魂を貪るもの
其の七 浮上
2.宴会

 月明かりが照らす神代神社へと続く長い石段の入り口に、疾走してきた二台のバイクが止まる。
 エンジン音が止んでバイクから降りた人影は二つ。
 そのうちの一つがヘルメットを取って長い髪をなびかせる。
 鈴音だ。
 もう一人は青い眼をした男だった。
 鈴音の夫のロックだ。
 鈴音はちとせたちと露天風呂に入った後、一度料理店に戻ってロックを連れて帰ってきたのだった。
 二人が鳥居の向こうから聞こえてくる喧騒に神社を見上げる。
「おう、やってるな」
「いつもにぎやかですネ、ここは」
「今日は特にな。ちとせたちが夕食を用意してくれてるぜ。宴会になるからロックもつれて来いってさ」
「鈴音サンが、ちとせサンたちと真冬先生のお弟子サンたちを打ち解けさせるために提案したのでしょう?」
「あたしは一緒に風呂入って一緒に飯を食おうって言っただけだったんだが、いつの間にやら宴会ってことになっちまったよ。シルビアたちに一緒に料理を作ろうって言い出したのは、ちとせだからな。ちとせはすごいと思うよ、ホントに」
「でも、キッカケを作ったのは鈴音サンですヨ」
「ははっ、あまり持ち上げるなって」
 鈴音が照れくさそうな表情で、前髪をかきあげる。
 そして、生涯を誓った伴侶とともに石段を登り始めた。

 神代家の台所には、真冬以外の全員が顔を揃えていた。
 普段、ちとせと悠樹が料理当番の時以外は、ほぼ葵ひとりが食事の準備をしている台所も、今は所狭しと食材と調理器具が並べられ、人数が人数だけに窮屈に感じられる。
 葵もちとせもシルビアもラーンも、そして悠樹も浴衣の上からエプロンを身に着け、三角巾を頭にかぶっている。
 実は真冬も料理を手伝おうとしたのだが、シルビアとラーンが慌てた素振りを隠そうともせずに断った。
 ケガ人に料理をさせるわけにはいかないというのが、その理由であった。
 だが、しぶしぶ布団に戻る真冬を見送った二人が安堵の深いため息を吐く姿に違和感を覚えたちとせが尋ねたところ、ラーンは「師は生活不能者ですから」と憂鬱そうに答え、シルビアは「シンマラに料理をさせると爆発する」と顔を引き攣らせた。
 どうやら、真冬の料理の腕は相当にひどいらしい。
 料理の腕が折り紙つきなのは、葵と悠樹の二人である。
 二人がテキパキと料理を進めていく一方で、三人の少女たちは苦戦しながらも各々の個性を現すような調理方法を展開していた。
 赤毛の少女は、良く言えば豪快に、悪く言えばおおざっぱに調理していく。
 胡椒や唐辛子をばら撒く彼女の味付けは非常に辛そうである。
 青髪の少女は、神経質そうにキャベツの千切りの一本一本まで同じ太さで切り刻んでいた。
 その一方で調味料を忘れているのではないかと疑うほどに、彼女の味付けは非常に薄そうである。
 ちとせの料理は、弟子にまで敬遠される真冬ほどではないと思われるが、非常にアーティスティックな料理に仕上がりつつある。
 さすがに料理を爆発させたり、まな板ごと食材を切ったりはしていないが、煮込んでいる鍋から若干妖しい煙は出ている。
 とりあえず食材を使っているのだから、食べられるものができあがっている。
 はずである。
 というのが、ちとせの主張なのだが、甚だ信じがたい。
「よぉ、やってるな」
 神代家を勝手知ったる鈴音がロックを伴って、大人数で狭くなっている台所に顔を出した。
「あっ、ロックさん、こんばんは」
「こんばんは」
 ロックが一同に頭を下げる。
「もうすぐできますから、真冬先生とお話でもして待っていてください」
 新婚夫婦に葵が笑顔を振りまく。
 できあがっていく料理の中身はともかく、大勢で料理するのが楽しくて堪らないといった笑顔だ。
 その気持ちはシルビアとラーンを含めた全員にいえることだろう。
「んじゃ、あたしらはくつろがせてもらうよ」
「楽しみにしてますヨ」
 鈴音とロックが台所から出ていくと、全員は各々の料理の仕上げに取り掛かり始めた。
 料理作りが無事に終わり、宴会が始まったのは、間もなくしてのことだった。

「は、はは、ははは……」
 真冬がトレードマークの黒縁の眼鏡がずり落ちるのもそのままに、頬を引くつかせながら乾いた笑い声をあげる。
 彼女の前では、泣く子も笑う大宴会が繰り広げられていた。
 手に持ったお猪口が震えている。
 酔いのためではない。
 傷に触るからと進んでアルコールは口にしなかったし、誰も無理に勧めようとはしなかった。
「大目に見たのが間違いだったのか」
 そんな言葉が自然と口を出る。
 未成年であり、学生であるはずのちとせは、担任の教師の目のまでもあるに関わらず完全に『できあがって』いる。
 頬は桜色に染まり、目は潤んでいる。
 着崩れた浴衣から覗く、あらわになっているうなじと高校生にしては豊かな胸の谷間が艶っぽい。
 もっとも体勢だけを見るならばまるで色気がない。
 その片手でお猪口を掴み、もう片方の腕はやはり浴衣姿のシルビアの首を抱え込んでいる。
 どういう経緯でそうなったかは真冬にもわからない。
 ずっとこの場にいたのだが、まったくわからない。
 シルビアはシルビアで、ちとせの腕から抜け出そうとはしておらず、そのままの体勢で日本酒の一升瓶を抱えている。
 十年来の飲み友達でも、ここまで破綻的な飲み方はしないだろう。
 ちとせがお猪口の中の日本酒を一気にぐいっと(あお)った。
「ぷっはぁ〜っ」
 けほっと酒気のたんまり含まれた息を吐く。
 それを見たシルビアが対抗するように、日本酒の一升瓶を掲げる。
 しかもこちらはお猪口に注ぐことなく、ラッパ飲みでどばどばと胃にアルコールを流し込む。
 一升瓶丸々一本の酒が口腔に消え、こくこくと鳴っていた喉の動きが止まった時には、シルビアの目は完全に据わっていた。
「クソッ、イイ胸してやがるなぁ」
 危ない目つきのシルビアがちとせの美しい稜線を描く胸をうらやましそうに浴衣の上から頬ずりをする。
「ちょっ、何してんのよ」
 ちとせがシルビアを睨みつけるが咎めるような雰囲気はない。
「この胸でシンマラを魅了したわけか」
「ふふっ、ボクの胸もなかなかでしょ」
 ほんわか気分を表すようなトロンとした目を、自分の胸に顔を押しつけているシルビアの胸元へ向ける。
 シルビアがその視線に気づいて、自分の豊かとはいえない胸とちとせの胸を改めて見比べ、呻りながらピクピクと眼輪筋を痙攣させた。
「ん、どうかした?」
「だだだ誰が洗濯板だッ!」
「言ってない、言ってない。誰もそんなこと言ってない。一言も言ってない」
 首を横に振るちとせ。
 確かに、言ってない。
 言ってはいないのだが、どうやらシルビアは自分の控えめな胸を気にしているようだった。
 『ヴィーグリーズ』の戦闘幹部だった彼女にも年頃の乙女らしいにコンプレックスはあるらしい。
「ふん、アタシは洗濯板だけど、ラーンの胸はテメーより大きいぜ!」
「確かにラーンの胸は大きいわよね」
「だろ?」
「ふっふ〜ん、でもね、胸なら姉さんが最強よ。鈴音さんもスタイル抜群だけどね」
 ちとせが奇妙な色気の含まれた笑みを返す。
「むっ、ならば、こっちはシンマラだ!」
「……まったく何の話をしてるんだ」
 ちとせとシルビアのやり取りの一部始終を見ていた真冬が、困惑したようにため息を吐く。
 酒の力を借りてとはいえども、二人が打ち解けていることは真冬にとって喜ばしいことだが、しかし、ものには限度というものがある。
 眼鏡のブリッジを押し上げてずれを直し、二人を止めようと腰を上げる。
 だが、そこで展開は真冬の予想外の方向へ進み始めた。
「センセの胸ね、うん、確かに大人の色気ならセンセよね」
「そうだろ、そうだろ」
「よし、揉んでみるしかないね、これは」
 ちとせがシルビアを開放して、真冬に酔った視線を向ける。
「なぬっ!?」
 ぎょっとしたように真冬がちとせの顔を見る。
 蟲惑的な微笑を浮かべている。
 そして、真冬の胸を狙うように両手の指をわきわきと動かす。
 その小悪魔的な姿に真冬の頭の中で警戒音が鳴った。
「それなら、もちろん、アタシもやらせてもらうぜ」
 シルビアも凶悪さに妖艶さが加わった危ない笑みを浮かべ、ちとせの横に並んだ。
 こちらも真冬の胸元を覗き込みながら、舌なめずりしている。
「なんでそうなる!」
 身に危険を感じた真冬が抗議の声を上げながら、後退さる。
 ちとせとシルビアの二人がじりじりと女教師に迫る。
 真冬はこめかみに冷や汗を垂らしながら片腕で両胸を隠すように覆う。
 だが、二人は止まらない。
「センセ、逃げられませんよぉ?」
「シンマラ、観念しな」
「ちょっ、待ちたま……」
 真冬の抵抗空しく、野獣のように飛び掛ってきた二人に押し倒された。
 その様子を見ながら、ラーンは単純作業のようにグラスに酒を注いでは口に運ぶという動作を延々と繰り返している。
 顔色はまったく変わっていないのだが、酒を飲み込むたびに意味不明な言葉をぶつぶつ一人で何かを呟いている。
 ちとせやシルビアの惨状に負けず劣らず、なかなかに怖い光景だ。
 だが、一番性質が悪いのは、葵だった。
 彼女は笑い上戸の上、泣き上戸である。
 今ケタケタ笑ったかと思うと、次の瞬間には涙ぐんでいる。
 絡み酒でないことが唯一の救いだが、テンション高く奇行に身を委ねている葵の姿は素面(しらふ)の誰かが見たならば間違いなく寒気を感じるだろう。
 悠樹はやわらかな笑顔で葵とラーンに酒を注いでいる。
 そして、目の前で淡々と酒を飲んでいるラーンに話しかけたり、いろいろと間違った方向に弾けている葵に鷹揚に頷いている。
 ただラーンと葵に向けて「ちとせ」とか「鈴音さん」、「真冬先生」などと話かけている上、話している内容も支離滅裂で、たまに明後日の方向に頷いている辺り、彼も完全に酔っている。
 鈴音はロックと隣り合って飲んでいた。
 相思相愛の新婚カップルは、この壮絶な宴会の中にあって、そこだけは違う空間のように二人の世界に浸っている。
 一番まともな光景であり、一番異様な光景でもあった。
「なぁ、ロック」
 ほのかに頬に酒気を帯びさせた鈴音がお猪口を置いて、最愛の夫の名を呼ぶ。
 酒豪の彼女は、すでに日本酒を大量に飲み干しているが、まだまだほろ酔いといった感じで酩酊には程遠い。
 ロックも彼女に負けないペースで酒を胃に流し込んでいるが、彼もまたほとんど顔色も挙動も変わっていない。
 夫婦そろってアルコールへの耐性は強いらしい。
「なんです、鈴音さん?」
「神代神社の一番のご利益(りやく)って何だと思う?」
 唐突な質問に、ロックが首を傾げる。
 彼は敬虔なカトリックだったが、日本の神道には詳しくはない。
 ただ鈴音が無意味な質問をするとも思えず、この神代神社についての知識を総動員させる。
「祭神は、確か芸能の女神サマでしたね」
天宇受賣命(アメノウズメノミコト)。ちとせが降ろしてる女神だな」
 天宇受賣命は太陽神・天照大神が弟神である須左之男命(スサノオノミコト)の乱暴に起こって天岩戸(アマノイワト)に隠れた時に舞を舞った女神である。
 闇に包まれた世界で舞を舞ったり、その後も天孫降臨の際に高天原(タカアマハラ)の神々一行の前に現れた光輝く神・猿田毘古神(サルタヒコノカミ)に問答を行なうなど、一説では天照大神と同じ太陽神なのではないかとも言われている。
「では、やはり芸能関係のご利益がメインなのでは?」
「ん、それがまっとうな答えだよな。だけど、この神社の一番のご利益は女神がもたらす何かじゃなくて、ちとせたちの性格だと思うよ、あたしは」
「ああ、それは言えるかもしれませんネ」
 鈴音の言いたいことは、ロックにもよく理解できた。
 芸能の女神がもたらすご利益もあるかもしれないが、自分たち夫婦がちとせたちから受け取ったもののなんと大きなものか。
 鈴音は行き倒れていたところを助けられ、実の姉である霧刃を追うという目的の手助けもしてもらった。
 ロックにしても鈴音と結ばれるまでちとせたちの世話になり、そして、この神社で告白をした。
 そして、夢でもあった料理店を構えた今でも、ちとせたちの笑顔を見ることは何よりも励まされ、元気付けられる。
 真冬もシルビアもラーンも、そのことについては自分たちと同じになっていくのではないかと、ロックも思う。
「恥ずかしくて本人たちの前じゃ言えないけどな」
 それも孤独に慣れている鈴音にとっては酒の力でも借りなければ、なかなか口に出せるものでもない。
 本人の前では素面でなくても言えないだろう。
 退魔のプロフェッショナルとして妖魔たちに恐れられながらも、そういうシャイな面も持つ愛妻を、ロックはやさしい光を灯す紺碧の瞳で愛おしそうに見つめる。
「昔、オレには同じようなことを言ってくれましたけどね。『ロックの気が、良い空気を作り出してんのさ』ってね」
「……そういや、イタリアで言ったかもな。覚えてなくてもいいのに」
「印象に残っていますからネ。あの時にはもう、鈴音サンのことが好きだったのかも」
「バッカ!」
 頬を真っ赤に染めた鈴音がロックを小突いた。
 ロックは苦笑しながら愛妻のお猪口に日本酒をなみなみと注いだ。
「乾杯しましょう」
「そうだな」
 鈴音がロックのお猪口にも酒を満たし、二人はお互いのお猪口を差し出した。
「ちとせたちに」
「真冬サンたちに」
 相思相愛の夫婦は何度目かの乾杯をした。
 乾杯の趣旨に反するように、ちとせとシルビアに押し倒されている真冬のわめき声が響いたが、誰の耳には聞こえていないようだった。


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