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                                                                              <第2部>   <軽井沢基地
 
  肥満 と 病気の方程式  house5.114.2.jpg (1340 バイト)    house5.114.2.jpg (1340 バイト)

                 
                   肥満が何故・・・病気に結びつくのか?  

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  トップページHot SpotMenu最新のアップロード                                担当 : 里中 響子  

 house5.114.2.jpg (1340 バイト) INDEX                     

No.1 〔1〕 の四重奏  肥満糖尿病高脂血症高血圧 2002.11.01
No.2 〔2〕 皮下脂肪と内臓脂肪の、放出物の経路 2002.11.01
No.3 〔3〕 脂肪細胞の多様な生理活性物質 2002.11.01
No.4     アディポサイトカイン (脂肪細胞が分泌する、“生理活性物質”の総称) 2002.11.01
No.5   軽井沢・朝の散歩道 2002.11.02
No.6 〔4〕 肥満が生活習慣病を招く、もう1つのルート 2002.11.08
No.7     アディポネクチン 2002.11.08
No.8     ボスの来訪軽井沢基地 2002.11.08
No.9    アディポネクチン遺伝子の変異 2002.11.08
No.10 〔5〕 飽食と運動不足による、想定外の肥満 2002.11.11
No.11 〔番外編〕 時代が要請する、予防医療へのシフト 2002.11.11

     

 〔1〕 の四重奏            <ミーコちゃん>  

               肥満糖尿病高脂血症高血圧

             

「ええ、マチコ...準備はいいかしら...」響子が言った。

「あ、ちょっと、まって...」マチコは、弥生からもらったケーキを口の中に押し込ん

だ。それから、お茶をゴクンと飲んだ。

「マチコ...」響子が、首をかしげた。「あんまりケーキを食べると、肥満になるわ

よ...」

「あ、うん...気をつける...」マチコは、もう一度、ゆっくりと、お茶を喉に流し込ん

だ。

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「ええ...響子です...

  このページでは、肥満と病気の因果関係を、さらに詳しく考察していきます...

 

  さて...肥満が、何故様々な生活習慣病を引き起こすのか...実は、このメカニ

ズムは、よく分かっていませんでした。しかし、最近、遺伝子発現の解析から、“脂肪

細胞”というものが少しづつ分かってきたようです。それによると、“脂肪細胞”は様々

“生理活性物質”を分泌していて、これらの分泌異常が、病気の一因になっている

うです...」

「でも、」弥生が言った。「肥満と分かっていて、それが何故病気と結びつくか分から

なかったというのも、不思議な感じがしますわ」

「それはね...」響子は、天井を見上げた。「簡単に言うけど、実は非常に難しい問

題なの...確かに、脂肪組織の増大を、大雑把にしか見てこなかったということもあ

るけど、それだけじゃあないの。こうした生活習慣病というのは、実は、多彩な要因

が複合的に作用して起こる、“多因子疾患”なわけなの...非常に、難しいのよ。

  でも、それも時代の流れで、いよいよこうした領域にまで、解明のメスが届き始め

たということかしら。ついこの間までの医療は、“代謝”“免疫系”のシステムに対

処するものでした。それが、現在では、“細胞”“遺伝子”“分子レベル”での医療

が展開しつつあります。こうした総合的なレベルアップが、肥満や生活習慣病の解明

にも、いよいよ本腰を入れてきたということです」

「はい、」マチコが、コトリ、とお茶の茶碗を置いた。

 

「ええ...何度も言ってきたことですが、生活習慣病としてのリスクが高いのは、

臓脂肪型の肥満です。それから、動脈硬化の発症因子として、これまではコレステロ

ール値の重要性が言われてきましたが、どうもこれは主役ではないということも分か

ってきました。もちろん、重要ではあるけれども、主役ではないということですね」

「それじゃ、何が主役なわけよ?」マチコが聞いた。

「難しいんですわ」弥生が、マチコに言った。「だから、現在も、一生懸命に研究が続

けられているわけ」

「弥生の言うとおりよ。でも、分かってきていることもあります。そうしたことも踏まえ

て...では、何が危険なのかというと、程度は、たいしたことがなくても・・・、3つ

の危険因子、“糖尿病・高脂血症・高血圧”を、同一の人が同時に発症している場合

です。

  そして、この3つの危険因子に至る上流には、肥満があるわけです。それも、特

に、内蔵脂肪型肥満があるわけですね...」

「はい、」弥生は、テーブルの上に両肘を置き、両手をピタリと合わせた。

「そこで、この3つの危険因子に肥満を加えた、“肥満+糖尿病+高脂血症+高血

圧”を、“死の四重奏”とか、“シンドロームX”とか、“メタボリックシンドローム”などと

呼んでいます。つまり、これは死につながる、非常に危険な状況に陥っているという

ことですね...

  こうした状況に陥っている場合は、医師の指導をしっかりと受け、病気として認識

し、しっかりと治療しなければならないということです...」

 

  〔2〕 皮下脂肪と内臓脂肪の、        

                 エネルギー放出経路の違い .....

 

「さ、これから、脂肪細胞について様々に考察していくのですが...まず、皮下脂肪

と内臓脂肪について、少し詳しく説明しておきます。

 

  ええ、ご存知のように、脂肪細胞というのは...過剰エネルギーを、中性脂肪とい

う物質の形で備蓄し、空腹時や運動時にこれを分解してエネルギーを作り出します。

多くの動物が、空腹時を乗り越え、生命体として安定しているのは、この脂肪細胞の

功績が大きいわけです...

  ええ、この“物質の形”というのは、もう少し詳しく言うと、性脂肪の一種で、“トリ

グリセライド”と言います...

  それから、肥満者の場合、脂肪細胞は“増加”と同時に、細胞そのものも“肥大

化”していいます。そうなると、脂肪細胞から分泌される“生理活性物質”のバランス

が崩れてしまいます。

  この“生理活性物質”のバランスの崩れが、いわゆる各種の肥満症の原因となっ

ているのです...つまり、その下流には、“死の四重奏”があるということです...」

 

       house5.114.2.jpg (1340 バイト)index292.jpg (1590 バイト) wpe75.jpg (13885 バイト)    

 

「さ、話を進めましょう...ええと...そこで、この脂肪細胞が何処にあるかによっ

て、皮下脂肪と、内臓脂肪とに分けられるわけですね...

  それから、この別々の場所に蓄えられた脂肪細胞は、その形態的な違いだけでは

なく、実はそのエネルギーの放出経路においても、大きな違いがあるのです...つ

まり、回路が違うのです。ここが、ポイントになります...」

「どうしてかしら?」弥生が言った。「どうして、同じ回路に流れないのかしら?」

「それは...人間の体の仕組みが、そうなっているということですね。何故かは、DN

Aに聞いてください」響子は、唇で笑って見せた。

「そうね」弥生も、微笑した。

「その放出経路については、後で説明します」

「はい」

「そこで...ええ、皮下脂肪というのは、預金に例えて言えば、今はとりあえず必要

のないお金です。したがって、いざという時に備える、“定期預金”“積立預金”にあ

たります。それに対して、内臓脂肪の方は、毎日出し入れする“普通預金”のようなも

のと言われます。

  だから、冬眠する熊などは、冬に備えて、たっぷりと皮下脂肪を溜めておくわけで

す。つまり、こういう脂肪は、全てではないですが、健全なサイクルでもあるわけで

す」

「そっかあ...」マチコは、上着のポケットに両手を突っ込み、脚を組み上げた。

「さあ...そこで...皮下脂肪と内臓脂肪の、具体的な違いを考えてみましょう

か...

 

  まず、空腹時や運動時に、脂肪細胞に備蓄していたエネルギーを、必要に応じて

分解し、放出するわけですね。

  そのときの化学反応というのは、中性脂肪の“トリグリセライド”を、まず“遊離脂肪

酸”“グリセロール”に分解します。そしてそれを、エネルギー消費のために、“放出

物”として体へ送り出すわけです。その送り先が、皮下脂肪と内臓脂肪では、全く違

うということです。つまり、同じ蓄えられた脂肪でも、違う回路に入るのです。ここがポ

イント...」

「うーん...」マチコが、首をひねった。「私たちの活動エネルギーが、その脂肪細胞

から補充されるわけね。車のガソリンのようなものかしら?」

「ガソリンなんてもんじゃないわよ」響子は、口元に手をやった。「私たちの体は、その

何百万倍も精巧な“ナノマシンの塊”よ」

「ふーん...」

「いいこと、マチコ...私たちの体は、リンゴでもバナナでも、初めて食べるパパイヤ

でも、即エネルギーに還元できるのよ。こんなことが、ガソリンエンジンや、スーパー

コンピューターに処理できるかしら?それに比べたら、私たちの体は、まるで魔法使

いじゃないかしら?」

「それはそうだけど...」マチコは、ゆっくりと腕組みをした。

「それで、どうなるんですの、響子さん?」弥生が、響子を促した。

「はい...皮下脂肪と内臓脂肪では“放出物(/遊離脂肪酸・グリセロール)の送り

出す先が違うということですね...

  皮下脂肪の場合は、“放出物”は“大循環系”に入り、全身の筋肉などで使われま

。一方、内臓脂肪からの“放出物”は、肝臓に直結した“門脈系の循環”に入り、全

てが肝臓に取り込まれます

「内臓脂肪の方は、全部、肝臓に入るのね」弥生も、マチコのように腕組みをした。

「そういうことです」響子が言った。

「でも、それが、何故問題なのかしら?」

「はい...肝臓に取り込まれた遊離脂肪酸は、トリグリセライドやコレステロールとい

った脂質の材料になることから、“高脂血症の原因”になります。また、この遊離脂肪

酸は、単なる脂質の材料だけではないことも分かってきました。この遊離脂肪酸は、

“生理活性物質”としても働き、脂質合成の酵素や脂質の運搬にかかわ“リポタン

パク質”の合成を促す作用があることも分かりました」

「“リポタンパク質”?」

「そうです...それから、肝臓に取り込まれたグリセロールの方は、ここでグルコー

(/ブドウ糖)に変えられ、血中に放出されます。したがって、これも血中に、いわ

ゆるブドウ糖を放出するわけですから、“高血糖の原因”になるわけです...」

「そうかあ、」マチコが言った。「でも、悪いことばかりじゃないわけでしょう?」

「そうなの。だから、難しいわけよ。微妙なバランスの崩れが、その振幅を大きくし、

病気になっていくのでしょうね」

「うん...」

  〔3〕 脂肪細胞の     wpeA.jpg (42909 バイト)    house5.114.2.jpg (1340 バイト) 

             多様な“生理活性物質”  .....

 

「ええと...これまでの話を、簡単におさらいしておきましょうか」響子は、作業テー

ブルの上の、パソコン画面を見ながら言った。「“肥満”というのは...ともかく、“脂

肪細胞”が最大の問題ですね...そして、“肥満”とは、そもそも、この脂肪細胞の

増大を意味するわけです。

  それから、脂肪細胞には、皮下脂肪内臓脂肪の、2つの形態があるわけです。

また、内臓脂肪は“生活習慣病”としてのリスクが非常に高く、これは即、“肥満症”

診断される...と、いうことでしたね、」

「はい、」弥生が、うなづいた。

「さらに...」と、響子は、マウスでくるりと輪を描いた。「...内臓脂肪は、預金で言

えば、普通預金と言われるわけですが...実は、この内臓脂肪の方が、日々のエネ

ルギーの過不足に関しては、非常に機敏に対応できるのです。何と言っても、出し入

れ自由な普通預金です。一方...皮下脂肪の方は、飢餓などのいざという時のため

の、いわゆる積立預金のようなものですね」

「あの、響子さん...内臓脂肪の普通預金の方が、何故、具合が悪いのでしょう

か?つまり、何故、普通預金の方が、肥満症のリスクが高いのでしょうか?」

「うーん...まず、統計的な結果として...厳然として...そうした傾向が示されて

いるということですね...そして、内臓脂肪からの放出物(/遊離脂肪酸・グリセロ

ール)、肝臓に直結した門脈系の循環に入り、全てが肝臓に取り込まれるというこ

とです。

  “遊離脂肪酸”は、脂質の材料だから高脂血症の原因になります。そして、“グリセ

ール”は肝臓でグルコース(ブドウ糖)に変わり、血中に放出されます。つまり、これ

は血糖値を上げることであり、高血糖の原因になるということですね。この他にも、

レステロールの問題もありますし、インシュリンの問題もあります。つまり、こうしたバ

ランスの問題に入り込むと、非常に複雑です...そして、こうしたバランスの崩れ

が、病気なのです...深く入り込めば入り込むほど、奥は深いと思います」

「はい、」弥生が言った。

「ともかく...内臓脂肪は、悪玉ということですね。弥生さんの言う“何故”の答えに

はならないかもしれないけど、それは実は非常に難しい問題なのだと思います。私

たちの体では、“何故”と聞かれて、明確に答えられることなど、ほとんど無いのでは

ないでしょうか...」

  弥生は、黙ってうなづいた。

「いずれにしても、内臓脂肪型肥満になり、そうした回路が動き出すこと自体に問題

があるのかも知れません。それは言ってみれば、“内臓脂肪症候群”というものであ

り、このサイクルそのものにも問題ありだと、私も思います。ともかく、それ以上詳し

いことは、私には分かりません...」

「はい。それだけ聞けば、十分ですわ」

  響子は、弥生にうなづいた。それから、

「したがって...私たちが肥満として問題にするのは、このあたりまででいいと思い

ます。あとは、こうした内臓脂肪型肥満を、いかに回避していくかということの方が重

要だと思います」

「そうよね」マチコが言った。

「さあ...ええと...もう一方の皮下脂肪の場合は...放出物は“大循環系”に入

り、身の筋肉などで使われるわけですね。こっちの方は、こういう使われ方ですか

ら、あまり肥満症には関係なさそうですね...」

「でも、どうなってるのかしら?」マチコが聞いた。

「うーん...そのデータは、今もっていないのよ...

  いずれにしても、私の知っているところでは、地球生命圏の全生命体は、共通エネ

ルギー通貨の、“ATP(アデノシン三リン酸)で駆動しています。言い換えれば、DNA型の

地球の全生物体は、この“ATP”というエネルギーで細胞を駆動し、生命活動をして

いるのです。したがって、ヒトの体においても、全細胞、全循環系、全筋肉等を駆動し

ているエネルギーは、“ATP”なのです。

  したがって、脂肪細胞からの放出物は、何処かでこのATPに変換されているわけ

ですね。しかも、急速に変換しているわけです。そして、筋肉に疲労物質として、ピル

ビン酸乳酸などが溜まるわけですが、これもATPのエネルギーで清掃されていく

わけです...

  ただ、脂肪細胞の放出物から、ATPに変換されるまでの化学式が、今私の手元

にはないということです...分子生物学の専門家なら、当然知っていることですけ

ど...」

「ふーん」マチコが言った。「なるほどね、」

「こうしたエネルギー・サイクルの1つをとっても、分子生物学の非常に深遠な領域に

入っていくわけです。でも、私に説明できるのは、このあたりが限界です。分子生物

学、生物情報科学(バイオインフォマティックス)の外山陽一郎さんなら、ずっと深くまで説明で

きるのでしょうが、残念です。それは、次の機会にお願いすることにしましょう...」

「ええ、はい」弥生が言った。

 

         house5.114.2.jpg (1340 バイト)           

           外山陽一郎 分子生物学、 生物情報科学(バイオインフォマティックス)

 

                                              wpeA.jpg (42909 バイト)         

  ミケが、ひょいと作業テーブルの上に跳び乗った。そして、パソコンの横で「ミャー

ッ、」と言った。それから、キーボードの上の、響子の手にじゃれる真似をした。マチコ

が、ミケをすくい上げ、トン、と膝の上に置いた。すると、ミケはスルリと床の上に飛び

降りた。

  ミケは、それから尻尾を振りながら、ドアの方へ行った。そして、猫通路からテラス

へ出た。テラスには、大量の落葉の吹き溜まりができていた。それが、風でゆっくりと

揺れ動いている。ミケは、その動く落葉の吹き溜まりで、ひとりでじゃれていた。そこ

に、何処へ行っていたのか、ミーコちゃんがフラリと帰ってきた。

              wpe75.jpg (13885 バイト) wpeA.jpg (42909 バイト)           

 

  響子は、テラスから目をもどした。

「さあ...ともかく、話を進めましょう...」

「はい」マチコが言った。「ミミちゃんは、何処へ行ったのかしら、」

「そう言えば、見なかったわね」弥生が言った。

「始めます...

 

  ええ...この脂肪細胞というのは...過剰エネルギーの“貯蔵庫”という役割の

ほかに、生理活性物質を分泌する、“内分泌細胞”としてのもう1つの役割がありま

す。この脂肪細胞が分泌する生理活性物質は、“アディポサイトカイン”と総称されま

す。このアディポというのは、脂肪の意味ですね...

  さて、正常な状態の脂肪細胞は、必要に応じて、適正にアディポサイトカインを分

泌しています。ところが、内臓脂肪が肥大し蓄積した状態では、それが過剰に分泌さ

れたり、逆に分泌しなくなったりするわけです。したがって、このアディポサイトカイン

の分泌の乱れが、生活習慣病の一因と考えられています」

 

                                              wpe75.jpg (13885 バイト)         

 

「以下に、現在分かっているアディポサイトカインの主なものを、列記しておきます。

サッと目を通しておいて下さい。中には、“インターロイキン−6”だとか、“エストロゲ

ン”だとか、私たちが他の場所で目にしたことのあるような物質も含まれています」

 

   wpeA6.jpg (14454 バイト)【アディポサイトカイン】               house5.114.2.jpg (1340 バイト)    

                   (脂肪細胞が分泌する、“生理活性物質”の総称)

  アディポネクチン  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 

 PAI−1 

 HBEGF

 以上     血管病、動脈硬化            

 アンジオテンシノーゲン

         高血圧                   

 TNF-α

 遊離脂肪酸

 グリセロール

         耐糖能障害、脂質異常          

 レプチン

         耐糖能障害、摂食、繁殖         

 コレステリルエステル転送タンパク質

 アポD,E,J

 アシレーション刺激因子

         脂質異常                  

 インターロイキン−6 

 アンディプシン,factor B,C3a,H,I

 プロペルジン

         免疫異常                  

 アンドロゲン

 エストロゲン

         性機能                    

 未知の物質  

         まだ解明されていない物質       

 

                                     house5.114.2.jpg (1340 バイト)      

 

「ええ、響子です。今日はここまでにしておきます。かなり難しい領域なので、何度か

に分けて行います。

  さあ、弥生、マチコ...一杯飲みましょうか?それとも、何処かへ、おいしいものを

食べに行きましょうか?」

「それじゃ、出かけましょうか?」弥生が、目を輝かせた。「おいしいお蕎麦が食べた

いわね。せっかく、軽井沢に来ているんですもの」

「うーん、そうよね...」マチコが、椅子から立ち上がり、両手を上に伸ばした。

「お蕎麦!ええ、いいわよ!」響子が言った。「おいしいお蕎麦屋さんを知ってるの。

天気もいいし、久しぶりに街へ出ましょうか。車も、たまには動かしてやらないとね」

「ねえ、自転車で行こうか?」マチコが言った。「気持ちいいわよ」

「そうね、」弥生がテラスの方を見た。「風があるけど、カラリと晴れてるし、外は気持

ちがよさそう」

「じゃあ、サイクリングね」響子が言った。「いいわよ。何を着ていこうかしら、」

「コートは着ていった方がよさそうね」弥生が言った。

 

                house5.114.2.jpg (1340 バイト)wpe75.jpg (13885 バイト)house5.114.2.jpg (1340 バイト)       

 

                                                       (2002.11.02)

   house5.114.2.jpg (1340 バイト) 軽井沢・朝の散歩道 wpe75.jpg (13885 バイト)   

 

            wpe75.jpg (13885 バイト) house5.114.2.jpg (1340 バイト)house5.114.2.jpg (1340 バイト)       house5.114.2.jpg (1340 バイト)

 

  マチコたちの滞在中、軽井沢の秋は急速に深まった。広葉樹が黄葉し、それが周

囲の雑木林を埋めた。そして、いつしか基地周辺でも落ち葉が舞い始た。また、例年

のように、落ち葉も次第に地面に降り積もりはじめる頃、何日か雨が続いた。その頃

になると、浅間山に初雪が降り、いよいよ冬が近づいているのが感じられた。

  ある雨上がりの朝、響子はマチコと一緒に早朝の散歩に出た。吐く息が、白く凍っ

た。急速に気温が下がっていた。日の出前の樹林や山々のシルエットが、寒気の中

でくっきりと浮かび上がった。

  二人が、まだ薄暗い雑木林の小道に入っていくと、濡れた樹木の匂いがした。濡

れて黒ずんだ落ち葉に、霜が降りていて、カサカサと音がした。

「もうすぐ冬よね...」マチコが、防寒ジャンパーに両手を突っ込み、肩を震わせた。

背中には、いつものリックサックを背負っている。

「...私は、軽井沢の秋が好きなの...」響子は、カーキ色のロングコートの前を開

け、首にライトグレーのマフラーを下げていた。

  ピピッ、とマチコの携帯電話が鳴った。マチコは、それをポケットから出した。

「はい!マチコ!」

「弥生よ。おはよう」

「あ、オハヨ!今日は早起きね」マチコは、薄闇の中で、響子の顔を見た。「いつもは

ネボスケなのに、」

「そう。朝食を作っておくけど、何時頃がいいかしら?」

「そうねえ、」響子が、マチコの携帯電話に口を寄せた。「今日はマチコと一緒だか

ら、遠回りのコースなの。だから...8時頃になるかしら、」

「8時ね。準備しておきますわ。野イチゴの、手作りジャムをいただいてあるの。パン

も、焼きたての美味しいのを、コッコちゃんに持ってきてもらうから、」

「そ、お願いね」

「こっちも、お土産を持っていくわよ」マチコが言った。「ドングリか、栃の実」

「はいはい」

 日が昇ると、雑木林に日が差し込んだ。二人は、赤い木漏れ日の中を、落ち葉を蹴

散らして坂道を登った。やがて、切通しの小山の手前に出ると、空が青黒く、宇宙へ

通じる深さを感じさせた。切通しの上に出ると、二人とも、ほんのりと体が汗ばんでい

た。そこから、向こうの下界は、黄金色に染まる落葉松林だった。道は、なかば葉を

落した落葉松林の中へ、吸い込まれるように消えている。

「この風景、見覚えがあるでしょう?」響子が、傍らの枯れた叢を歩きながら言った。

「あ、そうか、油絵があったわね」マチコが言った。「あれは、支折が描いた油絵よ」

「そう...あの絵は、ここから描いたの...落葉松林の中もきれいよ...今は、半

分落葉になっているし...」

  二人はその落葉松林の中へ下っていった。黄金色に染まった落葉松の落葉に、

朝日のこぼれ日が射していた。落葉松の大木の幹も、晩秋の雨で黒々と濡れ、日を

受けてかすかに蒸気が昇っていた。

「きれいね」マチコが言った。

「ええ...落葉松は、若葉もきれいだけど、枯れ葉もいいわねえ...

     御仏の...落葉松散りたる...軽井沢...」

  響子は、コートのポケットから手帳を出し、それを書き付けた。

「あ、俳句ね」

「いえ、短歌よ...下に、7・7がつくの、」

  マチコは、指を折っていった。

「“落葉松散りたる”は、1つ字あまりね...散りたる...散りぬる...散りし...こ

っちがいいか...

      御仏の...落葉松散りし...軽井沢...うん!」

「それで、さあ、俳句になってるんじゃないかしら、」

「でも、私は、女流歌人なのよ」響子は、笑って言った。「そんな、女流歌人なんて言

い方が、あるのかどうか知らないけど...うーん...それより、下の句よね...」

  それから、響子は、基地に帰り着くまでに、1首をまとめ上げた。マチコも、俳句を1

句作った。

 

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   wpe75.jpg (13885 バイト)  御仏の 落葉松散りし 軽井沢  house5.114.2.jpg (1340 バイト)

          朝な夕なに 冬忍び寄り   house5.114.2.jpg (1340 バイト)  

                                                          <里中 響子>

**********************************************************************************

    冬近し 散歩のみやげ カラス瓜   

                                                         <折原 マチコ>

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                                                                     (2002.11.08)

  〔4〕 肥満が生活習慣病を招く、       house5.114.2.jpg (1340 バイト) 

              もう1つのルート ・・・ アディポネクチン ・・・

 

   アディポネクチン (脂肪細胞が分泌する、“生理活性物質”の1つ) ・・・・・・・・・ 

  <肥満による、アディポネクチンの分泌量低下が、

                生活習慣病のリスクを増大させます...>

                                    wpeA.jpg (42909 バイト)  

 

「響子です...ええと、さっそく始めます。マチコ...いいかしら?」

「あ、うん!」マチコは、ミケの頭をおさえた。ミケは首を縮め、目を細めた。

「さ、では...ええ...肥満が生活習慣病を招く、もうひとつのルートを説明します。

  それは、アディポサイトカイン(脂肪細胞が分泌する、“生理活性物質”の総称)のひとつ、“アディ

ポネクチン”の減少によって起こります。一口に言うと、そういうことです...」

「ふうん...」マチコが、ミケの頭をひと撫でした。「それだけ?」

「まさか、」弥生が笑った。

「はい。もちろん、説明します...

  ええ...他の生理活性物質では、分泌量の増加によって病気が発症することが

多いのですが、この“アディポネクチン”ではその逆になります。

  後で詳しく考察しますが、この“アディポネクチン”は、どうやら諸々の“病気の火消

し役のタンパク質”らしいのです。したがって、この分泌量が減少することによって、

病気の方のリスクが増大するというわけですね。そこで、何故、分泌量が減少するの

かというと、脂肪細胞が増大することによって、減少することが観測されています。そ

れも、特に内臓脂肪が指摘されています」

「あ、それじゃあ、肥満になると、分泌量が減少するわけね...」マチコが言った。

「そのとおりです!」響子はうなづいた。「ええ...それじゃ、アディポサイトカインの

ひとつ、アディポネクチンについて、さらに詳しく説明します」

 

【アディポネクチン】            house5.114.2.jpg (1340 バイト)index292.jpg (1590 バイト)    

 

「うーん...何から話したらいいかしら...

  最近...大阪大学/細胞工学センターで、脂肪細胞で発現している、遺伝子の

検索が行われました。これは、“ボディーマップ解析”と呼ばれるプロジェクトの一環

で、人体の臓器や細胞で発現している遺伝子を調査・比較し、細胞の種類ごとの機

能を探る研究でした...」

「あのさあ、響子、」マチコが言った。「同じ遺伝子でも、臓器細胞が違うと、違う働き

になるわけ?」

「そうねえ...最初10万個といわれていたヒトゲノムの遺伝子が、3万個ぐらいって

ことになっちゃったわけだし、そういうことかもね。今度、注意して見ていてよ。私も確

認してみるから、」

「あ、うん」

「弥生もね」

「ええ」

「それで...脂肪細胞で発現している遺伝子のうち、約1500個をランダムに調査

たそうです...その結果、脂肪細胞は、エネルギーを備蓄して飢餓に備える他に、

多彩な生理活性物質を分泌していることが分かりました。これは、すでに述べたこと

ですね」

  弥生が、小さくうなづいた。

「さて、こうした研究の中で、脂肪細胞のみで発現している、“未知の遺伝子”に注目

が集まりました...

  ええ...こうした研究では、しばしば遺伝子という言葉が使われますが、要はそ

の遺伝子の設計図によって作り出される、タンパク質が存在するということです。これ

は、分かるでしょう?」

「遺伝子と、タンパク質は、同じではないということね?」マチコが聞き返した。

「もちろん!遺伝子は、設計図です。タンパク質は、その図面によって作られた製品

です。つまり、その細胞で当該の遺伝子が発現しているという事は、DNAライブラリ

ーの中から、その遺伝子がピックアップされて、mRNA(メッセンジャーRNA)に転写され、

その細胞のタンパク質製造工場であるリボソーム作られたということです。

  今回は、脂肪細胞で発現している遺伝子のうち、約1500個をランダムに調査した

ということですね。マチコ、この意味は分かる?」

「うん」

「はい...

  ええ、したがって、そうした特異なタンパク質よりも、そのプロセスの源流にある遺

伝子として扱ったほうが、理解されやすい場合が多いわけですね」

「うーん...そっかあ...」

「それで...ええ、その問題の“未知の遺伝子”ですが、それがアディポネクチンと命

名されたわけです。“アディポ”というのは、前にも言ったように、脂肪のことです。そ

“ネクチン”とは、代表的な細胞間タンパク質ネクチンからもらったそうです。

  さて、この“未知の遺伝子”が、何故それほど注目を集めたかというと、脂肪細胞

の既知・未知の全遺伝子の中で、最も強く発現していたからだといいます。

  そこで、色々調べたところ、このアディポネクチンの血中濃度が低下すると、イン

シュリンの効きが悪くなり、“糖尿病”の発症へとつながることが分かったのです。こ

のことは、アメリカのアリゾナ州に住むピマ族についても調査されています。つまり、

肥満と糖尿病患者の多いことで知られるピマ族においても、アディポネクチンの血中

濃度の低い人の方が、糖尿病を発症する例が多かったわけです...」

「うーん...糖尿病ね、」マチコが言った。「そんな風に調べるわけね」

「それと...“動脈硬化”につながる、諸々の細胞現象を抑える働きも確認されてい

ます。つまりこれは、アディポネクチンの血中濃度が低いと、動脈硬化の危険因子

なるということです。動脈硬化の火消し役が不在だと、動脈硬化になるリスクが非常

に高くなるということですね。それから、このアディポネクチンの血中濃度というのは、

1dl(デシリットル)あたり 0.5mg 〜 1.0mg と、きわめて高濃度なことも判明しました」

「その、メカニズムはどうなのかしら、」弥生が、ポツリと口を開いた。「火消し役の、」

「ええと...はい...

  動脈硬化の初期現象として、炎症をきっかけに、“単球(/炎症の主役)血管内皮細

接着するの...この時、“単球”が出す生理活性物質の働きを受けて、血管内

皮細胞が“接着分子”を作り出すわけね...アディポネクチンは、この“接着分子”の

発現を、強力に抑制することによって、この初期現象のプロセスを阻害していくわけで

す...」

「うーん、すると、邪魔をするわけね?」マチコが言った。

「そう!だけど、これだけじゃあないの...

  動脈硬化の次の段階では、血管内皮細胞に接着した“単球”が、血管内膜に入り

込み、そこで“マクロファージ(貪食細胞)へと分化するの...」

「マクロファージというのは、聞いたことがあるわね」マチコが言った。「それは、細菌

の1種かしら?」

「いえ、“マクロファージ”というのは、細菌・異物・細胞の残骸などを、その自分の細

内に取り込み、消化する力があるの...風邪をひいた時なんか、初期の段階で、

その菌を食べちゃうわけよ...」

「それでさあ、マクロファージは、細菌じゃないの?」マチコが聞いた。

「そうねえ...別な言い方をすれば、“マクロファージ”というのは、強力な、大型の、

単核細胞ね。仕事としては、炎症の修復や、免疫に寄与するわけ...だから、“貪

食細胞”と言うわけなの。

  さっき、“単球”という言葉があったでしょう。これは、“白血球の一種”なんだけど、

胞組織の中に入ると、この“単球”が、マクロファージになるわけよ。だから、動脈

硬化の次の段階では、“単球”が、血管内膜に入り込み、そこでマクロファージへ分

化すると言ったわけよ...」

「うーん、はい...」

「ええと...何処だったかしら...

  あ、そうそう...マクロファージは、その自らの細胞内に、酸化したLDL(/悪玉コ

レステロール)を取り込んで膨れ上がり、プラーク(塊)を形成するわけね。これは、悪

いやつよ。そこで、またまた火消し役のアディポネクチンが登場するわけ...」

「うーん...ややこしいわねえ、」

「もう少しよ!ええ、つまり、こういうことなの...

  アディポネクチンは、マクロファージが悪玉コレステロールを取り込む時に使う特殊

な受容体、“スカベンジャー受容体タイプA”の発現を抑制する働きがあるの。これが

うまくいけば、マクロファージは悪玉コレステロールを取り込めなくなり、プラークの形

成もおきにくくなる...つまり、動脈硬化も抑えられるわけ...これでおしまい、」

「つまり、アディポネクチンは、マクロファージの仕事の邪魔をするわけね?」マチコが

言った。

「そういうこと!」

「ここでは、マクロファージは、悪役ですのね」弥生が言った。「正義の味方だと思って

いたのに、」

「そう。ここでは、そういう役回りね」

「うーん...」マチコが言った。「簡単には、納得のできない話よね」

「そうね。私たちとしては、とりあえず全体的な風景が理解できればいいと思います。

“β3-アドレナリン受容体遺伝子”の所でも言いましたが、私たち自身がそのことを

理解しているということは、治療効果が上がるということです。まだ、発症していない

人の場合は、予防効果があがるということですね」

「うーん、そうかしら?」マチコが首を横にした。

「マチコ、ここは大事な所よ」響子は、ゆっくりとマチコと弥生の方に体を向けた。「私

たち人類が、様々な病原菌を克服したり、様々な病気を克服してきたのは、それを

“理解した時”からなの...それを文明の力で“理解した時”、人類は、それを克服す

ることができたの...ペストも赤痢も、」

「うん」

「病気でも、その病気を理解できた人は、その病気を乗り越える時なのよ...エイ

ズ、インフルエンザ、BSE(狂牛病)...どれも今でも怖い病気だけど、私たちはそれを

理解し、日常生活の中で回避できるわけ...もちろん、個人、社会、国家のレベル

で、それぞれ対応できる深度は違うわけですけどね...でも、知るということは、大

事なの...」

「うん!」マチコは、コクリとうなづいた。

「でも、」と、弥生が言った。「ガンはどうかしら?」

「そう...だから、ガンが問題になるわけよ。でも、それを理解することによって、私

たちも発癌物質を回避したり、喫煙をやめたりするわけよ。それから、様々な治療法

が開発されたり、やがては遺伝子レベルでの回避などへも進んで行くと思います」

「うん!」

「さあ、話を進めます...いいマチコ?」

「はい」弥生が答えた。

「この、動脈硬化の火消し役であるアディポネクチンには、実は、さらに他の能力もあ

るのです。例えば、血管の内膜が厚くなる一因として、“平滑筋細胞の過剰増殖”

あります。アディポネクチンは、この細胞の増殖因子“PDGF”の働きを抑制する作用

があるのです」

「“平滑筋細胞”の...“過剰増殖”ねえ...」マチコが言った。「そんなんで、動脈硬

化になるんだあ...」

  弥生は、黙ってうなづいた。ミケが、マチコの足をチョイチョイと引っ掻いた。マチコ

は、ミケの腹を優しく踏みつけ、ぐるぐると振り回した。

 

「マチコ!」ミミちゃんが、インフォメーション・スクリーンの方で呼んだ。「ボスの車をキ

ャッチしたよ!」

「あら、そう。じゃ、追跡して、」

「うん!」

「しっかりね」

「大丈夫だもん!」

 

「ええ...いいかしら...」響子が、ミミちゃんの方から目を戻した。

「はい」マチコがうなづいた。

「ええ...このアディポネクチンは...高濃度で血中を流れ、全身を巡っています。

そして、血管壁が傷つくと、血管壁の中(血管内膜)に取り込まれます。そして、そこ

で生じる動脈硬化への病変を、効率よく防いでいるようです...

  ところが、内臓脂肪型の肥満になると、脂肪細胞のアディポネクチンの分泌量が

低下し、当然ながら血中濃度も下がります。すると、インシュリンの効きが悪くなって

糖尿病を誘発します。また、動脈硬化の火消し役がいないために、動脈硬化もまた

進行するという次第です...」響子は、マチコと弥生を見、パン、と両手を合わせた。

「それは、要するに、内臓脂肪型の肥満が、よくないということよね」マチコが言った。

「そういうことです!」

  【ボスの来訪軽井沢基地house5.114.2.jpg (1340 バイト)   wpe75.jpg (13885 バイト)

                                                                                           <ボス=岡田>

「どう?」マチコが、ミミちゃんに聞いた。

「うん!ずっと、GPSで追跡してきたの!まっすぐ基地の方に来るもん!」

「そう、」

「デジタルマップを解析したら、もうすぐ基地の監視カメラに入るもん!」

「そう...」マチコは、モザイク画像のインフォメーション・スクリーンを眺めた。

「カメラに入ったよ、マチコ...」ミミちゃんが、モザイク画像の中から、基地へ続く雑

木林の画像を拡大した。

「あ、ボスが運転してるよ!窓を開けて、景色を見てる!」

 

  3人は、テラスからガレージの方へ回った。そこへ、ボスの車がのんびりと入って

来た。ボスは、砂利敷きのカーポートの端に車を止めた。あたりに、大量の落葉が吹

き寄せてきている。

「ボス!おはようございます!」マチコが言った。

「おはようございます!」響子と弥生も言った。

「ああ、おはよう!今日は、よろしく頼む!」

「はい!」響子が言った。「ボスがサイバースペースへ来られるなんて、本当に珍しい

ですわ」

「うむ。今回は、私も関心のあるテーマなんでね」岡田は、助手席の手荷物を引き寄

せた。「一応、自分自身の体の管理もあるし...勉強しておきたいわけさ...」

「ボスも、そろそろ体には気をつけて欲しいわね」マチコが言った。

「ああ。それと、たまには外へも出てみたい。晩秋の軽井沢も、悪くないね」

「はい。素敵ですわ」響子が言った。「私は騒々しい夏よりも、秋の軽井沢が好きです

わ」

「ふむ、」岡田は、ゆっくりと車から落葉の舞う地面に降りた。「皇后様の御実家の、

旧正田邸がこの町へ移築になるそうだな?」

「はい!予定地のあたりを、後でご案内しますわ」

「あ、お持ちします、ボス」弥生が、岡田の手から手提げ袋を取った。

「おう、すまんな」

  岡田は、みんなに案内され、広い作業ルームに入った。南側に、大きなガラス窓

があった。そこから、部屋全体に外の明かりが入っていた。その右手の西の壁に

は、大型液晶スクリーンがある。電源は入っていなかった。

  部屋は小奇麗で、秋の草花の花瓶が幾つもあり、出窓の花器にはカラス瓜が活け

てあった。作業ルームではあったが、いかにも女性が管理している基地だった。

「あの、ボス、」マチコが言った。「今までの講義は見ていたんですか?」

「ああ。一応見ていたよ。君等の、元気な様子も見ていた」

「どうでしたか?」響子が聞いた。

「良かったよ。マチコも、弥生も、なかなか良かった」

「わーい!」マチコは、両手を上げた。

  弥生は、微笑して、口に手をやった。

「ところで、車庫にあるグレーの車は、響子さんのかな?」

「あ、はい。そうです」

「私の車とよく似ているな。私の車は、もう10年も乗っているんだが、」

「あ、多分、同じだと思います。トヨタのコロナ。同じ型です」

「そうか...私も新車にしたいんだが、今年もまた無理だな、」

「私も今度は、四輪駆動にしようかと思ってます」

「そうか。冬の軽井沢は、四輪駆動がいいか、」

「はい。みんなで、現在、物色中です」

「うむ。今年は、鹿村へは行かないのかな?」

「まだ、分かりません。清安寺の良安さんから、待っているとメールが来ていますけ

ど、今の仕事がまだ少しかかりますし...」

「そうだなあ、」

「でも、12月には入れば、いけると思います」

「うむ、」

 

        wpe75.jpg (13885 バイト)house5.114.2.jpg (1340 バイト)wpeA.jpg (42909 バイト)   wpeC.jpg (18013 バイト)   

 

【アディポネクチン遺伝子の変異】             

 

「ええ...」響子は、ボスの方を向いて言った。「アディポネクチンの分泌量が低下す

ると...インシュリンの効きが悪くなり、糖尿病を誘発します。また、動脈硬化の火消

し役がいなくなるため、動脈硬化も進行します。これは、先ほど説明した通りです。

 

  そこで、では、このアディポネクチンというのは何者なのかということで、内臓肥満

とは関係なく起こる、アディポネクチンの低下を調べてみました。つまり、肥満ではな

い、アディポネクチンの低下で、糖尿病や動脈硬化が起きやすくなるかどうかというこ

とです...

 

  この調査は...話が少し飛躍しますが...具体的には、アディポネクチン遺伝子

の変異を探すことから始めました。そして、4種類の変異(/アミノ酸配列の変わる変

異)を発見しました...あの...この説明で分かるでしょうか?」響子は、ボスに聞

いた。

「うむ...遺伝子変異の調査ということだね...」岡田は言った。「ともかく、話を進

めよう」

「はい...ええ、その見つかった4種類の変異のうち、2種類では、アディポネクチン

の血中濃度が著しく低下していました...」

「うむ...つまり、そのアディポネクチン遺伝子の変異を持った人では、肥満に関係

なく、アディポネクチンの血中濃度が低かったということかな?」

「はい。そう理解していいと思います」

「うーむ...」岡田は、ゆっくりと、マチコと弥生の方を見た。「私が加わると、ペース

が乱れるかな?」

「いえ、」弥生が言った。「ボスにも質問してもらった方が、よく分かると思います」

「しかし、まあ、今までのペースがあるだろう。私は、黙って聞いているとしよう」

「どうぞ!どんどん質問して下さっていいですわ!」響子が言った。「私に分からない

所は、ちゃんと分からないと言いますから、」

「女性だけでやるのは、今回が初めてなのよね」マチコが、腕組みをして言った。「だ

から、大変なのよ」

「そうか...たいしたものだ!」岡田は、全員を見回していった。「いや、君たちも、立

派になったものだ。もう、一人前だな、」

「そうよね」マチコが言った。「私は最初に、ボスと一緒に、尾瀬へ行ったのよね、」

「うむ。あれから何度も、至仏山へ登る計画を立ててみたりしたが、とうとう行かずじ

まいになってるな、」

「あの時は、EPSONのCP-500だったわね、デジタルカメラは。81万画素だった

かしら。あれは、当時、ピッカピカの最新鋭機種だったのよ。81万画素も、当時最大

だったわ」

「うーむ...そうだったな...まだ、35万画素が主流の頃だった。それに、メモリー

も小さかったし、ともかく連射速度がノロかった」

「はい。今は早くなったわねえ。そして、少し重かったわよね、CP-500は、」

「うむ。登山には少々重かったな。軽い機種もあったんだが」

「あの、ボス...」響子が言った。「講義を進めていいかしら?」

「ああ。すまん、すまん。こんな話は、後にしよう」

「はーい!」マチコが言った。「あ、ボス!ポンちゃんに、パーティーの準備を頼んであ

りますから、」

「うむ、ポン助は何処かね?」

「ええと...Pちゃんと、キノコとりに行っています!」

                                        

 

「さあ...いいかしら...」響子が言った。

「うむ、」

「ええと...アディポネクチン遺伝子の変異を持った人では、肥満に関係なく、アディ

ポネクチンの血中濃度が低かった...ということでしたね。4種類の変異のうち、2種

類の変異の人では...と、ここまででしたわね?」

「はい」弥生がうなづいた。

「さあ...この調査では、最も頻度の高かった異変は、約700例中の9例とあります

...このケースでは、アディポネクチンのアミノ酸配列で、169番目のイソロイシン

スレオニンに変わっていました...これらはいずれも、“必須アミノ酸”ですね...」

「必須アミノ酸て?」マチコが、首を傾げた。

「あ、はい...“必須アミノ酸”というのは、体内で合成できないか、合成が困難なア

ミノ酸を言います。したがって、これは、食物として取り込まなければならないわけで

すね。人間の場合は、8種類あります...」

「響子さん、」弥生が言った。「すると、アディポネクチンは、アミノ酸でできているとい

うことかしら?」

「そういうことです。タンパク質ですから。アディポネクチン遺伝子が、アディポネクチン

という生理活性タンパク質を作るのです。こうしたタンパク質は、20種類ほどの、アミ

ノ酸の直鎖構造で作られています...ただし、必須アミノ酸は、食物として取り入れ

たものを使うわけね。これらの必須アミノ酸が不足すると、ストレスを起こすわけ、」

「うーん...響子、アミノ酸というのは、何よ?」マチコが聞いた。

「あ、アミノ酸というのはね...ともかく、これは、自然界には80種以上が確認され

ています。このうち、人体のタンパク質の合成に使われているのは約20種類ね。細

かいことは、まだ確定できないわけ、」

「ふーん、」マチコが言った。

「分かりました」弥生が言った。「マチコ、このぐらいにしておきましょう」

「うん」

「ええ...じゃ、いいわね...」

「はーい」

「ええと...このケースのアディポネクチン遺伝子を持つ人では、アディポネクチンの

血中濃度が、明らかに低くなっています。この700中の9例の全員が、糖尿病か、も

しくは耐糖能異常となっています。さらに、この9人では、高脂血症、高血圧の合併

率も高く、9人中6人が、すでに冠動脈疾患を発症しています...

  これは、肥満とは関係なしに、アディポネクチン遺伝子の変異が引き起こした疾患

です...」

「するとこの人たちは、さあ、」マチコが言った。「肥満とは関係なく、遺伝子の変異

で、肥満症と同じような症状が出たということかしら?」

「まさに、そのとおりです!そうだと思います!ただし、私も、確信を持ってそう言い

切れるわけではありません。このあたりは、まだ最先端の研究領域でしょうし、参考

文献では、こう言っているということですね...これは、SNP(スニップ)といって、 “単

一塩基変異多型”からくるものです。

  “単一塩基変異多型”というのは、遺伝子の“個人差”のことを言います。どの人

でも、ゲノムの配列は、ホモサピエンスとして99.9%が一致します。しかし、残り

 0.1%が、各個人によって異なるのです...これが、いわゆる“個性”なのです。

  そのメカニズムは、まだよく分からないのでしょうが、この“個性”の中に、親の顔

の形の伝承や、遺伝子疾患や、気質や、才能なども含まれるのでしょう...良いも

のも、悪いものも...でも、“良い悪い”は、生物進化の巨大な流れから見れば、そ

れは関係のないことかも知れません...どうでしょうか、ボス?」

「うーむ...響子の言う通りだろう...“進化の袋小路”のようなものも、確かにある

にはある...しかし、それも“進化の旅路”の貴重な1つの事象ということができる。

つまり、この世には、“良し悪し”はなく、切り捨てていいものは何もないのだというこ

とだな...リアリティー(真実)とは、本来そういうものだ」

「はい。ボス、ありがとうございました」響子は、岡田の方に、小さく頭を下げた。「良

い説明をいただきました...

  ええと...さて、この参考文献の研究者たちは、“アディポネクチン欠損マウス”

つくるのに成功しています。そして、アディポネクチンの効果もこのマウスで確認して

います。でも、研究は、さらに続いているわけですね。そして、むろん、今後も多くの

発見があると思います...」

「大変よねえ」マチコが言った。「なるほどね、」

「この“アディポネクチン欠損マウス”というのは、人間の生活習慣病の、いいモデル

マウスになるようですね...

  ええ...いずれにしてもですね、遺伝子要因で起こった低アディポネクチンの状態

でも、 糖尿病高脂血症高血圧 という状況が起こりうるということです...」

「でもさあ、響子、」マチコが言った。「内臓脂肪が肥大化して、蓄積すると、どうして

アディポネクチンの分泌量が低下するわけよ?」

「うーん...実は、そのメカニズムは、まだよく分かっていないようです。ただ、アディ

ポサイトカインの1つに、“TNF-α(腫瘍壊死因子α)というのがあるんだけど、こ

れがアディポネクチンの分泌量低下の一因と言われています...」

「ふーん...」

「あ、それからね、インシュリンの効き目を良くする薬に、“チアゾリジン系薬剤”という

薬があるの。これを投与すると、アディポネクチンの血中濃度が、4〜5倍も上昇する

というわね...

  これらはいずれも、アディポネクチン遺伝子の発現調節部位(プロモーター)に作用

するようです...“TNF-α”は、プロモーター活性を強く抑制 し、“チアゾリジン系薬

”では、プロモーター活性を強く促進するということですね...」

「アディポネクチンは、私たちの体には、ジャンジャンあった方がいいわけよね、」マチ

コが言った。

「うーん...でも、私たちの体というのは、総合的なバランスが問題なのよ。善玉と悪

玉は、表裏一体でもあるのよ。お酒だって、飲み過ぎれば、体に害があるわけよ、」

「うーむ...なるほど...」岡田は腕組みをした。「西洋医学的な対処療法と、総合

的なバランスを考える漢方医学があるわけか...面白いな、」

                                      house5.114.2.jpg (1340 バイト)   

  【5】 飽食と運動不足による、     house5.114.2.jpg (1340 バイト)

                 想定外の肥満.....  

 

「さあ、このページのまとめになるんだけど...ボス、引き続き、よろしくお願いしま

す」

「うむ、」岡田は、うなづいた。「さすがに、色々参考になることが多いな」

「ボスの、お役に立てればいいんだけど、」マチコが、脇にいるミミちゃんの耳をつま

みながら言った。

「何となく健康に気を付けているのと、しっかりと知識を見に付けるのは、やはり違う

からねえ」

「ふーん、」

「ありがとうございます、ボス...さあ、それでは、始めます...

 

  ええ...内臓脂肪が肥大・蓄積すると、生活習慣病を引き起こすということで

すね。その≪“肥満糖尿病高脂血症高血圧”≫を、死の四重奏とか、

シンドロームX とか、メタボリックシンドロームなどと呼んでいるわけですね。

 

  一方、逆に、“内臓脂肪が全くない場合”も、肥満と同じように糖尿病や脂肪肝に

なるケースがあります。これは、“脂肪萎縮症”と呼ばれる、遺伝性のまれな疾患で

す。これは、アディポネクチンを含む様々なアディポサイトカインの分泌不全が、原因

と考えられています。

  つまり、“肥満”と“脂肪萎縮症”の共通点は、“脂肪の量”が、適正範囲を逸脱して

いるということです」

「あ、すると...」弥生が言った。「内臓脂肪がゼロでもいけないわけなのね?」

「そういうことです。皮下脂肪がゼロというのも異常でしょうし、内臓脂肪がゼロという

のも、異常でしょう...それでは、生物体として、非常にもろくなってしまいます」

「いずれも、“ほどほど”にか...」岡田は言った。

「はい。まさに、その通りだと思います。人類は“飽食”“運動不足”によって、現在

の生活習慣病を引き起こしてしまいました。その際、倹約遺伝子が逆の作用をしてし

まっているのも、DNAはこのような事態を、想定していなかったということです」

「うーむ...」岡田は腕を組み、ゆっくりと体を後ろに引いた。「生命進化のベクトルを

発動し、人類文明を創出したほどのDNA様が、たかだか肥満を見落としたというの

かね?」

「あ...それほど、強い意味ではありません...これから対応していく、ということも

考えられますし...ともかく、人類にとっては、種としての時間は限られていますが、

DNAや地球生命圏の寿命は、私には想定できませんから...」

「うーむ...それとも、倹約遺伝子というのは...21世紀の“真の飢餓の時代”

役立つのかも知れんな。人類にとって本当の意味での飢餓は、過去形ですでにあっ

たのではなく、近未来にあるのかも知れない。なぜなら、地球規模の人口爆発などと

いう事態は、過去にはなかったからな」

「はい...」響子は、息を止め、ボスを見ていた。

「...だとしたら、倹約遺伝子というのは、“外適応”かも知れん...」

「ボス、“外適応”って、何ですか?」マチコが聞いた。

「うむ...“外適応”とは、一例をあげれば...我々人間の脳が、まだ半分も使われ

ていないような状態をいう。つまり、事前に用意しておいて、さて何に使おうかというこ

とだ...そういう適応能力のことだ...

  まあ、どっちにしても、倹約遺伝子とはなあ...DNA様も、実に“ふざけている”

いうか、“優雅”というか、“奇妙な試み”だな...一部の人種にだけ、しかも、あった

りなかったり...まさにここでも多様性に富んでいる...」

「多様性を作り出しているのでしょうか?」弥生が聞いた。

「うむ...まさにその通りだ。それが安定性を高めているからね。しかし、“奇妙な試

み”と見るのは、あくまでも人間的な側面でしかない。人類文明の感情的な感光紙に

写し取られた解釈だ...」

「ふーん...」マチコがうなった。

                                                 wpe75.jpg (13885 バイト)     

 

「あの、ボス...それじゃ、最後にまとめたいと思います」響子が言った。

「ああ、うむ!」

「ええ...このような、一連の“脂肪細胞研究”は、“アディポサイエンス”と呼ばれて

います。ここでは、さきほどボスが言ったように、“ほどほど”ということ、つまりバラン

スが大事なのだと思います。

  脂肪細胞も、コレステロールも、単純に悪玉とは言えないということですね。脂肪

細胞は、これまで述べてきたように、様々なアディポサイトカインを分泌しています。

また、コレステロールも、それが全くないとなると、それはそれで大変なのです。今は

ここに詳しいデータはありませんが、第1に血管が弱くなってしまいます。それから、

ガンになりやすくなるといわれますし、鬱病(うつ病)にもなりやすくなるようです。

  これは、さきほど言った、マクロファージもそうですね。細菌をやっつける善玉のマ

クロファージも、条件によっては、動脈硬化を促進する悪玉になってしまうのです。し

かし、いずれも、私たちのかけがえのない体の一部だということです。それゆえに、

バランスが大事なのだということですね...

 

  これは、言い換えれば、“食いしん坊”“ほどほど”にすること...そして、人間

の体とは、“ほどほど”に、“運動”もしなければいけません、ということですね...

 

  肥満症などの生活習慣病の予防と治療も、基本的には、“食事療法”“運動療

法”なのです。それなら、当然のことですが、“予防医療”として、食生活や日頃の

ウォーキングなど、ライフスタイルの改善が、最良の道ということになります...

 

  ええ、この項は、以上です...ボス、どうも、ありがとうございました...」

 

                                        

 

  【番外  index292.jpg (1590 バイト) 

   時代が要請する、予防医療へのシフト 

 

「近年、医療費の高騰で、健保組合の財政が逼迫していると聞いています...」響

子は、弥生の点(た)てたお茶を一口飲んだ。「ええ...ここでは、そうした財政問題

とは別に、私たちの国民医療としての、“予防医療”というものを少し考えてみようと

思います。

  こうした、今回扱った“生活習慣病”のようなものでは、“治療という対処療法”では

莫大な予算を食い潰してしまいます。しかも、国民一人一人も、家計的に苦しみ、体

も傷つき、寿命も短くなり、大変な苦労を伴います...」

「うむ、」岡田は、小さくうなづいた。

「ええ...

  ここまで、何度も述べてきたことですが、“生活習慣病”の基本的な対処法は、“食

療法”“運動療法”です。そして、これをさらに進めたものが、“予防医療”なので

す。

  私たちは、もちろん、健康に楽しく暮らすことが望みです。予防医療は、生活習慣

病ばかりでなく、人間の健康を増進させるという意味においても、理想的な医療なの

ではないでしょうか...」

「はい」弥生が、うなづいた。「病気は、治ってもともとですわ。病気になったら、損で

すもの」

「そうよね!」マチコは、体を揺らした。

「...いつだったか、津田・編集長に聞いたことがあります、」響子は、ボスの方に顔

をむけて言った。「インドネシアでは、火災で消防自動車を呼ぶと、料金を取られると

いうのです。詳しいことは知りませんが、放水した量だけお金を取るのでしょうか?

  いかにも変だといって、私も編集長と一緒に笑いました。これは、ある意味では、

もっともでもあるのですが、やはり消防は、緊急事態として対処した方がいいと思い

ます。

  しかし、そうは言っても、同じ様なことが、日本においても医療では起こっているわ

けです。使った薬や、治療の量で、お金を支払うわけです。つまり、これでは、インド

ネシアの消防自動車が、放水しっぱなしにしているのと同じことです。

  つまり、要するに、日本では過剰医療がどんどん行われているわけです。そして、

薬は製薬会社の都合でどんどん製造され、病院の都合で.どんどん消費されていくわ

けです。したがって、病院が出す薬というのは、実際に、サラダができてしまうほど大

量だと聞きます...」

「うーむ、」岡田はうなった。「私も、それは実際に見ている。つじつまの合わないよう

な2つの薬剤が、実際に同時に出されたりしている...そして、その副作用に関して

は、誰も責任をとろうとはしないわけだ...まあ、調剤薬局が管理を進めているよう

だが、ここでも、薬はジャンジャン売れた方が儲かるわけだし、」

「はい。しかも、薬が古くなって、余りそうだとなったら、学界の権威官僚と手を結

び、“薬害エイズ事件”のようなことを平気でやってしまうわけです」

「うーむ...あの事件は、そうだったな...」岡田は、天井を見上げた。「ともかくこ

れは、薬を使えば使うほど儲かるという、医療制度そのものが、国民の体を蝕んでい

るという風景だ...」

「とんでもない話よね!」マチコが怒った。

「ええ...では、何処の国の医療もこんなものかというと、日本の消防自動車が無料

なように、医療が無料の国もあるわけです。私は詳しい事情を調査したことはないの

ですが、スウェーデンなど、北欧の高福祉・高負担の国などはそのようです。それか

ら、かっての共産圏の国々では、長年それを実践してきていたはずです...

  ええ、どうなのでしょうか、ボス...こうした医療の抜本改革というのは...?」

「うーむ...まあ、“大きな政府”か、“小さな政府”か、というような議論がしばしばあ

るが、医療まで無料にして国家が面倒見るとなると、それは膨大な仕事になるだろ

う。高福祉・高負担は、つまり大きな政府ということだ」

「つまり、うまく行かないということでしょうか?」

「うむ...日本の医療機関を、全部官営にしたら、これはもう郵政事業道路公団

の比ではない。まず、消防のような無料化は難しい。

  それよりも、いま程度の、ほどほどの料金でいいと思う。そして、君の言うように

“予防医療”に徹し、ライフスタイルの指導にまで浸透した、信頼性の高いシステムを

作って行くことだね。

  ま、少なくとも、薬を使えば使うほど儲かるというような医療制度は、日本の国の制

度として、実に恥ずべきことだ。しかも、これが、モラルハザードをおこしているような

国家となれば、それこそ国民の体の方が心配だ...しかも、やっているのは医者

だ。医者は、そうは思わないのかな?」

「それじゃ、どうしたらいいのかしら?」弥生が言った。

「うむ、」

「そうかあ...」マチコが言った。「行政改革は、官営の仕事を、民間に移しているの

よね。郵便も、貯金も、簡易保険も...道路公団も、住宅公団も...ここで、医療を

官営にすることは、無理よね...」

「そうね」弥生もうなづいた。

「私は、」と、岡田は口を開いた。「実はだね...生命保険などの予防的事業とうまく

連結し、“予防医療”への道が探れないかと思っている。医療への不信に対し、生命

保険などの予報的なリスクマネージメントを導入し、さらに査察も強化して行けば、透

明性が増すのではないかと思う。

  まあ、それをさらに進めれば、生命保険会社が運営するような医療法人があっても

いいのではないかとも思う。予防医療と生命保険がセットになったようなものだな。

加入者が健康なほど、保険事業の方が儲かるというようなシステムがいい」

「うん!」弥生が、強くうなづいた。「いいと思いますわ!」

「しかし、現実には、なかなかうまくいかない」

「何故でしょう?」弥生が、鋭く聞いた。

「私は、その方面の法律関係は何も知らないが、様々な規制があるんだろう。生命保

険会社が、医療事業へ進出したという話は聞いたことがないからな。

  これほど密接な関係にある業界が、キチンと住み分けているんだろう。他に何かあ

るのかな、響子さん?」

「さあ、私には、分かりません...生命保険業界のことは...」

「うむ...すると、既得権を侵される側が、反対をしているということだな。おそらく、

医療機関の側だろう。これまでの政治家は、そこに利権があれば動いてきたわけ

だ。しかし、そんなことで、21世紀の日本の民主主義社会をゆがめられては、たまっ

たものではない」

「はい、」響子は、うなづきながら、両手を組み合わせた。

「いずれにせよ...つまるところ、これは国家のスタイルの問題だ。国民全体の問題

だということだ...この国の主権者である国民自身が、どうするかを決める権利があ

る。また、それに反対する権利など、いわゆる厚生族の議員などにはないわけだか

らな」

「そうよね!」マチコが、口を尖らせ、首を横にした。

「まあ...“既得権”をウンヌンと言っている医療関係者は、発言力は強いように見え

が、実際にはそれほどではないと思う。それから、おそらく大部分の医療関係者

は、この国の医療の実態を、それこそ剣に憂慮しているのが実状だと思う。

  まあ、こういう風景は、どの業界も同じだと思うがね。それが、要するに、この国の

主権者全体の姿だと思う。ただ、そこにヘンな旗振りが現れると、たちまちなびいて

しまう...少し、採点が甘いかね、響子さん?」

「はい。そう思いますわ...」響子は、微笑してうなづいた。「医療ミスや、カルテの非

公開、医療行為の中での傷害など、実態はとても...もちろん、当たっている部分も

ありますけど、」

「うーむ...」

「ええ...いいかしら?」

「うむ」

「こうした問題でも...国民全体で意見を出し合い、当面の利害を超え、是非立派

な、21世紀社会に見合った、“未来型医療システム”を作っていって欲しいと思いま

す。

  ともかく、当面、最低限でも、過剰診療、過剰投薬、医療費の水増し請求は、厳し

くチェックするシステムが必要です」

「日本全体がモラルハザードを起こしているが、確かに医療も例外ではない。この国

のために、国民のために、是非、しっかりとやって欲しいものだな。そして、我々国民

も、他人任せではなく、一緒にそれを後押ししなければならない」

「はい。ありがとうございました...

  最後に、ボス、この国の理想的な医療システムとは、どのようなものでしょうか?

話をまとめて欲しいのですが、」

 

「うむ...ぞうだねえ...

  現在の、日本の保健医療システムは、全体としては、かなりうまくいっているシス

テムだと思います...ただそこに、時代の流れと、モラルハザードが重なってくるか

ら、全体がダメなように見えてしまうわけです。

  過剰診療、過剰投薬、医療費の水増し請求などは、これは医療の問題と言うより

も、本質は犯罪であり、詐欺なのです。したがって、必要なのは、システムをオンライ

ン化し、民間主体の“医療Gメン”のような強力な監視機関を設置することもいいので

はないでしょうか。

  それから、官僚機構と同様に、医療全般においても、“情報開示”が必須条件で

す。“透明性の確保”が、何よりも大事です。また、“風通しを良くする”ことも大事で

す。こうした、“透明性”と“風通しを良くする”ということでは、こうした監視機関そのも

のを民間主導で運営するのが一番いいとおもいます。ともかく、一度、そうした方向

で特別地区を作り、NPO(非営利組織)を立ち上げてみてはどうかと思います。

 

  それから、国民医療全般の、“予防医療”へのシフトは、これは時代の大きな流れ

だと思います。生活習慣病はもとより、ガンなども、予防医療として発展させていくべ

きものです。

  文明社会の水準が、一定の所までくれば、当然それは遭遇的な対処から、予防的

な対処へとシフトアップしていくわけです。医療はもとより、軍事でも、災害でも、飢餓

でも、あるいはバイオハザードであってもそうです。それが、いわゆる文明の底力とい

うものなのです。このように十分に準備した方が、はるかに完璧に近い形で対応でき

るからです。

  もっとも、対処医療が必要ないというのではありません。突発的な事故災害も当

然ありますし、後発的な新たな病気の出現も、必ずあります。

  いずれにしても、これは私たち日本人自身のための、“未来型医療システム”の構

築です。主権者である国民の支持のもとに、思い切ってやってもらいたいと思いま

す」

「はい。ボス、ありがとうございました」

「まあ...ここは、あらゆる利害対立を超え...21世紀の私たちの理想社会建設

の一環として...是非、真剣に取り組んで欲しいと思います」

「はい!先日、“教育の大改革”がスタートしました。それに劣らず、“医療システム

般”の、抜本的な大改革も急務となっています。是非、国民全体で盛り上げていっ

て欲しいと思います!」

 

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「ええ...里中響子です...お疲れ様でした...

  このページはここで終了です。次は、“薬で治す肥満症”へ移行します。薬の話

ばかりでなく、色々とその周辺の話もするつもりです。どうぞ、ご期待ください!」