魂を貪るもの
其の四 災いの杖
3.加速

 シルビアの襲撃から一日が過ぎた。
 真っ赤なアルファロメオが道路を走り抜けていく。
 運転しているのは、この車の持ち主でもある真冬だ。
 隣には鈴音、後部座席には、ちとせと悠樹が座っている。
 猫ヶ崎高校は事件の事後処理のために一時休校となってしまっており、真冬もちとせたちも負っている怪我を追求されることもなかった。
 幸いというわけではないが、身を縛られることもなく、彼女たちは行動に移ることができた。
 目的地は、真冬だけが知っている。
 真っ赤な車は目立つ。
 しかし、公共の交通機関では目的地を知られる可能性があるし、襲撃された時に他の人々を巻き込むことにもなる。
 シルビアとラーンの先走りと思われるとはいえ、真昼に猫ヶ崎高校という公的な空間で襲われた事実がある以上、できる限り関係のない人間との接触は避けたい。
 そして、時間の勝負とも言える。
 『ヴィーグリーズ』に気づかれる前に。
 気づかれたとしても襲撃を受ける前に。
「ちょっ、急いでるのは当然だけど、もんのすごいスピードよね」
 ちとせが狭い後部座席から窓の外に視線を向けて、引き攣った笑いを浮かべる。
 風景が風景と認識されないほどの速さで線のように流れて行く。
「絶対スピード違反だね、これ」
「さすがに、これは……」
 悠樹も青い顔をして頷く。
「せ、先生ってスピード狂?」
 滅多に余裕の態度を崩さないちとせも、加速の重圧に目を白黒させている。
 真冬の華麗なハンドル捌きは賞賛ものだったが、実際に賞賛する余裕などない。
 戦い以外で「生きた心地もしない」という気持ちを味わうことになっている。
 しかも、速度を下げるように言っても、真冬は首を縦に振らなかった。
「時間が惜しい。そして、こういう時にこそ、車の性能を存分に引き出すべきだと思うな」
 そう言って、アクセルをいっぱいまで踏み込んだ。
 エンジンが唸りをあげる。
 「うげっ!」と蛙が潰れたような声を上げたのは、ちとせか、悠樹か。
 それとも両方か。
 鈴音は平気そうだった。
 まったく動じた様子を見せずに、正面から流れてくる景色に目をやっている。
「なかなかイイ速度だな」
「何か、もう一人スピード狂が……」
 圧力に耐えるように脚を突っ張りながら、ちとせと悠樹が顔を見合わせる。
 目的地に着くまで踏ん張り続けた二人の顔から引き攣れが取れることはなかった。

 空が赤く染まっている。
 目的地に到着した時には、すでに日は傾きかけていた。
「仙猫山じゃないですか」
 高速で走り続けた真紅の車体が止められたのは、仙猫山と呼ばれる山の付近であった。
 仙猫山は、猫ヶ崎の最高峰である猫ヶ崎山には及ばないものの、かなりの標高を誇っている。
 そして、その裾野には猫ヶ崎樹海と呼ばれる大森林が広がっている。
「封印の場所って、まさか樹海の?」
 首を傾げるちとせに真冬が頷く。
「奥だ」
「先生の炎、ここだと危なくないですか」
「もちろん極力使いたくはない。まったく、今になると、我ながらなかなか難儀な場所を選んでしまったと思うが、ここは封印のための霊力が充実しているからな。それに猫ヶ崎樹海は、樹齢千年以上の霊木が多くあるから霊気の流れが複雑になっている。封印の場所も簡単には探知できないという利点もあったんでね」
 ちとせの素朴な疑問に、真冬は苦笑で答えた。
 真冬一人での戦いでは地形の相性は悪くなるが、封印の場所としてはこの上がない適正があったというわけだ。
「何より、『レーヴァテイン』を壊すという考えが無かったから封印を解きに来るつもりがなかったからな」
「もし襲撃とかがあったら、ボクたちがセンセをフォローしないとね」
「戦いになっても、あたしに任せろって」
 鈴音が腰に帯びた黒金の鞘の具合を確かめる。
 姉から継いだ神刀・細雪。
 織田家の家宝として、人々を不幸から守るための刀だ。
「まあ、襲撃がある前に、すぐに終わらせちまえば済む話だけどな。そのために急いできたんだからよ」
「んじゃあ、さっさと行きますか」
 ちとせたちは頷き合って、樹海へと目を向けた。

「ふむ」
 微かな霊気の残り香に老人が頷く。
 老人――ファーブニルは、無闇にシンマラを探し回るのではなく、猫ヶ崎山や爪研川をはじめとする幾つかの霊力の強い場を候補に上げ、監視を配していた。
 そのうちの一つである猫ヶ崎樹海から、シンマラらしき人影を捉えたとの報告を受け、現地に赴いてきた所だ。
「ご命令に従って後を追いませんでしたが、一行が森の中へ入ったのは間違いありません」
 監視に配した部下たちが老人へと四人組の男女が樹海の中に姿を消したとの状況を伝える。
 近くの路上でシンマラの所有らしい赤い外車も見つかっている。
 部下たちにはシンマラの姿を確認したとしても手を出さずに樹海の入り口で待機しているようにと命じてあった。
 封印の正確な場所と開封の方法はシンマラだけが知っているはずだ。
 部下たちではシンマラとの実力が違いすぎ、下手に手を出して警戒を強められれば近づくのも容易ではなくなる。
「シンマラの霊気に間違いあるまい。なるほど、この樹海で当たりのようだ」
 ファーブニルの傍らに立っている堂々とした体躯の若者が森の奥へ眼を向ける。
 精悍な顔立ち、日焼けした皮膚、太い首、盛り上がった大胸筋、枯れ木のような老人と並んでいると巨木のようにも見える。
 若者が筋肉の良く発達した太い腕を組んで老人に首だけで振り向く。
「老よ、シンマラの霊気が入り口で途切れている。中の気配が読めないが?」
「立ち並ぶ霊木のせいで霊感が働きにくいのだろう。万が一この樹海内に立ち入っても、封印の正確な場所を知られぬには好都合というわけだ。シンマラめ、さすがに考えておるようだな」
 老人は顎鬚をしごきながら目を細めた。
「さて、霊気が辿れぬとはいえ、ここでこうしていても仕方がない。我々も行くとしようかのう、ジーク」
 傍らの若者を眼で促し、老人がゆっくりと森へと歩を進め始める。
 ジークと呼ばれた若者が大股で老人へ追いつき、その横へ並んだ。
「しかし、本当に良いのか、老よ。あの赤毛のガキは納得するまい」
「確かにシルビアには恨まれような」
 ジークの問いに答える老人の顔は苦虫を潰したようであった。
 老人は、『ヴィーグリーズ』に忠誠を誓っている。
 ランディ・ウェルザーズという指揮官の下、世界を古い運命の呪縛から開放し、強きものたちの新しい世界を創造するための組織。
 総帥であるランディ自身も有能な男ではあったが、それよりも新しい世界の創造という思想に感銘を受けた。
 彼が、『ヴィーグリーズ』に籍を置いている最大の理由は、その思想に魅力を感じているからだ。
 だが、シンマラが置いていった二人の少女のことを考えると老人は複雑な心境になった。
 新しい世界には、若い力が必要なのだ。
 自分のような老人ばかりが生き残っても仕方がない。
 彼女たちは新しい世界を構築するために強くなれる素質も、覇気もあった。
 そして、シンマラにはその若者たちを指導するだけの力があったはずだ。
 だからこそ、たとえその時に意見が衝突しても、たとえ『ヴィーグリーズ』の追跡の危険に巻き込もうと、シンマラは愛弟子二人を共に連れて行ってやるべきだったのだ。
 『ヴィーグリーズ』に身を置き、組織に忠誠を誓っても尚、憔悴したラーンや昏睡しているシルビアの姿を見て、老人はその思いを強くせざるをえない。
 しかし、上層部からの命令は別だ。
 心苦しくても遂行せねばならない。
「私がシルビアとラーンの面倒を見ているのは私事に過ぎん。組織の命令には従わねばならん」
「余計なことを訊いたようだ。ならば、オレは力いっぱい戦うことだけを考えよう」
「シンマラ以外はお前に任せよう。織田家の生き残りの娘ならば、おまえでも楽しめよう」
「"凍てつく炎"か?」
 織田家という名に興味を惹かれたようにジークの目が光った。
 天下無双の破邪武術である天武夢幻流、その使い手こそが織田家であり、その末裔である"凍てつく炎"織田霧刃は裏世界最強とまでいわれていた。
 その織田霧刃は、『ヴィーグリーズ』の旧本拠『ヴァルハラ』の崩壊に巻き込まれて生死不明となっているはずだ。
 だが、もし霧刃が生きているというならば、そして、敵として立ちはだかるというならば、剣を交えたいとジークは思っている。
 それは、強者と戦いたいというジークの戦士としての本能だった。
「いや、その妹だ。"凍てつく炎"の所在は未だ掴めていない。生きている証拠もない、亡骸も見つからぬでは、な」
「"凍てつく炎"の妹か。……名は確か織田鈴音だったな」
「そうだ。レインバックの話では、その実力はシギュンさまにも匹敵するやも知れぬということだが」
 ファーブニル老人が顔つきの変わったジークへと説明を付け足した。
「それほどか。いや、武勇に関してのレインバックの見立ては甘いからな」
 シギュン・グラムほど強く美しい女がそうそういてたまるものかというように、ジークはやや不満そうな表情を浮かべる。
 彼は純粋な戦士としての直情直行な性格からか、小難しいことが嫌いな男だった。
 目に見える形で戦闘力の優れたシギュンには好感を持っていても、謀略に長けたミリア・レインバックに対してはあまり良い印象は持っていない。
「レインバックは苦手かの?」
「ああ、あの女は好かん」
 ジークのきっぱりとした答えに、老人は苦笑するしかなかった。
 だが、ファーブニルは、彼のこの若者らしい一本気さを気に入っていた。
「今回はレインバックの言う通りの実力を織田鈴音に期待しても間違いはあるまいよ。『ヴァルハラ』の崩壊の戦いでは、姉の"凍てつく炎"を破っているとの話だぞ。無論、それで姉より強いとは言い切れんがな」
「フン、シンマラと言い、"凍てつく炎"と言い、その妹と言い、どうにも強い女が多いな」
「霊的な力は女性ほど高まりやすいのだ。子を産むという神秘の儀式を行なうことができるゆえにな。その代わり肉体の強者は男に多い。強い子孫を残すために」
「オレのようにか」
「そうだ。"凍てつく炎"の妹もなかなか頑健だという話だが、肉体的強者としてはおまえに遥かに及ばないだろう」
「オレはただ強いものと戦えればそれで良いさ。それが男か女かは二の次だ」
 ――強いもの、か。
 老人は静かに考える。
 ジークは単純に戦いにおける経験や技量を以って、それを考えているのだろう。
 それは戦いの中に身を置くものたちに共通する認識だろう。
 そして、戦士というものは、強いものを求めるのが常だ。
 本能と言っても良いだろう。
 だが、シギュン・グラムは、自分よりも遥かに弱いであろう神代ちとせにこだわり続けている。
 右腕を奪われたという屈辱と、それ以上に彼女の興味を引く何かが、神代ちとせにはあるのだろう。
 一方で、敵対心剥き出しのシルビア・スカジィルには一顧だにしない。
 どちらも、シンマラの教え子であるはずなのに。
 『ヴィーグリーズ』を抜ける前と、抜けた後の教え子。
 もし、そこに差があるのなら、シルビアやラーンに対するシンマラの罪はやはり重いのではないか。
 しかし、自分は糾弾者ではない。
 追跡者なのだ。
「何にせよ、シンマラを捕えれば良いのだ」
 老人は自分に言い聞かせるように呟き、ジークとともに霊樹の立ち並ぶ森に足を踏み入れた。


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