魂を貪るもの
其の三 軋轢
4.天の涙

 殴打、殴打、殴打。
 シルビアが狂ったように、水で形成された鎖に吊るされたちとせを殴りつけていた。
 まさに、暴力の嵐。
 顔も、胸も、腹も、背も、殴れる箇所は所構わず、殴りつけている。
 肉と骨が軋む嫌な音が響く度にちとせの口から苦痛に耐える呻きが漏れる。
 その合間にシルビアの尋問口調の甲高い声が鳴るが、それらがラーンの張った結界に包まれた屋上から洩れることはない。
 責められ続けているちとせの姿は無惨であった。
 彼女に憧れる陸上部の後輩や彼女に好意を寄せる女生徒が見たらショックで失神しかねないほどに、痛めつけられている。
 清潔感の溢れていた白いブラウスは血と汗でぐっしょりと濡れ、柔らかなプリーツスカートの裾もズタズタに裂けてピンク色を基調とした下着が見え隠れしている。
 身体中に痣や傷が刻まれ、足もとには吐血と全身から流れる血によって少なくない血溜まりができていた。
 だが、苛烈な拷問によって何度も意識を刈られ、生命を削られても尚、ちとせの目から力は失われていない。
 絶え間なく襲ってくる暴虐を、身悶えながらも歯を食いしばって耐え続けていた。

「オラァ!」
 怒号とともに大きく振りかぶったシルビアの拳が、ちとせの腹を穿つ。
「かはぁっ!」
 肉体に打ち込まれた凶弾に内臓を圧迫され、ちとせが苦悶に身を震わせた。
「げほっ……、げほっ……」
 咳き込むちとせのポニーテールが掴まれ、無理矢理に顔を引き起こされる。
 その頬を殴打され、唇から血がまるで霧のように飛ぶが、鎖で吊るされているために倒れることさえ許されない。
 さらに左右から二度三度と殴りつけられ、ちとせが項垂れる。
「うぅっ……」
 唇の端から新たな朱線が流れ落ちる。
 ちとせの形の良い顎が掴まれ、無理矢理に上へ向けられる。
 その顔が、苦痛に絞り出された汗に濡れ、苦悶に歪んでいるのを見て、シルビアが残酷な笑みを浮かべた。
「吐け、シンマラの居場所を!」
「言うわけ……ないでしょ……!」
 屈しないという意志を示すように、ちとせが血の混じった唾をシルビアの顔に吐きかける。
「なっ!?」
 その侮辱の唾を拭い取ったシルビアの柳眉が逆立つ。
「こ、このクソアマァッ!」
 激情に駆られたシルビアの拳が、ちとせの鳩尾に鈍い音を立てて深く埋まった。
「ごほごほっ……、うっ、あっ……」
 咳とともに血の欠片を吐き出して、ちとせが呻き声を上げるが、怒りに燃えるシルビアは狂ったようにボディブロウの連打を浴びせる。
 何発もの左右の拳が拘束されてガードもできないちとせの腹へと容赦なく炸裂する。
 一撃一撃が鳩尾や下腹部を深く抉り、肉体へ深刻なダメージを刻んでいく。
「あくぅっ、あああっ!」
「オラァ!」
「がはっ!」
 空気とともに紅の迸りを口から吐き、ちとせの頭が前のめりに力なく垂れた。
 意識を手放したちとせの全身から力が抜けるが、水の戒めは彼女に倒れることを許さず、体重を委ねられた水の鎖が手首に食い込む。
 この壮絶な拷問が始まってから、もう何度目の失神かもわからない。
 だが、怒りを双眸に宿したシルビアは、この程度では許しはしなかった。
「何勝手にイッてんだよ。ラーン、水をぶっ掛けて起こしな!」
 後ろに控えているラーンに向かって怒りを込めたまま荒々しく呼びかける。
 頷きはしたものの、いつも冷静なはずのラーンの顔に微かな憂いが現れていた。
 この場でちとせを拷問に掛け続けることに彼女は乗り気ではない。
 拷問自体は構わない。
 シンマラの居場所を吐かせるためだし、シルビアと自分を裏切ったシンマラへの報いでもある。
 だが、場所が悪い。
 シギュン・グラムに騒ぎを起こすなと、出撃前にラーンは釘を刺されている。
 今後の『ヴィーグリーズ』の行動に不利になるような騒ぎを起こすわけにはいかないのだ。
 しかし、もしこの場にちとせの仲間が現れれば、騒ぎになるのは明白だ。
 それが、追い求めるシンマラであったとしても、今は出会いたくないというのがラーンの本音なのだ。
 だが、今の頭に血が上っているシルビアを止めることは彼女にはできなかった。
 落ち着きを取り戻すまでシルビアの好きにさせるしかない。
 彼女と付き合いの長いラーンはそう思っている。
 ラーンが憂いを帯びたまま片手を上げると、ちとせの周りに冷水が発生し、その全身へと浴びせられた。
 呻きながら安楽の失神から無理矢理に地獄へと引き戻させられるちとせ。
「うぁ……、くっ……、ごほごほっ……!」
「オラァ、しっかり目を覚ませよ!」
 シルビアが大きく振りかぶった拳が、濡れて透けたブラウスから浮き出たピンク色を基調としたブラジャーに包まれたちとせの左胸に突き刺さった。
 容赦のない強烈な拳によって女性の象徴でもあるふくらみが潰される。
「あぐぅっ、ああああああっ!」
 左胸を襲った激痛に、ちとせの意識は一気に覚醒した。
「かっ、はっ!」
「感度良好じゃん、アハハハッ!」
 シルビアがけたたましく笑いながら、ちとせの左胸に打ち込んだ拳を捻りながら押し込む。
 胸を磨り潰され、ちとせが両目を見開いて苦痛の喘ぎ声を上げる。
「うっ……あっ……ああっ……!」
 ちとせの苦悶の表情に嗜虐心を刺激され、シルビアが舌なめずりする。
「せっかくだから、もっと痛めつけてやるよ」
 水でびしょびしょに濡れたちとせのブラウスに手を伸ばしてビリビリに引き裂く。
 ピンク色を基調として黒色の刺繍が施された可愛いデザインのブラジャーに包まれた高校生にしては深い谷間のある豊かな胸と、陸上部のエーススプリンターとして部活動に励んでいる賜物の引き締ったウェストが露わになる。
 シルビアが唇の端を吊り上げ、ちとせの形の良い両胸のふくらみに両手のひらを被せた。
「たっぷりと潰してやるぜぇ!」
 毟り取らんばかりの勢いで豊かな乳房を握り潰され、凄まじい激痛がちとせの脳天に突き抜ける。
「うわあああっ!?」
「もぎとられたくなかったら、シンマラの居場所を吐きな!」
 ちとせは屈する様子を見せず、荒い息を吐きながらも気丈にシルビアを睨みつけた。
「はぁ、はぁ、はぁっ………、誰が……、言うもんかっ!」
 真冬はこの学校にいる。
 それがばれるのは時間の問題だろう。
 だからといってそのことを積極的に教える気は微塵もなかった。
 言えばきっと真冬は不意を討たれてしまう。
 恩師を売るような真似をできるわけがない。
 何よりシルビアの暴虐に屈することを、ちとせの正義感が許さなかった。
「ちっ!」
 シルビアが舌打ちして、ちとせの両胸を締め上げる両手に力を込め直す。
 今まで以上の握力で指が下着に突き刺さり、ちとせが絶叫を上げる。
「うううっ、うぐぅっ、うああああっ!」
 嫉妬と憎悪が込められているだけに、シルビアの圧搾には一切の容赦がない。
 深々と食い込んだ指の間から、圧力で変形した下着と胸のふくらみが顔を覗かせる。
 ちとせが首を振って悶えるが、それで胸を潰される激痛が否定されるものでもない。
 しかも、今度のシルビアの責めはちとせの両胸を無惨に崩すだけに終わらなかった。
「泣き喚けよ」
 シルビアの両手で毒々しい光が弾けた。
 バチバチと凶悪な音を立てて雷光が、鷲掴みにされた両胸からちとせの全身に流し込まれる。
「きゃああああああああああああっ!?」
 全身を貫く電気ショックに、ちとせは髪を振り乱して絶叫を上げた。
 電熱の駆け巡る痛苦に大きく身を反らして激しく身悶えるが、拘束された上に胸を鷲掴みにされているちとせに地獄から逃れる術はない。
 全身をバラバラにされるような激痛に、意識が焼けついていく。
「あああっ、うあああああああっ!」
 頭の中と視界が真っ白に染まりかけたところで、ちとせからシルビアが手を放す。
 力尽きたように全身を弛緩させ、ちとせが喘ぎ声を上げる。
「はぐっ、あっ……、はぁ……、はぁ……、うぅっ……」
「ほら、もう一回いくぜぇ?」
「うっ!」
 ぐったりとしているちとせの両胸を掴み直して笑うシルビア。
 再び女性の象徴を痛めつけられる苦痛に、首を横に振るちとせ。
「や、め……、ろ……」
「やめて欲しかったら、早く吐いちまいな!」
 ちとせの胸の谷間を広げるように、シルビアが鷲掴んでいる左右のふくらみを外側へ向けて捻り上げる。
「はぐぅっ!」
「オラァッ!」
「……あくっ……う……あ……」
「ほらほら、千切れちまうぜェ?」
 両胸を握り潰され、捻じり回される地獄の苦しみを味わっている少女の顔をシルビアが嗜虐の笑みを浮かべて覗き込む。
 しかし、ちとせは泣き叫びたい苦痛を噛み殺し、逆に余裕ともいえる笑顔を浮かべ、そして、一言呟いた。
「ば〜か」
「ふ、ふざけんじゃねェ!」
 シルビアの額に青筋が走り、その手を電撃が駆け抜ける。
 再びちとせの両胸で電撃が弾ける。
「うあっ、うああああっ、あああああぁぁぁっ!」
 握り潰された胸から電撃を再注入され、ちとせが絶叫を上げる。
 全身が砕けそうなほどの激痛。
 視界が点滅し、意識が明滅する。
 両胸を電磁の網が覆い尽くし、電熱の刃が弾けるように荒れ狂う。
 ついに鷲掴みにされているブラジャーが電熱に焦げ、黒煙が上がり始める。
 激痛に一段と大きく反らした身体が強張る。
「あぐっ、ああっ、きゃああああああああああああああっ!」
 そして、長い長い絶叫の後、糸が切れた人形のようにがくりと項垂れた。
 雷獣に両胸を食い千切られるが如き壮絶な苦痛を浴び続けるこの凄まじい電撃拷問を受けては、気を失わないわけがない。
 シルビアが舌打ちし、右手でちとせの髪の毛を掴んで無理矢理に上を向かせる。
「ちっ、またイキやがったか。オラ、起きろよ」
 反応のないちとせに苛ついたシルビアが無理矢理にでも覚醒させようと、ちとせの右胸を鷲掴みにして力任せに捻り上げる。
 黒煙を上げているブラジャーごと右乳房に爪を突き刺しながら握り潰すが、完全に失神したちとせが目覚める様子はなかった。
 代わりに、半開きになった唇の端から流れ落ちた血の混じった涎が首筋を伝わり、電熱に焼け焦げたブラジャーに染みを作る。
 シルビアはそれを指で拭い取り、レロリと舐め上げた。
「ハンッ、さっさとシンマラの居場所を吐けば、楽にしてヤるのにさ」
 意識が暗闇に沈んでいるちとせは沈黙したまま、無惨な姿を晒すだけだった。

「お嬢、大分気が済んだでしょう?」
 ラーンが頃合だと感じて、シルビアの拷問を止めに入る。
 興奮していたシルビアも、ちとせを徹底的な拷問にかけることでだいぶ落ち着いてきた。
 止めるなら今しかない。
「もうこれ以上は……」
「やめろっての?」
 シルビアはラーンを一瞥しただけで、気を失っているちとせの腹や胸に何発もの拳を加える。
 殴られるたびに衝撃で身体が揺れるが、ちとせからそれ以外の反応はない。
「お嬢」
 ラーンの呼びかけを無視して、シルビアはちとせのスカートに手を伸ばした。
 そして、ボロボロの裾を捲り上げ、ピンク色の下着を露出させる。
 何度も全身に浴びせられた冷水を吸収してグショグショに濡れていたが、散々踏み躙られたショーツの中央部には水と異なるものでできた濃い染みが広がっていた。
 その染みに目をやったシルビアが唇の端を吊り上げる。
「ヤリマンビッチにはもっと激しくお仕置きしてやらないとな」
 シルビアの意図を察したラーンが顔色を変える。
 だが、止める前に、勢い良く突き上げられた握り拳がちとせの股間に減り込んでいた。
「がっ……!?」
 ちとせの両目が大きく見開かれるが、瞳は針の先のように収縮しており、明らかに何も映し出していない。
 股間に受けた衝撃と激痛で失神から覚醒したものの、激痛が凄まじ過ぎて一瞬で意識を刈られてしまったのだろう。
 痙攣する唇からこぽこぽと血の混じった涎が流れ落ち、両瞼が閉じられていく。
 だが、完全に閉じられる寸前に、ミシィッという軋んだ音とともに、その両目は再び大きく見開かれていた。
 シルビアがちとせの股間に減り込ませた拳を捻ったのだ。
「あ……かっ……ああっ……」
 意識のないまま、ちとせの口から涎と共に苦悶の声だけが絞り出される。
「お嬢ッ!」
 ちとせの女性器への破壊圧を加え続けているシルビアの腕をラーンが掴む。
「……私は拷問に反対してるのではないのよ」
 駄々っ子に言い聞かせる母親のように、ラーンは根気よくシルビアの説得を始めた。
「拷問はここでなくてもできる。場所を変えるべきよ。結界を張ってあるとはいえ、学校内では人が多すぎるわ」
 目を細くしてラーンを睨みつけるシルビア。
 ラーンはその視線を正面から受け止める。
 お嬢のことは裏切れない。
 だが、ここでお嬢の好きにさせてはいけない。
 学校に留まっていることは危険が大きいし、神代ちとせをこのまま責め殺してしまっては意味がないのだ。
「ここに長時間いるのはリスクが大き過ぎるわ。すぐに口を割るような女じゃないでしょう?」
「……」
「お嬢!」
「……わかったよ」
「お嬢……」
「続きは『ナグルファル』でヤることにするよ」
「ありがとう、お嬢……」
 ラーンが安堵のため息を吐く。
 シルビアはちとせの股間に減り込ませていた拳を離した。
 苦痛から解放されたちとせは脱力して項垂れるのを見ながら、シルビアがショーツの水分のせいで濡れた手の甲をレロリと舐め上げる。
「……ふん、クソビッチのメスの匂いと味がついちまった」
「それにしても、むごいことをするわね。しばらくは自慰もできないんじゃない?」
「知るかよ。どうせ、『ナグルファル』で拷問漬けさ。徹底的に痛めつけて自慰どころか性交もできなくなるしてやるぜ」
 嘲笑するように言ったシルビアの顔から唐突に表情が消える。
 その動きも止まった。
 まるで呆けたような視線を一点に向けている。
「お嬢?」
 怪訝そうに声をかけるラーンの姿さえ、シルビアの目に入っていない。
「どうしたというの、お嬢?」
「見ィつけたァ」
 シルビアが目をすうっと細めた。
 邪悪な笑みがその顔に染みこんでく。
「アハハハハハハハハハハハハハハハハッ!」
 シルビアのけたたましい笑い声が耳障りな響きを帯びて木霊する。
 全身に悪寒が走るのを感じながら、ラーンはシルビアの視線を追った。
 そして、歯噛みした。
 フェンスの向こう、普通なら気づくはずもない遥か下方。
 この校舎とは別の建物から、見覚えのある人影が姿を見せていた。
「なぜ……」
 なぜ今になって出てくる!
 せっかくお嬢が落ち着いてきたのに!
 あとは捕らえた神代ちとせを連れて帰還するだけだったのに!
 お嬢に先日の失敗を帳消しにするだけの手柄を立てさせたというのに!
 最悪だっ!
 ラーンの想いとは裏腹に、シルビアは狂喜して、屋上の周りに張られたフェンスの上に飛び乗った。
 そして、フランベルジュで結界の一部を切り裂く。
 屋上を包み込んでいたラーンの護りたる水の膜が崩れ落ちた。
「シンマラァァァァァ!!」
 下方に向かって愛しい獲物の名を叫ぶ。
 シンマラ――豊玉真冬が振り返った。
 上と下。
 師弟の視線が何年振りかに交差する。
 雷が鳴った。
 シルビアの身体から生じた電撃ではない。
 天が狂気に啼いていた。
 そして、シルビアが手に持つフランベルジュの刀身に、ぽつりぽつりと冷たい雫が落ちる。
 黒い雲から滴った雨は、まるでシルビアの哄笑を哀しむ空の涙のようだった。

「シルビア……」
 怒号に振り返った真冬の目が驚愕に見開かれる。
 先程まで快晴であったのに突然、暗雲が立ち込め、雨が激しく降り出した。
 校外で昼休みを満喫していた生徒たちが慌てて校舎内に駆け込んでいく。
 雨は微動だにしない真冬を打ち据え、すぐに彼女をずぶ濡れにしてしまった。
 だが、今の真冬にとって天候などどうでも良かった。
 赤い髪の少女が屋上から軽やかに飛び降りる。
 まさに落雷のように閃光を放ちながら、真冬の目の前に立った。
 鋭い眼光は憎悪に染まり、真紅のツインテールが揺れる。
 彼女もまたすぐにびしょびしょになったが、まったく気にしている様子はない。
「アハハハハハッ、会いたかった。会いたかったぜェ、シンマラァァ!」
「……」
 雨の中でも燃えるような真紅のツインテールを揺らして哄笑しながら狂喜するシルビアを前にして、真冬は言葉を紡げなかった。
 それはもう、真冬の知っているかつての弟子ではない。
 シルビアが自分よりも背の高いはずの真冬を真正面から見下す。
 美少女の唇が歪み、にんまりと笑った。
 昔はこんな不気味な笑みを浮かべる娘ではなかった。
「神代ちとせ」
 赤い髪の悪魔が口にした教え子の名に、真冬に嫌な予感が走る。
「……ちとせくんに何をした?」
 焦燥感に駆られた真冬の質問に対して、シルビアは挑戦的な視線を浴びせながら短く答えた。
「ゴーモン」
「え?」
「だから、ゴーモンだよ、ゴーモン。たっぷり痛めつけてヤったぜ」
「なっ、拷問だと!?」
「オマエの居場所を吐かせるタメだよ。屋上で死にかけてるぜ」
「くっ……」
「しかし、せっかく庇ってた相手がコンナトコをうろついてるなんてね。アノ女も気絶するまで耐えたってのに報われナイな、アハハッ!」
 真冬は自分の迂闊さを呪った。
 ここに来たことではない。
 ちとせを守れなかった後悔に唇を噛み締めていた。
 真冬にもちとせにも油断はなかった。
 だが、油断がなくても、計算違いはあった。
 襲われるのは真冬であるという先入観と、塀と大人数に囲まれているという微かな安堵感が、この大失策を呼んだといえる。
「クククッ、次はテメーの番だ、シンマラ!」
 シルビアが叫んで剣の切っ先を真冬へと向ける。
 それに対し、真冬も大きく深呼吸して身構えた。
 かつての愛弟子を睨みつける視線に躊躇は無い。
 シルビアも邪悪に睨み返しながら、握った剣の柄に力を込める。
「いくぜ、シンマラァァッ!」
 フランベルジュの刃に電熱を帯びた凶光が走った。
 真冬の眼鏡がその光を反射して輝く。
 そして、次の瞬間。
 真冬が動いた。
 長い黒髪が靡く。
 彼女は走った。
 シルビアに背を向けて。
「!?」
 虚を突かれたシルビアが、何が起こったのか理解できずに動きが止まる。
 そして、理解すると同時に激怒した。


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