魂を貪るもの
其の四 災いの杖
10.受胎

「スクルドだと!?」
 スクルドは、北欧神話の運命の女神であるノルン三姉妹の末妹である。
 ノルン三姉妹はそれぞれ、長女ウルドは過去を、次女ヴェルダンディは現在を、そして、末妹スクルドは未来を司る。
 目の前の少女は、その運命神の一柱なのだと名乗った。
「そう、我はスクルド。我はすべてのものの終点。我は死、我は破壊」
 真冬は動揺した。
 いや、動転というべきか。
 まったく予想だにしなかった事態を受けて、一種の恐慌に陥っていた。
 真冬の頭の中で、あらゆることがらが、法則性もなく飛び交う。
 『レーヴァテイン』
 『シルビア』
 『ラーン』
 『ちとせ』
 『レーヴァテイン』
 『レーヴァテイン』
 『スクルド』
 『破滅』
 『シルビア』
 『ラーン』
 『レーヴァテイン』
 『スクルド』
 大量の出血と、不測の事態で考えが纏まらない。
「なぜ、運命神が出てくる!?」
 真冬は叫んだ。
 叫ぶことで、脳の混乱を一掃し、己を律しようとする。
「我は『レーヴァテイン』を欲したり」
 スクルドは薄く笑った。
 いや、それは笑みというにはあまりにも無表情。
 ただ唇が笑みのような形に歪んだだけか。
 真冬の背に冷たいものが走った。
 その悪寒を利用して、真冬は無理矢理に脳を鎮静させ、落ち着きを取り戻そうとする。
 ――障害が立ち塞がることは想定していたはずじゃないか。
 障害が、『ヴィーグリーズ』ではなく、運命神スクルドと名乗る少女だった。
 それは予想外の出来事だが、真冬がここまで来たのは『レーヴァテイン』を破壊するためで、何が起ころうと、それが第一目的なのには変わりない。
 目の前の運命神はどうやら、『レーヴァテイン』を破壊するつもりはなく、それどころか、積極的に、『レーヴァテイン』の魔力を利用しようとしているようだ。
 渡すわけにはいかない。
 真冬は、そう理解した。
「渡さぬ、という顔をするな」
 真冬の表情から決意を読み取ったのか、運命神が無表情のまま言葉を紡いだ。
 その黄金の瞳には何の感情も灯されておらず、鏡のように真冬自身の姿が映し出されているだけだ。
「この姿は汝の幼き頃のもの。罪を知らぬ、過ちを知らぬ、未来を知らぬ。ゆえに我が写し身とした」
 スクルドを名乗った少女の長い黒髪が、風もないのになびく。
「私の……だと?」
「然り」
 運命神が無表情な笑みを真冬に注いだまま、握っている『レーヴァテイン』に力を込める。
「汝の姿で、汝が罪たる甲冑を纏い、汝の造り出した『レーヴァテイン』を使い、今の世界を終わらせてやろうというのだ。そう、かつて汝が望んだ新世界創造のために」
 刀身が妖しく輝き、戒めている鎖に亀裂が走った。
「見よ、もはや最後の封印も解ける」
「い、いけない!」
 破壊するには封印を解かねばならないが、『レーヴァテイン』が真冬自身の手にない以上、開封を何としても阻止しなければならない。
 だが、すでに九割方の封印は解けてしまっている。
 今から再封印するには、目の前の運命神も時間も許してはくれないだろう。
 何より、真冬に再封印を施すだけの体力も精神力も残っていない。
 それでも、残った封印の強化くらいならできるはずだ。
 『レーヴァテイン』に向かって左手首を振り、溢れ続けている血を飛ばした。
 そして、血に塗れた指で空中に文字でも描くように奇妙に動かしていく。
「封印者たる我が命じる!」
 真冬の血が『レーヴァテイン』に染み込み、鎖の亀裂が修復する。
 さらに血を投げようと、真冬が左手を振り上げる。
 しかし、視界が揺らいだ。
「くっ、血が足らないのか」
 真冬は全身から力が抜けていくのを止めることができない。
 立っていることさえできず、跪くように崩れ落ちてしまった。
「抗うな、人の子よ。この半端な封印を解け」
 スクルドの硝子玉のような瞳が力尽きた真冬を見下す。
 そして、機械的な動きで『レーヴァテイン』を振り上げる。
「受け入れよ、我は運命。逆らう者は苦しむのみぞ。四肢の満足なうちに、安楽に死せるうちに、封印を解け」
「センセ!」
 ちとせが真冬を突き飛ばした。
 同時に真冬がいた場所に『レーヴァテイン』が振り下ろされる。
 もし、その場に残っていれば、斬られていただろう。
「危なかった」
 ちとせがそう思った刹那、背中に凄まじい風圧が来た。
 全身がばらばらに砕けてしまいそうな衝撃波。
「かはっ!?」
 身体をこれ以上ないくらいに反らせながら、ちとせは吹き飛ばされた。
 真冬もまた、ちとせに突き飛ばされて地面に落ちる前に襲ってきた新たな衝撃によって跳ね飛ばされる。
 二人とも近くの木に叩き付けられたが、衝撃の威力は凄まじく、その樹木を打ち倒して遥か遠くの地面にまで転がされた。
「うっ、くっ……ごほっ!」
 全身に走る激痛と吐血によって薄れいく意識を必死に繋ぎ止め、ちとせは霞む目で周りを確認する。
 真冬が近くに倒れている。
 ちとせと同じように咳き込みながら血を吐いており、美しかった黒髪は土埃に汚れて輝きを失っている。
 トレードマークの黒縁眼鏡は左のレンズは完全に砕け、右のレンズにもひびが入り、すでに眼鏡としての機能を果たしてはいない。
 不幸中の幸いというべきか、割れたレンズが目を傷つけることはなかったようだ。
 そして、倒れている真冬の向こうには土埃が舞っており、地面が円状に大きく陥没している。
 その中心部にスクルドが立っていた。
 手にしている『レーヴァテイン』の切っ先が地面に突き刺さっている。
 スクルドが放った先程の無造作な一撃が、ちとせたちを吹き飛ばした爆風を作り出し、周囲の大地を陥没させたのだ。
 ちとせは戦慄した。
「うぐっ、そんな……たった一振りで……」
「ちとせくん、キミだけでも逃げろ!」
 真冬が必死な声で叫ぶ。
「あれは、神なんかじゃない。バケモノだ」
「センセ、そんなことは百も承知だよ。だから逃げるのは賛成」
 唇の血を拭い、ちとせが激痛の走る身体を動かす。
「だけど、ボクだけでもってのには不賛成。センセを置いてはいけないよ」
 ガチャリ、ガチャリと甲冑の擦れる音を響かせて、スクルドがゆっくりと近づいてくる。
「逃げるんだ」
 真冬は上半身を起こそうとするが、すでに身体に力がまったく入らない。
 もがくことさえままならない。
 ちとせも立つには立ったが、ふらついてまともに歩くことができなかった。
「だから、一人じゃ逃げませんって!」
 ちとせが天を仰ぐ。
「こんな身体だけど、宇受賣さま……お願い!」
 霊気を全身に巡らせる。
 青白い光の奔流が足下に広がり、ちとせに舞踏の女神が舞い降りる。
「はぐっ!」
 天宇受賣命を受け入れ、巫女の衣装を纏ったちとせの身体が悲鳴を上げる。
 女神を降臨させるには肉体が傷つき過ぎていた。
「くっ、あっ、これじゃ長くは持たないね」
 それでも。
 恩師を見捨てて逃げるなど、ちとせには死んでもできることではない。
 ふと、シギュン・グラムの顔が頭に浮かんだ。
 ――宣言の通りに盾になるか、神代ちとせ。
 ちとせの脳裏で、魔狼は氷の如き視線はそのままに唇だけを歪めて笑った。
「そうよ。そうでなくちゃ、あなたに手も足も出なくなる」
 ちとせはそう言って、頭の中の魔狼に笑い返してやる。
 不敵な笑みだった。
 そして、ちとせはその笑みを真冬に迫るスクルドにも向け、身体の痛みに耐えながら神扇を構えた。

「何が起こったと思う?」
 鈴音は悠樹を振り返った。
 鈴音と悠樹は、若き戦士ジークとスクリューミルと呼ばれる巨人を粉砕し、残る敵はファーブニル老人ただ一人だった。
 ファーブニルは悠樹と鈴音の実力を思い知らされ、さらには数の上での不利もあり、早急に仕掛けることをせず、用心深く隙を覗っているようだった。
 一方の悠樹たちも消耗が激しい。
 特に鈴音はジークとの戦いで霊力を奪われ、体力も残り少なくなっていた。
 双方とも容易に手を出せない膠着の中で、その異変は起きた。
 ちとせたちの向かった方向から大地を揺るがす程の衝撃が来たのだ。
 『レーヴァテイン』と呼ばれる代物の封印に成功した証拠か、失敗したことが原因なのか。
 それとも、不測の事態が起こったのか。
 先程の異変をどう解釈したものか、鈴音には判断がつきかねた。
 そして、悠樹にも判断できるわけはない。
「わかりません」
 案の定、悠樹にも異変の原因はわからないようだった。
 だが、悠樹は鈴音の顔に涼やかな視線を向ける。
「わかりませんが……」
「オーケー」
 前髪をかき上げて鈴音は微笑み、悠樹の肩を軽く叩いた。
「ちとせたちンとこに行ってやりな。ジジイの足止めは、あたしだけで十分だ」
「いいえ、ぼくが足止めするつもりです。鈴音さん、霊気も体力も空っぽでしょ?」
「空っぽだからさ」
 鈴音が一歩悠樹の前に出る。
 長い髪が悠樹の頬に触れた。
「もし、ちとせたちの身が危険に晒されていても、今のあたしじゃ力になれない」
 振り返らずに鈴音が言う。
 覚悟を決めた鈴音の言葉を受けて、悠樹はあきらめたように軽く息を吐いた。
「わかりました」
「わかったなら、行きな。んで、ちとせたちが無事だったら、早く戻ってきてくれよ」
 鈴音が黒金の鞘から細雪を抜き放つ。
 悠樹が頷いて風を纏って翔ける。
「動くか」
 その悠樹の動きに、対峙していたファーブニルが唸った。
 ファーブニルもまた先程の地震のような衝撃から、真冬ことシンマラが『レーヴァテイン』に関わる何かを引き起こしたのだろうと考えていた。
 すでに封印を解かれた可能性が高い。
 彼にとってもっとも懸念すべきことは、入手すべき『レーヴァテイン』を破壊されることだった。
 ――あの震動は、まさか『レーヴァテイン』が破壊された衝撃なのではないだろうか。
 そう推測していた矢先に、風使いの少年が翔け出したのだ。
 ファーブニルはその動きを牽制しようとしたが、"凍てつく炎"の妹が彼の前に立ちはだかった。
「おい、ジジイ。今からあたし一人がテメーの相手だ」
「ふむ、なるほど、ここでさらに分かれるとは、彼はシンマラの安否を確かめに行くのだな。おまえたちも五里霧中ということか」
「正直言えば、そうだぜ。仲間の状況が目に見えないってのはもどかしいもんだ」
 鈴音が細雪の切っ先をファーブニルに向けながら頷く。
「さっさとテメーをぶっ倒して、あたしもちとせたちのところへ行かせてもらうぜ」
「その体力も霊気も尽きた身体でか?」
「さすがにお見通しかよ。悠樹を手こずらせるだけのことはあるぜ」
 鈴音が老人を睨みつける。
「あの少年を買っているのだな。だが、私もジークを買っている。あやつと戦って無事でいられる者などはいない。だから、おまえが精根尽きていることも容易に見通せる」
「確かに、あのデカブツは強かったぜ。次にやっても勝てるかどうか」
「ほう、ならば、なぜ、とどめを刺さなかった?」
「外道以外を殺るには勢いってものが必要でね」
「しかし、それは二流のやることであろう」
「それなら、あたしは二流なのかもな」
 鈴音は苦笑した。
 別に一流でも二流でもかまわない。
 立つ力を失った戦士に刃を向けることなど、鈴音にはできないのだから。
「それがおまえの正義か」
 老人が鋭い声で問うた。
「愛だよ」
 鈴音は真顔で答え、そして、軽く笑った。
「……な〜んてな。ちとせならそういうふうに茶化すかもな。まあ、ここはその辺を見習わせてもらうぜ、真面目な問答は苦手でね」
「神代ちとせか」
 ファーブニルが唸る。
 神代ちとせ。
 未だ顔を合わせたことはないが、度々名を聞くシンマラの弟子に、彼は興味を惹かれた。
「神代ちとせとは、どういう少女なのだ?」
「はぁ?」
 その質問は、鈴音の意表を突いたもので、彼女は頓狂な声を上げざるを得なかった。
 次いで、老人に殺気がないことに気づき、鈴音は肩をすくめた。
 そして、考え込むように俯く。
「……そうだな」
 しばらくして、鈴音は顔を上げた。
「例えば、今のあたしの取ってる行動、満身創痍の状態で仲間のために敵と戦うというのを見たら怒るな、あいつは」
 それは確実だろう。
 怒った顔が目に浮かぶほどだ。
 ――まったく、鈴音さんは性懲りもなく無理してくれちゃって!
 見た目はふざけたように、或いはまるで歌でも歌うように言いながら、ちとせはきっと心の底から怒るのだ。
 仲間に向かって怒気を発する時に、彼女に悲壮感というものがないような気がする。
 鈴音はちとせに叱られている自分を想像してしまい、危うく吹き出しそうになるのを何とか堪えた。
「それでいて、自分があたしの立場だったら、今のあたしと同じ選択肢を迷わず取る。そういうやつだ。しかも悲壮感なしでな」
 そう、それでいて、神代ちとせは、仲間のために身体を張ることを厭わない。
 それもまた、陽気に言うのだ。
 ――見捨てるなら死んだ方がましだけど、死んでも見捨てない。まあ、死なないけどね。
 しかも、その顔に不敵な笑みを浮かべながら。
 奇しくも、ちとせは実際に今、鈴音の言葉通りの状況にある。
 瀕死の身でありながらちとせは真冬のために盾となっている。
 この場に留まっている鈴音はその事実を知る由もなかったが、彼女の声は確信に満ちていた。
「おっと、それから、もっと重大なことがあったぜ」
 鈴音が目つきを悪くして笑う。
「ちとせは、悠樹が惚れるような女だ」
 いつもロックとの仲をからかわれていることへのちょっとした復讐のつもりで鈴音はそう言った。
 無論、それだけではない。
 八神悠樹という少年の実力を知っているだろうファーブニルに、ちとせを知らしめるのに効果的な言葉でもあるのだ。
「ほう、あの少年が惚れるか」
 ファーブニルは興味深く頷いた。
「……そういうおまえも惚れておるな」
「いや、あたしが惚れてるのは旦那サマだけだぜ。ちとせには惚れてるんじゃなくて毒されているのさ」
 鈴音は自分の惚気具合に自分で赤面し、そして、これもちとせの毒だなと自己完結して笑った。
 それから、あることに思い当たり、鈴音は笑みを消して顔をしかめた。
 ちとせに惚れているのは、悠樹だけではない。
「そういえば、テメーらのとこのシギュン・グラムもちとせにぞっこんだったな」
 ――モテ過ぎだな、ちとせ。
 モテるには、悪い相手だ。
 "氷の魔狼"シギュン・グラムがちとせを気に入っていると言っても、それは獲物としてなのだ。
 命を狙われるちとせにとっては迷惑でしかない。
 もし、できることならば、代わってやりたいと鈴音は思っている。
 闇に生まれた狩人の相手なら、ちとせより退魔師の家系に生まれた自分の方が何倍も経験が豊富なのだ。
 だが、ちとせは鈴音に向かって代わってくれなどという泣き言は決して言わないし、シギュンの襲撃にあったとしても鈴音を積極的には巻き込もうとはしないはずだ。
 そこに入り込める者がいるとすれば、それこそ悠樹だけだろうということも、鈴音は理解している。
 鈴音が気を引き締め直して細雪の柄を握る手に力を込める。
「"氷の魔狼"とやらには忠告してやりたいとこだがな。ちとせにあまり惚れると自慢の氷が溶けちまうぞってよ」
「……」
 ファーブニルは苦い顔をした。
 シギュン・グラムが神代ちとせを狙っているのは承知している。
 そして、"氷の魔狼"が、シルビアとラーンを眼中にさえ入れていないことも知っていた。
 今聞いた限りでは、確かに神代ちとせは興味深い性格の少女なのだろう。
 だが、ファーブニルから見れば、シルビアもラーンも負けていない。
 彼女たちの保護者的な立場も手伝って、彼にはそう思えた。
 彼女たちが時折見せる少女の素顔は魅力的なのだから。
 その素顔を仮面で覆いつくしたのは、シンマラの裏切りなのだ。
「シンマラよ」
 ――なぜ二人を見捨てた。
「シンマラ?」
 鈴音が不審そうに聞き返す。
「真冬のことか?」
「……そうだ。おまえたちのいう"真冬先生"が、『ヴィーグリーズ』を裏切ったことは知っていよう。シルビアとラーンが愛弟子であったことも」
「ああ、本人から聞いてるぜ」
「シンマラは『ヴィーグリーズ』から逃げる際に二人を連れて逃げることもできたのだ。だが、あやつはそうはしなかった」
 ファーブニルは感情が激してきたのを自分で感じていた。
「愛しく想うからこそ連れて行けなかった。おまえたちはそう言うかも知れん。だが、本当に愛しければ連れて行くべきだったのだ。そうでなければ、せめて自分の考えを語り、彼女たちの意志で同行するかどうかを選ばせるべきだったのだ。あやつの裏切りが、いや、逃亡が二人の少女を歪めたのは間違いないのだ。私は、それが口惜しくてならぬ」
「爺さん、あんた……」
 鈴音のファーブニルを見る目が穏やかなものへと変わっている。
 彼女は敵愾心を大きく殺がれていた。
 ファーブニルは大きく息を吐いた。
「敵であるおまえに詮無いことを言ったな」
 ファーブニルは自分の言ったことが結果論であることを理解している。
 歪んでしまった師弟の関係を惜しみ、そして歪んでしまった少女たちを助けてやりたかった。
 自分にはそれができない。
 老人には、それがたまらなく悔しくてならないのだ。
「爺さん、満身創痍のあたしが不利な状況なのはわかってるつもりだが、あえて言わせてもらうぜ」
 ファーブニルに切っ先を向けていた細雪を黒金の鞘に納め、鈴音が前髪をかき上げる。
「その倒れてるデカブツを連れて退いてくれ」
「足止めのために残ったものの言葉とも思えんな」
「ははっ、そうかもな。だけど、どうにも、あんたと戦う気が失せちまったんでね」
「『レーヴァテイン』をあきらめるわけにはいかぬよ」
 老人は背筋を伸ばし、鈴音に向かって首を横に振った。
「シルビアもラーンも『ヴィーグリーズ』による新世界の創造という崇高な理想には共感しておる。だからこそ、彼女たちは何も語らずに独りで逃亡したシンマラに追い縋ろうとはせず、最愛の人による裏切りで傷ついた心を鋼鉄のヴェールで覆い隠して、幹部であり続けているのだ」
 先程までの激した物言いではなく、荘厳さを感じさせる口調で、ファーブニルが言う。
「私も『ヴィーグリーズ』の幹部として理想実現のためにここへ来たのだ。一時の私情で退くわけにはいかぬ。さあ、刀を抜き直すが良い」
 ファーブニルが両手に魔力を込める。
 鈴音はため息を吐いた。
「……頑固な爺さんだ」
 そして、老人の覚悟を受け止め、愛刀の柄に手を伸ばす。
 身体は限界に近い、そして、闘争心も殺がれている。
 だが、戦うしかない。


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