安らぎを貪るもの
其の二
「
響はあまり元気のない声で、香澄へと聞き返した。
やはり体調がすぐれないようだ。
「確か、彼の家と響さんの家は近いでしょう?」
相変わらず抑揚のない声で、香澄が答える。
涼風 時雨。
猫ヶ崎高校ニ年、剣道部所属。
性格はドライでクール。
悪く言えば、無関心、無感動、無愛想。
どちらかといえば、孤立しがちの性格だろう。
部活に入っていることさえ、不思議に思える。
だが、響とは幼なじみで、親しい間柄なのだ。
「ええ、幼馴染だから」
「ん。天之川にしては気が回るじゃんか」
妙な笑顔を浮かべながら、つるぎが香澄の近くへと寄る。
「気が利く? 私は、合理的な意見を述べただけです」
「ぐっ……、せっかくのあたしの『もしかして幼馴染とラブラブなの?』の振りに合わせろよ、このアマ」
つるぎの顔を心底不思議そうに見ながら言う香澄に、つるぎの笑顔が引き攣った。
笑顔のまま表情を固め、額に青筋が浮かべる。
「つるぎさん。落ちついて落ちついて」
朱鷺が慌てて間に入る。
「ふぅ、つるぎさんのキレそうな顔もステキだ」
秀一郎が余計なことを言う。
本人は、お世辞のつもりらしかったが、つるぎは固まった笑顔の額に青筋を浮かべたまま、秀一郎の襟首を乱暴に掴んだ。
「あんだとぉ!?」
「ぼ、暴力はんた〜い!」
「……では、呼んできますね」
香澄は目の前の騒動を尻目にさっさと部室から出て行ってしまった。
「あ、天之川、待ちやがれ!」
「つるぎさん、落ちついてってば!」
「つ、つるぎさ〜ん、目が回るから襟を持ったまま暴れないでくださいよぉ」
いつもなら、ここに響も加わって騒がしくも楽しい状況になるのだが、さすがに今日の響にその元気はなかった。
心の奥からどす黒い何かが、体力を奪っていくようだった。
――いやな感じ。
「響……」
数分後、香澄が時雨を連れて帰ってきた。
時雨は、『Lunar』のメンバーには目もくれずに、響の側にすっと近づいた。
「……響」
「あっ」
時雨が響の額に手を当てていた。
「熱は、ないみたいだな」
「うん、ちょっと身体がだるいだけ」
「ひゅ〜っ」
つるぎが妙な声を出して、朱鷺と秀一郎の頭を腕で抱えた。
「つ、つるぎさん、痛いよぉ」
「ををっ、つるぎさん、ついにその気になりましたか!」
朱鷺は迷惑そう。
秀一郎は嬉しそう。
ちなみに響は恥ずかしそうで、時雨は無反応だった。
そして、無反応なもう一人が平板な声を発した。
「迅雷主将には私が伝えておきますから、響さんを頼みますね」
香澄は一方的にそう言って、時雨の返事を待たずに軽音部の部室を後にした。
無論、『Lunar』のメンバーも無視。
無視。
無視である。
「だから〜! 待ちやがれっての! 天之川!」
「だ、だから落ちついてくださいってば!」
「ぐるぐるぐる〜」
つるぎが騒ぎ、朱鷺がそれを止め、秀一郎が二人の間に挟まれて翻弄される。
――仲が良い三人だ。
そう思い、響は微笑んだ。
「行ってしまった」
時雨は、香澄の去って行った後を少し寂しそうに見つめていたが、響に視線を戻した。
「背負って行くか?」
「は?」
「いや、歩くのが辛いならおぶってやろうかとな」
「大丈夫よ」
響はそう言うと立ちあがった。
少し、足元がおぼつかない。
「トキちゃん。あ、あたしが具合悪い時は、た、た、頼むぜ?」
「も、もちろんだよ。つるぎさぁん」
「ふぅ、もう夏ですな」
秀一郎は、この前交際を始めたばかりの新しい彼女がこの場にいないことを悔やんだ。
「じゃ、つるぎ、鳳くん、秀一郎くん、ごめんね」
「気にすんなって」
「お大事に〜」
「涼風くんと上手くやってくださいネ。いざとなったら、ホテルに……おごっ、ガハァッ!」
そう言った秀一郎の顔面につるぎの拳が、わき腹に朱鷺の肘鉄が入っている。
泡を吹く秀一郎を気にした様子もなく、つるぎと朱鷺の二人は笑顔で、響に手を振った。
響と時雨は顔を強張らせながらも、挨拶すると教室を後にした。
響は少しだけ元気になっていた。
体調は無論、悪い。
だが、幼い頃から常に傍にいてくれた時雨が今も傍にいてくれる。
それが、心強かった。
二人だけの下校など何年ぶりだろうか。
響は時雨から片時も目線を離さなかった。
時雨はそれに気づいているのか気づいていないのか、俯きがちに黙々と帰路を辿る。
あまり、響と会話を交わそうとする素振りも見せない。
だが、響きはそれを冷たいとは感じなかった。
時雨の性格はわかっているつもりだ。
普段が無愛想でも、いざという時は頼りになる。
ふと、響は、今歩いている場所が、ちょうど昨夜作詞をしていた公園の通りだと気づいた。
「あ……」
約束が、あるんだった。
「……どうした響?」
「公園、寄ってもいい?」
あの女性が来るかもしれない。
「公園?」
「ちょっと、用があって……」
時雨が一緒でも大丈夫かな。
――大丈夫だよね。
「わかった」
体調の悪い響が公園にこだわる理由がわからなかったが、時雨は了承した。
「よいしょっと」
二人は並んで公園のベンチに腰掛けた。
少しだけ緊張する。
――デートみたいね。
そんなふうに、響は思った。
――時雨はどう思っているのかな。
「ねぇ。デートみたいだね」
「ん、そうかもな」
あまり興味のなさそうな返事が返ってきた。
響の予想通りだった。
昔から彼を知っている響には、時雨がこういうことに興味がないことは容易にわかっていた。
だが、それでも、やはり『デート』というキーワードへ時雨がいつもと違う反応を見せてくれるかもしれないと期待もなくはなかったので、少しばかり残念だった。
「響、具合はどうだ?」
「うん。大丈夫。ただの寝不足だと思うから、そんなに心配しないで」
「寝不足? 夜中に作詞でもしてたのか?」
つるぎと同じことをいう。
誰もが、響の音楽に対する情熱と才能は知っていた。
「ううん。最近、怖い夢を見るの」
響は首を振った。
「夢?」
「とっても怖い夢。だけど、目が覚めると内容は忘れてしまうの」
『Linar』のメンバーにも言えなかったことでも、時雨にはすんなり言えた。
「怖い夢」
時雨が確かめるように呟いた。
そして、その時。
異変は起こった。