魂を貪るもの
其の七 激動
7.麗らかな夜

 霊剣と霊剣が交差し、衝撃を伴って霊気の粒子が弾け散る。
 お互いの獲物を押し込むように競合っていた鈴音と迅雷が、同時に後ろへと飛び退く。
 着地の瞬間、鈴音の視界から迅雷の姿が消え失せる。
「消えた?」
 鈴音が目を見張る。
「上か?」
 見上げた空中に、迅雷の姿があった。
 霊気で形成した剣の切っ先を向けて、下降してくる。
 だが、その姿が、唐突に消失する。
 ――残像?
 鈴音が再び目を見張る。
「甘い」
 迅雷の声は後ろから聞こえた。
 いつの間にか鈴音の背後に回っていた迅雷が霊剣を振り下ろす。
 バチバチ!
 再び、霊気が弾ける。
「むっ?」
 今度、目を見張ったのは、迅雷だった。
 彼の霊剣を鈴音は振り返ることなく受け止めていた。
 そして、迅雷の剣を弾く。
 迅雷は間合いを取るために飛び退いた。
「てりゃあっ!」
 鈴音がすかさず反転して追撃を加える。
 華麗な連撃の嵐が迅雷を襲う。
 そして、その圧力に耐えかねて後退りする迅雷の霊剣を渾身の下段からの斬り上げが弾いた。
「うおっ!」
「もらったぁっ!」
 鈴音はそのまま、斬り上げた勢いで霊剣を回転して、袈裟懸けに斬り下ろす。
「!」
 迅雷は、咄嗟に左右に避けても追撃されると判断して、霊剣を弾かれた反動まま、自分から地面に後ろに倒れ込んだ。
「何っ!?」
 剣は空を斬る。
 鈴音は体勢を立て直そうとするが、振り切った姿勢のままの硬直で動作が遅れてしまう。
 その隙に地面に転がった迅雷が足払いを放つ。
「オラァッ!」
 クリーンヒット。
 鈴音もさすがに受身を取って無様に腰を打つようなことはなかったが、次の瞬間には迅雷の霊剣が喉元につきつけられていた。
「はぁ……、はぁ……、はぁ……、参った!」
 鈴音は負けを認めて霊剣を消し、霊気を鎮めた。
「廃材置き場で、やりあった時とは断然の違いだな、鈴音」
 迅雷も霊剣を消すと、呼吸を整えるように息を吐く。
 そして、倒れ込んだ鈴音に手を差し伸べた。
 鈴音はその手を取って立ち上がり、腰に付いた土埃を払った。
「最初、迅雷が後ろに回り込んだのが全然見えなかったよ」
「その見えない一撃を受け止めたってんだから、おまえのセンスには参るぜ」
「でも、結局、また負けちまったしな」
 鈴音も迅雷の強さは身に染みてわかっている。
 数時間で容易に勝てるようになれるとは思わないが、やはり悔しいものは悔しい。
「はっはっはっ、そう簡単に勝てると思うなよ」
 迅雷は両手に腰に当てて胸を反らしながら、豪快に笑った。
 口でいうほど迅雷にも余裕があったわけではない。
 一瞬でも気を抜けば、負けていたのは迅雷だったろう。
 何しろ、鈴音は歴戦の退魔師なのだ。
 その相手をできる迅雷が異常とさえいえるはずなのだ。
「まっ、とりあえず、今日の修行はこれくらいにしておくか」
「何だよ、勝ち逃げかよ。あたしはまだ、いけるぜ?」
「……おれが疲れた。慣れないことやったからな」
「無尽蔵体力発生装置だと思ってたんだけど?」
「あのなぁ」
 迅雷が、深く息を吐いた。
 鈴音は伝統ある武術の継承者にしては、どうにも口が悪い。
「まぁ、あたしも腹が減ったしな、この辺にしとくか」
「そうだな、飯にするか」
 空腹を覚え、迅雷も鈴音に同意した。
 ロックとレイチェリアが食事の用意をしているはずだ。
「と、その前に……」
 迅雷は、鈴音の両腕の枷に目を向ける。
 ――パチンッ。
 迅雷が指を鳴らすと、鈴音の両腕の『枷』がはずれた。
 鈴音は身体が軽くなるのを感じた。
「一時的に封印しただけだ。明日の朝、また発動させるぞ」
「何だ、継続的に鍛錬しなくて良いのかよ?」
「今日は初日だからな。そのうちやってやるよ。楽しみにしてな。悶えて寝れなくなるぜ」
 迅雷が、にやりと笑って言った。
「そん時は、おまえを夜這いしてやるよ」
「だっ!?」
 にやりと笑って鈴音が応じると案の定、迅雷は言葉に詰った。
 鈴音は気にした様子もなく、硬直している迅雷を置いて歩き出した。
「さて、飯だ、飯」
「す、鈴音、くうぅぅ……!」
「ホント、この手の冗談に弱いな。もう少し免疫つけた方が良いぞ。強さとのギャップがありすぎるぜ」
 鈴音が前髪をかきあげながら、振り返る。
 完全に、からかい口調である。
 さすがに迅雷が反論しかけるが、それは遠くから聞こえてきた声に中断させられてしまった。
「迅雷サマ〜☆」
「お、レイチェ」
 レイチェリアが背中に蝙蝠のような漆黒の翼を生やして低空低速飛行で飛んで来るのが見えた。
 ピクピク震えている迅雷の代わりに、鈴音がレイチェリアに手を上げて応じる。
「あ、鈴音〜。ご飯できたわよ〜」
「ロックは?」
 側まで来たレイチェリアに、鈴音が尋ねる。
「あっちで、ご飯の仕上げをしてるわよ。カレー」
「そうか。ロックは料理上手いからな。楽しみだぜ」
 レイチェリアの答えに頷く鈴音。
「アタシもご飯〜」
 レイチェリアが、迅雷に抱きつく。
 慌てて引き剥がす迅雷。
 疲れている上に精気を吸われてはたまらない。
「だあっ、見境ないな、おまえは!」
「失礼ですね。これでも面食いなんですよ」
 真顔で、反論するレイチェリア。
 観点が少しずれている。
「なお、悪いぞ」
 顔を引き攣らせながら、迅雷が額に手を当てる。
 鈴音は、漫才師二人を置いて、さっさとキャンプに向かって歩き始めた。

 キャンプについた鈴音たちは、岩を利用した即席の食卓を囲んでいた。
 ロックとレイチェリアが、鈴音たちに夕飯を盛り付け終える。
 カレー特有の食欲をさそう香りが、全員を包んだ。
 サラダやスープなどの付け合せはないが、カレーのかかった白米は、鍛錬後の鈴音と迅雷の空腹を刺激するには十分過ぎる。
「ヴォン・アペティート」
 ロックが、席について言った。
「へっ?」
「『召しあがれ』だよ」
 ロックの言葉に虚を突かれたレイチェリアに鈴音が代わりに答えた。
「へ〜。じゃ、いただきま〜す」
「いっただっきまぁす!」
「いただきますっと」
「うめえ!」
 カレーを口にした迅雷が叫ぶ。
「やっぱ、ロック。料理上手いよなぁ」
「お・い・し・い」
 鈴音と、レイチェリアも感心して、スプーンを進めた。
どういたしまして(プレーゴ)。レイチェリアさんが手伝ってくれましたからネ」
「いやいや、レイチェだけじゃ、こう美味くは作れねぇ。たいしたもんだぜ」
 ガツガツとカレーを頬張りながら、迅雷が言う。
「あっ、もう、失礼デスネ。迅雷サマッ!」
 ドンッ。
 レイチェリアが、思いっきり、迅雷の背中を叩いた。
 カレーのかかった米を口の中いっぱいに頬張っていた迅雷には致命的だった。
「うぐっ!」
 カレーが喉に詰る迅雷。
「ぐ、苦しい! み、水〜!」
 真っ青になった迅雷を見ながら、鈴音がため息を吐いた。
「しょうがねぇな、ロック。何か、飲むモンないか?」
「お酒でヨロシければ」
 ごくごくごく。
「ぷはぁ、助かっ……がはぁっ!? キッツい!?」
「『魔女(ストレガ)』か。確か、アルコール四十度だったな。ロック、あたしにもストレートでくれ」
 『魔女』の名を持つ黄色いリキュールをストレートで飲んで咳き込んでいる迅雷を横目で見ながら、鈴音がロックにリキュール・グラスを差し出す。
「四十度かよ! 喉に詰まったモンを流すのにはキツいだろッ! せめて、ビールにしてくれよ!」
「うっせーぞ、未成年」
 鈴音はロックのグラスにも黄色い液体を注ぎ込み、お互いのグラスを合わせると、二人はこともなげに中身を喉に流し込んだ。
 ――『魔女』か。
 鈴音は思い出していた。
 イタリアのシチリア島でロックと出会った時にショットバーで飲んでいたのも、『魔女』だったことを。
 ロックもそのことを覚えていて、わざわざこのリキュールを持参したのだろう。
 鈴音は前髪をかきあげた。
「あ〜、でも、本格的に飲む前に風呂に入りてえな」
「風呂か。そういえば、用意してねえな。中腹まで降りるか? 温泉があるぞ」
「温泉あんのか?」
「ああ、一応、観光地だからな、ここ」
 中腹あたりまで降りれば、一般の観光客のためのキャンプ場がある。
 そこまで降りれば、温泉があるというのだった。
「よっしゃ、みんなで温泉行こうぜ」
 鈴音は空になったカレーの容器を片付けると、立ち上がった。
 全員、食事は済んだようで、それに従う。
「イイですネ」
「うふふっ、温泉温泉。お・ん・せ・ん」
「鈴音。温泉行くのは良いけどよ」
 迅雷が鈴音を呼び止めた。
「何だよ?」
「風呂ん中で、酒飲んでくるなよ。後で、その酒を飲むんだろ?」
「お、おう、当たり前じゃねえか」
 心なしか、鈴音の口元が強張っている。
 どうやら、温泉の中で一杯と考えていたらしい。
「きゃははっ、はやく行こっ、鈴音!」
 レイチェリアは、そのようなことには気づかずに鈴音の服の袖を引っ張る。
 迅雷は、その様子を見て、大きく息を吐いた。
「おまえは精気吸ってくるなよ」
「え〜っ!」

 ――ちゃぽ〜ん。
「イイ湯だな、るらら♪ イイ湯だな、るらら♪」
 ――るららる〜るららるらるらるる〜らら♪
 鈴音が湯にどっぷり浸かりながら、岩棚に両腕を広げるように寄りかかっている。
 湯浴み着が魅力的な肢体の線を浮き上がらせ、湯で暖まり薄っすら上気した頬が色っぽい。
 かなりの広さの温泉で、視線の先ではレイチェリアが泳いでいる。
「露天風呂はイイよなぁ。そういえば、神代神社にもあったよな」
 神代家の中にある風呂もかなリ大きかったが、それとは別に露天風呂があったのを鈴音は思い出した。
 ――今度、湯煙に紛れて葵を襲うか。
 湯煙神社巫女さん大作戦。
 意味不明な単語が鈴音の頭に浮かぶ。
「あっ、そうだ!」
 その鈴音の考えに割り込むように、レイチェリアが大声を上げた。
 唐突に、ポンッと手を叩いたレイチェリアに、鈴音は近寄る。
「何だ? どうした、レイチェ?」
「覗きに行こう!」
「えっ?」
「男湯の方を覗いてみよっ」
「な、レイチェ!?」
 鈴音は仰天し、そして、絶句した。
 その間にレイチェリアは、女湯と男湯を隔てている石垣の方へ泳いで行ってしまった。
「さすがに、止めないと、ヤバイよな」
 湯浴み着を巻いているから、いざ見つかったとしてもこちらの裸を見られることはない。
 湯浴み着といってもタオルを身体に巻いた程度のものだが、鈴音にはそれぐらいの防御壁があれば十分だ。
 鈴音はすぐにレイチェリアの後を追って泳いで行った。

「生き返るぜ」
 手拭いを頭の上に乗せ、ゆったりと手足を伸ばしながら迅雷は大きく息をついた。
 鈴音との訓練の疲れが温泉に吸い取られるように気持ちが良い。
 首をぐるりと回し、ロックの方に視線を向ける。
 ロックは、岩棚に腰掛け、足先だけ温泉につけて、闇と星以外何もない空に目をやっていた。
 男の迅雷から見てもゾクッとするような優男だが、身体の方は鍛え上げられた筋肉によって引き締まっている。
 儚げな光を湛えた蒼い瞳が端正な顔立ちを際立たせている。
「よっ、温泉つからねぇのか? あったかくて気持ち良いぜ?」
「……」
 ロックは迅雷のへ首を向けた。
 蒼い瞳が迅雷を捉える。
 ロックの全身から醸し出される雰囲気は、『黒』だ。
 普段の穏やかな、という雰囲気には程遠い。
 怜悧冷徹な刃のような、そして、その刃を包み隠す闇のような『黒』だ。
 闇の風に弄られる髪を片手で抑えつける。
「失礼。もう少し、風に当たっていたいので」
「冷えるだろ?」
 迅雷の言葉に、ロックは目を閉じて首を横に振った。
「時折、風にあたらないと、血が騒ぐんですヨ」
「血が騒ぐ?」
 穏やかなロックからは想像もつかない言葉に、迅雷は訝しがった。
「どうも、マフィアの中で育ったせいか、どす黒い気持ちが染付いてしまって。オレは主にはビジネス担当だったんですけどネ」
 冷徹さと優しさの入り混じった奇妙な雰囲気の笑顔をロックが浮かべる。
 迅雷も、ロックがマフィアの幹部だったということは、猫耳山に来る前に聞いていた。
 ただ、鈴音とロックの知り合った切欠については聞いていない。
 ちとせの手前、鈴音の過去に触れないと約束したからだ。
 親友以上恋人未満。
 そう、迅雷は二人の関係を予想していた。
 実際にはもっと、深く複雑な感情をお互いに抱いているようではあったが。
 だが、鈴音の"追っている相手"が、二人の道を交差させたことは雰囲気からも察しがついた。
「こっちの腕前はどんなもんなんだ?」
 迅雷が左腕を湯から出して、霊気で光らせてみせる。
「残念ですけど、霊気は使えませんヨ。今、一対一で、キミと戦えば、オレは確実に負ける」
 そして、軽く息を吐き、再び蒼い瞳で迅雷を捉えた。
「だが、三年、いや、二年の時間があれば、キミの首を獲ることはできるかもしれない」
 ロックの瞳から、儚げで優しげな色が消え、冷酷な光が灯る。
 社会の裏で生きる者だけが、否応無しに身に付けさせられる目だった。
 ロックの言葉は、戯言でも過信でもない。
「暗殺か」
 迅雷の背筋に悪寒が走る。
「鈴音サンは、ああいう性格だから、正面から戦うのを好むでしょう」
「ああ、そうだな」
「だが、戦いでは後ろから狙ってくるヤツもいる」
 戦いは負ければお終い。
 死人に口無し。
 元の透き通った青色に戻った瞳で、ロックは微笑んだ。
 迅雷が問いかける。
「鈴音が追い掛けているヤツは、後ろから狙ってくるようなヤツなのか?」
「いや」
 ロックは、あっさりと否定した。
 織田霧刃は、"凍てつく炎"は、姑息な手を使わない。
 だが、正面から戦っても、鈴音はまるで歯が立たなかった。
「鈴音サンは過去を話さない性格だし、キミも無理には聞かない性分でしょう」
「まぁ、な」
「だが、キミには解かっているかもしれませんネ。鈴音サンやちとせサンが敵に回しているものたちのコトが」
「なぜだ?」
「『裏』の匂い。キミからそういう匂いがした。オレには嗅ぎ分けられる。それに戦いの実力もまた、『腕に覚えのある高校生』といった範囲にとどまるものでもない。なにしろ、歴戦の退魔師である鈴音サンと互角以上の使い手だからね」
「……」
「鈴音サンももちろん感じているのでしょう。でも、彼女はそういうことは言及しない女性です」
「だからこそ、あえて訊くか?」
「そうです」
 ロックは、深く頷いた。
 その青い瞳に大切な人を守るためなら蛇蝎(だかつ)になることも(いと)わないという強い意志が浮かんでいるのを見て取って、迅雷はゆっくりと口を開いた。
「……確かにおれは裏社会や犯罪組織に属していたこともあったよ」
「過去形ですか?」
「過去形だな。過去は過去だ。無論、過去に犯した過ちを放り捨てる気はないがな」
 迅雷は少しだけ遠いどこかを見るような眼をした。
「で、話の核心は何だ?」
「鈴音サンたちが敵に回しているのは、『ヴィーグリーズ』という組織です。聞き覚えは?」
 鈴音とロックの目的は、あくまでも"凍てつく炎"織田霧刃だ。
 厳密には『ヴィーグリーズ』と敵対しているとは言い難いが、彼らが霧刃を雇っている以上、こちらが無視しようとしても、あちらはそうはいかないだろう。
 それに、すでに、ちとせたちは『ヴィーグリーズ』の計画に巻き込まれている形であったし、ちとせたちも計画の真相を知るまで手を引く気はないようだ。
「知っている。霊力(ちから)を持っていれば、おれが引退宣言しようが、足を洗おうが、無用の争いに巻き込まれることもあるからな。昔の伝手(つて)でおれ独自の情報網もある」
「やはり、ネ」
「表向きは、北欧系の大企業だが、おれは、この街に進出してきた裏社会を牛耳る組織の一つだと、そう認識している」
 迅雷は、『ヴィーグリーズ』を、数ある裏組織の一つと考えているようだ。
「ただ、単純に邪悪な組織とは言い切れないところもあるようです。その根本に深い闇が存在しているとしても」
「どういう意味だ?」
「彼らの目的はわかりませんが、ただ、暗殺や闇取引といった裏組織特有の噂が、他の組織と比べて少ないからですヨ。もちろん、皆無というわけではありませんがネ」
「……規模が小さいんじゃないのか?」
「世界規模のネットワークを持ち、複数の国家に影響力を与えることができる。そして、抱える全社員の三分の一以上が人間ではない。そんな情報ならありますけどネ」
「なるほど、奇妙だな。……で、鈴音の追っているヤツも、『ヴィーグリーズ』の一員ということか」
「いいえ。『彼女』は、組織内に収まることは……」
 ロックはそこで口篭もった。
 やはり、霧刃のことを話すには鈴音の許可が欲しかった。
 それに、ロック自身にも、すんなり話をするには抵抗がある。
「『ヴィーグリーズ』か……」
 迅雷は、頭の上に置いた手拭いを取って、固く絞った。
 唐突に迅雷の動きが止まった。
 岩陰から、気配を感じたのだ。
「敵か……?」
 迅雷が、ロックに目で合図を送る。
 ロックも頷いて、いつでも動けるように全身の筋肉を緊張させる。
「あれは?」
 岩陰から、何やら太い紐のようなものが、上に伸びているのに気づいた。
 それは、近くの木を伝わっている。
「アハッ☆」
 笑い声が降って来た。
 ロックと迅雷が、声のほうを見上げる。
「!?」
 レイチェリアの笑顔が、上から覗いていた。
 紐のようなものは、レイチェリアのグーンと伸びた首だったのだ。
「だあっ、レイチェ!」
 レイチェリアはウィンクして、首を一気に戻す。
「ア〜ン☆ 見つかっちゃったわよ、鈴音〜」
「何やってんだよ! やめろって言っただろ!」
 鈴音の怒声が聞こえてくる。
「イイじゃないのっ。ほら、鈴音も」
「ばっ、やめ……、ちょっ!?」
 レイチェリアが鈴音の両腕を掴んで、石垣を飛んで超えてきた。
 抱えられた鈴音は、湯浴み着が離れないように抑えるのに必死で、レイチェリアから逃げる余裕はなかったようだ。
「鈴音!?」
「す、鈴音サン!」
 迅雷が慌てて、肩まで湯に沈む。
 ロックも、湯船に浸かった。
 二人とも、耳まで真っ赤だ。
 無論、のぼせたわけではない。
「よ、よぅ、遊びに来てやったぜ。背中流してやるよ」
 鈴音は心にもないことを言った。
 ――レイチェのヤツ!
「……鈴音、平気なのか?」
「平気なわけあるかぁ!」
「ハ、ハハ……」
 乾いた笑いを浮かべるロックの頬は引き攣っていた。
 硬直寸前である。
「つまんな〜い」
 レイチェリアは、男湯に来ても、別に女湯とあまり変わらないので、退屈しだしたようだ。
「……そうだ!」
 レイチェリアは名案を思いついた。
 鈴音の後ろにまわる。
 と、鈴音の湯浴み着が、はらりと舞った。
「えっ?」
 鈴音が、妙なポーズで硬直する。
 下着姿や湯浴み着姿なら、さほど動じない鈴音だが、さすがに裸にされては頭の中が真っ白になったようだ。
 ――ばしゃん。
 ロックは、温泉の中に撃沈した。
 鈴音は、その音で我に返った。
 両胸を腕で隠すと、湯船に隠れるようにしゃがみ込む。
「こ、このレイチェ! バカ! 何しやがる!」
「え〜っ? 迅雷サマも、ロックも喜ぶと思ったんだもん」
「自分のを見せればイイだろ!」
 そこで、鈴音は気づいた。
 ぎぎっと、首だけを回転させて、迅雷を見る。
「見たな……?」
「い、いや、ほれ、一瞬だったし……」
 迅雷が真っ赤になりながら言う。
「見たんだろ?」
「……見マシタ」
「そうか。……見たのか」
 鈴音は、にっこり微笑んだ。
 ――どかっ!
 鈴音の鉄拳が、迅雷の頬を捉えた。
 迅雷が湯船に沈むのを確認してから、鈴音は湯浴み着を拾い上げ、身体に巻き直す。
 そして、すでに湯船に浮かんでいたロックを拾い上げると、脱衣場の方にさっさと戻って行った。
「迅雷サマ、ダイジョブ?」
 レイチェリアが、ワカメのように湯船に浮かんでいる迅雷の背中を指で突っついた。
「レイチェ、……勘弁してくれよ」

 ――ちゃぽーん。
 その頃、ちとせは一人静かに神社の露天風呂で寛いでいた。
「鈴音さんたち上手くやってるかな」
 明日は、悠樹と一緒に猫耳山に向かうことになっていた。
 鈴音の様子を見に行くことと、迅雷をからかうことが主な目的だ。
 それに、と思う。
「神降ろしも試したいし、ね」


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