調べようとも思っている。
だが、積極的な行動を起こすためには、情報の量が圧倒的に不足していた。
だからといって、鈴音のことや事件のことを放っておくわけにもいかなかった。
ちとせは、この生まれ育った『猫ヶ崎』という街が好きなのだ。
誰が何をしようとしているかは知らないが、悪魔や悪魔を使役するような輩が街で暗躍している。
そう思うと我慢ならなかった。
だから、ちとせは動く。
学校という人が集まる場所には、情報も集まる。
そう考えて、学校に残って情報収集を行なうことにしたのだ。
「さて、参りますか。っと、その前に」
ちとせは、ポニーテールのリボンをしゅるりっと解いた。
「『
「そ。部活の時はね」
解かれたリボンを見ながら確かめるように言った悠樹に、ちとせが頷く。
そして、スポーツバッグの中から取り出した新たなリボンと外したリボンを替えて、再び尻尾部分の長い特徴的なポニーテールを結い上げ始める。
「ちとせは『術』は苦手なのに、自分への封霊術だけは完璧だよね」
慣れた手つきのちとせを見ながら、悠樹が感心したように言った。
両手を頭の後ろに回して髪を縛りつつ、ちとせが頷く。
「思いっきり走るためだからね。全力を出しても、霊気が発現しないように封じておかないと」
『封霊術』とは、言葉通り『霊気を封じる術』だ。
ちとせは陸上部の活動をする時に、この術を施したリボンを身につけることで自身の霊気を封じていた。
霊気が肉体に浸透すると爆発的に身体能力が向上してしまうのだ。
非公式だが、国際競技連盟が、『霊力持つ者』が大会等に参加する時には、選手や会場に『封霊』を施しているという話もある。
霊力は、『
ちとせも、そう考えている。
だからこそ、本来、『術』を苦手とするはずのちとせも、『自分自身への封霊術』だけは、陸上を始めた際に誰に言われるでもなく熱心に学び、即座に習得したのだった。
「さすが、ちとせは陸上命だね」
「肉体と精神だけの勝負の世界だからこそ、ボクは走るのが好きなんだよね」
恥ずかしげもなく陸上への想いを吐露するちとせを見る悠樹が、眩しそうな顔をした。
ポニーテールに戻ったちとせが、悠樹を笑顔で促す。
「さて、今度こそ参りますか」
「参りましょう」
悠樹も笑顔で頷き返した。
――昨晩。
鈴音の話が終わると、その場の全員が大きく息を吐いた。
「まずは、何より情報収集よね」
ちとせが言い、その場の全員が頷く。
「私は妖魔や悪魔に関係しそうな場所を、神社の倉庫の書物で調べてみますわ」
葵が言う。
彼女は神社の祭礼儀式で慣れているために書物などを調べるのが得意なのだ。
葵がその気なら、ちとせとしては違う線から調べるつもりでいる。
色々な方向から詰めていった方が効率的だろう。
「天之川とかにでも聞いてみる?」
悠樹が猫ヶ崎高校の風紀委員長の名を出した。
「アマノガワ?」
首を傾げる鈴音。
「天之川香澄、ボクたちが通ってる猫ヶ崎高校の風紀委員長です」
「頭も良いし、物知りで、歩く書庫みたいな女性なんです」
悠樹が付け足す。
ちとせが顔を引き攣らせた。
――怒るぞ、香澄ちゃん。
「でもでも、香澄ちゃんに聞いてみるのもいいけど……」
天之川香澄の知識は豊富だと猫ヶ崎高校の誰もが認めている。
だが、それは社会や常識についての知識であり、歴史に刻まれてきた事象についての知識であった。
加えて、天之川香澄は柔軟性に欠ける性格でもあり、どちらかというと軽い調子のちとせは彼女が苦手でもあった。
それにデータベースならば、ちとせの伝手は他にもあった。
「ボクがイイ後輩知ってるから、明日、その子から情報を引き出してみようか?」
「後輩? 陸上部の?」
「ちがうよん。これでもボク、けっこう顔広いんだからさ」
――そして、今日のこの行動に至ったのだが、文化部系の部室と第二音楽室や第二家庭科室といった予備教室を中心とした特別教室棟に足を運んだちとせは首を傾げた。
「あっれぇ、パソコン部ってどこだっけ?」
この猫ヶ崎高校――猫ヶ崎高等学校――は、明治維新期より学校法人猫ヶ崎学園が設置する由緒正しい私立学校であり、運動系文化系問わずに部活動に精力的に取り組んでいる。
部活動だけでなく同好会まで含めると、その活動団体の数は非常に多く、その中には優秀な実績を誇っている部活動も多々あった。
ちとせが副部長を務めている陸上部にも、全国レベルの選手が何人も所属している。
ちとせ自身、短距離走の選手としてインターハイに出場した経験があるのだ。
「悠樹、化研だから文化系の部室の並びは詳しいでしょ?」
悠樹は、化研――化学研究部に所属している。
彼もまた部活には熱心に参加して、学生としての知的好奇心を充実させる時間を満喫していた。
「うん、パソコン部ね。ここだけど」
悠樹が目的地を軽やかに指差す。
目の前だった。
「目の前じゃない」
「目の前だよ」
「もっと早く言ってよ」
「けっこう早く言ったよ」
「……とにかく、
「ああ、火乃のデータベースが目当てか。確かに火乃に調べてもらった方が、自力でインターネットとかで検索するよりは詳細な情報が手に入るかもしれない」
「その通り☆」
とんとんっ。
ちとせがドアをノックすると、すぐに眼鏡をかけた丸顔の少年が出てきた。
「あれ? 神代先輩に八神先輩じゃないですか」
「やっほ〜! 火乃くん元気?」
「元気ですよ。しかし、そういう神代先輩はいつも元気ですね」
「うんうん、勢いがボクの取り柄だからね」
「神代先輩は勢いだけの人じゃないでしょう、ねえ、八神先輩」
「さあね」
悠樹が微笑みながら軽い調子で言う。
ちとせが悠樹を小突く。
「そこは曖昧に誤魔化すところじゃないでしょ。ひどいわよ、悠樹」
「あははっ、ちとせは勢いだけじゃないよ」
「遅いっての。ていうか、笑うところでもないっての」
「あの、先輩たち、もしかして夫婦漫才をやりにここへ?」
火乃が眼鏡のブリッジを中指で押し上げながら、二人に尋ねる。
「もちろん、違うよ」
二人は同時に首を横に振って否定した。
夫婦漫才を否定しながらも、二人の息は合っている。
「ちょっとね、手伝って欲しいことがあってね」
ちとせたちから話を聞いた
部室に流れるクラシックと、火乃のタッチタイプが奇妙に調和していた。
彼の横には、ちとせと悠樹が控えている。
火乃は猫ヶ崎高校パソコン部の逸材と言われ、彼のデータベースには国際政治から日本神話まで幅広い情報が集約され、毎日のように更新されている。
ちとせはそれを頼りにして彼に何か、今回の件の手掛かりになるような情報を検索してもらうことにしたのだった。
「『システム・アーク』起動シマシタ」
ノートパソコンから無感情な機械音声が響いた。
「『アーク』は私が作成した人工知能です。このパソコンの命みたいなものですね」
少しだけ自慢げに火乃が言った。
「作成した?」
「カスタマイズじゃないの?」
「ええ、まだ不完全ですが、特に感情プログラムが困難で、かつセキュリティ上の……」
火乃が、何やら『アーク』について語りはじめた。
ぽかんとしてそれを眺めている悠樹にちとせが手招きをする。
「火乃くんってすぐ自分の世界に入っちゃうのが玉に瑕よね」
火乃が延々と説明をしている間、ちとせと悠樹は世間話で暇を潰していたが、火乃は説明に陶酔しているようで気づいている様子もなかった。
「……というわけです」
どうやら、火乃の説明は終わったようだ。
ちとせは、まったく説明を聞いていなかったにもかかわらず「うんうん」と深く頷きながら、火乃に『アーク』のデータベースを活用すべく促した。
「ゴ用件ハ、ナンデショウカ?」
「神代先輩、どうします?」
「う〜ん、霊能力や超常現象関係を検索してたら、きりがないしね」
ちとせが額に指を当てながら悠樹に目をやる。
「猫ヶ崎は霊的事件が多いからね」
悠樹も難しい顔をした。
神代神社で葵の手伝いをしている二人は、この猫ヶ崎市にその手の事件が豊富にあることを知っていた。
「やってみます? 一応?」
火乃が尋ねる。
「うん、じゃ、お願いしてみよっかな」
ちとせは考え込みながらも、首を縦に振った。
「了解シマシタ。検索を開始シマス」
『アーク』に検索を任せ、火乃が先輩二人へ緑茶を勧める。
「はい、どうぞ」
「ありがと」
「悪いね」
ちとせは湯呑を受け取ると、中身をズズーッと吸った。
「う〜ん、人心地だね」
ちとせが喉を撫でられた猫のように目を細める。
「検索ヲ終了シマシタ。該当件数ハ三万件以上デス」
「ええっ!?」
予想より遥かに多い件数に驚き、ちとせは思わず飲んでいた緑茶を吹き出した。
「うわあっ!?」
正面の悠樹は直撃を食らってびしょ濡れだ。
「三万件って……?」
ちとせはもちろん、全員唖然とするしかない。
「ふぅ、やっぱりダメだったね」
ちとせにハンカチを借りて――悠樹も自分のものを持っていたがちとせが貸してくれた――顔を拭きながらため息を吐いた。
「やはり、違う検索条件も設定しないと、絞込みは厳しいようですね」
火乃の問いにちとせは頷いた。
「う〜みゅ、三万件も調べるのも嫌だしね」
「ですよね」
「こゆのはどうかな? 『霊的なことを調べるにはどうすればいいか』を検索するっていうのは?」
「うっわ〜、アバウトですね」
「でも、適切といえば適切という感じじゃない?」
「とにかく、やってみますね」
火乃がすぐに承諾し、キーボードを叩く。
「了解シマシタ。検索を開始シマス」
『アーク』の機械音声が響く。
「検索ヲ終了シマシタ。該当件数ハ二百三十一件デス」
「まあ、これくらいなら何とかなるかな。とりあえず中身をお願い」
「はい。んでは、まず一件目……あっ……」
火乃の顔が引き攣った。
「どしたの?」
「いえ、これ、一件目が、『神代神社』って」
ちとせと悠樹の顔も引き攣った。
「……ニ件目お願い」
「ええっと、ニ件目は……『シャロル・シャラレイの占いの館』ですね」
「占いの館?」
ちとせは興味を引かれたようだ。
「はい。恋愛から探し物まで、かなりの的中率をほこってるみたいですね。特に探し物は百発百中だそうですよ」
「へぇ、百発百中の占い師かぁ。凄いなあ」
悠樹が感心している。
ちとせはというと会心の笑みを浮かべていた。
「そこよ。その占い師に聞けば一番手っ取り早いじゃない」
「いくら百発百中でも、占いに頼るというのも安易な気がするけど?」
「でも、行ってみる価値はあると思うよ。何しろ探すべき鈴音さんのお姉さんも退魔師だし、その霊力も半端じゃないみたいだし、血縁者の鈴音さんもいるし、占いとかで探したら、常人の人探しと違って意外と簡単に見つかるかもしれないわよ」
「探す相手が普通の人間じゃないなら、探す手段も普通じゃない方が通じるかもしれない、か。確かに一理ある……かな」
無駄な動きになるかもしれないが、動かないよりはましだと、ちとせは考えているのだろう。
特に今は『待ち』の状況ではなく、アクションを動かさなければ何も進まない状況にあるのだ。
考えられる範囲で、でき得る限りの努力を怠ってはいけない。
悠樹が、ちとせをしみじみと見つめる。
もちろん、ちとせは努力をすることを知っている。
そして、その努力で、道を切り開く。
それが、神代ちとせだ。
「んじゃ、火乃くん、悪いけど、そこの住所印刷してくれない?」
「はい。今、印刷中ですから……」
「それから『シャロル・シャラレイの占いの館』以外の検索結果も印刷しておいて欲しいな。空振りした時のために」
「わかりました。検索結果の方は量が量ですから、全部印刷が終わったら先輩たちの教室に届けておきますね」
「うん、サンキュ」
「印刷完了シマシタ」
『アーク』から紙を取った火乃がそれをちとせに渡す。
ちとせは器用に片目を瞑ってみせた。