魂を貪るもの
其の七 激動
2.再会

「やっほ、迅雷先輩☆」
 ばたんっ。
 ちとせの声とともに、景気よくドアが軋みの悲鳴をあげる。
 鈴音の介抱をしていた迅雷が、一瞬、ドアが吹き飛ばないかと冷汗を流す。
 幸いにも壁に続いて、ドアまで壊れるということはなかったようだ。
「ちとせ、来たか」
「ちとせ……」
 鈴音が俯いていた顔を上げ、玄関の方に視線を向ける。
 ちとせの横に、悠樹、その後ろにレイチェリアと、見慣れた巫女装束に身を包んだ葵。
 葵の横で、ぐるりと見まわしていた鈴音の視線が止まった。
 サングラスをかけたダークスーツの男。
 見紛うことない黒髪の美青年。
 ロック・コロネオーレ。
「ロック……」
「久しぶりですネ」
「ああ……」
「もう少し早く挨拶をしたかったのですが、どうにもタイミングが合わなかったみたいですネ」
「……すまなかった」
「鈴音サン……」
「感動の再会中に悪いんだけど……」
 ちとせがロックを押し退け、鈴音の前に立った。
 普段、ちとせは、『感動の再会』の邪魔をするような空気の読めない娘ではない。
 よほど、鈴音が勝手に出て行ったことに腹を立てているに違いなかった。
「一発」
「えっ?」
「一発殴らせて、鈴音さん。それで、黙って出てったことは帳消しにしてあげる」
「ち、ちとせ!」
「ちとせちゃん!」
 ちとせの唐突な言葉に、葵とレイチェリアが驚きの声をあげる。
「葵さん」
「悠樹クン?」
 妹を止めようとする葵を静かに抑え、悠樹が首を横に振った。
 ちとせがこういう行動に出るであろうことは、彼には何となくだが予想できていた。
 そして、これから、どうなるかも、悠樹にはわかっていた。
 慌てかけたレイチェリアも、迅雷が黙って腕を組んだまま、ちとせを止める気配がないので、自分も黙って成り行きを見守ることに決めたようだ。
「ボクたち、ホント心配したんだよ」
「……わかった」
 鈴音は、自分を真っ直ぐに見つめてくるちとせの猫のように大きな瞳から視線を反らさずに頷いた。
 ちとせは、鈴音の命の恩人だ。
 ちとせだけではない。
 この場にいるすべての者たちが、鈴音の恩人であった。
 その恩を無にして、死に急いだ行動を取っている自分にけじめを着けなくてはいけない。
 鈴音は、そう決めた。
「じゃ、いくよ」
 ちとせが大きな眼を細くして、右手を振り上げる。
 鈴音は目を閉じ、歯を食いしばった。
「ビシッ! な〜んちゃって☆」
 ちとせは、鈴音の頬寸前で手のひらを止めた。
「嘘だよ。ぶったりなんかしないわ」
「ちとせ」
 鈴音は静かに目を開け、ちとせと視線を交わした。
「……」
「……」
「でもね、次は、殴るよ?」
「ああ。本当にすまなかった」
 鈴音が頷いた。
「コイツ、ホントに殴るから、安易に約束しないほうが良いぞ」
 迅雷が右手の人差し指を立て、口を挟む。
「むかっ」
 ばきっ。
 ちとせのストレートが迅雷の顔面を捉えた。
「ぐはぁっ、ちとせ、テメー!!」
「迅雷先輩が余計なこと言うから悪いのよ」
「まあまあ……」
 騒ぐ迅雷とちとせを宥める悠樹。
 その光景を見て、鈴音が静かに微笑む。
 鈴音の顔に微笑が浮かんだのを確認して、一番彼女がいなくなったことで責任を感じていたと思われる葵もまた微笑んだ。
「鈴音さん。私とも約束してくださいね。もう無理はしないって」
 葵が優しい声で、鈴音に言った。
「そうそう、人生、楽に生きなきゃダメよ」
 その横から、レイチェリアも微笑みながら言葉をかけた。
「ああ。そうだな」
 二人に約束すると、鈴音はロックに向き直った。
 ロックは静かに、サングラスをはずした。
 透き通った蒼い瞳が、やさしさを湛えている。
「ロック、あたしは……」
「鈴音サンは、イイ人たちと知り合いましたネ」
 何かを言いかけた鈴音を制して、ロックが言った。
「ああ。ロックを含めてな」
 鈴音の返答に、ドギマギしたようにロックが「オレは……」と、反論しかけた。
「ロック」
 しかし、今度は、鈴音がロックの言葉を遮った。
 そして、ロックの手のひらに自分の手を重ねた。
「イイ雰囲気だね。あの二人」
「そういえば、あの外国人の兄さんは鈴音とどういう関係なんだ?」
 迅雷が、ちとせの肩を突っつく。
 この場において、ほとんど面識のないのは、迅雷とロック、レイチェリアとロックという組合せだけだ。
「ああ、ロックさんね。イタリア人だっけな? まぁ、鈴音さんの大事な人だよ」
「そうか。大事な人、か」
 ちとせは、迅雷の反芻に頷いた。
 はじめて鈴音と対面した時、そして一緒に戦っていた時、ちとせは鈴音の研ぎ澄まされた刃のような霊気の中に孤独を見ていた。
 他人のために命を掛けることを使命としながら、決して他人と交わろうとしない孤独を。
 今の鈴音には、その孤独の心が少し氷解したのが感じられる。
 しばらくの間、鈴音はロックの手に自分の手を重ねていたが、意を決したように膝の上に戻した。
 そして、ちとせに向き直り、静かに呼気を吐いた。
 彼女の瞳に穏やかな光が宿っているのを見て、ちとせが口を開いた。
「鈴音さん、少し話があるんだけど良い?」
「ああ」
「『ヴィーグリーズ』のことだからね」
「……そうか。頼む。それと、迅雷」
「何だ?」
「約束だ。あたしの話を聞かせてやるぜ」
「良いのか?」
「約束だ。それに、聞きたいといったのはおまえだぜ」
「それは、そうだが……」
 思っていたより深刻な雰囲気に、迅雷が戸惑う。
「何の話?」
 ちとせが身を乗り出してきた。
「ちとせたちには、もう話した内容さ。あたしの過去と、あいつの……霧刃の話だ」
 鈴音が説明しながら、前髪をかきあげる。
「そっか。もう迅雷先輩ったら、女の過去を詮索するなんてヤボだね」
 ちとせがため息を吐きながら、迅雷の肩をポンポンと叩く。
「あ、あのなぁ、おまえらだって鈴音の話を聞いた上で協力しようと思ったんだろうがっ!」
「ま、それはそうだけどね」
「ったく。まあ、いいや。鈴音!」
 迅雷は、何かを決めた素振りで、鈴音の名を呼んだ。
「何だ?」
「やっぱり、アレだ。話を聞くのはやめとくぜ」
「えっ?」
「おれは何も知らなくていい。理由なんざ聞かなくても協力はできるってことだ」
「そいつはどういう……?」
「おれは、おまえさんが気に入ったから、いくらでも協力してやるつもりだ。でもよ、ちとせが言う通り過去を詮索するのもヤボだと思っただけだ」
 キョトンとする鈴音に向かって、迅雷は一方的に言葉を紡いだ。
「おれの部屋は勝手に使ってくれて良いし、何なら鍛錬の相手になってやっても良い。ただ、深いコトは、コイツに相談してくれ」
 迅雷は、そう言うと立ち上がった。
「それで良いんだな、ちとせ?」
「そうそう。黙って支えてくれる男の方がカッコイイよ」
「じゃあ、おれとレイチェは、散歩でもしてくるぜ。鈴音のこと、しっかり頼むぜ」
「ダイジョブ。任しといてよ☆」
 ちとせがウィンクで返す。
「んじゃ、レイチェ。外行くぞ」
「はいっ、迅雷さまっ」
 迅雷は状況を飲み込めていない鈴音を置いて、レイチェリアと一緒にさっさと外に出て行ってしまった。

 鈴音は呆然としたまま、迅雷が去った玄関を見つめていた。
「迅雷のヤツ、何で……?」
「鈴音さんがね。自分に似てると思ったんだよ」
「えっ?」
「ボクも、良く知らないんだけどさ。迅雷先輩は、ある日この街にフラリとやって来たらしいよ」
 ちとせが髪の毛をいじくりながら、鈴音に言葉を向けた。
「あいつ、この街の人間じゃなかったのか……」
「まあ、生まれをいえばそうなんだろうけど、迅雷先輩はもうこの街の人だよ」
 部屋に射し込む光の加減だろうか、それとも話の内容のせいだろうか。
 一瞬、鈴音もドキッとしてしまうような不思議な美しさを、ちとせは醸し出していた。
「迅雷先輩と知り合ったのは高校からだから、よく知らないけど、街にやって来た時は天外孤独だったみたい」
「孤独か……」
 孤独は強さを生む。
 誰にも頼れないからだ。
 だが、孤独は強さを生む一方で、非常に脆弱でもある。
 誰とも心を分かち合えないからだ。
 だから、人は人と交わらずには生きていけない。
 今の鈴音は誰よりもそれを理解していた。
「今は学校の人気者だけどね。強いし、まぁ、容姿もカッコイイ部類だしね。良い先輩ではあるよ」
 鈴音と迅雷が勝負した時、鈴音は迅雷に孤独とは違う強さを見ていた。
「たぶん、一人でがんばってる鈴音さんを過去の自分とダブらせて、手助けがしたいと思ったんでしょ」
 影野迅雷という男に、鈴音は師である父を感じていた。
 容姿も、声もまるで違う。
 年齢などは、鈴音よりも下だ。
 鈴音の孤独を見事に見抜いていたから、迅雷は自分が力になろうと思ったのだろう。
 孤独を知るものとして。
 鈴音は、ちとせの話からそう推測した。
「でも、鈴音さんには、ロックさんがいるってわかったから、安心したんだよ」
「なぬっ!?」
 鈴音が言葉に詰り、顔が真っ赤に染まる。
 先程の再会場面では、自分とロックがどう見られていたかなど頭になかったらしい。
 ロックも少し気恥ずかしそうに下を向いた。
 ただ、鈴音もロックも、今の所、相手を恋人とは思っていない。
 鈴音がロックの顔を見た時、嬉しかったのは事実だ。
 ロックも、鈴音のことを慕い続けていた。
 お互いに、大事な人であった。
「それで、自分は部外者で良いと判断して、ボクたちの邪魔をしたくなくて席をはずしてくれたんだよ、きっと」
「い、意外と、気を使うヤツなんだな。迅雷のヤツ」
 頬の辺りを桜色に染めたまま、鈴音は少しどもった。
 百戦錬磨の退魔師である彼女も、恋や愛には初心で純情であるようだ。
「まあね。さてと、じゃあ、本題に入って良い?」
「あ、ああ。『ヴィーグリーズ』のことだったな」
 まだ少しドギマギしていた鈴音が呼吸を整え、本題を確認する。
「うん。実は……」
 ちとせが、今朝の顛末を話し始めた。

 無数の墓石が並んでいる。
 ここは亡くなった多くの人々が眠る場所――『猫ヶ崎霊園』。
 曇天を見上げていた織田霧刃が、漆黒のロングコートの裾を翻し、ゆっくりと霊園の出口へ向かって歩き出した。
 どこからともなく魔獣ケルベロスが獅子を思わせる逞しい姿を現し、寄り添うように従う。
 彼は霧刃の顔へ視線を移した。
 肺病(はいびょう)病みの遊女の如く不健康で悲壮な美しさを持つ青白い顔には、何の表情も浮かんでいない。
 冥界の番犬であるケルベロスにもわからない。
 彼女がこの霊園に足を運んだ理由は。
 彼女は妹以外の家族と最愛の恋人を亡くしている。
 だが、この霊園には彼女に縁のある人間は眠っていないのだ。
 霧刃は足音も立てずに、整然と並んだ墓石の間を抜けていく。
 前方から来た女性と幼い少年とすれ違った。
 親子のようだ。
 二人とも目を赤く腫らしていた。
 ケルベロスは、ふと気づいた。
 今まで霧刃が立っていた辺りにある墓の前で、母子が足を止めたのを。
 ケルベロスはもう一度、霧刃の顔を見上げた。
 霧刃は友を一瞥しただけで何も答えなかった。
「お母さん、お父さんはなぜ死んでしまったの?」
「わからない。わからないわ」
「どうして、どうして、殺されなきゃいけなかったの?」
「わからない。お母さんにもわからないのよ」
 後方から親子の声が聞こえてくる。
 霧刃は気にした様子もなく、ロングコートの裾を揺らしながら歩を進めていく。
 と、その足が唐突に止まった。
 景色から色が消えていた。
 空気が澱んでいる。
 振り返る。
 母親が屈んで幼い息子を抱き締めているのが見えた。
 その女性の影から、黒い異形が吹き出るように立ち上がっていた。
 魔女の猟犬(バーゲスト)
 闇から生まれ出でた巨大な怪物が、二人に覆いかぶさるようにして牙と鉤爪を向ける。
 母子はそれに気づいていないのか、それとも見えていないのか、驚愕した様子もない。
「……ヒトの脳の味を覚えた生き残りの(あるじ)無しか」
 霧刃が疎ましそうに呟く。
「もとの主が下衆なら従僕も下衆だな。喰らった人間の血縁まで狙うか」
 ロングコートに隠して腰に帯びた黒金の鞘がカタカタと音を立てる。
 神刀・細雪の柄を静かに握り締め、霧刃が音もなく跳んだ。
 気配に気づいたのか、闇色の異形が頭上に目を向ける。
 咆哮して鉤爪を振るう。
 交差する霧刃と闇の怪物。
 青白い閃光が走った。
 とんっと着地した霧刃はもう一度跳躍し、ケルベロスの傍らへと戻った。
 黒い異形の絶叫が響き渡った。
 闇色の肉体が真っ二つに切り裂かれ、漆黒の塵となって、大気に溶け消えた。
 同時に、景色はもとに戻っていた。
「(霧刃……)」
 ケルベロスが何かを言いたそうに霧刃を見上げる。
 霧刃は何も答えず、霊園の出口へと向かって歩き始めた。
 一連の出来事は母子には何も認識されておらず、母は子を励ますように抱き締め続けていた。


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