Queen of Solomon
其のニ



「これが、悠樹の姉貴……?」
 転がっている黒い塊こと、絶世の美女、悠樹の姉を鈴音は、箒で突付いてみた。
 つんつん。
 反応は無い。
 完全に気を失っているようだ。
 鈴音は葵の袖を引っ張って引き寄せる。
 そして、肩を並べて、ヒソヒソと話を始めた。
「大丈夫でしょうか?」
 葵が心配そうに鈴音に尋ねる。
 後頭部を強打した後、地面に倒れて、ピクリとも動かない。
 葵が心配するのも当然だ。
 もっとも、鈴音は心配をしている様子はなく、それどころか反対に悠樹の姉が動かないことに安心している。
 歴戦の強者の勘が、悠樹の姉の危険な香りを感じ取っているようだ。
「死にはしないだろ。ま、自業自得だな」
「しかし、このままにしておくわけにも……」
 真剣に悠樹の姉を見つめる葵に、鈴音は少なからず罪悪感を覚えた。
 いくら、変な生物とはいえ、悠樹の姉だ。
 ちとせと悠樹が幼なじみであるのだから、悠樹の姉とも幼なじみなのだろう。
 その女性が気絶してるのだから、心配するのも無理はない。
 鈴音は済まなそうな表情で、頭を掻いた。
「そりゃそうだけど、どうしたものかな?」
「今日は生ゴミの日ではありませんし……」
 難しい顔で顎に手を当てる葵。
 がくっと、こける鈴音。
 もちろん、鈴音の罪悪感は次元の彼方に消えたのは言うまでもない。
「……けっこう酷いこと言うな、葵」
「冗談です。そんなことしたら、殺されてしまいます」
 ホホホ、と笑って、葵はウィンクをした。
「殺されてしまいますって、やっぱ、かなり危険人物じゃねえか」
「う〜ん、悠樹クンが帰ってくるまで、預かっておくしかないですわね」
「そうだな。もう夕方だし、そろそろ帰ってくる頃だろう」
「ふむ、悠クンはそろそろ帰ってくるのか」
「部活で遅れなければ、ですけどね」
「部活か。化学研究は楽しかったピョン」
「ピョンって、変な喋り方ですわね、鈴音さん」
「あたしじゃないぞ?」
「えっ?」
「えっ?」
 ばっと、後ろを振り向く、鈴音と葵。
「では、悠クンが帰ってくるまで、厄介になるといたしましょうでピョン」
 頭を擦りながら、悠樹の姉が妖艶に微笑んだ。
 それにしても「ピョン」って。
 殴ったせいで、さらに回線がキレたのか。
 鈴音と葵の顔は引き攣りまくった。

 一方その頃、ちとせたちは……。
 ちとせ、悠樹、迅雷、ついでにセラヴィーは、校庭から猫ヶ崎公園に場所を移して話をしていた。
 悠樹の姉の使い魔、黒竜ブラッキーは上空を旋回している。
 時折、それに気づいた通行人がギョッとしながらも、「ああ、ベルゼブブじゃなくて良かった」と安堵の息を吐きながら通りすぎていく。
「で、そのクイーンなんとかってのは、悠樹の姉貴さんなわけか?」
 学校に突如飛来した黒竜の主人、クイーン・オブ・ソロモンが、悠樹の姉であると聞かされた迅雷は、かなり面食らっているようだった。
「ええ。いつもは東京の商社で働いているんですけどね」
「ふ〜む、じゃあ、なんで皆あんなに怯えていたんだ?」
 ただのキャリアウーマンが黒竜を使役しているだけで、十分怖いのだが。
「……」
 迅雷の質問に、悠樹とちとせの顔が引き攣る。
 セラヴィーの顔も蒼白だ。
「姉は絶大なる魔力の持ち主で、かつてソロモン王が使役したという七十二柱の悪魔を召喚できるんです」
「何!? 悪魔を七十二匹もか!?」
「はい。だから、ソロモン王になぞらえて、『クイーン・オブ・ソロモン』と呼ばれているんです」
「ソロモンの女王ってわけか」
「まあ、それだけならば良いんですけど……」
 そこで、悠樹はさすがに口篭もった。
 会社員が悪魔を従えているだけで十分問題であるが、迅雷はそのことは気にした風もなく悠樹に聞き返した。
「良いんですけど? 何かあるのか?」
「クイーンは、世界の真理を知るもので、狂気なる力の持ち主でもある」
 唐突に、セラヴィーが口を挟んだ。
「何だ? やっぱり、おまえも知り合いだったのか?」
「かつて、魔術の研究で顔を合わせたことがある。凄まじい美貌だった」
「美人なのか?」
「超美人よ」
 ちとせが応えた。
「わからねえな。美人で強い。悪いとこは無いんじゃねえか?」
「性格が少し変でして……」
 悠樹が小さな声で言った。
 と、地鳴りのような声が降って来た。
「いけませんぞ、悠サマ! 姉上サマの悪口を申されてはっ!!」
「きゃあっ!?」
 その声も衝撃で、ちとせはひっくり返った。
 ブラッキーだ。
 ブラックドラゴン恐るべし。
「クイーンは叡智を極められし御方。常人の思考を上回っておられるゆえ、誤解が生じておられるだけですぞ」
 つまり、天才と天災は紙一重。
「わ、悪かったよ、ブラッキー」
「……」
 迅雷はしばらくの間、呆気に取られていたが、今までのやり取りから、悠樹の姉は強く美しいが、危なさ百二十パーセントということだと推測できた。
「化研のヤツらが怯えていたのも、そこらへんと関係あるわけか?」
「姉は化研の卒業生で、幾つか恐ろしい実験をしていたようで…」
「お、恐ろしいって?」
「合成魔獣とか、不死魔術とか……」
 合成魔獣は、ギリシャ神話のキマイラに代表される幾つかの動物が混ざった生物のことだ。
 そして、死霊魔術とは、ゾンビやスケルトンを作り出す魔術である。
 はっきり言ってどちらも、かなり悪趣味と言わざるを得ないだろう。
 前者も後者も生命を冒涜する秘術と言われているからだ。
 どちらも、ただの会社員がすることではないことであるのは言うまでもない。
「それって、化学なのか……?」
「さあ?」
「化学も魔術の一つ。錬金術も化学だからな」
 セラヴィーが言った。
 中世に錬金術師と呼ばれた者の多くが、科学者であったのは事実である。
 セラヴィーも、さすがに魔術師の端くれだけあって、その辺は知っていたようだ。
 もっとも、知識を活用できているかは、別問題だが。
「で、そのクイーンはどこにいるんだ?」
「ちとせサマのお屋敷に向かわれました」
 迅雷の問いに、ブラッキーがくぐもった声で応えた。
「……マジ?」
 ちとせの顔が引き攣った。

「悠ク〜ン☆」
 神社帰宅後のお出迎えは、クイーンその人の抱きつき攻撃であった。
「うわっ!?」
 顔を真っ赤にして、硬直する悠樹。
「ブラッキーは?」
「外で飛んでるよ」
「そうか、そうか。うんうん、それにしても、可愛い悠クンじゃ」
 姉の胸が悠樹の腕に当たる。
 悠樹は生唾を飲み込んだ。
 昔から、姉は苦手だった。
「はぐうっ、ね、姉さん、ちょ、ちょっと離れ……」
「あっ!? ちーちゃん☆」
 悠樹の姉は硬直する悠樹をそのままに、今度は、ちとせに抱きついた。
 男も女も見境なしである。
「きゃっ!?」
 それを見た迅雷とセラヴィーが後ずさる。
 次はどっちだ…?
「あよ? セラヴィーではないきゃ」
 ちとせを抱き締めたまま、妖艶な視線をセラヴィーに浴びせる八神姉。
「お、お久しぶりで。クイーン」
「うみゅうみゅ、久しぶりの女体じゃ」
 セラヴィーの返事と、自分の欲望が混同している。
 ちとせの胸に手を伸ばす。
「どれどれ、胸は育ったかの〜?」
「きゃあっ!?」
「それは、やめい!」
 ばこーん!
「ぎゃっ!?」
 クイーンの後頭部に、鈴音の飛び蹴りが炸裂する。
「をを、痛ひ。乱暴な女子よの〜」
 頭を抑え込んでしゃがみ込む悠樹の姉を見やりながら、鈴音は、ちとせたちに挨拶する。
「よっ、おかえり。おっと、迅雷も一緒か」
 迅雷を見て、にやりと笑う鈴音。
「一緒で悪いか?」
「いやいや、大歓迎だぜ。そろそろ、組手でもしたいな、と思ってたからよ」
「お、おれは…鈴音の組手専用か?」
「ははは、ジョーダンだよ。それで、そっちのパツキンは誰だい?」
 鈴音は迅雷に軽く手を振ってから、セラヴィーを誰何した。
「私か? 私は偉大なる……」
 セラヴィーが、ずいっと前に一歩踏み込む。
「変態魔術師の鈴木四郎先輩よ☆」
「をい!」
 ちとせの紹介にセラヴィーは不満そうだ。
 どこか間違っていたか?
「ま、所詮はサブだ。気にするな」
 ちとせの説明を補足する迅雷。
 ナイスコンビネーションである。
「シクシク」
 どんよりとした空気を纏って、セラヴィーはしゃがみ込んだ。
 そして、地面を「の」の字に書き始める。
「……で、何の用だ?」
 鈴音は咳払いしてセラヴィーから視線をはずすと、迅雷に向き直った。
 見なかったことにしたいらしい。
「何の用って言われてもだな、悠樹の姉貴を見に来ただけだ。おもしろそうな性格らしいからな」
「暇なヤツ」
 鈴音は溜め息をついて、悠樹の姉を顎で示した。
「アレだぞ」
「う〜む、顔はなかなか……」
 迅雷は一瞬、悠樹の姉の美貌の虜になりそうになり頭を振った。
 香澄が見たら、ややこしくなっていただろう。
 だが、本当に香澄と並べても遜色はない美貌だ。
 黙っていれば。
「姉さん、姉さん、大丈夫?」
 その視線の先で、悠樹が、しゃがみ込む姉の肩に手をかけている。
「だ、大丈夫じゃ。ほんに可愛げのない女子じゃな」
 涙目で鈴音に抗議する悠樹の姉。
「ふん。アンタが見境ないからだろうが!」
「スキンシップだというに…」
 ちょっと目つきが危ないのは蹴られたせいか、それとも元々逝っちゃっているからなのかは甚だ疑問である。
「今日、会社休みなの?」
「ケケケッ、悠クン。有休制度を知らんのかえ? 課長に色気で迫ったら快く承諾してくれたのじゃ」
「姉さん、その笑い方怖いよ」
 妖艶に微笑んだ姉に、げっそりと応える悠樹。
「それで、戻って来た理由は悪魔王サタンじゃ」
 悠樹の姉は唇で笑みを刻んだまま、目を細めた。
 その場にいる全員が唾を飲み込んだ。
 悪魔王サタン。
 全ての悪魔を率いる悪魔の中の悪魔。
 蝿の王ベルゼブブと並び、もっとも強大な魔王の一人である。
 日頃、ちとせや迅雷が相手をしている妖魔たちとは比べものにならない。
「サタン? サタンがどうかしたの?」
「この街に温泉旅行に来ているという噂を聞いて、どうにか下僕にしたいと思ったのじゃ」
 悠樹の姉は、しれっと言った。
 突拍子もない噂ではある。
 悪魔の王が、温泉旅行。
 容易には信じられない。
「サタンが温泉旅行?」
 いくら、猫ヶ崎でも……。
 デマの可能性が高い。
 いや、どう考えてもデマだろう。
 一同に疑惑が走る。
 鈴音などは額を抑えて、頭痛薬を探している。
「それに下僕って?」
 悪魔や魔獣と契約を交す、もしくは召喚を行えば、一時的に悪魔を従僕とできる。
 もっとも、相手が気に入るような強い魂か、相手を圧倒するような強い力が必要ではある。
 現に悠樹の姉は、ブラックドラゴンのブラッキーを従えている。
 悠樹の話では、かつて、ソロモン王が使役したといわれる七十二柱の悪魔も従えているはずだ。
 その自信からか、悠樹の姉は意に介した様子もなく続けた。
「しかし、妾は運が良いわ。まさか、こんなに早くサタンを見つけることができようとは!」
 満面の笑顔でブツブツ言いながら、悠樹の姉が立ち上がる。
「えっ? サタンを見つけた?」
 悠樹は驚いて、辺りを見まわしたが、それらしき気配はない。
「どこにもいないけど?」
「ホホホ、見つけたぞ。悪魔王サタン!! 大人しく我が下僕に成るがいいわ!!」
 悠樹の姉は、迅雷を鋭い視線で貫いた。


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