魂を貪るもの
其の九 氷の魔狼
4.黄金
寒さ。
それは、死へと直結する。
研ぎ澄まされた殺意の満ちた極寒となれば、尚更だ。
漆黒の雲が天を追い尽くす中、氷結した大気の白が視界に混じる世界で、真っ白な息を吐く。
傷の全快したはずのちとせは、しかし、消耗していく自分を自覚せずにはいられなかった。
冷たい空気に侵食される肺は凍るようだ。
筋肉は委縮し、関節は柔軟さを失い、血液が滞るような気さえする。
脚が、震える。
死を想起させる寒さにではなく、その極寒の元凶に。
雷鳴が轟いた。
暗雲に閃光が走る。
極寒の空気よりもさらに冷たい顔をした"氷の魔狼"が煙草を口から離した。
唯一の高熱源である先端に灯る紅い光が白い空気に軌跡を描く。
パリンッ……パリンッパリンッ……!
まるで、全解放されたシギュン・グラムの殺気に震撼したかのように、ダイヤモンドダストの中で空気が砕け散る。
「来い」
"氷の魔狼"の発した短い言葉には、無視できない強制力があった。
言われるまでもない。
だが、ちとせは、駆けはしない。
ゆっくりと、ゆっくりと、シギュン・グラムを中心にして円を描くように回り始める。
ちとせが踏み込まないのは、殺気の結界を感じているからに他ならない。
一歩踏み越えれば、一瞬の油断で喰い殺される。
そのぎりぎりの境界線で、仕掛けるタイミングを覗いながら回り続ける。
パリンッ。
シギュンの顔の近くで、空気が砕けた。
それは、ほんの一瞬。
散った氷の結晶が、虚ろな狂眼を遮った。
それがスタートの合図であったかのように、ちとせが弾けたように駆け出す。
陸上部のエーススプリンターたる瞬発力を発揮し、シギュンとの間合いを狭めた。
シギュン・グラムの右側面。
義手は煙草を指で挟んだままだ。
その余裕を滲ませている側面から、神扇を振り下ろす。
義手が神扇を受ける。
拳を握りもしない。
煙草の先端から灰が、落ちる。
ちとせは攻撃の軌道を反らされたのを把握する。
シギュンの義手が指に煙草を挟んだまま、甲に生えた鋭利な鉄爪で、ちとせの身体を貫くべく伸びてくる。
「だりゃっ!」
身を沈めて狼の爪を避け、同時に、後ろ廻し蹴りを打つ。
しかし。
「回復具合は良好だな」
蹴りはシギュン・グラムによって簡単に捌かれ、ちとせは体勢を崩された。
同時に、振動が屋上を揺らした。
シギュンの背後に巨大な狼のシルエットが浮かび上がっている。
闇色の空に半具現化した北欧神話最強の魔獣"魔狼"フェンリル。
稲妻の轟音とフェンリルの咆哮が重なり、ちとせの鼓膜を戦慄が駆け抜ける。
黒雲を切り裂く閃光を反射させながら、シギュンの左手の氷爪が振り下ろされる。
ちとせの中の女神が命を刈り取ろうとする狼の爪を、鋭い眼差しで睨み上げ、神扇で受け止める。
「そりゃ、効果抜群に決まってんでしょ。ボクの姉さんが丹精込めて造ってくれた治癒の勾玉なんだから!」
神扇で魔爪を押し返しながら回転し、横薙ぎの一撃をシギュンへと見舞う。
「あのマジックアイテムを精製した術者は、おまえの姉か」
「姉さんの治癒術は天下一品だからね。それに勾玉に込められていた姉さんの想いはボクに力をくれる」
「つまり、――キズナノチカラと、おまえは言いたいわけだ」
シギュン・グラムは、それを甘い幻想だとは笑わなかった。
代わりに、ポニーテールを揺らして少女が放ってくる手足の打撃を防ぎ、蹴りでちとせを押し放した。
シギュンが煙草を銜えたまま、義手に冷気を収束させている。
「私はフェンリルの力を手に入れるために父の命を奪い、血を啜り、心臓を喰らった」
「えっ?」
父親殺し。
恐るべき過去を無感情に吐き出したシギュンに、ちとせが驚愕に目を見開く。
だが、シギュンの言葉は、ちとせの動揺を誘うために紡いだものでも、同情を呼び起こすためのものでも、ましてや、懺悔の言葉などではないのは、明らかだった。
そういった事実があった、と告げただけだ。
病んだ双眸の色のなさが、シギュン・グラムが根本的なところで壊れていることを証明しているようだった。
「父の命だけではない。私が殺した人間たちの命は、私のチカラとなる。どのように価値のない命であってもな。それもキズナノチカラと言えるだろう」
シギュンの背後で、フェンリルが天を覆い尽くすような巨躯を躍らせる。
まさに神話上の魔獣を彷彿とさせ、冷や汗を凍りつかせるほどのシギュン・グラムの人格的な迫力。
『退魔に少々腕に覚えがある女子高生』でしかない、神代ちとせが持ち得ぬ、殺気。
そのチカラが凝縮された魔道機械で造られた義手が振り上げられる。
「神代ちとせ、おまえの命もすべて喰らってやろう」
轟ッ!
と、いう音を伴って冷風の嵐が巻き起こった。
屋上の床を凍らせ、砕きながら、吹雪がちとせに襲いかかってくる。
凶刃と化した極寒の殺気。
避けられない。
両腕を交差させ、咄嗟に防御を固める。
踏ん張った両脚に幾筋もの裂傷が走り、飛び散った血飛沫さえも凍りつく。
上半身も同じように刻まれた。
「ぐっ……」
ちとせが両腕の間から、シギュンを睨みつける。
だが、防御は解けなかった。
すぐに第二、第三の寒波が押し寄せてきたからだ。
吹雪に飲み込まれ、刻まれる身体。
巫女装束が凍りついていくとともに、ちとせは全身の感覚が失われていくのに気づいた。
「身体が……」
麻痺したように動かない。
シギュン・グラムの輪郭がぼやける。
何よりも、これほどの危機の中で、本来ならば、感じ得ないはずの感覚がちとせを襲っていた。
吹雪によって、身体の熱が奪われて起こる、低体温症。
体温を維持するために、血液が筋肉へと回され、脳から遠ざかる。
その症状が、この極限の戦闘の中では通常は起こり得ないであろう、眠気を、ちとせにもたらしていた。
意識が白濁してくる。
力が全身から流れ出していく。
両膝から床に落ちる。
両腕はどうにか防御態勢を保っているものの、霜が張ったように白くなっていた。
「姉さん」
姉の笑顔が脳裏をよぎる。
せっかく姉の治癒術で回復してもらったばかりの身体機能が、あっという間に失われていく。
何もできずに、生命力を奪われていく。
くやしい。
瞼が重い。
目を開けているのが、辛い。
もちろん、眠れば、死ぬ。
凍死などしてたまるか。
姉の笑顔の温かさを思い出す。
少しだけ、腕が動いた。
意志力で、瞼を開ける。
「宇受賣さまっ!」
ちとせが呟く。
彼女の視線の厳しさを確認したかのように、彼女の中の女神が頷く。
「(かつて、あなたが無意識で開放し、『世界樹』に対抗した『力』を、太陽神の巫女神たる『力』を解放します)」
"氷の魔狼"が望み、喰いたがっている力を。
「(しかし、あなたの身体がどこまで耐えられるか)」
「お手柔らかに」
ちとせは頬を強張らせながら、引き攣った笑いを浮かべた。
女神は、にこりと笑って応じる。
「(死なない程度に)」
「容赦なしですか」
「(容赦なしです)」
ちとせの頬が、ひくっとなった瞬間。
轟ッ!
と、いう音を伴って熱風の嵐が巻き起こった。
いや、熱風だけではない。
煌々と燃え盛る炎が、ちとせの両袖に宿っていた。
ただの炎ではない。
陽光の――黄金色の炎。
だが、それは、ちとせの巫女装束の袖と、その中の両腕を焼いていた。
全身にも炎と同じ
両腕に宿した炎の高熱と肌を焼かれる痛みで、ちとせは無理矢理に意識を覚醒させ、立ち上がっていた。
「黄金の、炎」
シギュン・グラムの双眸の虹彩が針の先ように窄められる。
狂った瞳に浮かんでいるのは、驚愕ではない。
動揺でも、恐怖でもない。
歓喜だった。
それが、シギュンの対応を遅らせたのか。
"氷の魔狼"は、まるで、ちとせが纏った黄金の炎に見惚れ、酔いしれるように、ちとせの攻撃を受け入れていた。
鮮血が舞う。
ちとせの黄金の炎に包まれた左拳が、シギュンの胸部の中央に叩き込まれていた。
スーツの胸部に焦げ跡が刻まれ、シギュンの全身を黄金の炎が荒れ狂うように駆け巡る。
シギュンが、ごふりっと血を吐く。
吐血とともに、銜えていた煙草が落ち、燃え移った黄金の炎で焼き尽くされ、塵となった。
ちとせが焼かれている右手に握った神扇も振り翳す。
だが、ちとせに与えられた反撃の機会は、そこまでだった。
シギュンの両腕が交差するように振り下ろされ、魔爪と氷爪による鋭い裂傷が左右から交差するようにちとせの胸部に刻まれた。
「がはぁァッ……!」
ちとせの両腕の黄金の炎が散ってしまう。
血の溢れ出す巫女装束の胸部を、火傷を負っている手で押さえながら、ちとせは後ろへと下がった。
「うぐぅっ……」
「腕を燃やして、吹雪を防いだか」
シギュン・グラムが黄金の炎を叩きつけられた胸部を、ちとせと同じように手で押さえる。
しかし、ちとせとは違って後ろに下がることはない。
無防備な胸部に入れられた一撃。
ラッシュで莫大な霊気を打ち込まれた肉体に、再度打ち込まれた強烈な太陽の力。
効いていないわけはないが、"氷の魔狼"は揺るがない。
「その程度のことは、やると思ったよ」
ちとせは、かつて戦った時も、シギュンの致命の攻撃から逃れるために、自分自身に霊光球を打ち込んで逃れたこともあった。
ならば、この場でもまた、座して死を待つよりも、身を切ってでも立ち上がってくるはずだ。
そう思っていた。
「だが、黄金の炎か」
シギュンが、胸の焦げ跡から流れる血を義手で拭い、その紅を見て、握り締める。
『ヴァルハラ』で、ヘルセフィアスと対峙した時にちとせが見せた黄金の炎を思い出していた。
あの時は、額の経絡を損傷したちとせが、制御できない力として解放した一時的なものだったはずだが、今、シギュンの目の前で現出している炎は違う。
力こそ、あの時のものには及ばない
「それは、私がもう一度見たかったおまえのチカラでもある」
ゆえに、歓喜で対応が遅れた。
油断でも、迂闊でもない。
それでも、シギュンが一撃を受けたという事実は変わらない。
「魔王スルトの獄炎でも、魔女シンマラの火焔でも、煮え滾らすことのできない私の血、沸騰させてみせろ」
魔王スルトの化身であり、『ヴィーグリーズ』総帥であるランディ・ウェルザーズには、シギュン・グラムを手元に置いておくだけの器はあった。
だが、"氷の魔狼"に対峙することなどできはしない。
スルトの妻シンマラの異名を持つ豊玉真冬は、弟子たちの力を借りたとはいえ、運命神の末妹スクルドを打ち破るだけの精神力を持っていた。
だが、"氷の魔狼"に対峙することなどできはしない。
シギュン・グラムの獲物は、彼女の右腕を奪った、神代ちとせだけだ。
再認識して、シギュンが冷気を両腕に収束させる。
「くっ……」
ちとせはくすぶった煙を上げる両腕と、血の溢れ出る胸部の痛みを必死に噛み殺して、構え直す。
凍死するよりもましだったとは言え、両腕を炎で焼いたのは辛い。
シギュン・グラムの胸部に一撃を叩き込めたのは僥倖だったが、逆襲に胸を魔爪で切り裂かれたのも辛い。
太陽神の巫女神である天宇受賣命の本領たる黄金の霊気は全身を包んでいるが、それを攻撃力に転換した黄金の炎は完全には使いこなせない。
それでも、この大き過ぎる力に頼らねば、"氷の魔狼"の冷気の前に立つことすら叶わない。
消耗が大きくても、黄金の霊気を纏い続けなければ、この肉体のパフォーマンスが極度に低下する絶対零度の世界で戦い続けることはできない。
そして、黄金の炎という諸刃の力を駆使して戦わねば、"氷の魔狼"にダメージらしいダメージも刻めない。
寒さで硬くなった関節を太陽の力で温め、バネを溜める。
シギュンの姿がちとせの視線の先でぶれると同時に、瞬発。
神扇を打ち込む。
だが、シギュンは半歩横に避けていた。
突進先には膝が曲げられて、置かれている。
「ふっ、ぐっ……!」
ちとせの裂けた巫女装束から覗く腹に、シギュンの膝がめり込む。
動きの止まったちとせの顔に、魔爪が振り下ろされる。
霊気を収束した火傷を負っている右手で握った神扇で払うようにその一撃をやり過ごした。
冷気によって、神扇と腕を覆っていた黄金の光がダイヤモンドダストの中へ散らされる。
シギュンは、すぐに左腕も振り下ろしてきた。
迫る氷爪。
ちとせが、すでに払った義手の右腕に交差させるように、氷爪が突き伸び切る前に左手首を掴み、そのまま、勢いを利用してシギュンの身体を宙へと運ぶ。
十字投げ。
背中から床に叩きつけられたシギュンが衝撃で口から血の混じった空気を吐くが、たいして効いていないとばかりにすぐに起き上がりながら蹴りを繰り出し、ちとせの脚を払ってきた。
ちとせはその攻撃を回避しながら跳躍して回転廻し蹴りを放つ。
シギュンは半身を捻って、それを避けたが、新たなる風の唸り。
体勢を戻そうとしているシギュンを狙ったちとせの第二撃は、すでに放たれていた。
着地しないまま、逆の脚でのローリングソバット。
その絶技が、シギュンの頬を蹴り抜く。
「!」
だが、たたらを踏んだものの、シギュンは倒れない。
血を垂らしながら、シギュンの唇が笑いを刻む。
「さすが私の見初めた獲物だ。そして、私の右腕の仇だ。さあ、私の左腕も奪ってみせろ。私の両目を潰してみせろ。私の心臓を喰らってみせろ!」
大気に舞うダイヤモンドダストの雰囲気が変わった。
シギュンを中心にして放射状に、ダイヤモンドダストがブリザードと化して吹き荒れる。
慌てて両腕を交差させてガードを固めるちとせ。
「ううっ……」
「動け。黄金の炎はどうした。また凍りつかされたいのか」
氷の結晶の吹き荒れる中、シギュンの月色の長い髪が冷たく輝きながら流れる。
極寒の吹雪の間を割って、義手による裏拳。
重い裏拳にクロスガードを粉砕され、ちとせはまともにブリザードの中に巻き込まれ、荒れ狂う氷の刃によって全身を切り裂かれ、突き刺され、貫かれ、凍りつかされていく。
飛沫を上げる血も凍りつき、傷口も低温によって痛めつけられていく。
視界が暗くなる。
意識が遠退いたのではない。
ハッとなって、見上げる。
シギュン・グラムの氷像のような顔が見下ろしていた。
「動けと言っているのだ。黄金の炎はどうしたのかと聞いているのだ」
「まずっ……」
動こうとするが、氷結した床に足が滑った。
体勢が崩れる。
シギュン・グラムの魔爪が、ちとせの左肩から右脇腹までを切り裂く。
「かっ……はっ……!」
崩れ落ちそうになったところを膝蹴りに腹を打ち抜かれる。
「……っ……あ……ごほッ……!」
両脚を浮かすほどの衝撃が腹部を突き抜け、吐血する。
さらに魔狼の引かれた脚が勢いを伴って下方から再飛来し、顎を打ち上げる。
衝撃で高く宙に舞う、ちとせ。
「柔らかすぎる」
だが、シギュンの眉が違和感に
最後に蹴り上げた一撃だが、あそこまで派手に吹き飛ぶには感触が弱い。
「顎を砕かれる前に跳んで威力を軽減したか」
見上げたシギュンの視線の先で、ちとせが空中で身を捻った。
"氷の魔狼"は自分の推測に間違いがなかったことを知り、獲物を撃ち落とさんと身体を一回転させて後ろ廻し蹴りを放った。
その蹴り足を空中で前転したちとせの両手が掴んだ。
そして、シギュンの蹴りの威力を吸収するように両腕を折り曲げ、そして、一気に伸ばして跳ねた。
反動を加速に利用して、さらに高く舞い上がり、回り始める。
長いポニーテールが空中で円舞する。
シギュン・グラムの虚ろな双眸を闇色の天から走る稲妻の閃光が焼くのと、黄金の炎が回転で遠心力の乗ったちとせの右脚に宿るのは同時だった。
閃光が消えないうちに、漆黒の空を裂くような轟音が鳴り響き、それとともに、ちとせの踵が振り下ろされる。
脚を焼きながら落とされた太陽の焔が、シギュンの額に突き刺さった。
「ぐっ……、あっ……!」
鮮血が飛び散り、シギュンが割れた額を義手で押さえて、よろめく。
着地したちとせが焼けた右脚の痛みに、いや、"氷の魔狼"に喰い散らかされている身体中の痛みに歯を食いしばるが、すぐに、シギュンとの間合いを詰める。
あの"氷の魔狼"が揺らいでいるのだ。
この戦いにおいて初めてにして絶対の好機。
行くしかない。
黄金の霊気が全身に駆け巡り、ちとせの長い髪の毛も、猫を想わせる大きな瞳も黄金に染まった。
両腕、両脚に、黄金の炎が宿る。
巫女装束も黄金一色。
太陽そのものの輝きを放つ。
旋風を巻き起こしながら、この闇と寒さに支配されている世界に太陽の輝きを取り戻すために、ちとせが舞う。
右手に握った神扇で、額を押さえている義手を朱に染めて呻いているシギュンのボディを打つ。
「くっ……」
鳩尾に打ち込まれた背中に突き抜ける衝撃にシギュンの身体が折れる。
下がった顔面へ、左後ろ回し蹴り。
右のローキック。
左の膝。
神扇。
左拳。
神扇。
左拳。
打。
打、打。
打、打、打。
打打打打打打打打打打ッ。
「だだだだだだだだだだッ!」
闇を切り裂きながら、冷気を蹴散らせながら、激しい神楽舞を舞い続ける。
先刻決めたラッシュ以上の無数の打撃を、"氷の魔狼"に打ち込んでいく。
腕が焼ける痛みをこらえ、右腕に黄金の炎を巻き起こす。
神扇に収束した極大の炎の塊を、シギュンの腹部へと突き刺した。
「ごほ……ッ!」
シギュンが血を吐き、そのスマートな身体がぐらりと揺れる。
ちとせとて、ただがむしゃらに攻めていたわけではない。
反撃の機会を作った胸部の中央への一撃、シギュンを揺らがせた額への踵落としはそれぞれ、重要な霊気の経絡である中丹田、上丹田を粉砕していた。
そして、今の腹部への渾身の打撃は、霊気を収束するための経絡である下丹田へダメージを狙ったものだ。
さすがの"氷の魔狼"とて、霊気の急所を立て続けに痛打されては、崩れざるを得ない。
ついに、シギュン・グラムが床に片膝をつく。
「
ちとせが神扇を高々と振り上げ、そして、地面に突き立てるように叩きつける。
シギュンを囲むように描かれる、黄金の五芒星。
屋上の床を白く染め上げていた霜が広範囲に蒸発し、吹き荒れていたブリザードが霧散する。
五芒星の頂点から黄金の炎で形成された五条の柱が、暗黒一色の空へと向かって立ち昇る。
光の柱の一柱一柱から陽光が収束し、黄金に輝く五つの霊気でできた火焔球となって飛び出し、中央で膝を折っている"氷の魔狼"シギュン・グラムを飲み込む。
「はあぁぁぁぁぁぁッ!」
ちとせが気合いの声を張り上げる。
胸の前に両腕を突き出す。
黄金の冷気と火焔を両手のひらの前に収束して、太陽の炎が迸る巨大な霊光球を作り出し、解き放つ。
霊光球は、螺旋の矛となり、床を抉りながら突き進み、濛々と立ち込める煙の中へ消える。
そして、煌々とした輝きが暗黒の世界に満ち、耳を裂く爆裂音が木霊した。