魂を貪るもの
其の六 降臨
6.勝負

 アパートの近くの廃材置き場に移動したところで、迅雷と鈴音は距離をとって正面から向き合った。
 廃材置き場は面積もかなり広く、人気もない。
 迅雷が、ここなら周りに気兼ねなく勝負できると踏んだのだ。
「鈴音、勝負の前に一つ約束してもらうか」
 迅雷が肩の筋肉をほぐしながら、鈴音へ話しかける。
「何だ?」
「おれが勝ったら、おまえ自身のことを話してもらいたい」
「あたしの、こと?」
 鈴音は怪訝な顔で、迅雷に聞き返す。
「ああ。そのケガといい、焦った態度といい、何か理由があるんだろ?」
「……」
「一応これでも、今まではさすがに訊くのを憚ってたがな。勝負まで挑まれちゃあ無関係ってわけにはいかないだろうがよ?」
 鈴音が不機嫌そうに舌打ちする。
 ――詮索好きの男だ。
 だが、鈴音は文句を言わず、逆に迅雷に尋ね返す。
「あたしが勝ったら?」
「その時は、おまえさんの好きなようにするが良いさ。それこそ、ここを出て行ってもかまわないぜ。おまえの身体が壊れようが、のたれ死のうが勝手にすれば良い」
 迅雷が鈴音の目を見て答える。
「わかった」
 鈴音は頷いた。
「よし、始めるとするか」
 迅雷が、バシッと左の手のひらに右拳を打ち込んで気合いを入れる。
「はぁぁぁっ!」
 荒々しい力が秘められているだろう全身の筋肉が膨れ上がり、それに呼応するように迅雷の霊気が高まっていく。
 嵐のような霊気の力が、廃材置き場中に荒れ狂う。
 その鋼鉄を思わせる筋肉と周囲を威圧するような霊気は、まるで、『鬼』のようだ。
「ぐっ……」
 鈴音は迅雷の霊気に圧されそうになったが、退く気は毛頭ない。
 自らもまた霊気を開放し、迅雷と対峙した。
「いくぜっ!」
 左手で霊気の剣を作り出し、両手で握り締める。
 重傷の右腕が悲鳴を上げるが、鈴音は精神力だけで痛みを無理矢理に押さえ込んだ。
 そして、迅雷に向かって跳んだ。
 ――疾い。
 満身創痍でありながら、鈴音の動きは目に止まらぬほどに速い。
 だが、迅雷は彼女の呼吸に微かな乱れがあることを見抜いていた。
 身体中を痛みに蝕まれている影響だろう。
 呼吸の乱れを最小限に抑えているのは鈴音が一流の使い手である証だったが、その痛みと呼吸の乱れが生んだ微かな隙を迅雷は見逃さなかった。
 ほんの一瞬だけ軌道が揺れ、ほんの少しだけ速度が落ちる。
 鋭さの落ちた鈴音の剣を迅雷は紙一重で躱し、彼女の脇腹に蹴りを入れる。
「フンッ!」
「うぐっ!」
 肋骨が軋み鈴音の顔が苦痛に歪む。
 が、鈴音は迅雷の蹴り足を抱え込み、軸足に蹴りを入れた。
「良い判断だな」
 しかし、迅雷はビクともしない。
「むぅんっ!」
 迅雷は掴まれていた足を思いっきり振って、鈴音を振りほどいた。
 勢いよく地面に叩きつけられそうになるも、鈴音は左手を地面について跳ね上がり一瞬で体勢を立て直した。
「……ッ!」
 鈴音が剣を構え直すが、その途端に殺気を感じて首を倒した。
 迅雷の放った刃状の霊気が超高速で鈴音の顔の横を通り過ぎた。
 頬に赤い線が走り、血が滴った。
「くそっ……」
 鈴音が歯噛みして再び迅雷に突っ込み、下段から逆手で斬り上げる。
 その攻撃を躱した迅雷が、逆に殴り返してくる。
 しかし、その拳の軌道を読み、迅雷の腕に逆に蹴りを加え、さらに勢いに任せて迅雷を投げ飛ばした。
「鋭い捌きだな!」
 迅雷は身体を捻って、何とか無事に着地する。
「ちっ……」
 鈴音が舌打ちをして再び霊剣を構える。
 迅雷もその手に霊気を凝縮し、輝く剣を現出させた。
「さて、死ぬなよ?」
 迅雷が忠告した後、一呼吸置く。
 そして、カッと両目を見開き、猛スピードで剣を繰り出してきた。
「おらぁぁぁっ!」
「速い!」
 真正面からの単純な切り込みだったが、恐ろしく速い。
 鈴音は懸命に迅雷の剣を受け止めたが、圧倒的な腕力に霊剣が圧し返される。
 そのまま、迅雷の剣が霊剣を押し込んで、左肩に食い込む。
「あぐぅっ!」
 霊気の刃で肉体を斬られる鋭く焼けつく痛みに、鈴音は歯を食いしばるが表情が苦悶に変わることを抑えることはできなかった。
「どうしたよ。この程度も防げないのか?」
 迅雷が容赦なく力をさらに込める。
 鈴音の肩の皮膚と筋肉を裂き、骨を圧迫するように沈んでいく。
「ぐっ、ああっ!」
 ――あたしは負けるのか?
 "凍てつく炎"という必ず倒さねばならない強敵だけでなく、『霊力(ちから)持つ者』とはいえ高校生(ガキ)にまで負ける。
 ケガは言い訳にならない。
 戦いにコンディションは関係ない。
 それに、この勝負は自分から仕掛けたものなのだ。
 本調子とは程遠い状態であることは誰よりも自分が理解していて、それでも挑んだ戦いなのだ。
 不甲斐ない。
 歯軋りして、己を叱咤する。
 天武夢幻流は邪悪を打ち砕き、戦う力のない人々を邪悪から守るための正義の武術だ。
 その使い手たる自分が、簡単に負け続けて良いはずがない。
 負けてしまっては、何も守れないのだ。
 ――負けるわけにはいかないのだ。
「あたしは……」
 鈴音は少しずつだが、迅雷の剣を圧し返し始めた。
 霊剣の食い込んでいた左肩から、血が吹き出すが鈴音はそれを見ようともしなかった。
「むむっ……」
 迅雷の顔に微かな動揺の色が浮かぶ。
 すでに徹底的に破壊されている右肩に加え、左肩にも傷を負った鈴音に、自分の剛腕を押し返す力が出せるとは思っていなかったに違いない。
「あたしは負けるわけにはいかないんだぁ!」
「むっ!」
 鈴音はついに迅雷の剣を弾き返した。
 そして、勢いに押されてたたらを踏んだ迅雷に斬り込む。
 だが、迅雷は咄嗟に右手を前に突き出して霊気を放った。
 鈴音の霊剣の軌道を反らし、蹴りを見舞う。
「うおぉっ!」
「食うかよ!」
 鈴音は迅雷の蹴りを捌いて、懐に入り込む。
「何!」
「あたしを……、いや、天武夢幻流を……なめんな!」
 叫びながら血で染まった左肩から迅雷へと突撃する。
「ぬうっ!」
 腕を交差させて、迅雷はその一撃を防ぐ。
 だが、衝撃で微かに身体が浮かんだ。
 そこへ、鈴音の廻し蹴りが重なる。
「ぐうっ、やりやが……二段蹴り!?」
 続けて放たれていた蹴りが迅雷の顔面に炸裂し、彼は後方に吹き飛ばされた。
「はぁ……、はぁ……、はぁ……」
 荒い息をしながら、鈴音が片膝を地面につく。
「危ねぇ危ねぇ、予想以上だったぜ。まさか、あそこで圧し返すとはな」
 迅雷はゆっくりと立ち上がり、血の混じった唾を地面に吐き捨てた。
「だが、やはり殺気が強すぎるぜ。それに敵愾心のせいで、霊気の流れに乱れが生じている」
 迅雷は顔面に一撃をもらったものの、まだまだ体力も気力も充実しているようだった。
 一方の鈴音は、右肩はもちろん、左肩にも傷を負ってしまっている。
 体力も底をついたのか、呼吸の乱れも大きくなり、すでに限界が近いようだった。
「最初のおれの力を利用した投げ、それに今のおれの蹴りへの捌き。あれは、かなりのもんだったな」
「はぁ……、はぁ……」
「天武夢幻流とやらは、筋肉に頼らない身体の使いが基本のようだな。相手の目線や呼吸、動作や重心の移動を洞察しての動きの先読みと、速さ、それに発徑(はっけい)か」
「……だったら、どうした!」
 鈴音は霊剣を杖代わりに立ち上がり、再び迅雷に向かっていった。
 だが、先程のような俊敏さはまったく感じられない。
「殺気のせいで余計な力が入り、霊気の流れが滞っている。それでは、今のおまえは自身の武術を生かしきれないってことだ」
「うるさいっ!」
 鈴音の繰り出す攻撃にすでに鋭さはない。
 迅雷は軽々とその全ての攻撃を避けた。
「もう終わりにしようや」
 左手に凝縮した霊気を球状にして、鈴音に向かって放った。
 鈴音は防御もままならないでまともに直撃を食らい、吹き飛ばされて廃材の山に叩きつけられた。
 受身すら取れずに頭を打ち、意識が朦朧とする。

「――鈴音、感情に気の流れを任せてはならん」
 はっきりとしない意識の中で声が聞こえた。
 誰の声だったろう。
「大地に根を張れ。精神を落ち着かせ、大地から吸い上げた気を天に流せ」
 懐かしく、力強い。
 厳しくも、やさしい響き。
「天と地の気を感じ、世界の一部となれ。それが、天武夢幻流だ」
 何度も何度も聞いた声。
 何度も何度も、霊気の使い方がなっていないと叱咤された。
 叱られた。
 誉められた。
 強かった。
 ――この光景は、そうか。
 鈴音は安らいだ気持ちになる。
 迅雷が指摘していることは、父親が何度も言っていたことだ。
 ――親父、あたしは……。
「そして、しかと、目に焼きつけろ。これが、天武夢幻流最終奥義……」

 ――鈴音は身体を起した。
「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁ……」
 そして、ふらつく足を踏ん張り、気合いを入れ始める。
「むうっ……?」
 鈴音の霊気の変化を敏感に感じ取り、迅雷の表情が変わった。
 ――この霊気は今までと、毛色もケタも違う!
 迅雷は自分が悪寒を感じているのに気付いた。
「殺気が薄らいでいきやがる」
 これまでのギスギスとした雰囲気が消え、鈴音の霊気が透き通ったものへと変わる。
 今、鈴音から立ち昇っている霊気は、青白く、清らかな、神々しい。
 そして、同時に、すべてを包み込むような温かさをも含んでいる。
 迅雷は目を見張る。
 今まで出会ったどんな強者とも違う強大な力を感じたのだ。
 ――しかし。
「ぐっ、くっ、ぐぐっ……」
 鈴音の表情が歪む。
 息も荒い。
 再び、殺気の強いもとの鈴音の霊気へと戻った。
 先ほどまでの脅威が嘘のようだ。
「なるほどな、未完の大技か。精神が技の域に到達してねえってところか。それに右腕のケガの影響もあるようだな」
 鈴音の右腕に巻かれた包帯に赤い染みが広がっている。
 迅雷の猛攻と鈴音自身の身体の酷使で、傷が開いたのだろう。
「おい、それ以上はやめろ。傷口が開いてるんだろうがよ。右腕が本当に廃物になっちまうぜ」
「おまえの知ったことじゃない!」
 強がっているのは明らかだったが、勝負を放棄する気配はない。
 迅雷は、仕方がないという風にため息を吐いた。
 そして、迅雷は鈴音の前に飛び込む。
 鈴音は目の前に迫った迅雷に対して何もできなかった。
 身体がいうことをきかないのだ。
 鈴音の疲弊を読みきっていた迅雷は無造作に手を伸ばし、彼女の痛々しい右肩を鷲掴みにした。
 鈴音は両目を大きく見開いた。
 電流のように駆け抜ける激痛に、四肢を指先まで突っ張らせる。
「かっ、はっ……」
 その全身から力が抜ける。
 ビクリ、ビクリと身体が痙攣する。
 耐え難い痛みに、鈴音の目は血走り、歪んだ唇から泡の混じった涎が流れ落ちる。
「ぐっ、あっ、あああっ……」
「おいおい、簡単に最大の弱点を掴ませてくれたな。どうやらマジでガードする力すら残ってないようだな」
 一流の戦士である鈴音が、己が認識している弱点を相手に容易に攻めさせるということは、すでに彼女に戦う力が残っていない証拠だった。
 このあとに待っているのは、一方的な展開でしかない。
 迅雷の攻撃に防御さえままならぬ身で、鈴音がその意識をどこまで保てるか、それだけだった。
 鈴音の右肩に指を食い込ませながら、迅雷が苦悶に彩られた鈴音の顔を覗き込む。
「これでも優しく握ってやってるんだぜ。だが、このまま握り潰してしまえば、おまえの右腕は二度と使い物にならなくなるだろう」
「……やれ、よ。う、腕一本潰されたくらいで、あたしは、屈しない」
 激痛のために額に汗を滲ませながらも、鈴音は弱音の一切を吐かなかった。
「おまえのこの右腕、こんな勝負で廃物にするにはもったいねぇぜ。負けを認めな」
「うぐっ、何回も言わせるな、あたしは、屈しない」
「本当に強情なヤツだな。仕方ねぇ、おまえが屈しないなら勝負はお預けだ」
「……ふざけ、るな」
「ふざけてなんかいねぇよ。これ以上は本当に命に関わるからな」
 迅雷はそう言って鈴音の右肩を放した。
 力尽きたように崩れ落ちる鈴音。
「あっ……ぅ……うぐっ……」
 しかし、鈴音はすぐに激痛の迸る右肩を抑えながら立ち上がろうとする。
 だが、脚に力が入らない。
 さらに霊剣を出そうとするが、無論、もはや形成するだけの霊気も残っていなかった。
「おいおい、まだやる気かよ」
 迅雷は鈴音の強靭な意志とタフさに舌を巻かざるを得なかった。
 さすがに激痛に耐えかねて気絶すると思ったのだが、鈴音は立ち上がれずとも意識を保ち続け、戦う意志を失っていない。
 肩をすくめた迅雷が、鈴音の右肩に手を翳す。
「おれのせいで悪化したなんていったら、それこそしゃれにもならんからな」
 淡い光が迅雷の手から、鈴音に送り込まれる。
 治癒術ではない。
 霊気そのものを送り込んでいるのだ。
「治癒術は使えないからな。霊気を送り込んでの治癒は傷にはあまり効果がないだろうが、とりあえず応急処置だ」
「よ、余計な真似を!」
「強がりはよせよ。それ以上、動くんじゃねぇって。本当に利き腕で剣を振るえなくなるぜ」
「くそっ……」
「さっきも言ったが勝負はお預けだ。おまえの負けじゃないが、おれの負けでもないからな」
 迅雷は鈴音の右腕を取って、具合を見ながら霊気を送り込み続ける。
 霊気を分け与える疲労感を覚えながらも、むっつりとしている鈴音の顔を見て迅雷はにやりと笑った。
「満身創痍の身体で、あれだけの力が出せるんだからな。それに未完の大技もあるみたいだしよ。どうせなら、万全な状態のおまえと勝負したいんだよ、おれは」
 一瞬ものすごい形相で鈴音が、迅雷を睨みつける。
 迅雷は邪気のない笑みを浮かべたまま、鈴音の燃える視線を真正面から受け止めた。
「ここで潰れるには、もったいなさすぎるぜ。とにかく治療に専念しなよ」
 右腕からは迅雷の暖かい霊気が流れ込み、激痛を微かながらも和らげていく。
 鈴音は視線を背けて、押し黙った。
「……」
「……」
 迅雷もそれ以上は何も言わずに無言で霊気を送り込み続ける。
 レイチェリアは少し離れた場所で二人を見ていたが、その沈黙を打ち破ることはできなかった。
 無言の時が流れた。
 ふと、俯いていた鈴音が口を開いた。
「神代神社だ」
「ん?」
「神代神社ってとこの、神代葵って巫女に、あたしがここで厄介になってると伝えてくれ。頼む」
 消え入りそうな声だが、はっきりと聞こえた。
 迅雷が微笑む。
「わかった。神代神社だな?」
「ああ」
 鈴音は頷いた。
「それにしても、神代神社かよ」
 迅雷が額に手を当てる。
「ちとせの知り合いか」
 いつも笑顔を絶やさないポニーテールの少女の顔が、迅雷の頭に浮かぶ。
「ちとせを知ってるのか?」
 迅雷がちとせの名を口にしたのに、鈴音は驚いた。
 どうやら彼もちとせの知り合いのようだ。
 世の中は広いようで狭いようだ。
「ああ、高校の後輩だ。それ以上に、友人として知っている」
「友人、か」
 鈴音は小さな声で呟いた。
 迅雷が鈴音に霊気を送り込むのを中断して立ち上がる。
「レイチェ!」
 大声でレイチェリアを呼ぶ。
「ハイッ! 何でしょうか、迅雷さま?」
 レイチェリアは先程までの重苦しい雰囲気に押し黙っていたが、迅雷に名を呼ばれて嬉しそうに駆け寄ってきた。
「悪いが神代神社まで、ひとっ走り頼めるか? おれは鈴音の手当てをしておくから」
「ちとせちゃんの家ですね?」
「おう」
「わっかりました!」
 レイチェリアはビシッと迅雷に敬礼すると、一目散に走っていった。
「やれやれ……」
 迅雷は跪いている鈴音に視線を戻した。
「さてと、治療の続きといくか」


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