魂を貪るもの
其の八 裁きの始まり
4.襲撃

 ちとせたちは食事を終え、小休止していた。
 辺りにはまだ、肉と野菜が焼けた香ばしい匂いが漂っている。
 ロックと鈴音が食事の片付けており、レイチェリアは時々思い出したようにロックにちょっかいを出して、鈴音に怒られていた。
 その傍らで、ちとせと悠樹は英語で書かれた本を読みながら、ノートにその日本語訳をせっせと書き込んでいる。
「ん? 何やってんだ?」
 迅雷が近寄ってきて、ちとせと悠樹を覗き込んだ。
「明日の授業の予習だよ、予習」
 ちとせが手にしていたシャープペンシルをくるくる回して答える。
「教科書持ってきたのか」
「明日は英語があるからね」
 ちとせが難しい顔で、ため息をついた。
「何だ、ちとせ、英語苦手なのか?」
「うっ、日本人だからね」
「どういう言い訳だ」
「でもさ。うちの高校レベル高いよ、絶対。悠樹、辞書貸して」
「まぁ、その分、どこへ行っても通用する知識がつくと思えば良いんじゃないの?」
 ちとせに辞書を渡してやりながら、悠樹が言った。
「はぁ、そんなもんかな。ま、勉強は嫌いじゃないからね」
 ちとせは受け取った英和辞書を引いて、目当ての文法を探し始めた。
「フッ……」
 鈴音はいつにない優しい瞳で、ちとせと悠樹を見つめている。
 戦いの中とはまた違った女性的な魅力を漂わせた表情だった。
 そんな鈴音の様子を、ロックは顎に手を当てて見ていたが、思いついたように口を開いた。
「鈴音サンが英語を教えてあげては?」
「えっ?」
 鈴音は突然の提案に動揺したのか、かなり間の抜けた顔でロックを振り返った。
「あ、あたしが?」
 ロックは頷いて、ちとせの方を覗った。
「どうですかネ?」
「そうだね。鈴音さん、英語喋れるんでしょ?」
 ちとせは辞書をパタンと閉じると、鈴音に向き直った。
「一応な。でも、あたしは学がないから……」
「そんなこと言わずにさ。ね?」
「あ、ああ、でも……」
 しどろもどろの鈴音の前に、ちとせが教科書を差し出す。
「はい、教科書だよ」
「あ……」
 しばらくの間、鈴音は、その本を見つめていたが、意を決したように手を伸ばした。
 ちとせに教科書を受け取り、書かれている英字を流暢な発音で読み始める。
「綺麗な発音だね」
 ちとせは悠樹と微笑んで頷き合う。
 そして、鈴音の英語を聞きながら、質問すべき内容をチェックし始めた。
「迅雷クンは勉強しないんで?」
 ロックが鈴音から視線をはずさずに、迅雷に尋ねた。
「がっはっはっ、日曜日は遊ぶもんだ」
 迅雷も鈴音に視線を向けたまま答えた。
「そうですか。じゃあ、オレとブラックジャックでもしますか?」
 ロックは懐に手を伸ばして、カードケースを取り出した。
「おう、そうだな」
「アタシも〜♪」
 話に入りこむ機会を狙っていたレイチェリアが、ヒョコッと顔を挟んできた。
「うおっ、レイチェ?」
「ね、一緒にやっていいでしょ?」
「もちろんですヨ。でも、レイチェさんが勝っても精気は勘弁してくださいネ」

 『ヴィーグリーズ』の拠点である超高層ビル『ヴァルハラ』で、その騒動は起きていた。
「だ、第ニ区画まで侵入されました!」
「時間を稼ぎなさい!」
 焦った男の声を叱責するように女の金切り声が飛ぶ。
「次元歪曲率は?」
「は、八十パーセント!」
「ヨルムンガンドは何をしていますの!?」
「はっ、世界蛇は『ユグドラシル』中枢部の根と戦闘中!」
「広範囲結界は?」
「ヨルムンガンドの念が拡散されて形成状態が不完全です!」
「『ユグドラシル』、第ニ区画突破しました!」
「地上に出ます!」
「何ですって!?」
 怒鳴りながら社員たちに指示を与えていたミリア・レインバックが、モニターの中で暴走する『ユグドラシル』を睨みつけた。
 画面の中では、全身を武装した『ヴィーグリーズ』の特殊部隊二十名あまりが、暴れまわる『ユグドラシル』の根に翻弄されていた。
 あるものはマシンガンやショットガンなどの近代兵器で、あるものは呪術などの太古の力で、『ユグドラシル』を鎮めようと奮戦している。
 しかし、それのどれもが傷一つつけることができない。
 悲鳴。
 血飛沫。
 そして、画面に酷い電気的誤信号(グリッチ)が発生する。
 人間だか悪魔だかも区別のつかない肉片が画面に飛び散り、震動とともに映像は真っ白になった。
 カメラが切り替わり別の角度からの映像が転送されてきたが、すぐにそれも血飛沫に染まった。
「第ニ班全滅です!」
 オペレーターの声に、ミリアは爪を噛んだ。
 『ユグドラシル』が暴走を始めたという知らせから、まだ三十分と経っていない。
 暴走した根によって防護壁のほとんどが破られ、『ヴァルハラ』の地下施設は蹂躙されていた。
「別の根が地下を掘り進んでいます。行き先は、猫ヶ崎山です!」
 また別の社員が叫んだ。
 地上に出た根とは別の音が地下を掘り進んでいるようだ。
「強い霊気の力場を求めて霊山へということなの?」
 ミリアの口の中で、手入れを怠ったことのない美しい爪が割れた。
 今の彼女に才色兼備の秘書の面影はなく、そこにいるのはヒステリックな取り乱した女性だった。
「とにかく、地上に出た根の処理を急がなくては……」
 ミリアが新たな命令を与えようとした時、オペレーターの一人が振り返った。
「シギュン・グラムさまから通信です」
「筆頭幹部殿から? メインモニターに繋ぎなさい!」
 目の前の巨大な画面に、『ヴィーグリーズ』筆頭幹部シギュン・グラムの姿が投影される。
 金髪の美女の奈落を思わせる両眼に、妖しい光が宿っていた。
「レインバック、私が出る。ヘルセフィアスには猫ヶ崎山に向かっている根を追跡させろ」
 常日頃と変わらぬ淡々とした口調で、ミリアに指示を与えてくる。
 その冷静な言葉を聞き、ミリアの動揺が徐々に静まってくる。
「それから、世界蛇でなければ、結界を修復できない。処理部隊は全て、ヨルムンガンドの援護に回せ。こちらは私一人で良い」
 モニター内のシギュンが懐から煙草を取り出し、マッチで火を点ける。
「わかりましたわ。筆頭幹部殿が出ます」
 いつもの冷徹な秘書の頭脳を取り戻したミリア・レインバックは、各部署に的確な命令を伝達し始めた。
 その声はすでに焦燥を表していた金切り声から、妖艶さと冷たさを含んだ落ち着いたものへと変わっている。
「処理部隊は全員ヨルムンガンドの援護を」

 地面から地響きとともに這い出てきた『ユグドラシル』の巨大な根に目を向けた。
 シギュン・グラムが口元に煙草を運ぶ。
 紫煙を吐き、右腕の義手で髪をかきあげた。
 霊気が足元から舞い上がる。
 凍るような温度の霊気、霊気の冷気だ。
 煙草が凍りついて先端の火が消える。
 嗜好品としての価値のなくなった煙草を地面に吐き捨て、革靴で踏み潰した。
 冷気で凍りついていた煙草は、硝子が割れるような音を発して砕け散る。
 冷気に反応したのか、『ユグドラシル』の根が一瞬動きを止め、先端をシギュンに向けた。
 次の瞬間、ロケット推進のように真っ直ぐシギュンに向かって根が突っ込んできた。
 シギュンはその根の元に、義手を向けた。
 全身から冷気が立ち昇り、月色の髪が冷やかな光を放ちながら空気中の水分が凝固して煌めく大気の中を舞い踊る。
「まだ大人しくしていろ、『ユグドラシル』」
 シギュンの足下から霜の帯が地面を這い、『ユグドラシル』の根を包み込む。
 根は一瞬で凍りつき、動きを止めた。
「手間をかけさせてくれる」
 周囲の大気がピキリッピキリッと凍りつくような音を立てる中、義手の手のひら部分へと冷気を収束させる。
「フェンリルよ。神をも飲み込む"氷の魔狼"よ。私にその牙の威力を示せ」
 シギュンの淡々とした言葉に応えるようにフェンリルが咆哮し、絶対零度の冷気が右腕の義手から放たれた。
 轟音。
 『ユグドラシル』の根は跡形もなく消え去っていた。

「一撃……」
 メインモニターで、シギュン・グラムの力を目の当たりにしたミリアの頬を冷汗が伝う。
「終わった。そちらはどうだ?」
 携帯モニターから、シギュンが返信してくる。
 一戦終えた後にもかかわらず、髪一つ、息一つ乱れていない。
「処理部隊の援護で、ヨルムンガンドの結界は修復されつつあります。筆頭幹部殿が処理された根が一番力を持っていたようですから、すぐに『ヴァルハラ』地下施設内で暴走している他の根は一掃されるはずです」
「猫ヶ崎山に向かった根は?」
「根本が地下深くにあるようですぐには対処できませんが、根の先端には間もなく、ヘルセフィアス殿が追いつくはずですわ」
「わかった。これより、帰還する」
 シギュンは懐に手を伸ばす。
 もちろん、煙草だ。
「了解致しましたわ。蒸留酒(スピリッツ)の用意でもしておきましょう。もちろん、北欧産の『生命の水(アクアビット)』を」
 ミリア・レインバックは妖艶に微笑んで、そう返信した。

 朗々と歌うように読み上げていた鈴音の英語が止った。
 ちとせと悠樹が顔を見合わせる。
「鈴音さん?」
「どうかしましたか?」
 鋭い目つきで、鈴音は空を見上げた。
 ちとせも、ようやく気づいた。
 空に異様な気が立ち込めている。
「この奇妙な霊気は何だぁ?」
 迅雷たちも異変に気づいて、駆け寄ってきた。
 と、眩い閃光が空に生じた。
「なっ!」
 ちとせたちは、手を翳しながらも、閃光の中心に目をやった。
 その光の中から男の姿が現れた。
 長髪の男だった。
 左肩に少女の人形を乗せ、空中にふわふわ浮かんでいた。
「『ユグドラシル』、どれほどのものかな」
 男が呟く。
 そして、ちとせたちの方に顔を向けた。
「それにしても」
 男は、ちとせたちの動きを油断なく視線で追いながら、ゆっくりと地上に降り立った。
「強い霊気を感じると思ったら、奇遇なことだ」
「おまえは『ヴィーグリーズ』の!」
 ちとせが、男を睨みつけて叫んだ。
「確か、シギュン・グラムと一緒にいた……」
 悠樹も、男の顔に見覚えがあった。
 シギュンという『ヴィーグリーズ』の幹部と戦った後に現れた男だ。
「ヘルセフィアス・ニーブルヘイムと申します」
 ヘルセフィアスは丁寧に頭を下げたが、その行為とは裏腹に、肩の人形がカタカタと笑った。
「……敵か?」
 迅雷が、ちとせの横に並ぶ。
 いつでも飛び込める体勢だ。
「あなたたちが、我らの邪魔をするならそうなるでしょう。『これ以上関われば死ぬことになる』と忠告したはずですが。……ちょうど良い。今、返事を聞かせてもらいましょうか」
「答えるまでもないと思うけど?」
 ちとせは腰の神扇に手をかけた。
「退く気はない、ということですか。予想通りではありますがね」
 ヘルセフィアスは唇を歪めた。
「それならそれで、ちょうど良い。実験台になってもらいましょうか」
「何をごちゃごちゃ言ってやがる!」
 迅雷が、ヘルセフィアスとの間合いを詰める。
「すぐにわかりますよ。ですが、今少しの間は、この私が相手をして差し上げましょう」
 そう言って、ヘルセフィアスは手を振り翳した。
 黒い光が手より発せられ、目前の地面に吸い込まれる。
「出でよ、地獄の亡者ども!」
 黒色に染まった大地が蠢き、盛り上がった。
 そして、腐臭とともに何体もの人の形をしたものが姿を現した。
 腐った肉の合間から白い骨が覗き、眼窩からは潰れた眼球が飛び出ている動く屍がいた。
 完全に白骨化した骸骨もいたし、頭の周りに暗い霧を漂わせた空洞の眼窩を持つ死人もいた。
 そのどれもが、生命というものを感じさせない化物だった。
「不死者を……外道め!」
 ちとせも巫女のはしくれ。
 自然の摂理を捻じ曲げ、命の尊厳を穢す邪術に不快感を示す。
 神道において、魂は神の世界から来て現世に顕現し、死後はまた神の世界へと帰っていくものだとされている。
 だから、死者は祝福とともに送られるべきものであって、死という穢れに染められたままでこの世界に無理矢理に留められるものではないのだ。
「ロック、レイチェと安全な場所に」
 鈴音の言葉に、ロックは静かに頷いた。
 霊力のない自分がいても力になれない。
 レイチェリアと一緒に戦線を離れるのが一番良いと理解している。
「気をつけてください。アイツはきっと何かを企んでいます。それに、不気味です」
「ああ、わかってる」
 鈴音は霊気を剣状に収束して両手で握り、ロックとレイチェリアを庇うように前に出た。
「レイチェさん、こっちへ」
「ええ」
 ロックはレイチェリアを連れて、後ろの林の中に逃げ込んだ。
 ヘルセフィアスはそれを見ても慌てた様子はない。
「もはや、逃げることは不可能ですよ。この山を下らない限りね」
 小さく呟き、右手を振り上げる。
 亡者たちが、ちとせたちに向かって動き始めた。

 鈴音は目の前に迫った骸骨の背骨を霊剣で薙ぎ払った。
 からからと音を立てて、骸骨は崩れ落ちてバラバラになった。
「骸骨に屍人、それに悪霊か。……やっかいだな」
 鈴音が不死の魔物たちを睨みつけながら呟く。
 不死の魔物(アンデッド・モンスター)と呼ばれる怪物たちは邪術で操られた死体や冥界より呼び戻された死者の怨念だ。
 すでに死んでいるだけあって、全身を砕かねば、動くのをやめない。
 二体の屍人が同時に襲いかかってきた。
 鈴音は一体の攻撃をかわし、もう一体を袈裟懸けに斬った。
 それでも、腐った肉体を引き摺りながら死体は動きを止めずに、前へと進んでくる。
 さらに追い討ちで、逆袈裟に斬り裂き、身体が泣き別れたところで、ようやく動きが止まった。
 もう一体に挑もうと振り返ったが、すでにその屍人は、ちとせが倒していた。
 だが、魔物は無限にいるかのように次々と襲い掛かってくる。
 このままでは、いつか疲弊してやられてしまう。
 司令塔のヘルセフィアスを直接叩くのが一番良いのだが、死者の囲みは厚い。
 ちとせは、目の前の悪霊を浄化させ、鈴音に向かって言った。
「鈴音さん、道を開けるよ!」
「わかった!」
「悠樹!」
「はいよ!」
 悠樹が、ちとせに向かって風を放つ。
 風は渦巻き、ちとせは神扇で風を纏い取った。
 そして、神扇を、ばっと広げる。
 鈴音の横に並ぶと、身体をまるで独楽のように回転させながら周りを取り囲んだ魔物たちに攻撃を繰り出した。
「舞っ!」
 神扇で打たれた敵が、宿った風に次々に切り裂かれていく。
 何体かの屍人が倒れ、敵の囲みが崩される。
「今だ!」
 鈴音は、不死の魔物たちの間を全力で駆け抜け、ヘルセフィアスへと一気に肉迫する。
 そして、そのまま、霊剣で水平にヘルセフィアスの首を狙って薙ぎ払った。
 一閃。
 ヘルセフィアスは口元に笑みを浮かべたまま、避けようともしなかった。
 首が刎ね飛ばされた。
「!」
 瞬間、鈴音は悪寒を感じ、その場を飛び退く。
 今まで、鈴音がいた場所を刃が通り過ぎた。
 首のないヘルセフィアスの身体がナイフを握って立ち続けている。
「何だと……」
 鈴音は信じられないという顔で、倒れずにいるヘルセフィアスを見た。
「クククッ、おしいな。油断してくれると思ったが」
 転がった首が、そう言って笑った。
「そんなっ……?」
 ちとせも驚いて、その首を凝視した。
 ヘルセフィアスの身体は自分の首を拾い上げて抱えた。
 首の断面から見えるのは、骨でも肉でもなく、全てを飲み込むような暗黒であった。
「天武夢幻流とか言いましたね。確か、それは……」
 ヘルセフィアスが唖然とする鈴音へなめるような視線を浴びせた。
「"凍てつく炎"の知り合いですか?」
「!」
 鈴音の顔が"凍てつく炎"の名に一瞬、強張る。
「やはり、そうですか。年格好からして、妹といったところでしょうか」
 ヘルセフィアスは一人で納得して頷いた。
 肩の人形が、カタカタと笑い声を上げる。
「人形か!」
 それを見た迅雷が、はっとして叫んだ。
 そして、左腕を振り翳し、ヘルセフィアスに向かって閃光を放った。
 カタカタと笑い続ける少女の人形が、ヘルセフィアスの左半身ごと弾けて消えた。
 吹き飛んだ左半身を見ながら、ヘルセフィアスの首は薄い唇を吊り上げて笑った。
「人形が本体であり、私の方が傀儡(くぐつ)とでも思ったのですか? 確かに、あの人形は気に入っていましたが、それは浅はかな考えですね」
「何だと?」
 迅雷が驚きの声を上げる。
 確かに迅雷は、ヘルセフィアスの言った通りのことを考えていた。
 首を刎ねても死なない人間の姿は傀儡であり、それを操っているのが人形ではないかと思って、人形を攻撃したのだ。
 だが、人形を失ってもヘルセフィアスは平然としていた。
 人形は本体ではなかったのだ。
 だが、それならば、なぜ死なないのか。
 人形だけではなく、身体の大半も失われたにも関わらず、まったくの無関心とも言える不気味さだった。
 どんなに自分に無関心でも苦痛ぐらいは感じるはずだ。
「それにしても、なかなか凄まじい技を使いますね。まさか、私の身体を空間ごと削ってしまうとはね」
「まさか、不死者(アンデッド)だとでもいうのか。いや、だが……」
 迅雷は、人形が本体でなかったのであれば、ヘルセフィアス自身が不死者ではないかという疑念を抱いたが、すぐにその考えを否定した。
 不死の化物には最強の存在である吸血鬼(ヴァンパイア)を除いて、ほとんど知能はないと言われている。
 ただ生きとし生けるものへの恨みがあるだけなのだ。
 吸血鬼とて長く存在し続ける代償に、退廃した思考になるものが多い。
 だが、ヘルセフィアスの目は明らかに己の強い欲望に満ちている。
 それに、吸血鬼は照りつける太陽のもとに出れば、一瞬にして灰と化すという伝承もある。
 吸血鬼である可能性も低いだろう。
 ヘルセフィアスは笑みを浮かべたまま、首を元あった位置に乗せた。
「不死者ではありませんが、私は不死身なのですよ」
 傷口から黒い液体が溢れだし、みるみるうちに首と胴は繋がった。
 そして、その黒い液体は失われた左半身に流れ込み、身体をも再生させる。
「再生しただと?」
「私は不死身なのだと言ったでしょう」
「なら、身体を全部吹き飛ばしてやる!」
 迅雷が一気に霊気を高める。
 しかし、ヘルセフィアスは涼しい顔で応えた。
「残念ですが、そうはいきません。もう遊びの時間は終わりです」
 ヘルセフィアスがそう言った直後、大地が激しく揺れ出した。
「何だ?」
 迅雷は辺りを見回した。
 木々が激しく揺れているのが見える。
 地鳴りが響き渡り、揺れは次第に大きくなっていく。
「地震!」
 ちとせも顔色を変えた。
 目の前の地面が、異常を示しだした。
 小山のようにどんどん盛り上がっていく。
「来たな」
 ヘルセフィアスが小山を凝視する。
 瞬間、小山を形成していた大地が爆発し、土砂が舞い上がった。
 降り注ぐ土の雨の中、巨大な樹木の根が地面から這い出てきた。
「何よ、あれは……?」
 ちとせが、その巨大な根と、それから派生する触手を見て叫んだ。
 不気味な根を見ながら、ヘルセフィアスが言う。
「さて、『ユグドラシル』。処理する前に、その力を存分に見せてもらいましょう」
「『ユグドラシル』? あの巨大な根が……!」
 ちとせが『ユグドラシル』という単語を聞き咎める。
「そう、あれこそ世界全てを統べる世界樹『ユグドラシル』。もっとも、今は暴走した根のみですがね」
 『ユグドラシル』の根は大地から這い出た後、あてもなく蠢いていたが、やがて、その枝分かれた触手の何本かが再び大地に突き刺さり、脈を打ち始める。
「クククッ、全てを生み出せし世界樹が、全てを飲み込むか」
 ヘルセフィアスが冷笑を浮かべた。
 大地から少しずつ緑が失われていく。
 草が枯れ、木が朽ちた。
 『ユグドラシル』が脈打つたびに、緑が衰えるたびに、吸い上げた力が暴走するように真っ赤な光が根を這いまわる。
「大地の霊力を吸い取ってる」
 ちとせが驚きを隠せずに、小さく呟いた。
 根から伸びる触手の何本かが、ちとせたちの霊気に反応したのか、取り囲むように迫ってきた。


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