Queen of Solomon
其の一



「はあっ!」
 気合の声と共に、鈴音が目を見開く。
 一閃。
 銀色の閃きと共に、目の前の大木が斜めに斬られる。
「ふぅ……」
 神代神社の近くの山中。
 鈴音はここで、日課の精神鍛錬を兼ねた居合の訓練をしていた。
 居合と言っても、霊気の剣なのだが。
 ぴくっ。
 鈴音の肩が微かに跳ねた。
 鴉が一斉に飛び立つ。
「誰だ!?」
 鈴音が気配のほうに振り返った。
 漆黒。
 漆黒の球体が浮かんでいた。
 ヴォン、ヴォン、と奇妙な音を発している。
「な、何……だ?」
 予想外の物体に鈴音が戸惑う。
 が。
「来る!?」
 ヴォン!!
 漆黒の塊が猛スピードで突っ込んできた。
 明かに、鈴音を狙っている。
 鈴音は、霊気の剣を構えたが、本能的に不安に狩られた。
 背筋に冷たいものが走る。
「何か、ヤバい!!」
 球体を斬ろうとはせずに横に飛んだ。
 ヴォン!!
 球体は鈴音がいた場所を通過し、そのまま数メートル駆け抜けた。
「なっ……」
 鈴音は自分の判断が正しかったことを知った。
 球体が通過した後、大木が虫に食われたように幹を抉られえいた。
 鈴音に戦慄が走る。
 その時、球体が再び、鈴音に標的を定めた。
「!!」
 反射的に、霊気を波状にして、球体を撃った。
 しかし。
「飲みこんだのか……!?」
 球体は、霊気を吸収して、一回り大きくなった。
「効かないのか……」
「我が『亜空間の衣』にはいかなる攻撃も通じん」
 球体からくぐもった声が聞こえた。
「何もんだ。テメェ……」
 鈴音が歯軋りしながら、球体を睨みつける。
 球体は黒い霧となって、形を解いた。
 一人の人間がその場に現れる。
 漆黒。
 球体と同じ漆黒の和服を身に纏った女性だった。
 高く結い上げた髪も黒。
 肌は対照的に雪のように白く、唇は艶かしく紅い。
 絶世の美女と言って良い。
 美的感覚は人それぞれ違うが、彼女を見たものは全てが虜にされる。
 そんな美貌だ。
 完璧な美女。
 それに「黙っていれば」という注釈が付くことになるのを鈴音は知る由もない。
「わらわが留守にしておる間におもしろき使い手が増えたもの」
「何を言ってやがる」
「口の聞き方がなってませぬぞ」
 パチン。
 黒髪の女性が指を鳴らすと、球体を形成していた黒い霧が、鈴音にまとわりつく。
「!?」
 霧は鎖として実体化し、後ろの大木に鈴音を縛りつけた。
「もひょひょっ、わらわが教育して差し上げよう」
 美しい姿に似合わない奇妙な笑い声を上げると、女は鈴音の胸に手を伸ばした。
「なっ!?」
「うけけっ、めけけっ!!」
「やめやがれ!!」
 嫌悪感のあまりに、鈴音の顔がこれ以上ないくらいに引き攣る。
 そして、霊気を爆発させた。
「もひょっ!?」
 黒髪の女は吹き飛び、鈴音を縛りつけていた鎖も飛び散った。
「ふざけやがって!」
 青筋を立てながら、前髪をかきあげる鈴音。
 だが、倒れた黒髪の女性に飛びかかる素振りは見せない。
 また、あの球体になられたら、手も足もでないからだ。
 警戒しつつ、左手に霊気を溜める鈴音。
 ぴくっ。
 地面にへばりついていた女性が、震え出す。
「来るか!?」
 違った。
 何と、女性は、砂のように崩れ出したのである。
「何!?」
 呆然とする鈴音の前で、女性は形を失い消え去った。
「どういうコトだ?」
 鈴音は女性がいた場所に歩み寄る。
 跡形もなく消えてしまった。
「幻術か?」
 姿を消し、鈴音を惑わして、襲ってくるつもりだろうか。
 だが、一向にその気配は感じられない。
 ひらり。
 ひらり。
「ん?」
 鈴音は、風に飛ばされて舞う『それ』に気づいた。
 無造作に手を伸ばして、掴み取る。
 『それ』は紙でできた人形だった。
「これは、式神……」

 猫ヶ崎高校グランド。
 今日も、いつものごとく、壮絶なバトルが繰り広げられていた。
 一昨日は、剣道部主将である影野迅雷と科学部が作り上げたスーパーロボットであるスパコンくん。
 校舎の棟が一つ灰塵に帰した。
 昨日は、影野迅雷と生徒会長の吾妻ほまれ。
 これはなかなかレアな組みあわせで見学者が多かったらしい。
 力技ならば、迅雷の圧勝だが、ほまれの罵詈雑言による精神攻撃は強力だった。
 そして、今日のバトルの一方も、迅雷であった。
 対するは、鈴木四郎という三年生の魔術師であった。
 彼は、セラヴィーという謎の二つ名を名乗る鈴木四郎である。
「がんばれ、シロー先輩!!」
「その名で呼ぶな!!」
 声援を送るちとせに、大声で言い返すセラヴィー。
「オラ! さっさとかかって来いよ」
 その様子に苦笑しながら、手招きする迅雷。
 少し疲れているし、投げやりっぽい。
 さすがに、三日連続だからか。
「フン、私の魔術にかかればキミなど敵ではない」
「ほほう…?」
 迅雷の眉が釣りあがる。
「この前の火焔魔術はたいしたコトなかったような…」
「一兆度の火球が効かないキミがおかしいのではない?」
「嘘つけ! 地面だって溶けてなかったじゃねえか!」
「ノーコメントだ」
「あのなぁ、なら、今日の魔術、見してみろよ」
「フッ、いいだろう! 出でよ、フェニックス!!」
 セラヴィーが天を指差す。
「召喚魔術か!?」
 フェニックス。
 その身を炎に包まれた鳥。
 五百年に一度炎に飛び込み転生を繰り返すといわれる、不死なる鳥だ。
 セラヴィーの声と共に天空に現れる一点の闇。
「闇?」
 フェニックスは、炎に包まれているわけだから、赤いはずである。
 だが、現れたのは、紅点ではなく黒点。
 太陽の黒点よりも深い。
「何か、鳥に見えねえような気が……」
「あ、あれは……」
「でかいぞ……」
 かなり、巨大な物体だった。
 遠めにも十五メートル以上あると見えた。
 翼がある。
 燃え盛る火焔の翼ではなく、蝙蝠の翼のような皮膜を持った漆黒の翼だ。
 無論、身体は炎に包まれてはいない。
 真っ黒なゴツゴツした鱗に覆われ、凶悪な角と、鋭い爪と、強靭な尾を持っていた。
 セラヴィーは焦った。
「ブ、ブラックドラゴン!?」
「何!? 竜だと!? おい、セラヴィー!! フェニックスじゃなかったのか!?」
「ぴくっ」
 悠樹が肩を震わせた。
 ブラックドラゴン?
 悠樹の脳裏に、嫌な予感が走った。
 隣りに目をやると、こういう状況を楽しむはずのちとせの顔が少し引き攣っていた。

 ばさっばさっばさっ。
 ずしぃぃぃん!
 黒い竜は、巨体を地に降ろした。
 地面が揺れる。
 セラヴィーと迅雷の後ろだ。
 真っ赤な瞳が爛々と輝いている。
「……」
「おい、どうすんだよ?」
「どうするといわれても、とりあえず……」
「とりあえず?」
「我が召喚に応じし竜よ! 我が敵、影野迅雷に甘美なる死を!!」
「おい!?」
「……」
 黒竜は、セラヴィーの言葉を完全無視した。
 ずしぃぃぃ!!
 首をもたげて、周囲を見まわす。
 悠樹と視線があった。
「え゛っ?」
「悠サマ」
 くぐもった声で、悠樹を呼んだ。
 地の底から響いてくる地獄の主のような声だ。
 牙と牙の間から硫黄の匂いが溢れる。
 悠樹は懐から試験管を取り出して、ぶんぶん振りはじめた。
 目がイっている。
「ブ、ブラッキー?」
「はっ。お久しぶりです」
「……」
 ぷしゅーっ。
 悠樹の試験管から煙が上がった。
 隣りで、ちとせが何故か白衣で、しかもダテ眼鏡らしきものをつけて、新しい試験管を用意している。
 特に意味はない。
「悠樹の知り合いか?」
 迅雷がハイになっているちとせの白衣を引っ張って引き寄せた。
 無言で、コクリと頷くちとせ。
 迅雷は更に困惑した。
 ちとせがおかしい?
 いや、いつもおかしいが、今日は拍車がかかってるような?
 迅雷の疑問をよそに、悠樹が黒竜に尋ねた。
「ク、クィーン・オブ・ソロモン?」
「参っております」
 びしっ。
 その場を囲っていた一部の生徒たちが凍りつく。
 多くは、化学研究部。
 悠樹と同じ部活のものたちだ。
 セラヴィーも口をパクパクさせている。
 そして、ちとせも硬直していた。
 口から、エクトプラズムが出ている。
「何だ? そのクイーンなんとかって?」
 言葉の意味を解さない迅雷が、不審そうに固まった者たちを眺めている。
「お、恐ろしい! 退却するぞ!」
 美貌の化学研究部部長が片手を挙げて、部員たちに撤収を命じる。
「八神! 今日の部活には出なくて良いぞ!」
「ええっ!?」
「ていうか、来るなよ」
「は、はい……」
 顔を引き攣らせながらも、仕方なくといった感じで頷く悠樹。
 そして、悠樹を除いた化研全員が、その言葉と共に一目散にグラウンドから逃げて行く。
「……?」
 迅雷は、腕を組んだ。
 何だ? クィーン・オブ・ソロモンってのは?
 ソロモンの女王……?

「ふぅ、さっきのは一体何だったんだか」
 鈴音は神代神社の前の石段の途中で足を止めると、息を吐いた。
 先程の襲撃の後、忽然と謎の女性は消えたままだった。
「そうとうの使い手だったようだけど……」
 鈴音の攻撃もほとんど効いてはいないようだった。
 だが、襲ってくるならば、相手が誰であろうと容赦をするつもりはない。
「今度、変なちょっかいを出してきたら、ただじゃおかない」
 鈴音は前髪をかきあげると、再び石段を登りはじめた。
 と、鈴音の耳に、神社の方から争うような物音が聞こえてきた。
「葵?」
 鈴音は気配を立つと、音を立てずに石段を駆け上がった。
 鍛錬を重ねた人間だけができる滑らかな動きだ。
 鳥居の柱の横に身体を隠して、境内の様子に目をやる。
「葵!」
 葵が何者かに迫られているのが見えた。
 腰を抜かしたのか地面に尻餅をついている葵と、それに覆い被さるように乗りかかっている女と思われる黒髪の影。
「めきょきょっ、久しいの、葵ちゃん」
「あなたは…!!」
「胸もたんまり育って!」
 黒髪の女の手が、葵の胸に伸びる。
「ひいっ!?」
「ささ、わらわの夜伽の相手を……」
「きゃあ!?」
 ばきっ。
「もひょへっ!?」
 黒髪の女の目から星が飛び出した。
 後頭部に竹ボウキが食い込んでいる。
「鈴音さん!!」
「大丈夫か、葵?」
「は、はい…」
 葵の無事を確認すると、鈴音は黒髪の女性を足蹴にした。
「昼間っから何してやがんだ、この色情魔は……って!?」
 鈴音は、床にへばりついているソレを見て、驚愕した。
「さっきの式神の女じゃねえか」
 漆黒の髪と着物、白い肌に紅い唇。
 見間違えようもない麗しき美女。
「何者なんだ…?」
「こ、この人は、あの、その……」
 葵が立ちあがりながら口を開いた。
 どうやら、知り合いのような口振りだ。
「知り合いなのか?」
 鈴音が尋ねた。
「悠樹クンのお姉さんですわ」
「何ぃっ!?」


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