Queen of
Solomon
其の終
ビシッとつきつけられた悠樹の姉の指の先に視線が集まる。
その先には狼狽する影野迅雷の姿。
「なぬっ!? おれがサタンなわけないだろうがッ!?」
大声で反論する迅雷。
「そうそう。迅雷がサタンだったら、魔界はとうの昔に潰れてるぜ」
鈴音が喉で笑う。
「だうっ!? 鈴音、そこまでいうか!?」
「はんっ、戦士の資質と帝王の資質は別だぜ」
「うぐっ! ほまれみたいなことを……」
迅雷は噛みつきそうな顔で応じた。
「あっ、ほまれ先輩に言ってやろ☆」
ちとせが迅雷の不用意な一言を捉える。
迅雷の顔が蒼ざめた。
生徒会長、吾妻ほまれ。
迅雷の天敵だ。
霊力や魔力といった特別な力を持たない人間で、迅雷と対抗できるのは彼女と風紀委員長の天之川香澄だけだ。
恋人と、天敵。
迅雷を取り囲む人間関係で、両極に位置する人間だ。
性格も正反対。
吾妻ほまれを炎とするならば、天之川香澄は氷。
だが、不思議と衝突は少ない。
迅雷のことさえなければ、だ。
「そ、それだけは、勘弁してくれ」
迅雷は、ちとせに両手を合わせた。
それを見たセラヴィーが、にやりと笑う。
「フッ、ならば私が告げ口して差し上げましょう」
「でえい! 金髪変態魔術師がぁ!! どさくさに紛れてんじゃねえ!」
ばきっ。
迅雷の渾身の一撃がセラヴィーの顎を捉えた。
「ぐはああ……、むきゅう……」
吹き飛んで、撃沈するセラヴィー。
倒れたセラヴィーの側で悠樹の姉の目が光った。
「これほどの力、やはりサタン!」
「くおおらあ!? 何勝手に確信してやがる!!」
「めけけっ、認めるが良い。そして、我が下僕となれ」
「人の話を聞けよ」
「サタンじゃから、人ではないじゃろ」
「あ、あのなァ」
「あのなも、青菜も、塩で萎え萎え! とにかく、我が下僕となれ!!」
「イヤだよ!」
交渉は無理。
誰の目にも明らかである。
「あくまでも従わないというなら……」
悠樹の姉が凄まじい美貌で笑った。
妖笑などというものではない。
魅惑するような美貌ではなく、射殺すような美貌だった。
魂を砕き、意志を挫く。
迅雷の背中に悪寒が走った。
「わらわの力見せて遣わそう」
悠樹の姉はそう言って、両腕を天に掲げた。
途端に、今まで照りつけていた太陽が雲の海に消えた。
辺りが暗闇に包まれる。
「!!」
その場にいる全員が息を呑んだ。
この場にいる全員が、それなりの『力』を持った人間だ。
ちとせと葵は霊力を、悠樹は風の力を、セラヴィーは魔力を、鈴音と迅雷は闘気を。
それらの人間がことごとく、戦慄していた。
解放された悠樹の姉の魔力に。
全身から放出される魔力は、悠樹の姉自身の身体が地面から浮かせるほどの圧倒的な力だった。
「さて、行くぞよ」
「ちいっ……」
迅雷は舌打ちした。
「こっちだってやってやるぜ。人を悪魔王だの、サタンだの言いやがって…思い知らせてやる!」
迅雷も気を解放する。
悠樹の姉の眉がわずかに動いた。
「ほぴょっ、それほどの力! やはり、サタン……」
「だあっ!? 違うって言ってんだろうがよ!!」
「ホホホ、まだシラを切るかえ?」
「むう…こうなったら、次元斬でビビらせてやるか。仮にも悠樹の姉貴だから吹き飛ばすわけにはいかねえが……」
迅雷がさらに気を高め、左腕に力を収束させる。
「着物を消滅させて、素っ裸にしてやるぜぇ!!」
「女の裸見てぶっ倒れんなよ。迅雷、ソッチ系に弱いからな」
鈴音の冷静なツッコミが飛んできた。
「ぐっ、だ、大丈夫だよ。いちいちツッコムなよ、鈴音」
「ははっ、悪い、悪い」
前髪をかきあげながら、鈴音が苦笑した。
「……ったく、そんじゃ、気を取りなおして、いくぜ!」
迅雷は悠樹の姉の着物の帯に狙いを定めた。
ホントに脱がす気らしい。
「オラァ、次元斬!!」
閃光。
見えざる力が、悠樹の姉を直撃する。
しかし。
「フッ」
悠樹の姉は何ごともなかったかのように、両腕を迅雷に向けた。
闇色をした魔力が巨大な球形に収束していく。
「そのような技、効かぬわ」
「バ、バカな」
迅雷は信じられないという表情で、自分の左腕を見つめた。
最強の技、次元斬。
それがいとも簡単に弾かれたのだ。
迅雷に焦りが生じた。
「迅雷先輩の次元斬が効かないなんて……」
ちとせが口に掌を当てながら、驚きの声で言う。
「さすが、クイーン。絶大な魔力だ」
いつの間にか息を吹き返したセラヴィーが腕を組みながら、戦いの成り行きを見守っている。
「次元斬は次元を超えて対象物を消失させる能力だが、クイーンの防御魔術もまた、多次元に及ぶということだ」
「シロー先輩」
ちとせが、セラヴィーを、びっくりした表情で見る。
「その名で呼ぶな! で、何だ!?」
「まともに解説できるのね☆」
「私をバカにしてるだろ?」
「別に☆」
ちとせは笑顔で否定した。
そのちとせの横で、悠樹は、思いつめた表情で、姉と迅雷の戦いを見つめていた。
「姉さん」
「ほひょひょ、観念せい」
悠樹の姉が再び、先程の凄絶な笑みを浮かべた。
食われる。
迅雷は本能的に、そう感じた。
「くっ、次元斬が効かないヤツにどうすれば、勝てる!」
迅雷の焦燥感が高まっていく。
にじり。
にじり。
両腕に暗黒の魔力を収束させたまま、悠樹の姉が一歩一歩ゆっくりと迫ってくる。
「くっ……」
迅雷の背が木に当たった。
「ひょひょひょっ、覚悟は良いな」
悠樹の姉が舌なめずりをした。
ばきっ!
「みぎゃっ!?」
悠樹の姉は前のめりに倒れた。
「えっ?」
迅雷は呆気に取られた顔で、悠樹の姉を張り倒した人物を見た。
「鈴音?」
「よぅ、大丈夫か?」
「な、何で?」
「ん? 何でって、後ろが隙だらけだったからさ。蹴りくれてやったんだけど、余計だったか?」
鈴音は、前髪をかきあげた。
「い、いや、そんなに隙だらけだったか?」
「ああ」
「……」
迅雷は罰の悪そうな顔をした。
悠樹の姉の妙な迫力に押されて、悪い夢でも見ていたような気分だ。
もぞり。
地面に突っ伏した悠樹の姉が顔を上げた。
転んだ時に額を打ったのか、ドクドクと血が額を赤く染めている。
「おわっ!?」
迅雷は再び萎縮した。
血まみれになっても失われない凄絶な美貌がそこにあった。
ただし、かなり目は虚ろだ。
「くう、わらわは、そなたを下僕にするのじゃ。悪魔王サタン!」
「だ、だから、おれはサタンじゃないっちゅうの!」
絶叫する迅雷をよそに、悠樹の姉は、ゆらりと立ちあがった。
そして、ニタリと笑った。
「さあ、我がコレクションに……」
ばきっ!
「みっぎゃああう!?」
悠樹の姉は前のめりに倒れた。
また思いっきり、地面に額をぶつける。
「え゛っ?」
迅雷は再び呆気に取られた。
「姉さん、いい加減、落ち着きなって」
悠樹がため息をついた。
どうやら、今度悠樹の姉を張り倒したのは悠樹だったらしい。
悠樹は、迅雷の視線に気づいて、柔らかな笑みで返した。
「あ、迅雷先輩。姉は格闘技苦手なんですよ」
「お、おれの緊張感は一体?」
迅雷は頭を抱えた。
ピュー、ピュー。
悠樹の姉の頭から、脈に合わせて血が吹き出す。
「悠クン、ヒドイわ。そなたまで、わらわの邪魔をするなんて…」
瞳をうるうるさせて、頭から血を噴出させながら、悠樹を見上げる悠樹の姉。
「い、いや、その、あの、邪魔とかそういうわけじゃなくて……」
出血に驚いたのか、それとも潤んだ瞳に怯んだのか、悠樹は口篭もった。
と、その時。
「待ってください」
悠樹の後ろから静かな声が飛んできた。
そこには、葵が立っていた。
「うみゅ? 何じゃ、葵ちゃん?」
悠樹に迫っていた時とはうってかわって、ケロッとした顔で葵に聞き返す悠樹の姉。
血が止ってないで噴水のように吹き出しているのが怖い。
というより、大丈夫なのだろうか?
謎である。
「迅雷さんは悪魔王ではありません」
葵が真摯な瞳で、悠樹の姉に言った。
「迅雷さんは、迅雷さんです」
そして、優しい声だった。
「姉貴さん」
迅雷には、葵に後光が差しているように見えた。
「……」
悠樹の姉は、葵の目を見たまま黙っていたが、しばらくして、小さく息を吐いた。
「そうか。わらわの早とちりであったようじゃな」
「や、やっと、わかってくれたか」
迅雷も、安堵のため息をついた。
悠樹の姉は懐からハンカチを取り出して、血を拭った。
いつの間にか血の噴水は止っていた。
そして、微笑む。
「まさか、『妖怪・迅雷』などという種類の魔物がおったとは、世の中は奥が深かいにゃあ」
全然わかっていなかった。
「をい! 勝手に変な名前つけるんじゃねえ!」
迅雷は絶叫した。
「悪魔王が居らぬとあれば、もはやここに留まる理由もないにゃ」
悠樹の姉は興味を失ったものにようはないというように、迅雷の声を無視した。
そして、指を鳴らす。
「カモ〜ン! ブラッキー!!」
悠樹の姉の呼びかけに、上空を飛んでいたブラッキーが舞い降りてくる。
「どわあああああああっ!?」
「きゃあああああっ!!」
「吹き飛ばされるぅぅぅ!!」
ブラッキーの羽ばたきで、悠樹の姉を除いた全員が突風に襲われた。
悠樹の姉がなぜ吹き飛ばないのかは、謎である。
「では、さらばじゃ、皆の衆!!」
悠樹の姉は、ブラッキーの背に乗り、吹き飛ばされた一同に敬礼した。
ブラッキーは、それを合図にしたかのように飛び立つ。
ばっさ! ばっさ! ばっさ!
悠樹の姉は去って行った。
「何だったんだ?」
迅雷は、悠樹の姉が去った空を見つめながら呟いた。
その隣りで、鈴音が突風で乱れた髪を、手で払いながら言った。
「疲れたな」
「ああ」
迅雷は心から賛同した。
「そだね☆」
ちとせも、頷く。
「帰って寝るか」
迅雷は、げっそりとした表情で
「ぼくも今日は家に帰りますね」
悠樹が頭を掻きながら照れくさそうに笑った。
「あら、そうですか。では、お姉さんにヨロシクね」
「はい」
葵の言葉に頷く悠樹を見て、迅雷の表情が蒼ざめた。
「お姉さんにヨロシクね」
そのフレーズが頭の中で連呼される。
「あの化物、まだいやがんのか!?」
迅雷は絶叫した。
「ははっ、大丈夫ですよ。明日には会社に戻りますよ。それに家で黒魔術の実験してるだけだと思いますから」
悠樹は自分の姉を化物呼ばわりされたのにも気を悪くせずに、笑って応えた。
迅雷は唸っただけで、言葉が出てこなかった。
相当ショックだったらしい。
天敵が一人増えたと言っても良いかも知れない。
「それじゃ、姉が待っていますので」
「悠樹、気をつけてね☆」
「ああ」
悠樹が一同に軽く頭を下げて、実家に帰って行った。
「悠樹クン、嬉しそうでしたね」
「そだね☆」
葵の言葉に、ちとせが頷く。
「そ、そうか…?」
甚だ疑問の迅雷。
鈴音とセラヴィーも困惑して顔を見合わせている。
「迅雷先輩には、わかんなかった? やっぱ、姉弟だから、会えて嬉しいのよね」
ちとせが、笑顔で言った。
姉弟の仲は奥が深い。