魂を貪るもの
其の十 獄炎の魔王
5.誇るべき……

 氷の波動が内壁と天井が崩れて剥き出しになった総帥室を白銀の霜で覆い尽くし、『ナグルファル』の外壁をも白く塗り潰した。
 しかし、外へと漏れた白い冷気はたちまちに暗黒の瘴気に喰われた。
 隆起した大地の狭間から、『魔界』の姿が垣間見え始めていた。

 舞い煌めく氷の結晶が鎮まっていく。
 静寂を打ち破ったのは、ちとせの呻き声だった。
 魔王スルトが立っていた。
 無傷ではない。
 漆黒の肉体の大半に氷で貫かれた穴が空いており、右腕の肘から先が千切れている。
 損傷部分からは瘴気が立ち昇り、黒い液体が流れ落ちていた。
 明らかにダメージがある。
 それでも、しかし、魔王はよろめきもせずに立っていた。
「フ、フフッ……、原初の炎を司る魔王たるこのスルトに、ここまでの傷を刻むとは大したものだ」
 瞳のない禍々しい真紅の双眸が鈍く光った。
「おまえたちのチカラ、"氷の魔狼"のチカラはもちろん、研鑽された退魔のチカラも、その他のそれぞれのチカラも」
 千切れた右腕の断面から黒い触手が伸びた。
 肉体の至る所に走っている亀裂からも、闇よりも深い、まったき黒の触手が無数に出現する。
 魔王は瘴気と炎気を口から吐き出し、クフッーと深く笑った。
 満身創痍でありながら、追撃を躊躇わせる威容に、魔王以外の全員が息を呑んだ。
 スルトが一歩前に踏み出した。
 熱気が再び『ナグルファル』を覆う白い霜を蒸発させていく。
 黒き炎と触手を揺らめかせ、スルトは言った。
「惜しい。実に惜しいチカラだ。今一度だけ聞こう。我に手を貸さぬか?」
「なっ!?」
 魔王の提案に、ちとせの両目が大きく見開かれる。
「おまえたちのチカラは運命神どもの糸を完全に断ち切るために使われるべきだ」
 他の者も驚きの表情を浮かべたが、スルトは気にした様子もなく続けた。
「運命神どもに二度と干渉させぬための世界を造り上げる。そのための巨大なる蠱毒(こどく)の壺は必要なのだ。すべての存在が喰らい合うことで、適者が生存し、世界は真の力強さを持ったものへと新生し、運命神どもの呪縛から逃れることができる。逆境とは己のチカラで乗り越えるためにある。そうであろう?」
 ちとせたちほどのチカラの持ち主ならば、運命神に干渉させない世界を作り上げるために大きな貢献ができる。
 そして、チカラがあれば、『魔界』が浮上した後の『新たなる世界』でも、思うがままに生きることができる。
 だから、手を貸す気はないか。
 魔王は言外にそう言っていた。
 ちとせが珍しく、不敵にではなく、にっこりと笑った。
「逆境を乗り越える」
 魔王の言葉を繰り返した後、盛大に肩をすくめる。
 金銀に染まった尻尾部分の長いポニーテールが、大きく揺れた。
 鈴音と悠樹が苦笑する。
 二人は、ちとせを良く知っている。
 何を言うか、わかっていた。
 真冬とシルビアとラーンは、きょとんとしていた。
 魔王も少女の意図を見極めようと、動きを止めていた。
「残念だけど」
 ちとせがにっこりとした笑顔を消し、ため息を吐いた。
  猫のような大きな瞳を半眼に閉ざし、いつもの不敵な笑みを浮かべた。
「逆境は自分のチカラで乗り越えるってのは、逆境を自分だけが乗り越えるってこととは違うのよ。自分だけがすべてを手に入れても、目の前で争いが起きて血が流れるんじゃ愉快痛快というわけにはいかないしね」
 血で血を洗い、叫喚の渦巻く地獄の中で、自分だけ暢気に生きるなんてことのできる精神構造はしていない。
 それに自分のチカラで支配するのも、他者のチカラで支配されるのも、ごめんだ。
「強くて、好き勝手できるのと、幸せかどうかってのは別」
 ちとせが最強だと思っている存在は、シギュン・グラムだ。
 彼女は何者も及ばぬ絶対零度のチカラを持っていた。
 孤高の高潔さも持っていた。
 だが、彼女は幸せだったろうか。
 心休まる生だったろうか。
 彼女の、何も映すことのなかった虚ろな狂眼。
 そして、それとはまるで逆の最期の最期に見せた純真無垢な少女のような微笑み。
 死の間際で逆転した対極の二つの表情こそ、"氷の魔狼"と恐れられた彼女の生に真の幸せがなかったことの裏付けであったのではないか。
 ちとせは、自身に降臨したフェンリルの強大さを、今まさに身をもって体験している。
 この巨大過ぎるフェンリルのチカラがあれば、できないことはないように思える。
 だが、難攻不落にして不可侵の強大なチカラを持っていても、実父や恋人さえ、自らの手で殺めたと言っていたシギュン・グラムには心から笑い合える相手などいなかっただろう。
 ちとせは、このチカラを自由自在に操った宿敵のようにはなりたくはなかった。
 笑みを失いたくない。
 笑みを向ける相手を失いたくない。
 笑みを向けてくれる相手を失いたくない。
 心から笑い合える人たちを失いたくない。
 シギュン・グラムは孤高の狼だが、自分は違うのだ。
 仲間に囲まれている方がいい。
 "氷の魔狼"はたった一人ですべてを凌駕してきたが、自分は仲間とともに戦い抜きたい。
「強けりゃイイってもんじゃないのよ。弱肉強食、適者生存な〜んて感覚は、イマドキの女子高生に通用すると思わないことね。何度も世界を滅ぼしてきたんだから、それくらいわかりなさいよ、(いにしえ)の魔王さん」
 半眼で小馬鹿にするような表情をわざと作って毒のある口調で喋っていたちとせが、真面目な顔に戻った。
 金銀に妖しく輝く眼力(めぢから)のある大きな瞳が、魔王を射抜く。
「それに、あなたは縛られている」
「なに?」 
 スルトは眉間にしわを寄せた。
「せっかく運命神の呪縛から逃れたというのに、運命という言葉に執着し過ぎて、また縛られてしまっているのよ」
 運命神ノルンによって魔王スルトは『最強であり、世界を滅ぼす存在である』という運命を与えられていた。
 だが、スルトは『ヴィーグリーズ』を組織し、綿密な計画の末に『ユグドラシル』を破壊することによって、運命の糸を切ることに成功した。
 そして、再び干渉しようとして降臨した運命神の末妹、未来を司る女神スクルドさえも、ちとせたちを利用して打ち破った。
 すでに魔王は焦がれた自由を手に入れ、何者も干渉できない生を手に入れたはずなのに、運命神を憎むあまりに、運命という言葉に囚われてしまっている。
 ちとせは、そう言っているのだ。
「……なるほど、小娘。おまえの指摘は正しいかもしれんな」
 しばしの沈黙の後、スルトは不気味なほど穏やかな声で言った。
 その全身から黒い炎が吹き上がる。
 スルト以外の全員の背筋を悪寒が駆け巡った。
「ならば、我が愚かな執着を取り除くためにも、逸早く『魔界』を浮上させ、運命という言葉を思い出さなくてもよい世界に造り変えてくれるわ」
 魔王の言葉に、ちとせは喉が渇くのを感じた。
 スルトは止まらない。
 『魔界』を浮上させる意志は変わらない。
 だが、自分たちも止まらない。
 止まる気などない。
 と、ちとせの視界で闇色の炎が揺らめいた。
「ッ……!」
 声を出す暇もなかった。
 スルトから伸びた触手が、高速で伸びてくる。
 そう理解した瞬間、ちとせは横に突き飛ばされていた。

 悠樹に抱き留められたちとせが振り向きざまに自分を突き飛ばした影の名を叫ぶ。
「シルビア!」
「アタシが他人を庇うナンてね」
 そう言ったシルビアの両腕両脚に触手が絡みついている。
「オマエらの甘さに毒されちまったか」
「お嬢ッ!」
 ラーンが叫ぶ。
「ダイジョウブだ、ラーン」
 シルビアはラーンを落ちつかせるように言ったが、その細い胴や首にも触手が巻きつくと、さすがに苦痛に表情を歪めた。
 絡みついた触手が、ぎしぎしと首と胴体、それに四肢を締め上げ始める。
 息ができない。
「大丈夫ではなかろう」
 スルトの言葉と同時に、黒い触手が揺らめいた。
 揺らめきの正体は、黒い炎だった。
 苦痛を堪えていたシルビアが顔を仰け反らせる。
 四肢を拘束されている中で、全身を焼かれる熱さと痛みに身体を限界まで弓なりに反らせて絶叫を上げる。
「くっ、あああああああっ!」
「お嬢ッ!」
 ラーンがシルビアを拘束している触手を断ち切ろうと、水流を空中に巻き起こし始める。
「ぐっ、あっ、ダ、ダ、ダイジョウブだって、言ってるぜ、ラーンッ!」
 炎に包まれ、絶叫を上げながらも、シルビアの眼光は衰えていなかった。
 閃光が走り、彼女を拘束していた触手が、細切れになって崩れ落ちる。
 その破片のどれもが帯電していた。
「くっ、はっ……、アタシをナメるなよ、ランディさま」
 身体中から黒煙を上げながらも、自由を取り戻したラーンが愛剣フランベルジュを魔王へと向ける。
 その全身が雷光を纏っていた。
 スクルドを倒した時に見せた奥の手、全神経の超電導化だろう。
 神経の電気信号伝達の抵抗を排除して、神さえも追い詰める反応速度を手にする能力だが、エネルギーの消耗は激しく、この超人のチカラは短時間しか維持できない。
「ふむ、神経の超電導化か。チカラの解放で丸焼きは免れたようだが、長くは持つまい」
 スルトの黒き肉体から伸びる無数の黒き焔を纏った触手が数を増やしていく。
 シルビアに怯みはない。
「アタシはいつでも短期決戦狙いだよ。性格的にね」
「そうか、では我もそのつもりで戦ってやろう」
 スルトの無数の触手が、まるで火炎放射器のように黒い焔を放つ。
 大気の焦げる匂いとともに凄まじいほどの熱気が、全員を襲う。
 さらには、攻撃は、炎だけではなかった。
 触手そのものも、鞭のように空気を切り裂く唸りを上げながら迫ってくる。
「ちとせ、鈴音さん」
 悠樹が抱き留めていたちとせを立たせて、鈴音にも声をかける。
「シルビアは突撃するつもりでしょう。ぼくも一緒に行きます」
「わかった。あたしとちとせは大技担当だな」
「できれば、鈴音さんは覇天神命斬(はてんしんめいざん)をお願いします」
「任せろ。特大の一撃を撃ってやるぜ」
「ちとせも頼むよ」
「正直、氷狼霊方陣以上の技はキツいよ。できるかどうかって技は考えついたんだけど」
「考えついたって、今?」
「そ」
 悠樹の問いに頷くちとせは、引き攣った笑いを浮かべていた。
 ――さらに無茶をする気だな。
 相棒の覚悟を感じながら、悠樹が確認するように首を傾げる。
「強力?」
「できればね」
「失敗しないで欲しいな」
「チカラは感じるから、できるはず。でも、身体が持たなかったら、ってこと。まあ、どうせ、みんな限界超えてるんだし、やるしかないね」
 ちとせが神扇を胸の前に水平に掲げ、集中し始めたのを見て、悠樹は全身に風を纏った。
「んでは、よろしく」
 軽い口調でちとせに言うや否や、悠樹は柔らかな髪を揺らして飛翔した。

 悠樹が高速で無数の触手と炎の間を、潜り抜けていく。
 その隣に、雷光が並んだ。
 もちろん、その正体は、神経を超電導化させたシルビア・スカジィル。
「よっ、風使い。風に血が混じってるぜ。荒っポイ運転で身体が軋んでんじゃねェか?」
「それは、お互い様だよ」
「確かに、ナ」
「鈴音さんとちとせが霊気を練っている。ぼくらで撹乱するよ」
「わかった。コッチもラーンがお楽しみを用意してる」
「ラーンが?」
 悠樹はちらりと視線だけで振り返ったが、真冬がちとせたちを庇うように炎の壁を展開しているのが見えただけで、先程までシルビアを気づかっていたラーンの姿を捉えることはできなかった。
 悠樹は前方に視線を戻した。
「楽しみにしておくよ」
「それがイイさ」
 三白眼でにやりと笑い、会話を終わらせるようにシルビアが急加速する。
 触手と炎の嵐は、間断なく続いていた。
 すべての触手をかわしても、その先にはスルトが待ち構えている。
 先程の連携攻撃でダメージを受けているとはいえ、相手は次元の違う強さを誇る魔王。
 恐れがないわけがない。
 だが、恐れて近づかないわけにはいかない。
 轟という音ともに旋風が巻き起こる。
 発生源は、風使い八神悠樹ではなく、シルビア・スカジィル。
 立ち昇る黒煙と溢れる鮮血を撒き散らしながら、跳ぶ。
 その短身痩躯に超電導化のドーピングによって引き出した怒涛の如きパワーを漲らせ、スルトへと猛攻を開始する。
 一気に間合いを消す跳び蹴り。
 魔王はそれを左腕で払い除ける。
 だが、弾かれたシルビアはそのまま廻し蹴りを繰り出す。
 スルトが後方へと引き摺られる。
 着地と同時にフランベルジュによる連続突き。
 斬ることよりも苦痛を与えることを主眼としているかのような凶悪なギザギザの刃が、眩しいほどに白き輝きとともに秒間十発以上という速度で打ち込まれる。
 瞬きをする間に、魔王の身体に無数の穴が開く。
 だが、その穴を塞ぐように炎を伴った黒い触手が生えてくる。
「バケモノめ!」
「悪態では状況は変わらぬぞ、シルビア・スカジィル」
 シルビアの悪態に超然とした態度で応じるスルト。
 同時にシルビアを取り囲むように触手が一斉に蠢いた。

「シルビア、ラーン、悠樹くん……」
 真冬は完全に出遅れたことを自覚しながら、ちとせと鈴音を守るように前に出て、炎の壁を展開する。
 師であり先生であるはずの自分が、弟子や生徒を見送ることしかできないとは。
 自分が不甲斐ない。
 だが、同時にスルトの力が衰えていないと見るや否や迅速な行動を起こした弟子や生徒たちへの心の底からの喜びもあった。
 熱気にあおられた黒髪を舞わせながら、視線を後ろに下げる。
 鈴音が腰を沈めて霊気を高めている。
 さすが歴戦の退魔師、次々と襲ってくる炎と触手の猛攻の中でさえ、微塵も動揺もなく集中している。
 青白く、美しい霊気が天へと立ち昇りながら、臨界へと向かって膨れ上がっていく。
 その隣、ちとせの冷気の中から炎気が生じようとしているのを感じて、真冬は眉を跳ね上げた。
「ちとせくん、キミは、まさか……」
 真冬が呻くように呟くと、ちとせは練気を続けながら、強張った口調で応じた。
「無茶でしょうか? 身体さえ持てばできそうな気がするんですけど」
「無茶だな、二神一身とは。無茶だが、興味深くはある」
「時間がかかります。それに失敗するかも。フェンリルのチカラが巨大過ぎて……」
「なら、成功するまで、私が守る。それから、私も微弱だが炎のチカラを使うことは承知しているだろう。私のチカラも使ってくれ」
 真冬が胸の前に突き出して結界を展開していた両手を下げた。
 炎の壁が消失し、真冬の身体から白き焔の霊気が立ち昇る。
「白き焔よ」
 真冬が口の中で呪を唱えると、白き焔の霊気は床を伝わって、ちとせの足下で複雑な魔法陣を描いた。
 ちとせの足から下半身へ、そして上半身を伝わって、額の経絡へと白き焔の霊気が収束していく。
 焔の力そのものがちとせの内部へと入り込んでいく。
 通常の霊気を他者へと移す方法とは異なるが、真冬の霊気の消耗は著しいはずだ。
「でも、センセ、これじゃ、結界が……」
「結界がなくても、守り抜くさ。この身を盾にしても」
 早速襲ってきた無数の触手を、真冬は蹴りで撃ち落とした。
「キミはスルトに言ったな。強ければ良いといものではない。幸せであることは違う、と」
 両手に微かに残った白き焔で、触手から放たれる黒い炎を裂き、散らせる。
 それだけで、息が切れる。
 知性と理性を表すように美しかった黒髪は煤で汚れ、激しい動きで乱れてしまっている。
 白かったワイシャツも血で赤く染まり、剥き出しになった赤いブラジャーに包まれた大人の色香を持った豊かな胸の奥で心臓が鼓動を速める。
「私はシルビアとラーンに、戦う能力しか与えることができなかった。不幸になる術しか教えることができなかった」
 蓄積したダメージと、焔のチカラをちとせに移したことで、真冬の動きは鈍っている。
 だが、真冬の意志は揺るぐことがない。
 真冬は心の底から歓喜していた。
「しかし、シルビアが、あの娘が、キミを庇った。誰よりも速く、悠樹くんよりも速く、だ。あの娘はそれで危機に陥ったが、それでも私は心の底から、うれしかった」
 自分を通り越してちとせへと伸びる触手を、真冬は手刀に白き焔を纏って焼き切った。
 霊気の激しい消耗と酸素の欠乏によって眩暈に襲われ、足がもつれたのは、その直後だった。
 ドスドスッと、真冬の両腿を黒炎の宿った触手が貫く。
 両脚から血飛沫が上がり、がくりと跪く。
 真冬はしかし、ちとせを庇い続ける意志を示すように両腕を大きく広げた。
「私は、彼女たちを裏切った。和解はできたが、贖罪は済んでいないと思っている。不甲斐ない私に今できることは、私の誇るべき愛弟子シルビアが守ったキミを守ることだ」
 何本かの触手が真冬の身体を打ち、炎が身を焼く。
 触手に打たれた箇所から血飛沫が上がり、炎に焼かれたワイシャツの一部が炭化する。
 生徒たちの憧れの的でもある美しい顔こそ無事だが、身体には打撲傷も、裂傷も刻まれ、肌も火傷で爛れている場所も多い。
「何度でも守る。何度でも、だ」
 真冬の憔悴した顔は青白く、唇の端から血がスゥッと流れ落ちるが、目だけは、目だけは輝きを失わずに前を見続けていた。
 だが、真冬がいつ意識を、いや、命を失ってもおかしくないほどのダメージを受けているのは、ちとせにもわかる。
「センセ、もう下がってください。そのままじゃ、死ん……」
「キミは」
 ちとせの言葉を遮って、真冬が言った。
 その声は力強さに満ちていた。
「目の前で私が傷つくことを良しとしない。自分だけが助かれば良いとも思わない。なら、間に合う。だから、キミ風に言えば、私は『死なない』さ」
 真冬が視線だけで振り返り、にやりと笑った。

 ちとせは覚悟を決めた。
 両眼を瞑り、真冬の姿を消した。
 触手による猛攻の気配も、遮断する。
 ――真冬センセが、絶対に守ってくれる。
 信頼と期待には応えなければならない。
 一切の外部情報を断ち、霊気を練り上げることへすべての集中力を向ける。
 自分の身に降りているフェンリルの冷気の奈落の闇の中に、確かに残っている太陽の黄金の光を見つけ出す。
 そして、真冬の白き焔のチカラを借りて、"氷の魔狼"と対極的、根源的な、温かな、もっとも信頼する、自分自身のチカラを呼び返す。
宇受賣(ウズメ)さま!」
 呼びかけと同時に、"氷の魔狼"の降臨とともに姿を消していた芸能の女神が、ちとせの中から再び姿を現した。
 ポニーテールを結っていたリボンが弾け飛び、黄金と白銀の混じった長い髪が舞い上がる。
 そして、左半身から黄金の炎気、右半身から白銀の冷気が、暗雲に覆われた天を貫くように吹き上がった。


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