魂を貪るもの
其のニ 禍々しき雷光
2.講義

「『ヴィーグリーズ』は、総帥ランディ・ウェルザーズによって、彼の手足となるために生み出された組織だ」
 シンマラこと豊玉真冬は、もう一度ハーブティーを口にしてから、ちとせたちに話を切り出した。
「そして、そのランディ・ウェルザーズは人間ではない」
 真冬がそう断言しても、この場の誰も驚いたりはしない。
 『ヴィーグリーズ』は、その大半が人間ではないと知っている。
 実際に、ちとせたちと刃を交えたランディの第一秘書、ミリア・レインバックの正体は夢魔セイレーンであったし、崩壊した『ヴィーグリーズ』の旧拠点『ヴァルハラ』の結界を作り出していたヨルムンガンドに至っては人間の姿すらとっていない巨大な蛇の化物だった。
 『ユグドラシル』の力を手にしようとしたヘルセフィアスは人間だったが、最後には己の欲望により、人の身を捨てて魔性に身を堕とした。
 そのような組織の総帥が人間ではないとしても、おかしい理由はない。
 むしろ、自然といえるだろう。
「ランディ・ウェルザーズは、炎の巨人族の王"獄炎の魔王"スルトの化身だ」
「スルト。……北欧神話に出てくるスルトですか?」
 悠樹の質問に真冬は深々と頷いた。
 スルトは北欧神話に登場する世界の原初より存在する巨人の王だ。
 炎の国『ムスペルヘイム』を守護しているといわれる。
「そうだ。彼は運命の女神ノルン三姉妹から、最強の力と世界を焼き尽くすための炎としての運命を与えられた」
 北欧神話によれば、スルトは神々の黄昏の際に、炎の巨人族を率いて世界に攻め込み、神々の中でも強大な力を持つ三柱神の一柱である豊穣神フレイと戦い、これを討ち取った。
 そして、スルトは世界へ炎を放ち、世界すべてを焼き尽くすのである。
 ランディ・ウェルザーズが真実スルトならば、恐るべき存在という他ない。
「スルトは運命神(ノルン)の指示で過去に何度も世界を破滅させてきた。そう聞いている」
「世界を破滅……?」
 理解しがたいというように首を傾げ、ちとせは真冬の顔を見つめた。
 世界の破滅など、現実味のない話である。
 だが、現実に『ヴィーグリーズ』が関わった『ユグドラシル』の力を使役し、世界を破滅させようとした女性もいたことを、ちとせたちは知っていた。
 シャロル・シャラレイ。
 白き髪の美しき占い師。
 彼女は、未来を見通す力を持ち、行く末に絶望しかない世界を嘆き、その手で世界に死を与えようとした。
 だが、彼女は、弱い心を砕き、自らの手で奪い取った未来を、自らの手で取り返している。
「そういえば、シャロルさんも、ランディが運命の力に従って世界を滅ぼそうとしていたって言ってたかも。それがなくなったから、自分がやるみたいな感じで」
 ランディが運命に反旗を翻し、運命神の意志を奉じるシャロルが、運命神のチカラが具現化した"終焉の魔龍"ニーズホッグを駆った。
 ちとせの説得によって、シャロルもまた運命と決別し、運命神のチカラたるニーズホッグは世界樹『ユグドラシル』とともに滅んでいる。
「ランディは運命神によって、『最強である運命』を吹き込まれていたのだ。以前の彼に勝てるものなど存在しなかった」
「過去形なんですか?」
 真冬にちとせが鋭く問い返す。
「過去形さ。今の彼にそれほどの力はない。運命の糸が切れ、彼は最強である運命も失った。今の彼は生まれついての魔王の力のみを持っている。それもまた恐るべき力には変わりないがな」
 生徒の的確な質問に満足するように、真冬は深く頷いた。
「『ヴィーグリーズ』が推し進めていた『ユグドラシル・プロジェクト』の目的は世界破滅ではなかった。いくつもの世界を滅ぼしたランディ・ウェルザーズは、自らの運命を憎むようになっていたのだ。最強とは名ばかりで、その実、運命の駒でしかないことに気づいたのだ。そして、運命に対抗すべく、作り出したのが『ヴィーグリーズ』というわけだ」
「運命に対抗するために作った組織」
「運命神の糸に絡み取られないように周到に周到を重ねて、その糸を断ち切る。それが、『ユグドラシル・プロジェクト』の真の目的だった」
「そうか。だから、ランディはあの時、負けではない、と」
 先の事件の最終決戦の前。
 世界樹と同化したヘルセフィアスとの死闘が終わり、シギュン・グラムが退いた後、ランディ・ウェルザーズは『ヴァルハラ』からの『ヴィーグリーズ』の撤退を宣言した。
 その時、ランディは言った。
『我々は、この場を放棄しよう。だが、覚えておくが良い。これは我々の負けではないということをな』
 確かに『ヴィーグリーズ』の負けではないだろう。
 破滅の運命が具現化した魔龍ニーズホッグは、ちとせたちの手によって討たれ、ランディの思惑は成功したのだから。
「運命の糸は切られた。ランディの画策した計画の第一段階は成功したといえるだろう」
「第一段階?」
「そう、第一段階だ」
 真冬はティーカップに手を伸ばし、一息ついた。
 ここからが本題だ。
 真冬の声に重みが増す。
「今、運命神の干渉を断ち切ったランディが今欲しているのは、『レーヴァテイン』というものだ」
「『レーヴァテイン』?」
 ちとせが首を傾げる。
「それも北欧神話に出てきますよね」
 『レーヴァテイン』。
 一説には、スルトがラグナロクで使い、世界を滅ぼした炎の剣が『レーヴァテイン』ではないかと言われているが、その名が意味するところは『害為す魔の杖』であり、その真の姿は未だよくわかっていない。
 わかっているのは、神々の一柱ロキによって鍛えられ、スルトの妻シンマラによって封印されたということだけだ。
 そのシンマラの名を継ぐのが、目の前の教師、豊玉真冬だった。
「『レーヴァテイン』が彼の手に落ちれば、彼の野望の最終段階『ムスペルヘイム・プロジェクト』が発動することになる」
「『ムスペルヘイム・プロジェクト』?」
「平たく言えば、『魔界』を浮上させる計画だ」
 真冬が静かに言った。
「『魔界』を浮上……って、『魔界』!?」
 何気なく頷きかけたちとせだったが、真冬の言葉の意味を理解するに到ってこれ以上ないぐらい驚き、叫んだ。
 鈴音と悠樹も驚いた表情でお互いの顔を見合わせている。
「『魔界』って、あの『魔界』ですよね?」
「うむ、他にも呼び名はさまざまにあるが、たぶん、キミの考えている『魔界』で間違いはないだろう」
「異世界の中でも魔族や魔物がいっぱい住んでる」
「そうだ。普遍的無意識の暗黒面(ダークサイド)の溜まり場であり、同時に悪魔や堕天使と呼ばれる存在の故郷ともいえるところだ」
 まるで現実として理解しがたい話ではあったが、真冬にふざけている様子はない。
 あくまで淡々とした真冬の反応を受けて、動揺していたちとせも平静を取り戻してきた。
 落ち着いてくると同時に、大きな疑問が脳裏を過ぎる。
「でも、どうしてランディはそんなことを?」
 この『ムスペルヘイム・プロジェクト』自体が理解しがたい行為だった。
 『魔界』が浮上すれば、世界のバランスが崩れるのは目に見えている。
 ランディは運命神に逆らい、自由を手に入れた。
 ならば、何が目的で、わざわざ『魔界』などを浮上させるのか。
 『魔界』が浮上すれば、世界は混沌に包まれるだろう。
 下手をすれば、運命神が願った破滅への道を辿る可能性とてないとは言い切れない。
「『強い世界』を作り出すためさ」
「『強い世界』?」
「『この世界』と、『魔界』を融合させることによって、ありとあらゆる力を衝突させ、ありとあらゆる可能性を引き出す。そうやって、二度と運命に侵食されることのない世界の創造をしようというわけだ」
「運命に支配されないために?」
「そうだ。そのために『ヴィーグリーズ』は行動している。今は運命神の力は弱まり、世界に影響できなくなっているが、ランディも二度と支配されるのは御免だろうからな」
「う〜ん、ボクも運命に支配されるのは、ゴメンだね」
 ちとせが肩をすくめる。
 真冬はハーブティーで喉を潤し、ちとせにゆっくりと顔を向け直した。
「では、ランディ・ウェルザーズの手助けでもするかね?」
「それもお断り」
 ちとせは即答した。
「ふむ」
 真冬は興味深そうに、ちとせの顔を覗き込む。
「『魔界』が浮上すれば、魔族や魔物が、うようよ出てくるってことですよね、センセ」
「そう、なるな」
「そうなると、人間を食らうような悪魔もいるだろうし、逆に悪魔を排除しようとする人間も出るでしょうね」
「それが『ヴィーグリーズ』の狙いの核心でもある。衝突があれば、強きものが結果的に残るだろう?」
「でも、それって、無闇に命が奪われていくってことでしょ」
 ことさら軽い調子で言うちとせ。
「そういうのは、どう考えても、お断りだよ」
 起きなくても良いはず争いが起きて、その中で消えなくても良いはずの命が消えていくのは、どう考えてもおかしい。
 ちとせはごく自然にそういう考えに至っていた。
 ちとせの答えを聞いた悠樹も隣で頷いており、鈴音は二人を眺めながら口元を微かに綻ばせている。
「やはり、私はイイ生徒を持ったようだ」
 嬉しそうに真冬が微笑む。
 その微笑に微かな影が混じっているのに、ちとせは気づいた。
 思い当たる節はある。
 真冬を襲撃してきたラーンという女性だ。
 彼女は、真冬のことを『師』と呼んでいた。
 つまり彼女は、どういう形かはわからないが真冬の生徒だったのだろう。
「生徒っていえば、さっきのラーンってヤツも先生の教え子なんですか」
 ちとせは思い切って真冬にラーンとの関係についての質問をぶつけてみることにした。
 その質問によって、恐らく真冬が今浮かべている笑顔は消えてしまうことはわかっていた。
 だが、訊かない訳にはいかない。
 真冬はラーンのことを詳しく知っているだろう。
 だからこそ、真冬を守るためにも、どうしても訊いておかねばならなかった。

「ラーンか」
 ちとせの予想通り、真冬の微笑みは、哀しそうな表情へと変わった。
 眼鏡の縁を指で押し上げながら、真冬がゆっくりと息を吐き出す。
「ラーン・エギルセルともう一人、シルビア・スカジィルという『ヴィーグリーズ』の幹部は、私が初めて受け持った生徒だよ」
 所属していた当時、真冬は『ヴィーグリーズ』という組織に魅力を感じていた。
 裏では悪魔と結託していようとも、表向きは世界を股にかける大企業だ。
 資金は潤沢であるし、最新の研究設備も整っている。
 真冬だけではなく、多くの研究者が招聘され、好きなだけ研究に打ち込むことが許された。
 ランディ・ウェルザーズが運命を打破するために講じたありとあらゆる手段の一つとして。
「『ヴィーグリーズ』で研究していた頃が充実していなかったといえば嘘になるな」
 真冬は遠くを見るような目をして、淡々と語った。
「『ヴィーグリーズ』は、私の頭脳と技術を欲していたし、私も『ヴィーグリーズ』という巨大企業の中で働き、新しい『力』を手にすることが楽しかった」
 優秀な頭脳と、莫大な資金、そして思いのままに研究に打ち込める時間と、投入できる労力。
 真冬をはじめとする研究者たちの研究は止まることを知らず、光と闇で言えば闇に属する方面にまで広がって行った。
 結果、真冬は人知を超えた『炎』を操る力を手に入れ、さらに彼女は、幹部候補生であったラーンに『水』、シルビアに『雷』の力を与えた。
「二人は私が教えることを砂が水を吸収するように、覚えていった。効率的な『力』の使い方も、そして、『力』を駆使した戦い方も」
 二人とも優秀な生徒であり、真冬は妹が二人できたようにも感じていた。
「だが、私は『ヴィーグリーズ』を裏切った。彼女たちを『ヴィーグリーズ』に残して」
「あんたはなぜ、『ヴィーグリーズ』を抜けたんだい?」
 鈴音が前髪をかき上げながら、真冬に尋ねる。
 その目つきは鋭く、厳しいものがあったが、真冬はその視線を真正面から受け止めた。
「『研究は人を幸せにするためにする』……、これは私の師の言葉だったが」
 真冬は大きく息を吐いた。
「私は、二人にいろいろなことを教えて、それを思い出した。いや、思い出させられた、かな」
 ラーンもシルビアも最高の生徒だった。
 教えがいがあった。
 そして、逆にいろいろと教えられた。
 師の言葉を思い出したのも、彼女たちを見ていて、だ。
「彼女たちは素直だった。それなのに、私は人を不幸せにする術しか教えなかった」
 優秀さを発揮したラーンとシルビアは程なく『ヴィーグリーズ』の幹部に昇格し、真冬の手を離れ、一線で行動するようになった。
「異能の力を植えつけ、戦いの記憶を与えることしかしなかった。その力が何に使われるかも考えずに、ね」
 その頃になると、ラーンとシルビアは真冬へ師弟としての特別な親しみは持っていたものの、『ヴィーグリーズ』の幹部という地位も自負もあり、真冬が時折漏らす『不穏な言葉』には耳を貸すことはなくなっていた。
 ラーンもシルビアも元々闇の世界で名を響かせた家系の出だった。
 ラーンは欧州の多くの政変で暗躍した闇貴族の分家に生まれ、跡取りのいない本家へ養子に入ったが、若干の彼女を残して養父母も実父母も亡くなってしまい、生きる目的を喪失していたところを、『ヴィーグリーズ』に、否、真冬に拾われた。
 シルビアは腕利きの暗殺者を父に持っていたが、その父が白日の下で処刑された上に依頼者の名が漏れたために汚名を背負い、貧困の中で母をも亡くし、父の名誉回復に躍起になっていたところを、『ヴィーグリーズ』に、否、真冬に拾われた。
 彼女たちの過去は、真冬にとって決して重荷にはなっていなかった。
 人は環境でどうとでも変われると思っていたから。
 それだけに、彼女たちが『ヴィーグリーズ』の幹部として段々と深い闇へ手を染めていくのを見て、彼女たちの未来を壊したのだと、そう思い、悔いた。
「そして、私は逃げたのさ」
 俯く真冬。
「あんた……」
 鈴音は真冬に姉の面影を重ねて見た。
 相手を想うあまり、裏切ることしかできなかった。
 姉は心の底では鈴音と天武夢幻流のことを想いながら、しかし、ついに共に歩いてはくれなかった。
 真冬も同じなのだろう。
 シルビアとラーンを愛し、その愛ゆえに背を向け、彼女の教え子二人も愛ゆえに自分たちを育ててくれた師の言葉を聞こうとしなかった。
 鈴音は真冬が『逃げた』とは思わなかったが、かける言葉は見つからなかった。
 沈黙を打ち破ったのは、ちとせだった。
「あなたは」
 ちとせが真冬をビシッと指差した。
「教師、豊玉真冬」
 そして、目を丸くする真冬に向かってウィンクをする。
「ボクたちをイイ生徒と言ったでしょ。なら、それはセンセというイイ教師に巡り合えた結果よ」
「……だ、そうです」
 悠樹も深く頷き、ちとせの言葉を継いで真冬に向かって言った。
「ラーンも、シルビアという娘も、『シンマラ先生』から多くのことを学んだと思いますよ」
 やさしく、しかし、はっきりとした透明な声は、目の前で苦悩する己の教師を誇る響きを含んでいた。
「結果ばかりを論じて、過程を考えないのは良くありません。かつての『シンマラ』であり、今の『豊玉真冬』であるのが、先生です。そのことに教師としての優劣はないでしょう」
「そう、だな」
 真冬は胸の中に溜まったものを吐き出すように、大きく息をついた。
 この子たちは自分と違って、強い。
 だが、この子たちは自分の過去を知っても尚、自分を誇りにしてくれる。
 教師として、こんなに嬉しいことはない。
 だからこそ、自分が不甲斐なかった。


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