魂を貪るもの
其の四 災いの杖
2.相談

「いたたっ、んもう、最近ケガばっかりだね」
 ちとせは身体中に走る痛みに顔をしかめながらも、傷の具合を確かめるように腕を動かす。
 全身包帯とまではいかないが、身体中に包帯とガーゼを貼り付けている。
「姉さんも出し惜しみしないで全快させてくれればいいのに」
「ダメです。自然治癒力が下がります」
 葵が間髪いれずにちとせの意見を却下した。
「でもでも、嫁入り前に傷物はキツイよ?」
「身体に残るような傷は治癒してあります」
「ううっ、姉さんにはかなわないね」
 肩をすくめるちとせ。
 軽口が言えるようなら問題ない。
 葵の顔に安堵の微笑みが浮かぶ。
 真冬は眼鏡の縁を指で押し上げた。
 美しく、長い睫毛が揺らぐ。
「ちとせくん、すまなかったな。これから今後についての話をしようと思うのだが、辛かったら無理はしないでくれよ」
「ダイジョブですよ」
 目を伏せる真冬に対して、片目を瞑って見せるちとせ。
 悠樹が横から口を出す。
「ちとせは頑丈ですから」
「失礼ね、柔らかいわよ」
「何がだよ?」
 と言ったのは悠樹ではない。
 鈴音だ。
 鈴音は甘い。
 ここで、そういう反応をすると遊ばれる。
 悠樹はそう思っている。
 自分は別にちとせに遊ばれても良かったが、その前に鈴音が無防備に反応してしまった。
 鈴音の場合は、一方的に、からかわれるだけだろう。
 案の定、ちとせが半眼を鈴音へと向けた。
「鈴音さんも、やっわらかいでしょ」
「なっぬっをっ!?」
 咄嗟の言葉が出ずに口をパクパクとさせる鈴音。
 結婚してからは新妻ネタで散々ちとせたちにいじられて、それなりに免疫がついてきたものの、やはりこういうからかいには弱い。
 戦士としてではなく、一人の女性としての彼女は、純情ゆえに切り返せるだけの機転が利かないのだ。
「プロポーションも抜群だしね、うん。おっきいし」
 両手の指をわきわきと動かすちとせ。
 その目線は、明らかに鈴音の豊かな胸に注がれている。
「ロックさんも幸せよね☆」
「!」
 鈴音の顔が耳まで真っ赤に染まる。
 そして、ブルブルと肩を震わせた。
「ラブラブ新婚生活憧れちゃうなぁ」
 猫のように笑うちとせ。
 そこへ、有無を言わさずの鈴音のストレートパンチが空気を切り裂く音を伴って飛来した。
「いいっ!?」
 ちとせは間一髪で避けたが、拳が掠った前髪が数本宙に舞った。
 容赦なしの必殺の拳。
「す、鈴音さん、もしかして怒ってらっしゃいます?」
「怒ってるに決まってるだろうがァァァッ!!」
「うわああっ、マジギレ!?」
 顔を引き攣らせるちとせに向かって、目を怒らせた鈴音の鉄拳が唸りを上げる。
 まさに、その時。
「あらあら、先生のお話は静かに聞くものですよ、二人とも」
 朗らかな声が響き渡った。
 葵だ。
 あまりにも柔らかな声に虚を突かれて、動きを止める鈴音。
 葵はいつもと同じ人に安心感を与える穏やかな微笑みを湛えている。
 この人は状況を理解しているのか、理解してないのか。
 少なくとも流されてはいない。
「あっ、う、ん……」
 葵の顔を見て、鈴音は頷き、拳を納め、静かに席に戻った。
 彼女も、どうにも葵には弱い。
 天然というか何と言うか、それこそ、柔らかいのである。
 ちとせも調子が狂ったのか、大人しくしている。
 常々口にしている「姉さんにはかなわないね」というのは、どうやら彼女の本音らしい。
 ぱんっ。
 拍手を打つように、葵が両手を叩いた。
 本職が神職だけに、快い音が響く。
「静かになりましたね。では、先生、お話の続きをお願いします」
「あ、ああ……」
 葵のマイペースぶりに多少戸惑いながらも、真冬が頷く。
 とにもかくにも静かにはなったが、その分、全員の視線が集中しているのを意識せざるをえない。
 教師であるから注目される視線には慣れているつもりなのだが、この場合、どうにも間が悪い。
 流れの持って行き方が強引なのだから仕方がないのだが。
 黒縁眼鏡の縁を指で押し上げ、こほんっと一つ咳払い。
 真冬は意を決した。
「今回の件で守りに徹することは難しいとわかった。白昼堂々、学校にまで襲撃をしてくるとは思わなかった。ちとせくんを危険に晒したのは、シルビアを甘く見た私の責任だ」
「センセ、どうせ、ボクもシギュン・グラムには狙われてるんだし。甘く見たのは全員同じ。それに学校に行こうといったのはボクだしね。気にしないでってば」
 腰に手を当てて、笑顔を浮かべながら首を縦に振る。
 ちとせは本当に何も気にしてないような口振りだった。
「しかし」
「ちとせ、気にしないということも時と場合によります」
 後悔の念も露わに反論をしようとした真冬を見て、葵がちとせの肩に手を置く。
 その顔から微笑みは消えていない。
「先生には、ちとせが酷い目にあったことを気にしてもらう責任があります」
「姉さん!?」
 葵の口を出た言葉に、ちとせがびっくりしたように目を丸くする。
 決して冷たい口調ではなかったが、葵の言葉は重い。
 真冬の心にずしりと響き、そして突き刺さった。
 だが、それは痛みを伴わない不思議な響きを帯びていた。
「しかし、自覚して反省しているならそれは罪ではありません。そして、それは先生だけでなく、私たち全員に言えることです」
「申し訳ない」
 真冬がちとせと、そして葵に頭を下げる。
 真冬にとって謝罪は必要なものだった。
 ちとせは真冬の心を察してはぐらかそうとしたが、葵は真冬の心苦しさを見抜いて、わざと謝らせ、ちとせにそれを受け入れさせた。
 ――姉さんにはかなわないね。
 ちとせが心の中でもう一度呟き、笑顔のまま大きく息を吐く。
 真冬は自己満足だと自覚しながらも、心が少し軽くなったのを感じていた。
「今回のような件が続けば、私たちは疲弊するだけだ。つまり長期戦は不利になる」
 真冬が悠樹の顔を見た。
 涼しい顔だ。
 彼は真冬の言いたいことを知っている。
 真冬に意見を提案したのが、彼自身なのだから当たり前だ。
 しかし、悠樹は何も言わない。
 何も言わないが、真冬には彼の声が聞こえてくるような気がした。
 助言はしたけど決めたのは先生自身です。
 ぼくはそれに従うし、皆も反対はしないでしょう。
「だから、『レーヴァテイン』を破壊しようと思う」
「破壊?」
 ちとせが唖然として呟いた。
 真冬と悠樹以外の人間は首を傾げている。
 そして理解が浸透するとその表情は驚きへと変わった。
 真冬は話を続けた。
「文字通り破壊、つまりは壊すということだ。もちろん、これで、『ヴィーグリーズ』から狙われなくなるわけではない。だが、『魔界』の浮上という最悪の未来は防げるだろう」
 破壊されたものは、また作れば良い。
 一度、『レーヴァテイン』を完成させた真冬にはそれが可能なのだ。
 『ヴィーグリーズ』は決して、あきらめないだろう。
 特にシルビアやラーンは『レーヴァテイン』がなくなったというだけで真冬を逃すはずもない。
 ちとせにしても、そうだ。
 シギュン・グラムは、『プロジェクト・ムスペルヘイム』とはまったく関係なく彼女を狙っている。
 リスクは減るだけで、決して無くなりはしないのだ。
 それでも、破壊する。
 過去の過ちをこの手で清算する。
 そう真冬は決めたのだ。
「しかし、動くことで『レーヴァテイン』の所在を知られる可能性もあるんじゃないですか」
 ちとせが真冬の顔を見る。
 真冬の意見に反対ではない。
 確認しているというような口調だった。
「無論、それはある。だが、封印は私にしか解けない。危険を感じれば封印は解かないし、封印を解き次第、破壊してしまえばリスクは最小限に抑えられるだろう」
 眼鏡の縁を押し上げて真冬が言う。
「そゆことならボクは賛成だね☆」
「あたしもだ。もともと待つのは苦手だからな」
 ちとせが頷き、鈴音も賛同する。
 その後にちとせがまた大きく頷いて、鈴音を見た。
「デート以外はね」
「ちとせ……」
 鈴音の額に青筋が浮かぶ。
「鈴音さん、怒らないでよ。話が進まないから」
「怒らせてるのはおまえだろうがァァッ!」
「ボクはケガ人だよ。暴力反対ッ!!」
「あたしはケガ人だろうが容赦しねぇ!」
「それが正義を掲げる天武夢幻流後継者のセリフ!?」
「うるさい。細雪の切れ味試してやる!」
「ちょっ、まっ、ロックさん助けてぇ!」
「ロックに助けを求めるんじゃねえ!」
「あれ、もしかして妬いてる?」
「なっ、ぐっ、まだ言うかぁっ!」
 慌てて厨房へと逃げ込むちとせを、鈴音が黒金の鞘を手に追いかける。
 喧騒をよそに、葵がお茶を啜りながら、「私も賛成ですわ」とおっとりと首を縦に振った。
 どうやら話が終わったということで、ちとせと鈴音の間に割って入るつもりはないらしい。
 慣れているのか、後ろの騒ぎにはまったく動じていない。
 悠樹も我関せずとばかりに、真冬の湯飲みにお茶を注いだ。
「ほら、先生、ちとせは頑丈でしょう。いろいろな意味で」
「そ、そうだな……」
「まあ、お茶でもどうぞ。落ち着きますよ」
「そ、そうだな……」
「先生、眼鏡曇ってますよ」
「そ、そうだな……」
 真冬は頬を引き攣らせながら、お茶の湯気で曇った眼鏡を外した。


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