魂を貪るもの
其の四 災いの杖
6.正義の味方

 密集していた樹木がなくなり、目の前の開けた場所へと、鈴音が一歩進み出る。
 対峙するジークもまた剣を振るうのに十分な空間を得て、前へと進み出た。
 ジークの動きを用心深く目線で追いながら、その視界の端に現れた人造の巨人の姿を確認して、鈴音が舌打ちする。
 悠樹のことは信頼している。
 だが、その人造の巨人が、小山のような威容から見ても、簡単に倒せるような相手ではないことは容易に想像できた。
 それに、その巨人を作り出した老人の実力も侮ることはできない。
 目の前の男をできる限り手早く片付けて、悠樹の加勢をしたい。
 鈴音の想いに呼応するように、手にした細雪の刀身が青白く発光した。
 ジークがその透き通った輝きを見て、唸り声を上げる。
 鈴音が跳んだ。
「でりゃあ!」
 自然に発せられた気合いの声とともに渾身の一撃が放たれた。

 鈴音の攻撃動作の速さにジークが目を見張る。
 ジークの武器は、刃渡り一メートルを超える両手持ちの大剣だ。
 重量のある武器だが、鍛え上げられた身体から想像できるように、ジークの筋力ならば造作もなく扱うことができる。
 ジークも今までの経験から、ある程度の間合いを持てば、軽量武器が相手でも互角に打ち合う自信があった。
 しかし、鈴音の速度は、まるで次元が違う。
 その動きは、ジークが今まで剣を交えてきた猛者の誰よりも速い。
 まさに、閃光。
 咄嗟に大剣で受ける。
 そのまま力任せに押し返そうとしたが、その反撃が間に合わないことをジークはすぐに理解した。
 鈴音が息を吐く間もなく、連続で打ち込んできたからだ。
 そのどれもが、鮮やかで恐ろしく鋭い。
 しかも、単純な連続攻撃ではない。
 ジークの体勢を崩そうとありとあらゆる角度から、時にはフェイントさえ混じった、一瞬でも気を抜けば切り倒される、そういう斬撃を繰り出してくる。
 気づけば、ジークは守勢で目いっぱいとなっていた。
 ――シギュンさまにも匹敵するやも知れぬということだ。
 樹海に入る前に、ファーブニルが言っていた鈴音に対するミリア・レインバックの評を思い出した。
 確かに、これほどの剣技なら、"氷の魔狼"とさえ一歩も引かずに渡り合うこともできるかもしれない。
 だが。
 いや、だからこそ。
「面白い!」
 ジークは笑った。
 これほどの使い手は、そうはいない。
 そう感じた彼の心の底から生じた自然な笑みであった。
 ジークは純粋な戦士だった。
 強い者を求める純粋なる戦士。
 強さだけを見ている。
 判断の基準としてあるものは、相手の技量のみだ。
 それも目に見える形としての強さ。
 たとえ敵であったとしても、その強さが賞賛に値する者に対しては敬意を払う。
 目の前の女は強い。
 男女などという小さなものを超えて、――強い。
「ぬぅあああああぁぁっ!」
 ジークは吠えた。
 彼の逞しい筋肉が軋んだ音を立てる。
 太い腕に、肩に、額に血管が浮き出る。
 膨れ上がった筋肉が大剣で受けている鈴音の細雪を押し返し、弾いた。

 刀を弾かれた鈴音は体勢を崩されるには至らなかったが、すぐにジークの第二撃が来た。
 横薙ぎだ。
「!」
 鈴音は一瞬で、怪力から繰り出された大剣を受け切れないと判断し、舌打ちして後ろへと飛び退る。
 ジークの大剣が、ぶぅんと音を立てて大気を切り裂く。
 空振りとはいえ、その勢いを見た鈴音には、ジークの大剣を一撃でも喰らえばただでは済まないことは簡単に想像できた。
 あの重量武器の前では、筋肉を酷使しないように鍛えられた天武夢幻流の肉体防御力など何の意味もなさない。
 肉を潰され、骨を砕かれ、内臓を破壊されるだけだ。
「見た目通りのバカ力だが、当たらな……!?」
 悪態を吐こうとした鈴音が咄嗟に細雪を正眼に構え、気合いを込める。
 青白い霊気が細雪から溢れ出し、鈴音の前面を覆う。
 だが、それはすぐに何かに切り裂かれるように四散した。
「ぐっ!」
 鈴音の身体に熱い痛みが走る。
 服の前面に水平に傷が走り、裂ける。
 両腕と胸から血が吹き出した。
「くはっ……」
 鈴音が鮮血の溢れ出す胸を左手で抑える。
 傷自体は深くない。
 だが、この副産物は厄介この上ない。
 細雪の霊気で拡散させたからこそ、この程度の傷で済んでいるのだ。
 まともに喰らえば、もっと痛手になっていただろう。
「これだけ離れてて衝撃の刃かよ。バカ力にも程があるな」
「その見えぬ刃を察知して咄嗟に守りに入ったのは、さすがだな」
「ちっ、やりにくい野郎だぜ」
 ――こちとら新婚生活で久しぶりの実戦だってのによ。
 鈴音は心の中で悪態を吐いた。
「もっとやりにくくしてやろう」
「何?」
「ぬおぉぉぉぉぉおおお!」
 ジークが腰を沈め、気合いの雄叫びを上げる。
 同時にジークの肉体が、灰色へと変化を始めた。
 鈴音はジークの変貌に驚いたが、彼が大剣を降ろして無防備な体勢になっているのを見て、刀の柄を握る手に力を込め直した。
 絶好の機会に見えた。
 ――罠か?
 だが、罠にしてもあまりにも無防備すぎる。
 鈴音が地を蹴る。
 そして、一足飛びにジークの懐に入り込んだ。
 刀はすでに横薙ぎの体勢に入っている。
 ジークは動かない。
 罠でも反応できないのなら意味は無い。
 そう考えての最速の飛込みだった。
「はあっ!」
 気合い一閃。
 細雪が、ジークの巨体を薙ぐ。
 だが、その刃は彼の脇腹に微かに食い込んだだけだった。
「オレは特異体質でな」
 ジークは再び笑った。
 バチバチッと脇腹に食い込んだ細雪の刀身が音を立てる。
 細雪の刀身から発せられていた青白い霊気が、ジークの肉体へと吸い込まれていく。
 それだけではない。
 鈴音の身体から沸き立つ霊気も細雪を通してジークの巨体へと流れ込み始める。
「くっ、あっ!?」
 同時に鈴音の全身を虚脱感が襲った。
 足元がよろめく。
 ジークは鈴音の背へと腕を伸ばし、抱き抱えるように押さえ込んだ。
「うぐっ、霊気が……?」
「オレの肉体は霊気を吸収できるのさ。普段はいろいろと支障があるから押さえ込んでいるが、おまえのような強敵相手には遠慮なく解放できるってものだ」
 鈴音を襲う虚脱感が強くなる。
 魂を吸い取られるように身体から力が抜けていく。
「それにオレの筋肉の前では霊気の弱まったただの刀程度なら通じん」
 ジークの鋼鉄の輝きを帯びた両腕がはち切れんばかりに盛り上がる。
 濃密な筋繊維が膨大な熱量を伴った驚異的な力で鈴音の身体を締め上げる。
「ふぬぅぅぅううん!」
「うくっ、ああああぁぁぁっ!?」
 怪力によって締め上げられる激痛に、背骨を軋ませながら鈴音が絶叫を上げる。
 振りほどこうとするが、ジークの両腕は、まるで万力のようにビクともしない。
 首を激しく振りながら、細雪をジークの首筋目掛けて振り下ろす。
 だが、やはり、それも致命傷には程遠い切り傷をつけただけであった。
 反対に鈴音の身体から霊気が吸われ、全身から力が抜ける。
「ぐあああああっ!?」
 その力の抜けた鈴音の身体を二つに折ろうと、ジークの両腕にさらに力が込められる。
「……調子に乗んなぁ!」
 意識を振り絞って、鈴音が左手に霊気を収束させる。
「霊気は効かんぞ」
「んなこたぁ、わかってんだよ!」
 鈴音は溜め込んだ霊気をジークの顔面の前で爆発させた。
 霊気がジークに吸収され、鈴音を襲っている虚脱感が強くなる。
 だが。
「うおおっ!?」
 霊気爆発の閃光がジークの目を焼いた。
 これにはさすがのジークもたまらずに鈴音を放して、よろめいた。
 解放された鈴音は、転がってジークとの間合いを放す。
「げほっ、げほっ……」
 何とか立ち上がった鈴音が苦しげに咳き込む。
 赤いものが混じっている。
「くそっ、バカ力の上に厄介な肉体をしてやがるとはな」
 吐血を握り潰し、ジークを睨みつける鈴音。
 両目頭を抑えていた指を外し、視力の回復具合を確かめるジークの目にその不機嫌そうな鈴音の顔が映る。
「やはり、一筋縄ではいかないようだな」
「これでもダンナがいる身なんだ。新妻さんを無理矢理抱いてくれた代償高くつくぜ」
 血の混じった唾を地面に吐いて、鈴音が前髪をかき上げる。
 細雪を構え直すが、身体中が軋んでいる。
「そうか。それは悪いことをしたな」
 ジークが再び笑った。
 不愉快な笑いではない。
 先程の鈴音の強さを理解した時と同じ、精悍な、そして、純粋さを感じさせる笑いだった。
「何が面白いんだ、テメー?」
「おまえが強いから楽しいのだ」
 ジークの答えを聞いて、不機嫌に歪んでいた鈴音の表情が弱冠柔らかくなる。
 彼は心底戦いを愉しんでいる。
 一流の戦士とはそういうものなのかもしれない。
 鈴音にも自分の中にも強敵と戦う時に沸き起こる高揚感を否定することはできない。
 だが、鈴音は首を横に振った。
「"凍てつく炎の妹"よ、おまえは面白くないのか?」
「悪いな。あたしはもう戦士じゃないのさ。さっきも言ったが、新妻さんでね。戦いより夫婦喧嘩に一喜一憂する身なんだぜ」
 冗談めかして言ったが、鈴音の本心から出た言葉だった。
「なら、なぜ戦いの場に出てきた?」
 ジークが理解できないというように大剣の切っ先を鈴音に向けて問うた。
「あたしは正義の味方でもあるんでね」
「正義の味方?」
「ああ、正義の味方は困った人を見捨てるわけにいかないのさ」
 鈴音の声は静かだったが、樹海の中に良く響いた。
 正義の味方――つまりは、天武夢幻流は、弱い立場の人たちを守るための力だ。
 だから、戦う。
 だが、それは鈴音の建前の一つに過ぎない。
 傷つこうとしている人を放っておけない。
 神代ちとせが困っている。
 豊玉真冬が困っている。
 だから、戦う。
 もし、その困っている人間が見知らぬ者だったとしても、鈴音はやはり戦うだろう。
 それは、彼女の性分なのだ。
 それだけの話だ。
「だから、あたしはここにいるわけよ」
 鈴音の身体と細雪の刀身から透き通った青白い霊気が大量に立ち昇る。
 霊気を高めているのだ。
 ジークがその様子を見て表情を引き締める。
「忠告しておくが、体験した通り霊気は効かんぞ。その刀もな」
「容量オーバーしたことはあるかい?」
 鈴音が唇の端を微かに吊り上げた。
「何?」
「あたしが思うに無限に霊気を食えるってのはないね。許容量超えれば破裂する。そういうもんだろ?」
「なるほど、そうかも知れん。だが、オレも試したことはないな。今まで戦った中にそこまで霊気量のあるヤツはいなかったからな」
「だから、あたしが試してやろうってんだよ」
 不敵に笑いながら、鈴音が全身から噴き出させた霊気を細雪へと収束する。
 刀身を包み込むように霊気の炎が激しく燃え盛る。
「それほどの霊気を放出し続けながら戦う気か?」
「すぐにバテると思うなよ。あたしはタフなのが取り柄でね」
 鈴音の霊気がジークの容量を超えるか、それとも鈴音が力尽きるのか先か。
 ジークの身体が霊気をどれほど吸収できるかわからない以上、圧倒的に鈴音が不利であった。
 鈴音は大量に霊気を消費しながら戦わねばならないが、ジークは鈴音を倒すのには霊気を消費する必要ない。
 極論を言えば、ジークは鈴音を先程のように捕まえてしまっても良いし、大剣の攻撃で打ち倒してしまっても良いのだ。
「背水の陣というわけでもなかろうが、その精神力は見上げたものだ。良いだろう、かかって来な!」
「ああ、言われなくても、な!」
 細雪から霊気の炎を引きながら、鈴音は再びジークへと向かって神速で駆けた。


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