魂を貪るもの
其の六 師弟
6.復活

 "赤き雷光"のシルビア・スカジィル。
 "青き清流"のラーン・エギルセル。
 二人の少女を迎え撃つ黒き髪の運命の女神の姿が変貌していく。
 鱗に覆われた両腕は倍に膨れ上がり、両脚もまた鱗に覆われ、鉤爪が伸び、肥大化していく。
 背中からは漆黒の羽毛の巨大な翼が迫り出し、頭からは黒髪の間からねじくれた二つの角が出現する。
 そして、額の真ん中に亀裂が入り、第三の目が見開かれた。
 その端正な顔だけが真冬の面影を残してはいたが、スクルドは人間の姿とは懸け離れたものへと変貌した。
 神というよりも、異形の悪魔ともいうべき姿に。
 スクルドが闇の空に羽ばたく。
「汝らの師に死体を突きつけん」
 姿は悪魔、名は運命、力は神。
 だが、実態は――傲慢で愚かな子供。
「ガキが……」
 シルビアは自分が導き出したスクルドへの答えが、ちとせと同じ結論だとは知る由もない。
 心は折れない。
 ――折れて堪るか。
 運命を見下す気概。
 しかし、二人とも満身創痍。
 疾走の振動で、全身から流れ出る血が飛び散る。
 細胞が悲鳴を上げる。
 それでも怯むことはない。
 恩師が戻ってきた。
 すでに運命にはひびが入っている。
 打ち砕ける。
 今、肩を並べ、戦場を駆け抜けてきた最高のパートナーが隣にいる。
 打ち砕けぬはずがない。
 二人の眼光がスクルドを射抜く。
 退かぬ、という強い意志の宿った瞳。
 その視線を平然と受け止め、悪魔の如き女神が無表情のまま、闇色の翼を広げた。
「運命に逆らうことなど不可能。其は人間どもの望みこそ運命がゆえ。見せしめに、汝らは惨たらしく殺さん」
 無感情の怒声とともに翼から無数の羽根が二人に向かって放たれる。
 シルビアとラーンの周囲を羽根の嵐が包み込む。
 何本もの羽根が二人の身体に突き刺さり、新たな血飛沫が吹き上がる。
 だが、二人はやはり、怯まない。
 ラーンが裂けた袖から見える血に染まった痛々しい腕で馬上槍(ランス)を振るい、前方に舞う羽根を薙ぎ払う。
 相棒が刈り取った羽根の奔流の間から、シルビアが跳ぶ。
 その間にも羽根が身体に突き刺さるが、気になどしてはいられない。
 女神の頭上に到達したシルビアは愛剣を振るった。
 刃が禍々しい光を放つ。
 着地と同時にシルビアの全身から血が吹き出す。
 血管が破裂し、筋肉が倒壊する。
 悲鳴をこらえ、両脚を踏ん張り、女神を振り返る。
 女神の頭部が、ごろりと闇色の地面を転がる。
 首の断面から黒い鮮血が溢れ出る。
 女神の身体が両膝を折る。
「はあぁぁぁぁッ!」
 首のない肉体をラーンが馬上槍で串刺しにする。
 だが、女神の肉体は崩壊しない。
 ラーンが目を見張る。
 女神は己の首のない肉体から、片手で軽がる馬上槍を引き抜いていた。
「くっ!」
 懸命にラーンが槍先を押し込もうとするが、女神は微動だにしない。
 運命の女神は、空いた手で地面に落ちた自分の首を持ち上げた。
 そして、あるべき場所へと戻すと、首と胴は一瞬にして繋がった。
 その双眸から冷たく無感情な黄金の輝きを絶やしていない。
「そんな……」
 首を斬り落としても、肉体を串刺しにしても死なない。
 その事実に、シルビアほどスクルドの怪物ぶりに慣れていないラーンが目を丸くするのも止むを得なかった。
 動揺するラーンを、女神が馬上槍ごと軽々と持ち上げる。
「ラーン!」
 相棒の窮地にシルビアが再び跳躍する。
 だが、その瞬間、赤毛の少女の背に無数の黒い羽根が突き刺さる。
「がはッ!?」
 身体を仰け反らせ、地面に落ちる。
「お嬢!」
 ラーンが叫ぶ。
 最愛の恋人の危機に、動揺が消え去る。
 浮かされた身体を、馬上槍を軸にして反転させ、女神の側頭部に強烈な蹴りを浴びせた。
 女神は倒れない。
 切っ先を掴んだ馬上槍を振り回して、ラーンを地面に叩きつけた。
「はっ、ぐっ!」
 受身を取ることもできずに背中を強かに打ちつけ、ラーンの全身の傷口から血飛沫が上がった。
 その間に地面に打ち落とされたシルビアが立ち上がる。
 背中に無数の羽根が突き刺さったまま、シルビアがフランベルジュの切っ先を女神に向ける。
 左手は左胸を押さえている。
 ドーピングの代償もシルビアを蝕み続けている。
 心臓が張り裂けそうだ。
 それでも、不屈の闘志で女神に対抗するのは止めない。
 ラーンも同じだった。
 全身の激痛に耐えながら、震える膝を叱咤して立ち上がり、馬上槍を構え直す。
 右手で右胸に伸びている。
 真冬を瀕死から救った代償。
 右胸に穿たれている傷は深い。
 だが、彼女の頭の中にも、あきらめるという言葉は存在していなかった。
 二人が立ち上がった先で、スクルドの胸の穴が見る見る塞がっていく。
 シルビアが舌打ちして、ラーンに視線を送る。
 ラーンは乱れた息遣いのまま、軽く頷いた。
 二人が左右から同時に飛んだ。
 電撃を帯びた竜巻と水流の竜巻が、運命神を挟むように吹き上がる。
 二つの竜巻は、女神を巻き込んで一つの巨大な竜巻となった。
 雷と水の激流が、闇の世界に眩い輝きをもたらす。
 女神の肉体のところどころが、水の圧力と雷の高熱による負荷に耐えられず、破裂していく。
 失われた部分から漆黒の瘴気が吹き出すが、それもすぐに激流に飲まれた。
 竜巻はやがて血の色を帯び、女神が半身を失ったところで消えた。
 女神の両側には、シルビアとラーンが地面に両膝をついていた。
 二人とも自らの流した血溜りの中で、肩で息をしている。
 赤毛の少女は左胸を押さえ、青髪の少女は右胸を押さえる。
 荒い呼吸音は収まることがない。
 激しく、激しく、激しく続いている。
 そして、その呼吸さえ、苦しい。
 息を吸うたびに全身が軋み、息を吐くたびに視界が揺れる。
 限界などすでに超えている。
 満身創痍の肉体の酷使に加え、大技を放った負荷がさらに肉体を蝕んでいる。
 二人は霞む視界の中に女神の姿を捉える。
 女神は半身を失いながらも平然と立っていた。
 冷然とした瞳が二人を交互に見返す。
 そして、失われた部分に黒い液体が溢れ、肉体を復元していく。
「クソッ、マジで不死身か」
 シルビアが悪態を吐く。
「いいえ、お嬢。顕在化した神なら倒せる。存在するものは必ず滅ぼせる」
 ラーンは首を横に振って、痙攣する指先を女神に向けた。
「見て、お嬢!」
 女神の肉体は復元されていくが、同時にその背後の空間に亀裂が走った。
 そして、その闇の裂け目から、二つの影が地面に落ちるのをシルビアは見た。
「あれは……」
 一つは、神代ちとせ。
 もう一つは、"凍てつく炎"の妹。
「あの二人は影に飲まれ、呪縛されていたはずよ。それを開放せざるを得なくなってる」
「スクルドは空間から力を供給している。でも、この空間を維持できなくなってる?」
「一見すれば、不死身。だけど、私たちの攻撃は確実に効いてるわ。供給する力が尽きかけてるのよ」
「つまりは」
「もう一押し」
 二人は自分の武器を杖代わりにして立ち上がった。
 膝に力が入らない。
 いや、全身に力が入らない。
 それでも、闘志は再燃した。
 もう先程のような竜巻を起こす大技は放てない。
 闘志だけで身体を動かす。
「なぜ立つ」
 スクルドが無表情のまま、小首を傾げる。
 そして、両腕を広げ、両手のひらをそれぞれ、シルビアとラーンへ向けた。
 黒い羽根の混じった衝撃波が放たれる。
「屈したくないからに決まってるだろ、バカ女神ッ!」
 シルビアが叫ぶ。
 二人は踏ん張り、武器を女神に向ける。
 女神が両目を見開く。
 その眼が金色に光り輝くと、衝撃波が強まり、黒い羽根が二人の少女の胸に次々と突き刺さる。
 だが、二人は怯まない。
「なぜ怯まない」
「私たちは生きて師のもとに帰るのです、クソ女神ッ!」
 ラーンが叫ぶ。
 二人が衝撃波の圧力を押し返す。
 乱れ飛ぶ黒羽根の中を突っ切る。
 そして、女神を中心に二人の少女は交差した。
 女神の右腕が吹き飛んだ。
 女神の左腕が吹き飛んだ。
 女神の無表情な瞳孔が拡大する。
 すぐさま両肩から黒い液体が滲む。
 だが、それは腕の形を取ったものの、すぐに崩壊した。
 再生しない。
「バカな」
 女神の表情が初めて歪んだ。
 二人の少女が、女神を振り返る。
「残念だったな」
「限界のようね」
 そう言って微笑を浮かべた途端、少女たちは同時に吐血し、身体から血の霧が舞った。
 崩れ落ちるように地面に膝をつく。
 彼女たちに余裕などない。
 体力も霊力も限界なのだ。
 余裕などあるわけない。
 残されていた力で二人にできたのは、圧倒的な力を持つ女神の両腕を落とすのが精いっぱいだった。
「人間め」
 だが、傲慢な女神は、追い詰められることに慣れていなかった。
 人間など操り人形でしかない。
 それなのに、まるで思い通りに動かないどころか、神の肉体さえ復元できぬほどに傷つけている。
「人間め、人間め、人間めッ!」
 女神は狂乱した。
「人間め、人間め、人間め、人間め、人間めェェェッ!」
 女神の無感情な壊れたような怒号に、空間が恐怖したように荒れ狂う。
 無数の亀裂が走り、崩れ落ちる闇が、瘴気となって女神へと吸い込まれていく。
「我は、……我は不滅ぞッ!」
 空間から闇を吸い込んだ女神は、肉体こそ再生しなかったが、その身を包む妖気は巨大な炎のように燃え上がった。

 異変は、その時に起こった。
 妖気が真紅の色を帯びる。
 女神の身体は本当に燃え上がっていた。
 両の翼が燃え落ち、肉体が燃え崩れていく。
「これは……」
 女神が黄金の目を収縮させる。
「『また油断した』な、運命神。――おまえの敵はその子たちだけじゃない」
 暗闇よりも濃い漆黒の髪が揺れ、炎に照らし出されて橙色に染まる。
 運命神の貌に、豊かな表情を加えた真の美貌。
「二人とも心配をかけたな」
「シンマラ師!」
 シンマラ――豊玉真冬の姿があった。
 顔面は蒼白であったが、その両目には強い意志が宿っている。
 右胸から溢れ出る血は純白だったワイシャツを赤く染め続けているが、悠樹に支えられながらも真冬はしっかりと地を踏んでいた。
「すまないな、悠樹くん。カッコつけさせてもらって」
 咳き込みながら、真冬が悠樹に囁くように言う。
 真冬は瀕死の状態だ。
 それでも尚、二人の少女の危機に駆けつけ、二人の援護のために力を使った。
 彼女の体力と霊力はすでに空っぽで、単独でできることではない。
 悠樹に霊気を送り込んでもらいながら、それを行使したに過ぎない。
 真冬の命を繋ぐために霊気を送り続けている悠樹の息も荒い。
 それでも、彼は真冬を支え、彼女の好きなようにさせた。
「それにしても、男の子の腕とは頼もしいものだな」
 惚れそうだよ、と冗談とも本気とも取れない発言をする真冬に悠樹は頬を引き攣らせた。
「よしてください。真冬先生のような女性にそう言われるのは嬉しいですけど、あの二人に追い回されることになっては堪りませんから」
 真冬は曖昧に微笑み、「そうだな」とだけ応えた。
 そして、真剣な眼差しで運命の女神を睨みつける。
 悠樹の顔は意識して、見ない。
「悠樹くん、もう一撃だ」
 そう悠樹に言い、次いで二人の愛弟子へ大声を張り上げた。
「シルビア、ラーン、世界を変えるぞ!」
「はい!」
「はい!」
 シルビアも、ラーンもすでに立ち上がっていた。
 体力も霊力も枯渇しているはずなのに、立ち上がっていた。
 闘志に満ちたその双眸に、新たな光が宿る。
 二人は頷きあった。
 熱い。
 血の熱さ、肉の熱さ、魂の熱さ。
 今こそ、解き放つ。
 力など残っていない。
 それでも、解き放つ。
「ラーン、限界まで魂を燃やすぜ。だからって、死ぬなよ。死んだら意味がない」
「もちろんよ、お嬢。私たちは師と一緒に生きるのよ」
 ラーンがシルビアに向けて右手を翳し、小指を立てる。
「ゆびきり」
「げんまん」
 シルビアが同じように女神を挟んで空中に小指を立てた。
 空中で届かないお互いの指を絡める。
 そして、頷き合い、武器を構える。
 空間が揺れた。
 二人から闘志の炎が吹き上がる。
 いや、それは、魂の、そして、生命の炎。
「!?」
 女神は無表情のまま、少女たちのしぶとさに驚愕していた。
 ――この人間たちは底が知れぬ。
 運命が崩れようとしている。
 この事実に女神は、初めて恐怖した。
 ――恐怖?
 神が、か?
 神が恐怖したというのか。
 女神は飛んだ。
「滅びぬ」
 運命は決して敗れはしない。
 だが、今は逃れなくてはならない。
 この場を脱して、周到に罠を張り巡らせなければならない。
「まさか逃げる気か!?」
 真冬の放った炎が女神を再び包み込む。
「させるかよ!」
「いかせない!」
 シルビアとラーンが雷撃と水流を放つ。
「滅びぬ」
 女神はさらに高く飛んだ。
 しかし、三人の攻撃を完全には避け切れない。
 下半身が消し飛んだ。
「滅びぬ」
 滅びぬ。
 執念のようにそう繰り返す。
 黄金の目を巡らせる。
 滅びるのは、人間どもだ。
 ――我ではない。
 女神の金色の眼差しが、自らの作り出した暗闇の世界で、光明を見つけた。
「神代ちとせ」
 神代ちとせが倒れている。
 カミシロ――神のヨリシロが。
 降魔の器が。
「肉体」
 しかも、シンマラの教え子。
 その身体を手に入れれば、シンマラどもは手が出せない。
 そして、『レーヴァテイン』を再び手にできるはずだ。
 この世界に死を与え、新たなる世界を手に入れることができるだろう。
「カミシロッ!」
 それまでまったくの無表情だったスクルドの唇が笑みの形に吊り上った。
「いかん!」
 運命神の視線の先に倒れているちとせの姿を見て、真冬は女神の意図を察した。
「ちとせくんに取り憑く気か!?」
 しかし、誰も動けない。
 下手に攻撃を放てば、ちとせをも巻き込んでしまう。
 スクルドはその貌だけを残して、黒い影となった。
「神代ッ! ちとせェッ!」
 もはや、スクルドの黄金の目にはちとせしか映っていなかった。
 ちとせが目を開いた。
「あれ?」
 だが、意識が追いついていないようだ。
 女神には関係ない。
 意識が戻ろうとこのまま取り込んでしまえば良い。
 そう考え、勢いを殺さずに、ちとせへと襲い掛かる。
 唐突にちとせの頭の上に気配が現れた。
 同時にスクルドの顔面に蹴りがめり込む。
「!?」
「(横入りはなりませんよ、異郷の女神殿)」
 ちとせの頭の上に浮かんだ半透明の扇情的な美女――天宇受賣命(アメノウズメノミコト)が扇で口元を隠したまま、スクルドの顔面に突き刺さった足を蹴り抜いた。
「さすが、天宇受賣さま。ちとせのご先祖だけのことはある」
 悠樹は引き攣った笑みを浮かべた。
「(神代ちとせ、貴方も戦いなさい。貴方の師が待っています)」
 天宇受賣命がちとせの身体へと重なり、その姿を消すと、ちとせの衣服が古代の巫女のものへと変わった。
「あ〜っ、えとっ、おはようございます」
 ちとせは立ち上がった。
「ちとせ、寝ぼけてる場合じゃない!」
 悠樹が叫ぶ。
 ちとせが視線を向けると血塗れの真冬が悠樹に支えられているのが見えた。
「真冬センセ!?」
「先生は大丈夫だ。シルビアもラーンも大丈夫だ」
 見れば、シルビアとラーンが満身創痍で立っている。
 二人の表情に陰はない。
 傍には鈴音が倒れている。
「ああ、ボクと鈴音さんは闇に飲まれたんだったっけ」
「神代ちとせ、お嬢は戻ってきました」
 ラーンが静かに告げる。
「目の前にいる闇の塊が、運命神です。もう一押しで倒せます。私たちに手を貸してください」
「……なるなる」
 頭の回転を取り戻し、状況をすぐさま把握したちとせは、倒れている鈴音を揺すった。
「鈴音さん、鈴音さん」
「んあ、ちとせ?」
 鈴音はすぐに目を覚ました。
 そして、飛び上がるようにして跳ね起きた。
 次の瞬間には、すでに手には伝家の宝刀・細雪が抜かれており、一部の隙もない構えが取られていた。
 鋭い目つきで周りを見回し、前方の巨大な黒い塊で視線を止める。
「運命神か」
「うえっ……」
 ちとせが変な声を上げた。
 鈴音の寝起きの良さ、ではなく、すぐに戦闘体勢に入れる彼女の感覚に今更ながら驚かされたのだ。
「鈴音さん、すごいね。よく、そんなすぐに動けるね」
「動かなきゃ死ぬ状況ってのはごまんと経験してるからな。まあ、暢気に気絶してた身で威張って言えることじゃないがな。とにもかくにも、あれの妖気は女神のもんだ。で、真冬が悠樹と一緒で、赤毛のガキがラーンと一緒にいる。そんで全員の殺気があの黒い塊に向いてる。んなら、アレを倒せば終わりだろ」
「さすが」
 天武夢幻流の後継者。
 鈴音は、戦いにかけてはやはり、ちとせとなど比べ物にならない。
 いや、この場にいる素人は、ちとせと悠樹だけだ。
 シルビアとラーンは『ヴィーグリーズ』の幹部であったし、真冬もちとせと悠樹よりは実戦経験は豊富だろう。
「オノレェェェ!」
 魂を揺るがすような咆哮が上がった。
 黒い塊となった運命神が吼えていた。
 その全身が激しく脈打ち、周りの景色が吸い込まれていく。
 漆黒のすべてが女神に飲み込まれ、空間に残った闇が女神唯一つとなる。
 その全身から無数の触手がのたうち、空中へとゆっくりと浮上する。
 そして、その闇の球体の中心部がぱっくりと開ける。
 そこにあったのは、巨大な黄金の瞳。
「オオオオオオオオッッッッ!」
 黄金瞳から黒い閃光が迸る。
 同時に女神を包むように闇の嵐が巻き起り、凄まじい衝撃が真冬たちに押し寄せる。
「風よ!」
「水よ!」
 悠樹とラーンのそれぞれが真冬とシルビアを護るように風の壁と水の壁を張り、衝撃波の直撃を凌ごうとするが、完全には防ぎきれない。
 障壁を突き抜けた衝撃波の余波が、四人を打ちのめした。
 四人が崩れ落ちそうになった瞬間、二筋の青白い閃光が衝撃波を断ち切っていた。
 真冬と悠樹の前に立ち、衝撃波を断ち切ったのは神刀・細雪を手にした鈴音。
 そして、シルビアとラーンをかばうように衝撃波に立ちはだかったのは、神扇を広げるように構えたちとせだった。
「神代ちとせ」
 シルビアが呻く。
 拷問漬けにして血反吐を吐かせ、情念をぶつけて嬲り者にした少女が、何の迷いもなく自分をかばっている。
 その事実に何か言葉を続けようとするシルビア。
 だが、彼女が声を発する前にちとせは振り向かずに神扇を握っていない左手で、ビシッとビクトリーサインをシルビアに向けた。
 言葉を封じられたシルビアは舌打ちし、しかし、笑みを浮かべて、フランベルジュを構え直した。
 ――お嬢、それが神代ちとせという少女よ。
 その様子を見ていたラーンも微笑んで馬上槍を構え直す。
 鈴音が後で悠樹に支えられている真冬に発破をかけた。
「真冬、この勝負、勝ちだぜ。あんたが締めな」
 真冬は頷き、そして、自分の生徒たちを見回していく。
「ちとせくん」
「はい!」
「悠樹くん」
「はい!」
「ラーン」
「はい!」
「シルビア」
「はい!」
  生徒たちの名を呼び、その返事を聞いた真冬が深く息を吸い、そして、吐く。
 そして、血塗れの片手をもはや黒い塊と化している運命神に向かって突き出す。
 真冬の四人の生徒たちと鈴音もスクルドに向かって構えた。
 全員が残り少ない生命を爆発させ、六つの霊気の柱が天を突く勢いで吹き上がる。
 真冬の炎、悠樹の風、ラーンの水、シルビアの雷、ちとせと鈴音の光。
 色取り取りの霊気が渦巻き、荒れ狂い、女神を取り囲む。
「よし、みんな、『さらば、"カルミナ・ブラーナ"』だ」
 真冬の掛け声とともに、臨界まで達した霊気が一気に放出された。
 眩い閃光が、スクルドを飲み込んだ。
 黒い塊に真冬たちの放った閃光が突き刺さり、貫く。
「ニ、ニンゲン……我はおまえたちの望みぞ……おまえたちが無意識に望むものこそが運命ぞ……それを……それを……」
 女神の巨大な黄金眼がこれ以上ないほどに見開かれる。
「運命は、運命は不滅……不滅……不……滅……オオオオオオオオオオオオオオッ!」
 漆黒の闇が外側と内側から崩壊していく。
「『レーヴァテイン』さえ、『レーヴァテイン』さえ、よこせ、よこせ、よこせェェェェッ!」
 女神が真冬へと触手を伸ばす。
 しかし、触手は真冬に届く寸前で消滅した。
 光が空間内にあまねく広がり、視界を白く染め上げる。
 その中で、女神の暗黒のシルエットが砕け散る。
 破片の一つ一つがさらに粉々となり、運命の女神の肉体も妖気も光の中で完全に消滅した。


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