Menu生命科学生物情報科学大戦略・DNAの攻防最新・ヒトゲノム解読後の風景

 wpe89.jpg (15483 バイト) 最新・ヒトゲノム解読後の風景 wpe5.jpg (12116 バイト)wpeA6.jpg (14454 バイト)

 

                                wpeC.jpg (18013 バイト) house5.114.2.jpg (1340 バイト)

                            里中 響子         外山 陽一郎 < 分子生物学、生物情報科学>                               

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参考文献 日経サイエンス 9月号/ 特集・ヒトゲノム解読をめぐる競争 2000. 9. 4
<1>  <1> ヒ ト ゲ ノ ム の 解 読

        (1)国際ヒトゲノム計画と“セレーラ社”の競争

        (2) ゲノム解読競争の実態

        (3) DNA配列解読装置 <シーケンサー>

2000. 9.13
<2>  <2> 見 え て き た ヒ ト ゲ ノ ム の 風 景

               (1) ゲノムは、塩基3文字がワンセットでアミノ酸に対応

                  (2) SNP スニップ  と読みます / 単一塩基変異多型 )

2000. 9.30
<3>  <3> ヒ ト ゲ ノ ム 解 読 後 の 新 分 野

              (1) 細胞内のシグナル伝達経路

         ポン助 ポン助のビヤガーデン 2000年最終出前

        (2) 膨大なゲノム情報との格闘

                 wpe5.jpg (12116 バイト)Inner Story ・ガイドライン=No.1/軽井沢

2000.10.16 

 2000.10.16

2000.11. 2

 

2000.11. 2

<4>  <4> タンパク質の解明へ向かって

         wpe5.jpg (12116 バイト)Inner Story ・ガイドライン=No.2/ 晩秋の散歩道

         (1) タンパク質の研究

2000.11.20

 

                                                                   (2000. 9 . 4)

参考文献 日経サイエンス 9月号                    

 

       特集・ヒトゲノム解読をめぐる競争

           ヒトゲノム解読をめぐる競争 .......... 詫摩 雅子(編集部)

              ビジネスが加速したゲノム解読 ....... K.ブラウン (フリーライター)

              新薬開発のカギを握るバイオインフォマティクス

                                          ........K.ハワード (サイエンスライター)

              ゲノム解読後に広がる新分野 プロテオミクス

                                         .........C.エゼル (Scientific American 編集部)

              ヒト以外でも進むゲノム解読研究 ......久保田 啓介 (編集部)

              戦略に欠けた日本のヒトゲノム解読 ... 宮田 満 (日経BP社)

          夢に賭ける

            ゲノム機能解明から画期的新薬を ....増保 安彦/所長 (へリックス研究所)

 

「里中響子です。これらの論文を読んでいて、少し執筆の方が遅れてしま

いました。あ、それから今年の猛暑で、少々夏バテ気味もありました。で

も、もうそろそろ大丈夫かも...

  さあ、いよいよ、“最新・ヒトゲノム解読後の風景”の執筆に取り掛かりま

す。どうぞ、ご期待ください!」

 

 

                                                                                                                  (2000.9.13)

 <1> ヒ ト ゲ ノ ム の 解 読 wpe5.jpg (12116 バイト) wpeA6.jpg (14454 バイト)wpe89.jpg (15483 バイト) house5.114.2.jpg (1340 バイト) 

   

(1) “国際ヒトゲノム計画” と “セレーラ社”の競争     

 

「さあ、いよいよインターネットで、ヒトゲノムの配列データが閲覧できる時代になりま

した...」里中響子は、大型プレゼンテーション・スクリーンの脇で言った。それか

ら、首を回し、スクリーン支援コンピューターにいるチーコちゃんに合図を送った。

  ミミちゃんは、その隣のパソコンで、『現代用語の基礎知識』を使い、

《ミミちゃんガイド》の編集をしている。

  外山陽一郎は、里中響子の操作するプレゼンテーション・スクリーンと向かい合

い、脇に大容量高速コンピーターの端末機を置いていた。

wpe5.jpg (12116 バイト) wpeC.jpg (18013 バイト)house5.114.2.jpg (1340 バイト)

「さあ...」響子は、やや緊張気味に肩を張った。「それでは、このヒトゲノムのデー

タとは、実際にどの様なものなのでしょうか...それは、最初から最後まで、A、T、

C、G、の4文字が、様々な順番で延々と続いているだけです。これが、ヒトゲノムの

生のデータ。その分量は、およそ電話帳で200冊を上回るといいます。フロッピーデ

スクにすると、どのぐらいあるでしょうか...いずれにしても、膨大な量です。つまり、

これだけのデータが、数十兆あるといわれるヒトの体の全細胞に、それぞれ全く同じ

ものが入っているのです。これが、つまり、その人のゲノムなのです。そして全身の

細胞は、ものすごい速度で自己複製アポトーシス(細胞が自己の持つプログラムを作動させて自

殺する、細胞死現象。)を引き起こし、まさにこのダイナミックな新陳代謝によって、ヒトがヒト

であることを保っています...

  また、この計算時間が爆発するような複雑な流れの中で、子供は大人に成長し、

大人は老化していきます。社会という器の中で眺めれば、個体が複製され、個体そ

のものがアポトーシスを引き起こし、世代が新陳代謝して行くのです。そして、さらに

視野を広げて眺めれば、生態系の中で“種”そのものも新陳代謝していることがわか

ります。

  エントロピー増大宇宙の中で、この膨大でダイナミックな生命現象の流れこそ、ま

さにこの宇宙の最大の謎であり、最大の特徴なのかもしれません...

  響子は、スクリーンを眺めて一息つき、バインダーをテーブルに置いた。そして、ス

クリーン上の点を指し示す、レーザー・ポインターを取り上げた。スクリーンの上で赤

いポイントを動かした。それから、スイッチを押して赤いポイントを消した。

「さ、話を進めます...」彼女は、レーザー・ポインターを左手に持ち変えた。「ご存知

と思いますが、細胞の中にはがあります。そして、その核の中の核酸が、ヒトゲノ

ムの貯蔵庫ということになります。この核酸には、よく知られているようにDNA(デオキ

シリボ核酸)RNA(リボ核酸)があります。そして、いわゆる遺伝子の本体といわれるの

は、DNAの方になります。これは色素で染まるので染色体とも言われ、有名な二重

らせん構造になっています。うーん...このあたりのことは、また別の機会に、詳しく

説明することになると思います。

  ただ、染色体の数に関しては、一言いっておきます。これは、生物の種類によって

決まっているわけですが、ヒトの場合は23対、46本です...」響子は、レーザー・ポ

インターを、スクリーン上の図に当て、赤い点で揺れる円を何度も描いた。

「23対の内、22対は常染色体、残り1対は性染色体です」外山が、テーブルの上で

両手を組みながら言った。

「はい...受精卵は、この性染色体で、父親と母親の遺伝子を半分づつ引き継ぐわ

けですね?」

「うむ、」

「このあたりの詳細も、次の機会に譲ることにします...ところで、ヒトゲノムは、

初から最後まで A、T、C、G、の4文字が、様々な順番で延々と続いていると言いま

した。あの分厚い電話帳に、この無味乾燥な4文字が、それこそ1文字の間違いも

許されず、200冊以上も書き込まれているのです。

  では、この延々と続くアルファベットの4文字の羅列は、一体何を意味しているの

でしょうか。実は、アルファベットの4文字は、4種類の塩基を表しているのです。そし

てヒトゲノムは、この塩基の配列コードにして、30億(30億塩基対)の情報があります。

そして、そのゲノムの中には、10万個の遺伝子を含むと言われます。

  もっとも、10万個の遺伝子というのは正確ではなく、4万から16万といった数字

で示されることもあります。というのは、実際にはその数は、まだ良くわかっていない

ということです。計測するコンピューター・ソフトによって異なったり、あるいは重複して

いたりすることもあるようです。

  いずれにしても、30億塩基対のうちで、実際にタンパク質を作る遺伝情報にかか

わっている部分は、この内のたった5%と言われます。つまり、あとの95%は、ジャ

ンクDNA(がらくたDNA)などと呼ばれ、今の所なんの役にも立たないようです。ただし、

現在理解できない、より高次レベルの情報が潜んでいる可能性が十分にありま

す...

  ええ、それではミミちゃん...まず、簡単に基礎的な単語の説明をお願いできる

かしら?」

「うん!」ミミちゃんが、強くうなづいた。「いくつぐらい?」

「そうねえ...まず、3つか4つ位でいいわ」

「うん!」

 

      wpe89.jpg (15483 バイト) 《 ミミちゃんガイド...No.1 》 house5.114.2.jpg (1340 バイト)

                         <参考資料:  現代用語の基礎知識>

    「それでは、あたしの方から簡単に説明するモン...?...説明しマス...」

塩基     

  塩基とは、酸と中和して、塩を生ずる化合物のことです。アルカリ性の物

質で、通常、水酸基(- OH)をもっています...

  DNAの暗号コードで使われているのは、以下の4種類の塩基のみです。

    (アデニン) 、(チミン) 、(グアニン)、 (シトシン) 

        ミミちゃん/談: (チミン) (ウラシル)> wpe5.jpg (12116 バイト)house5.114.2.jpg (1340 バイト)    

     「DNAは、A、T、G、C、の4種類の塩基だけど、RNAでは(チミン)

     の代わりに、(ウラシル)になり、A、、G、C、の4種類になります」   

   **********************************************

DNA (デオキシリボ核酸)      

  核酸の一種で、遺伝子の本体です。一般にDNAは、ポリヌクレオチド鎖

が、塩基間の水素結合で並列し、互いにねじれ合って二重らせん構造を成

しています。二重らせんの直径は、2ナノメートルで、長さは生物種によって

異なりますが、ヒトの場合、1個の細胞内に約1.8mの長さのDNAが折りたた

まれて入っています。半数体ヒトゲノムは30億塩基対からなり、体細胞は2

倍体であるため60億塩基対のDNAを核内に持っています。

  塩基間の結合は、<、<>が水素結合で相補的に結び

付き、他の組み合わせは起こりません。

  DNAはどちらか一方の鎖を鋳型にして、全く同じ塩基配列を持ったDNA

が2本同時に合成されます......(半保存的複製)

  DNAは主に核内に局在しますが、ミトコンドリア葉緑体にも存在し、さら

に自己増殖性のプラスミドDNAも存在します。

       ミミちゃん/談: < ミトコンドリア と 葉緑体 >wpe5.jpg (12116 バイト)house5.114.2.jpg (1340 バイト)

 ミトコンドリア葉緑体は外部から細胞に進入した細菌と考え

られ、共生関係が成立したものと推定されています。植物に多く

見られる葉緑体は、炭酸同化作用をし、二酸化炭素を吸収して

酸素を排出します。

  一方、ミトコンドリアの方は、動物細胞にも植物細胞にも存在

するわけですが、これは酸素消費型のエネルギー生産工場

す。この酸素呼吸によって物質を酸化し、その時の放出エネル

ギーで、生命体にとってもっとも大切なATP(アデノシン3リン酸: 全

ての生物に共通するエネルギー物質。生体内のエネルギー通貨。)を合成し

ます。これによって、生体の全身にエネルギーが行き渡ります。

  それから、ミトコンドリアには固有のDNA(ミトコンドリアDNA)

が含まれています。その遺伝的変異を数量的に解析することに

よって、人類の起源や人種間の類縁関係等が解明されつつあ

ります...」

           ******************************************     

RNA (リボ核酸)                

  核酸の一種で、多種多様のものが知られ、それぞれの機能も違ってい

ます。RNAは一般に1本鎖の分子ですが、分子内でねじれ合って部分的に

二本鎖の構造をとっていることが多いようです。 RNAの主なものは、次の3

つです。

  rRNA  (リボソームRNA) リボソームを構成し全RNA量の80%を占める。 

 mRNA (メッセンジャーRNA) DNAの遺伝情報をリボソームに運ぶ 。

  tRNA  (トランスファーRNA)アミノ酸を運ぶ。

  <また、RNAには、酵素のはたらきを持つものもあります。>

   ************************************************

 

(2) ゲノム解読競争の実態             house5.114.2.jpg (1340 バイト)

 

「米国立ヒトゲノム研究所を中心とする国際ヒトゲノム計画とセレーラ社(セレーラ・ジェノミク

ス社)のヒトゲノム解読競争は、マスコミ等でかなりセンセーショナルに報道されてきた

ようです...」里中響子は、スクリーンにメリーランド州ベセスダの米国立ヒトゲノム

研究所の風景が表示されたのを見ながら言った。

「いずれにしても...」響子は、唇に折り曲げた人差し指を当てた。「ヒトゲノムの周

辺は、今後益々経済原理の生臭い話が付きまとうことが避けられそうにありませ

ん...」

「まあ、その特許の争奪、新薬開発競争に渦巻くエネルギーが...」外山は、椅子

の背もたれに体を引きながら言った。「中小のベンチャー企業、周辺の研究機関、さ

らに関連する産業界全体に、活況を呼び込んでいるのも確かです。無数のベンチャ

ー企業や大小の製薬会社が、ヒトゲノムの解読と共に、いよいよ本格的な競争時代

突入したというのが、この20世紀最後の年の実態でしょう。むろん、実質的な競争

は、21世紀に入ってからです」

「すると、私たちのこのページも、企業の競争原理や経済原理を抜きに話を進めてい

くということは、無理なのでしょうか?」

「うむ。そういう事だね。また逆に、そうしたベンチャー企業や製薬会社を表面に押

立てた方が、話が分り易い事も多い」

「はい...それでは、企業名もしっかりと記入していくことにします」

「うむ。参考文献の方も、そうなっているからね」

「はい...さ、では、本題に入ります...国際ヒトゲノム計画とセレーラ社の、ヒトゲ

ノム解読競争と言われていますが、この両者のヒトゲノム解読には本質的な違いが

あります。それは、ゲノム解読の目的が違うということです。

 国際ヒトゲノム計画では、ヒトゲノム情報を“科学を進めるための基礎情報”と位置

付けています。したがって、精度と信頼性には細心の注意が払われています。一

方、セレーラ社の方は、“ビジネス”を第一に考えています。また、その延長線上に

は、ノム薬理学(ファーマコジェノミクス)による新薬の開発があり、さらに人類への具体的

な貢献もあります...」

「うむ。その解読の手法の違いは、私の方から説明しよう...」外山は、スクリーンの

リモート・コントローラーを手元に引き寄せた。「ええ、現在進められているヒトゲノム

解読には、“階層式ショットガン法”“全ショットガン法”という二通りの方法がありま

す。

 

  国際ヒトゲノム計画が進めているのは前者のほうで、まずヒトの精子血液から、

23対の染色体を分離します。それから、各染色体のDNAを小断片に切断、そして

小断片DNAの塩基配列を解読していくという運びになります。もちろん、小断片と

いっても、30億塩基対の小断片ですから、生半可な量ではありません。しかし、とも

かく解読したら、それを切断した元の順に並べます。こうすれば、膨大なヒトゲノム全

体の塩基配列が記述できることになります。ワシントン大学のウィルソンは、こうした

やり方を、百科事典の1ページづつを取り出し、細かく切り刻んで解読した後、再び

つなぎ合わせていくようなものだと言っています。

  これに対し、セレーラ社の行っている“全ショットガン法”というのは、百科事典1冊

を、一度に丸ごとズタズタに切断してしまうやり方です。そして300台ものDNA配列

解読装置(シーケンサー)で配列を読み取り、その後コンピューターのアルゴリズムで、小

断片をつなぎ合わせていきます。この方法の長所は、効率とスピードですが、アルゴ

リズムが進化し、コンピューターの性能が向上していけば、さらに飛躍的なスピード

アップと信頼性が期待できます。

 

  というわけで、DNAの解読では、セレーラ社が半歩リードしている形です。しかし、

先ほども響子さんが言ったように、両者の目的が異なっています。

  それから、国際ヒトゲノム計画は、公的なプロジェクトなので、解読されたデータは

全てジェンバンク(GenBank)に登録され、インターネットで全世界に公開されています。

そしてセレーラ社も、この公開データを利用し、解読の全体像を確認したり、解読で

きない間隙のデータを埋めたりするのに利用しています

「うーん...すると、正確な意味での競争ではないようですね」

「これはゲームではないからね。ただ、フェアな競争原理が働いているとは言いがた

い。これはDNAで特許を取ろうとしている企業全体に対してもいえることだが、釈然

としないものはあるね。それにそもそも、ゲノムが特許の対象になるのかと言う問題

もある。また、ここは神の領域であり、踏み込むべきではないという意見もあるしね」

「はい。それにしても、大変な時代になりました」

「うむ...我々はもはや、後戻りはできない...」

 

wpe89.jpg (15483 バイト) 《 ミミちゃんガイド...No.2 》 wpe5.jpg (12116 バイト)

 国際ヒトゲノム計画     http://www.nhgri.nih.gov/HGP/

 

本部: 米メリーランド州ベセスダ、米国立ヒトゲノム研究所(NHGRI)

参加国: アメリカ、イギリス、日本、フランス、ドイツ、中国、

             ( 日本では、理化学研究所慶応大学医学部などが参加。ヒトゲノム全体の約7%を担当)

ミミちゃん/談: wpe5.jpg (12116 バイト)house5.114.2.jpg (1340 バイト) 

       < 国際ヒトゲノム計画  セレーラ社 >                 

国際ヒトゲノム計画は、公的な機関です。ここで解読されたDNAデータは

全てジェンバンク(GenBank)に登録されます。そしてここから、配列解読後

24時間以内のデータを、無料無制限に提供しています」

「それから、もう1つ、重要な仕事をしています。それは、遺伝子差別禁止

ための法律奨励。ゲノミクスの倫理法律及び社会的な影響に関する研究

への助成などです」

 

「一方、セレーラ・ジェノミクス社のビジネス戦略は、“解説を添えた種々の

ゲノム情報を、オンラインでの閲覧契約を販売する”ことだとか...

  ヒトゲノムの塩基配列は、それだけではまさに巨大な暗号でしかありませ

ん。それがどのようにタンパク質の製造に翻訳され、さらにそのタンパク質

がどのようにダイナミックに機能しているかを知らなければ宝の持ち腐れと

いうことになります。したがってDNA解読後のこれからが、真の意味での遺

伝子の解明が始まるのです。また、セレーラ社が販売するのも、この解説書

の方のようです。

  この分野には、セレーラ社のような企業がすでに幾つもあります。特に名

前の知られているアメリカの企業をいくつか列記しておきます」

 

ヒューマン・ジェノム・サイエンス (メリーランド州ロックビル)

インサイト・ジェノミクス     (カリフォルニア州バロアルト)

ミレニアム・ファーマスーティカルズ

                 (マサチューセッツ州ケンブリッジ)

  

******************************************

(3) DNA配列解読装置 <シーケンサー>wpe5.jpg (12116 バイト)wpeC.jpg (18013 バイト)house5.114.2.jpg (1340 バイト)  

 

「あれは...2000年の8月の初め頃だったと思います。私は、夏美さんたちと東京

ビックサイトへ、“21世紀・夢の技術展”を見に行ってきました」響子は、その時の

画像をスクリーンに表示して言った。

「ほう、そうですか」外山は、椅子の上で脚を組み直した。

「そこで、実はシーケンサー(DNA配列解読装置)の実物を見ています。確か、島津製作所

のブースだったと思いますわ」

「ふーむ、それはそれは...」

「あの時、“これがそうね、”と思って、私も良く見ようと思ったのです。だけど、結局

それはただの小さな事務用デスクの様で、上にディスプレイが1台あるだけでした。

多分、机の引き出しあたりに、電子装置が組み込まれてあるようでした...」

「まあ...確かに、シーケンサーは大きなものではないね、」

「でも、あっけないほど、小型でシンプルでしたわ」

「うーむ、島津製作所の最新バージョンが展示されていたのだろうね。日本でこの種

のものを製作しているのは、他には日立製作所と、PEバイオシステムズジャパン

な...」

「私が見たのが2000年の最新型なら、飛躍的に性能が向上したマシンということで

しょうか。ご存知と思いますが、シーケンサーはここ1年のほどの間に、性能が10倍

以上に跳ね上がっています。これは、同時計測できるサンプルが数倍に増えたこと

と、光電子倍増管をCCD(電荷結合素子)に変えたこと、さらに測定溶液に直接レーザー

を当てるなどの技術革新があったと言われます」

「そう...こうした技術革新は、今後益々加速していくだろうね。アルゴリズムも含め

て。そして、ゲノム解読の精度も上がっていくだろう。セレーラ社では、こうしたシーケ

ンサーが300台も稼動しているというが、このあたりに照準を合わせてきているんだ

ろうね、」

 

  house5.114.2.jpg (1340 バイト)  house5.114.2.jpg (1340 バイト)

 

                                                                                                              (2000.9.30)

 <2> 見え始めたヒトゲノムの風景      house5.114.2.jpg (1340 バイト)

    wpe5.jpg (12116 バイト)どの人も、ゲノムの配列は99.9%が一致しています...wpe5.jpg (12116 バイト)    

     残り0.1%が、各個人によって異なります...= 個人差

 

 (1) 遺伝子は、塩基3文字がワンセットで、アミノ酸1個に対応・・・

   

  外山は、コーヒーをゆっくり飲み干し、カップを受け皿の上に戻した...

「さて...ヒトゲノムDNAは、よく知られているように、ヒトの細胞核の中にある、

23対の染色体で構成されています。そして、それらのDNAは、最初から最後まで

T、C、G、の4文字が様々な順序で延々と続いていることが分りました。また、こ

れらのアルファベットの4文字は、以下の塩基に対応していることも話してきました。

  むろん、実際のDNAはアルファベットの文字とは何の関係も無く、それは下記の

“アデニン”、“チミン”、“グアニン”、“シトシン”の塩基の鎖による暗号モードで書かれいてる

のです。 

 

           (アデニン) 、 (チミン) 、 (グアニン)、  (シトシン) 

 

  さあ、それでは、ヒトゲノムにおいて30億あるといわれるこれらの塩基対・文字

羅列は、どのように暗号解読されていくのでしょうか...むろん、この超難解なDNA

言語は、その規則法則性が全て分っているわけではありません。いや、その暗号

の解明そのものが手探りの状態であり、人類は20世紀の最後の最後に、ようやくこ

の暗号解読に着手したというのが実態です。

  ワトソンクリックがDNAの二重ラセン構造を発見したのが、1953年です。以来

約半世紀、分子生物学者はこの難解な分子言語の解読に取り組んできたわけで

す。

  DNAの人工合成<1970年>、DNAを切断する制限酵素の単離<1971年>、DNA

断片を大量増幅するPCR法の発見<1988年>など、ドラマチックな技術革新の傍ら

で、コツコツとした生命設計図の暗号解読が延々と行われてきたのです。

  そして、ようやく、何とかなりそうだという見通しがついたのが、1989年でした。そ

の年、当時のブッシュ米大統領が“国際ヒトゲノム計画”を発表しました。これはまさ

にアメリカにおいて、原子爆弾の開発(“マンハッタン計画”だったと思います)、そして月へ人を送

り込んだアポロ計画に続く、国家的なビッグサイエンスとして動き出したのです。しか

も、アメリカ1国では難しく、どうしても国際協力が必要だということで、“国際ヒトゲノ

ム計画”となったわけです。そこで、それぞれ独自に研究していた、イギリス、日本、

フランス、ドイツ、中国も参加してきたわけです。

 

  まあ、最近でこそ、セレーラ社のようなベンチャー企業が台頭してきています。しか

し、11年前には、まさに全人類が一丸となって取り組むべき、20世紀最後の難事

業としてスタートを切ったのです。ま、ともかく現在は、その塩基配列の解読も、ほぼ

終わりに近づいています。そして、いよいよ次の段階、塩基配列の“人類文明への

翻訳”が本格的にスタートしようとしています。むろん、DNAは、人類文明の中で翻訳

され、解釈されてこそ意味があり、価値が出てくるのです。そしてまさに、この価値に

気付き、大挙して参入してきたのが、新薬開発などに絡む様々なベンチャー企業群

です」

 

  響子は、スクリーンの画像を、DNAからタンパク質が作られる過程の略図に変え

た。それから、テーブルの方に戻って、ゆっくりとコーヒーカップを取り上げた。

「ともかく...」と、外山は言った。「A、T、C、G、という4種類の塩基からなるDNA

言語は、その95%がジャンクDNA(がらくたDNA)と言われます。そして、残り5%に遺

伝子情報が書き込まれていると言います。

  そして、遺伝子は頭の方から、3塩基対が順次ワンセットになって、1個のアミノ酸

を指定していきます。したがって、塩基対を3文字づつに区切って翻訳していくと、

ミノ酸の鎖、つまりタンパク質ができていくわけです...」

  外山は、響子の方に目をやった。それから、インターネット正面のカメラを意識し、

体を少し横に移動した。

「ええ...つまり...上記の塩基配列の連続体を、3文字づつのセットで区切ってい

きます。それが...」

  外山は、レーザー・ポインターを取り上げて、スクリーンの左上に赤いポイントを落

とした。そこには、塩基3文字の下に、それぞれ以下のようにアミノ酸の名前が並ん

でいる...

 

   <リジン、セリン、グリシン、プロリン、システィン、アルギン、アスパラ銀酸、etc...>

 

「つまり、これは...塩基配列の暗号が、アミノ酸に翻訳された形の遺伝子というこ

とですね...3文字がワンセットだから、長さは3分の1になりますかね...しかし、

実際には塩基3文字でアミノ酸1つを指定しているのであって、このようなアミノ酸に

翻訳されたDNAは、本来はありません。もしあるとすれば、これはもはやタンパク質

ということです...

 

  では、何故このようなアミノ酸配列が延々と並んでいのかというと、これこそがま

さにタンパク質の設計図だからです。もちろん、膨大な種類のタンパク質があるわけ

です。したがって、延々と続く塩基配列の中には、このタンパク質は“ここから開始”、

“ここで終止”というようなサインも含まれているわけです

  また、特殊な配列の所には、分子生物学者が目印のためにマーカー(個人差として現れ

る、遺伝的多型の配列)を付けていきますし、制限酵素で切断したりの加工もするわけで

す...まあ、ミクロの世界で、まさに人類全体で取り組むような巨大科学が展開し

ているわけです...」

 

wpe89.jpg (15483 バイト) 《 ミミちゃんガイド...No.3 》     wpe5.jpg (12116 バイト)wpe5.jpg (12116 バイト)house5.114.2.jpg (1340 バイト)

   ミミちゃん/談  < アルファベットと、DNA暗号モード >

 

A、T、C、G、のアルファベットは、メソポタミア文明の楔形文字が進化した

ものです。一方、DNA暗号モードは、地球に生命が誕生した36億年前から

あるのかしら...

  それにしても、現代文明でもなおその謎解きができないような複雑な言語

と進化の体系が、はたして偶然の産物として生まれてきたものなのでしょう

か...

  これは、仮にDNAが解読され、その全てが人類文明の言語に翻訳された

としても、依然として残る大きな謎ではないでしょうか。また、これが偶然の

産物でないとしたら、いったい何者がこの宇宙に生命を創出したのかしら?

それは、やはり神の意思なのか?それとも宇宙の初期条件なのかしら?

  これは、ぜひ一度、真剣に考えてみて...下さい...」

 

  外山陽一郎/談:  染色体地図...  >

    “遺伝的染色体地図” 、“物理的染色体地図” 

染色体地図の上には、すでに多数のマーカー(個人差として現れる、遺伝的多

型の配列)遺伝子が書き込まれています。また、すでに名前の知られている

有名な遺伝子もあります。そして、マーカーとマーカーとの間の距離、遺伝子

との間の距離も正確に示されています。

  かってはこの距離は、100万塩基対を1単位とするような、大雑把なスケ

ールで示されていました。しかし、ヒトゲノムが解読された現在は、塩基対の

数そのもので正確に示されるようになっています。

  それから、染色体地図上のマーカーですが、これらはゲノム解読の基準

としても使われています」

 

 wpeA6.jpg (14454 バイト)《 ここがポイント 》     wpe5.jpg (12116 バイト)wpe5.jpg (12116 バイト)house5.114.2.jpg (1340 バイト)wpeC.jpg (18013 バイト)

   外山陽一郎/談:  <流動的な状況下で...  >

 

「ヒトゲノムの理解は、まさに巨大科学です。参考文献の資料だけでは、そ

の全体像はとても見えてきません。また、様々な条件で、こちらの理解が不

十分な所も、随所に出て来ると思います。それからもう1つ、ここは現在急速

に拡大している研究分野で、概念の浮き沈みや、新展開なども常にありま

す。しかし、こうした流動的な状況の中で、ヒトゲノムの理解は、しだいに深

まっいくものと思っています...」

**************************************house5.114.2.jpg (1340 バイト)

 

「さあ...」響子が、コトリ、と飲み干したコーヒーカップを置き、インターネット正面の

カメラの方を向いた。「ええ...“遺伝子”自体は...単なる設計図でしかありませ

ん...それが、タンパク質に翻訳され、タンパク質が製造され、そこで初めて遺伝子

の意味が生じてくるのです。ヒトゲンムがほぼ解読されようとしている現在、研究の

比重はしだいに、このタンパク質への翻訳と、その意味の解釈と応用の方に移りつ

つあります。

 

  これは...研究者の参考意見なのですが、“約10万といわれるヒトゲノムの遺伝

子から、100万種以上ものタンパク質が作られている”と言っています。ここに、遺伝

子が作り出す膨大な種類のタンパク質と、生命体というものの、1つの実像が見えて

来るのではないでしょうか。人体のガイドラインとして、私たちの体とは、100万種類

ものタンパク質の生滅によって維持されている開放系システムだということです。

  同じように、1つの細胞というものは、数千種ものタンパク質によって構成されてい

るもののようです。もちろん、この数は多種多様な細胞の種類や機能によって、大幅

に異なるものと思います。しかし、驚くのは、これほど多種類のタンパク質が、あの小

さな1つの細胞を構成するのに必要だという、生命体の姿です。思えば、この1細胞

におけるパーツの種類と数量の多さは、人類が作り出した車や飛行機の比ではあり

ません。

 

  つまり、“細胞”とは、それほど超精密・多種類のタンパク質構造材によって構成さ

れ、しかも“細胞分裂”して増殖するという、まさに生きた素材なのです...それにし

ても何故、私たちの周りには、このような細胞や、細胞によって構成されている生命

体が溢れているのでしょうか...

  私たちは、今も、人類の知恵や科学文明の理解がはるかに及ばない、超科学の

大海原に存在しているのです...

 

  こうした観点からも、遺伝子、タンパク質、生物体というものの、実相が見えてくる

のではないでしょうか...」

「うむ、」外山は、小さくうなづいた。

 

 

 (2) SNP       スニップ と読みます / 単一塩基変異多型 )

 

「さあ、話を進めます...」響子が言った。「ヒトのゲノムDNAの解読がほぼ終了し

たといっても、それは塩基配列の読み取りが完了したというに過ぎません。つまり、

そのDNA言語の意味については、まだほとんど理解されていないということです。

  ところで、外山さん、このあたりは実際、どのような状況なのでしょうか?」

「うーむ...そうですねえ...江戸時代のことになりますが、長崎のオランダ人か

ら日本へ、タアヘルアナトミアという医学書がもたらされた状況とよく似ています

ね...

 

  当時、日本は鎖国政策を取っていて、外国との窓口は長崎の出島において、オラ

ンダ人に限定されていたわけです。それと、長崎には清国人も少しいたようです。ま

あ、それはともかくとして、江戸時代の日本に、オランダ語の最新・医学全書がもた

らされたわけです。ところが、そんなものの読める日本人は、もちろんひとりもいませ

ん。出島でオランダ人と直接接触する長崎通詞(つうじ)でさえも、せいぜいカタコトの日

常会話と仕事上必要な単語ぐらいだったでしょう。したがって、タアヘルアナトミ

は、まさに宝の持ち腐れ...ただ飾っておく以外に、手の付け様もありませんで

した。

  ところが、このタアヘルアナトミアを、その長崎ではなく、江戸で読み分けを始

めようとする、無謀な男達がいました。これが、長崎ガエリの医師/前野良沢です。

そして、その友人の杉田玄白と中川淳庵の三人...

  おそらく、この三人がオランダ語のタアヘルアナトミアの原本を見た時、その膨

大なアルファベット文字の洪水のような羅列は、まさにDNAの塩基配列を解読する

のと同じような印象だったのではないでしょうか...

「うーん...」響子は、腕組みをした。

「ともかく...その三人は、わずかな挿絵の理解を頼りに、手探りでオランダ語の大

医学全書の翻訳に取り組んだのです。辞書も無く、文法も発音も分らず、それを聞く

人も無い状況からの翻訳は、まさにヒトゲノムの翻訳にも共通するものだと思いま

す。

  そこで彼等は、唯一、何年かに一度江戸に上京してくる、長崎通詞を頼りにしまし

た。ところが、実際に会って見ると、彼等の実力は医学書の解読などとは、およそか

け離れたものでした。恐らく、50か100ぐらいの単語を聞き分ければ、長崎通詞の

お役は勤まったのではないでしょうか...

  しかし、長い年月をかけ、想像を絶するほどの辛酸と苦労と工夫を重ね、ついに彼

等はタアヘルアナトミアの翻訳に漕ぎ付けたのです。そしてこれを、解体新書

として世に出したのです。

  さて、現在はパソコンは無数に溢れ、スーパーコンピューターは自由に使え、情報

はインターネットの中を飛び回っています。しかし、これらの情報機器や電子機器を

駆使しても、ゲノムDNAからタンパク質への翻訳は、まだまだ容易ではありませ

ん...」

「はい...それにしても、大変な時代になりました。まさに、これが、21世紀の幕開

けということなのでしょうか。ええ...それでは...私の方から、DNAからタンパク

質合成までの過程を簡単に説明しましょうか、」

「うむ、」

 

  響子は、プレゼンテーション・スクリーンの方へ歩いて行き、コントローラーでモザイ

ク画像の一つを選択し、それを拡大した。

「ここに、DNAの一部を拡大したモデルが示されています...エクソンイントロン

書かれた部分が交互に描かれていますが...遺伝子情報として必要なのは、この

エクソンの方のみです。イントロンの方は、前にも少し説明しましたが、いわゆるジャ

ンクDNA(がらくたDNA)であり、ヒトゲノムの実に95%にも及びます。むろん、無意味な

がらくたとは思えませんが、今の所、全く解読されていないようです。

  さあ、それはともかく、体が要求してくる、必要なタンパク質があるわけです...そ

してそれが、何番染色体のどの部分かが選択されるわけですね...

  ええ、ここからが肝心なのですが...まず、そのDNA上の選択された部分だけ

がコピー(転写)され、前駆体mRNA( 前駆体メッセンジャーRNA)となります。もちろん、この

図に示されていますように、ここは単なるコピーですから、前駆体mRNAには、エクソ

ンもイントロンも両方含まれています。そこで次に“スプライシング”という編集作業が

おこり、この中から不要なイントロンが取り除かれます。そして、いよいよ遺伝子の本

体であるmRNAとなるわけですね...

  ところで、この編集作業である“スプライシング”ですが、イントロンが捨てられた

後、残ったエクソン部分の並べ方は、幾通りもあるわけです。例えば、どのイントロン

を頭に持ってくるかというように...そして、それによって、それぞれ違うmRNAがで

きるといいます。したがって、当然そのmRNAに対応した、異なる順序のアミノ酸の

ができるわけであり、それぞれ異なったタンパク質ができるということになります。

  うーん、このあたりはどうなのでしょうか。それほど無制限な組み合わせがあるわ

けではないと思います。ま、ともかく、全体的な風景としては、このようになっている

のだということを覚えておいてください。

  それから、今後cDNA(相補的DNA)という言葉がしばしば登場してきますが、これ

はmRNAから逆転写して人工合成した遺伝子をいいます...

 

wpe89.jpg (15483 バイト) 《 ミミちゃんガイド...No.4 》 wpe5.jpg (12116 バイト)house5.114.2.jpg (1340 バイト)

「参考文献からは、cDNAの の部分をどう読むのかは分りません。いず

れ分りますので、しばらくお待ちください」

「mRNAのことを遺伝子の本体と呼んでいいのか、このあたりの概念は、今

後しだいに明確になってくると思います。とりあえず、ここでは風景を整理す

ために、mRNAを遺伝子本体としておきます...)wpe5.jpg (12116 バイト)

 

さあ、それでは、SNP(スニップ/単一塩基変異多型)について説明しましょう

か...これは第2章の冒頭で紹介している、

 

   <どの人も、ゲノムの配列は99.9%が一致します

         残り 0.1%が、各個人によって異なります...= 個人差>

 

ということに由来しています。つまり、ある人の遺伝子/mRNA を塩基配列で見た

場合、延々と続く塩基鎖のうちのある部分が、普通の人は(シトシン)なのに、その人

(チミン)になっているような場合を、SNP(スニップ)というのです

 

  外山が片手を上げた。響子はスクリーンの横でうなづき、レーザー・ポインターの赤

い点を落とした。

何番染色体の、どの部分に、どの遺伝子が載っているか...これは全ての人のゲ

ノムで共通しています...ヒトがヒトである為の、ヒトゲノムとは、そうしたもので

す...」外山は、テーブルの上のレーザー・ポインターを取り、スクリーン上の図に赤

い点を映した。「つまり、どの人のゲノムも、ヒトゲノムとして、ほとんど共通していると

いうことですね。つまり、同じホモサピエンスなのですから...

  ただし、ヒトゲノムの同じ住所番地にある同じ遺伝子でも、塩基配列が全く同じと

は限らない場合が出てきます。これが、つまり“個人差”なのです...

  参考文献では、第9染色体の長腕にあるABO式血液型を決める遺伝子で説明し

ています。この遺伝子では、A型、B型、O型で、塩基配列が少しづつ異なります。ま

あ、血液型が違うわけですから、多少遺伝子が異なっていてくれなくては困るわけで

す。こうした遺伝子の塩基配列の違いを、“多型”というのです。ヒトゲノムの場合、

約1000塩基に1個の割合で、こうした塩基配列の個人差があるといいます。

  また、遺伝子の中で、たった1つの塩基配列の違いから来る多型を特に、

SNP(スニップ)“単一塩基変異多型”というのです。また、こうした多型は、染色体地図

上の基準点である“マーカー”として利用されるわけです」

 

   wpe89.jpg (15483 バイト) 《 ミミちゃんガイド...No.5 》   wpe5.jpg (12116 バイト)house5.114.2.jpg (1340 バイト)

“多型”と“突然変異”

“多型”  は、100人に1人以上の頻度で現れ、その頻度が一時的でな

いものをいいます。  < 1%以上... >

  1%以下の珍しい塩基配列の違いは、多型ではなく、“突然変異”と呼ん

でいます」 

 

 

                                                                                                        (2000.10.16)

  <3> ヒトゲノム解読後の新分野      

   

「話を進めます...

  ともかく、ヒトゲノムは深くて広い学問領域です。そして、今後大躍進をしていく、

21世紀科学文明のフロンティアです。したがって、右から左へきっちりと説明していく

ことは、不可能です。そこで、ここは少しづつ多方面から知識を吸収しつつ、しだいに

全体の理解を深めて行きたいと思います」

 

 

(1) 細胞内のシグナル伝達経路 wpe5.jpg (12116 バイト) 

 <細胞の外部からDNAへ、

      タンパク質製造要請のメッセージは、どのように伝達されるのか?>

             参考文献 : この章に限り、下記の論文を参考にします。 wpeA6.jpg (14454 バイト)  house5.114.2.jpg (1340 バイト)

                  日経サイエンス/2000年10月号/細胞内の巧みなシグナル伝達

                    J.D.スコット(ハワード・ヒューズ医学研究所) /T.ポーソン(マウントサイナイ病院)

 

「ええ...DNAの塩基配列の解明のみに目が行ってしまうと、そこでいったい何が

起こっているのか、門外漢の私達には分らなくなってしまいます。そこでここでは、一

歩ひき下がって、細胞全体という視野から、再度DNAというものを眺め直して見ようと

思います。

  ええ...上記の論文を参考文献とするのですが、このあたりのシグナル伝達の研

究も、まさに最先端の研究分野です。こうした総合的な分子生物学の進展があっ

てこそ、ヒトゲノムの解明も、真に意味のあるものとなるのです...」

 

  響子は、チーコちゃんに目を送った。チーコちゃんはコクリとうなづき、スクリーンの

画像を細胞の拡大模型図に変えた。それはメッセンジャー分子を放出している細胞

と、その分子の受け手側の細胞を略図形式で描いたものだった。巨大な受け手側の

細胞表面には、メッセンジャー分子の受容体が2本、対になって描かれている。

 

「...私たちの体というのは、およそ60兆ほどの細胞からできていると聞いたことが

あります。また、ご存知のように、その中には、実に種々様々な細胞があります。そ

して、それらは確実に有機的に結合し、奇跡的ともいえるこの“今”の、私たちの人

体を作り上げているのです。

  では、その正確無比な有機的結合とはどのようなものでしょうか。ここでは器官や

臓器のレベルではなく、ヒトゲノムに最も近い、細胞内の情報伝達の様子を俯瞰して

見ることにします。

  まず、この...」

  響子は、レーザー・ポインターを取り上げ、スクリーンのメッセンジャー放出細胞を、

赤い点で指し示した。

「...細胞から、ホルモンなどのメッセンジャー分子が放出されるわけです。それ

は、体のバランスを保つために、“どのタンパク質が、どれぐらいの量”などというメ

ッセージですね...例えば、それがすい臓の細胞だったり、皮膚の細胞だったりで、

要求されるタンパク質も千差万別です。

  ところが、数十兆もある人体の全細胞で、これが非常にスムーズに、ダイナミック

に、正確無比に行われています。スーパーコンピューターが何万台あろうと解析でき

ないような事態を、人体はあっさりと並列処理でクリアーしているのです...何故な

のでしょうか?その全体は、何処でコントロールされているのでしょうか?

  ともかく、ヒトはDNA最高モードの生物体なのですが、こうした事態はマウスであ

っても、ハエであっても、微生物であっても、基本的には変わりません。つまり、問題

は、細胞単位の情報伝達の問題だからです。さあ、それではいったい、“どのような

仕組みで、外部からの要求が細胞核内のDNAに到達しているのでしょうか...”

 

  一方、すでに説明してきましたように、メッセージを受けた細胞核内のDNAにおい

ては、30億塩基対のデータベースの中から、指定された部分が活性化され、コピー

されます。そして、スプライシングという編集を終えた遺伝子/mRNAは、そのタンパ

ク質の図面を持って細胞内にあるタンパク質生産工場のリボソームへ走ります。そし

て、そこでようやくタンパク質の生産が開始されます。それから、生産されたタンパク

質は、細胞外へと分泌され、それぞれの機能を果たしていくということです...例え

ば、すい臓の細胞だったらインスリンということもありますし、脳細胞だったら、脳内

麻薬物質ということもあるわけです...」

 

  響子は、外山が向こうから歩いて来るのを、ボンヤリと眺めていた。外山は、ミミ

ちゃんの所で立ち止まり、ミミちゃんを見下ろして何か話している。ミミちゃんがコクリ

とうなづいた。外山は、それから口の上にコブシを当て、何かを真剣に考えながら、

ゆっくりとプレゼンテーション・スクリーンの前へやって来た。

「やあ、すまん...」外山は、片手を上げ、もう一方の手を椅子の背にかけた。「高杉

塾長と、少し話し込んでいてね...」

「あら、それでしたら、その会話も記録に取りましたのに、」響子は、残念そうに、首を

横にしてみせた。

「いや、かまわんさ...こんな会話はいつでも取れる...それで、と...」外山は、

プレゼンテーション・スクリーンを見上げた。「うーむ...細胞内シグナル伝達経路

か...ふむ...」

「ヒトゲノムとは直接関係はないのですが、細胞レベルの理解が、ぜひ必要ではない

かと思いまして、」

「うーむ。それは是非必要だと思うね。ともかく、ゲノムDNAだけを解読してもラチが

開かん。ゲノム薬理学は、その周辺全体で威力を持つものだ」

「はい...それじゃ、続けます、」

「ああ、」

                                      house5.114.2.jpg (1340 バイト)

「ええ...細胞内部でのシグナル伝達の解明が進んだのは、ごく最近...そう、

ここ15年ほどの間でしょうか...ガン糖尿病、それから自己免疫疾患(先天性免疫不

全疾患等)などの病気は、いずれも細胞内のシグナル伝達の誤りによって生じているこ

とが分ってきました...

  さて、ええ...細胞質の中にシグナルを中継する分子は、ワシントン大学のクレブ

スとフィッシャー、それからバンダービルト大学のサザーランドによって発見されてい

ます。3人はこの功績によって、ノーベル生理学医学賞をもらっています」

 

  響子は、レーザーポインターを取り、スクリーン上に赤い点を当てた。

「ええ...このように、まず、メッセンジャーを放出する細胞があるわけです。例え

ば、“インスリンの放出をたのむ”というような...ええ、そこで、このように、メッセン

ジャー分子などが放出されるわけですね...すると、受け手側のすい臓の細胞にあ

受容体(レセプター)に、鍵と鍵穴の関係で合致します。それによって、受け手側の細

胞の内部でシグナルが発生します。それから、細胞内において、シグナル伝達の連

鎖反応が開始されます...

  まあ、簡単に言ってしまえばこういうことです。しかし、ここは細胞というミクロ世界

の精妙な情報伝達の回路であり、分子レベルのマシンが作動している世界です。こ

れはDNAにおいても同じですが、いわゆる分子生物学の世界だということですね。

また、DNAと同様に、本格的な解明はこれからになります。

  さあ、それでは、肝心なここの部分を、もう少し詳しく説明していきましょうか...」

 

《 受容体型チロシンキナーゼ...》wpe5.jpg (12116 バイト)house5.114.2.jpg (1340 バイト)

「この、細胞表面にある受容体(レセプター)については、私が説明しよう」外山は、椅子

から立ち上がり、片手をズボンのポケットに入れた。「響子さん、受容体型チロシンキ

ナーゼの図を、」

「あ、はい...」

  響子はチーコちゃんの方を見た。が、何も言わず、自分でコントローラーを取り、画

像を送った。スクリーンには、細胞表面の受容体型チロシンキナーゼの働きを示すモ

ザイク画像が出た。この画像から、全ての拡大図と最深度データを取り出すことが出

来る。

「うむ、ありがとう」外山は言った。「まず、細胞表面には、この様に、様々な受容体が

あります...その中の1つに、受容体型チロシンキナーゼが率いるシグナル・ネット

ワークがあります。これについて簡単に説明しましょう...

  まず、この受容体型チロシンキナーゼは、この図に示されているように、細胞の外

側から内側に貫通しています。この典型的な受容体は、少なくとも3つの“ドメイン”

があります。このドメインという言葉は、どこかで聞いたことがあるかも知れません

が、ここでは“機能を持つ領域”のことを指しています。つまり、3つのドメインとは、細

胞の外側にあってメッセンジャーと結合するドメイン、細胞の外側と内側をつなぐ膜貫

通ドメイン、そして細胞質内にある“尾”の様な細胞質ドメインです。つまり、それぞ

れ、“機能を持つ領域”ということですね...

 

  さあ、まず、どういうことかというと...外部メッセンジャーが、この細胞表面にあ

る受容体型チロシンキナーゼの外側のドメインに結合します。すると、細胞質内にあ

細胞質ドメインの“尾”の立体構造が変化するといわれます。まあ、受容体が、鍵

と鍵穴の関係でメッセンジャーを補足すると、細胞の内側にシグナルが伝達されると

いうことですね...

  ま、 もう少し詳しく言うと、この反応が起こると、細胞表面でバラバラに存在してい

た受容体型チロシンキナーゼが、2つで1組の“対”を作ります。そして、お互いの細

胞質ドメインの“尾”にあるチロシンリン酸化するのです...ふーむ、いまひとつ、ピ

ンと来ないねえ...」

  外山は、首を振り、響子の方に顔を向けた。

「ふーん...」響子もうなづいた。「でも、面白いわねえ...こんな情報伝達があるな

んて、」

「まあ、シグナル伝達と言う意味では、我々のエレクトロニクスよりはよほど効率的だ

がね。しかも、人体という膨大な並列処理の中で、ほとんどミスがない...」

「ふーん...そう言えばそうねえ...ともかく、あまりにも膨大で...」

「うむ。さて、と...そのあとの反応だが、このリン酸化された部分は、他のタンパク

質と結合するわけだ。このタンパク質は、SH2と呼ばれる“モジュール”を持ってい

る。このモジュールと言う言葉も、どこかで聞いたことがあると思うが、参考文献では

“基本単位”と注釈されいるね。

  実は、このシステムの見つかった初期の頃は、それ以降は酵素の働きによって、

分子構造が次々と変化し、メッセージが細胞の内部まで伝わっていくものと思われて

いた。

  しかし、実際には、リン酸化された受容体は、そのSH2を含むタンパク質の分子

構造を変える必要などは全くなかったのです。ただ、単純に、リン酸基の付いたチ

ロシンに、SH2ドメインがうまく噛み合っていただけだったのです。

  もう少し詳しく言えば、あるタンパク質の、“正”に荷電したSH2ドメインのポケット

が、“負”に荷電した受容体のリン酸基に引き寄せられるからでした。ところが、SH2

ドメインをもつタンパク質というのは、実に数多くあります。そして、どれも、リン酸化チ

ロシンに結合できるのです。が、しかし、チロシンの近くにあるアミノ酸配列の違い

で、結合の強弱があり、ここでも精密な差別化が働いているようです。つまり、目標

が、しっかりと捉えられ、メッセージが正確に伝達されるシステムができていたという

ことですかね」

「ふーん...もう少し、説得力がほしいわねえ、」響子は、腰に両手を当てた。

「まあ、一気には無理だろうねえ」

「はい...それじゃ、ミミちゃん!」響子が、ミミちゃんの方を振り返った。「ミミちゃん

の方から、少しお願いね」

「うん!」ミミちゃんは、コクリと大きくうなづいた。

 

wpe89.jpg (15483 バイト) 《 ミミちゃんガイド...No.6 》 ......wpe5.jpg (12116 バイト)house5.114.2.jpg (1340 バイト)

「ええと...話がだいぶ複雑になってきたので、少し整理するモン...少し

整理しマス...」

 wpe5.jpg (12116 バイト)<ドメイン モジュール>

“ドメイン”とは、“機能をもつ領域”と言う意味です。“モジュール”とは“基本

単位”という意味です。いずれも、どこかで聞いたことのある言葉ですが、こ

こではこのような意味で使われています。

  具体的には、“ドメイン”“モジュール”は、あるタンパク質の特定の立体

構造を探し当てて結合する、アミノ酸100個程度の比較的短い配列を指し

ています。

 wpe5.jpg (12116 バイト)<キナーゼ><ホスファターゼ>

「“受容体型チロシンキナーゼ”というような、“ キナーゼ ” とは、タンパク質

の特定のアミノ酸に、リン酸基を付ける反応“リン酸化”を触媒する酵素を意

味しています。しばしば見かける言葉なので、是非覚えておいてください。例

えば、“受容体型チロシンキナーゼ”では、アミノ酸の一種であるチロシン

リン酸基を付ける働きをもつ酵素を意味しています。

 

「一方、“ホスファターゼ” は、リン酸化されたタンパク質から、リン酸基を奪

い取る酵素です。ちなみにヒトの細胞は、数百もの異なる“ キナーゼ ”“ホ

スファターゼ”を作り出しています...」

 

《 この章の、まとめ...》             

「ええ、それでは、私が最後にこの第1章/細胞内のシグナル伝達経路 をまとめ

ておきます」

  響子は、スクリーンの前から、外山のいるテーブルの方へ戻ってきた。そして、ツイ

と髪を耳の後ろにかきあげ、ひとつ息をし、話を切り出した。

「...まず...ヒトゲノムの、約10万ともいわれる遺伝子が発動...100万種とも

いわれるタンパク質が製造されます。では、その膨大で複雑を極める作業は、いった

い何処で行われているのでしょうか...それは、まぎれもなく、1個1個の細胞の中

で行なわれているのです。人体は数十兆の細胞の塊といわれますが、その全ての

細胞に、30億塩基対のDNAが、23対の染色体という形で、整然と収納されていま

す。

  その情報量は、電話帳でおよそ200冊分といいます。そしてこの染色体は、細胞

の核の中にあり、外部からの要請によって、ダイナミックに遺伝子が発現していきま

す。つまりこの染色体は、ヒト及びその個体に関するデータベースとなっているわけ

です。では、タンパク質を製造する工場はどこかというと、それは“リボソーム”という

直径15〜20ナノ(ナノ=1/10億)メートルほどの細胞内の小球です。この小さな粒は、

細胞質の中に浮遊したり、小胞体表面に付着したりしています。そして、DNAのデ

ータベース、このタンパク質製造工場をつないでいる伝令役が、前にも述べました

ように、mRNA(メッセンジャーRNA)なのです。さて、では、

 

  外部からの情報は、どのように細胞核内にあるDNAのデータベースに届くの

ということです。

 

  そこで、この第1章、細胞内のシグナル伝達経路を考察をしてきたわけです。

さあ、それによると、受容体型チロシンキナーゼに代表されるようなシステムがあり、

細胞の外側のシグナルを、細胞の内側へ伝達しているということです。そして、細胞

内側の細胞質にも構造があり、こうしたシグナル伝達にかかわるタンパク質が存在

しているということです。それから、やがて酵素の連鎖反応が始まり、最終的には細

胞核内のタンパク質を活性化し、目的の遺伝子群を喚起することになるようです。こ

のあたりでも、ドメインやモジュールを多数持つ“足場タンパク質”などの発見や新展

開もあり、まさにフロンティアになっている様子です。

  ええ、とりあえず、このような状況です。そして、ここもまさに、ヒトゲノムの解明と

不可分な、最先端研究の分野になっているということですね。ええと...それでは最

後に、ミミちゃんにこの分野の、医療現場での実態を解説してもらいます。ミミちゃ

ん...準備は出来ている?」

「うん!それじゃ、ミミちゃんガイド・No.7です!」

 

wpe89.jpg (15483 バイト) 《 ミミちゃんガイド...No.7 》 ......wpe5.jpg (12116 バイト)wpe5.jpg (12116 バイト)house5.114.2.jpg (1340 バイト)

  ミミちゃん/談            

   細胞のシグナル伝達異常の病気            

「細胞のシグナル伝達の異常が原因となる病気は、驚くほど多いといいま

す。したがって、この分野は、病気治療の面からも、非常に期待されていま

す...」

<ガン>wpe5.jpg (12116 バイト) house5.114.2.jpg (1340 バイト)

「その代表的な例が、ガンです。ガンの特徴は、無制限の細胞分裂と、他の

組織への転移です。

  そもそもガン細胞は、遺伝子の変異によって生じます。この変異によっ

て、細胞分裂を促す経路に異常が起こると、タンパク質の過剰反応が起こり

ます。そしてこの過剰反応が、実際には細胞増殖の命令が出ていないの

に、常時細胞増殖の指令を受けているような振る舞いを、細胞にさせるので

す。

  乳ガンの治療などではすでに、偽シグナルを阻害する物質が使われてい

ます」

<先天性免疫不全疾患/XLP>wpe5.jpg (12116 バイト) house5.114.2.jpg (1340 バイト)

              X連鎖リンパ球増殖性症候群/遺伝病)

「この遺伝病のシグナル伝達は、ほとんど破壊状態と言っていいような凄ま

じいものだと聞きます。それは、普通は悪さをしないウイルスが、免疫系の

“殺し屋”キラーT細胞の暴走を引き起こすからです...

  この破壊的な過剰反応は、XLP患者がシングルSH2ドメインを含むSAP

という小さなタンパク質を作ることが出来ないことによって起こっています。つ

まり、SAPがないことによって、キラーT細胞の暴走を阻止できず、免疫系と

いう人体の防御システムが、逆に人体に致命的なほどの攻撃を加えていま

す。

  (SH2ドメインは、本文中でも紹介していますが、こちらの方は頭にシングルがついている

ので、多少違うものらしいです...)

<糖尿病>wpe5.jpg (12116 バイト) house5.114.2.jpg (1340 バイト)

「2型糖尿病(非インスリン依存性)の場合、上記の例とは異なって、細胞内シグ

ナル伝達が不活発になって、病気になるものです。筋肉や脂肪細胞は、す

い臓から送られたインスリンの命令で、血液から糖を取り込みます。しかし、

インスリンのメッセージを受容体が細胞内の分子に中継できない場合、糖尿

(異常に血糖値が高い)になるのです。

  治療薬としては、受容体やシグナル伝達系の機能を高める径口薬があり

ます」

  (最近、インスリン受容体を刺激する化合物が、マウスの実験で成功しています。)

      h4.log1.825.jpg (1314 バイト) wpe89.jpg (15483 バイト)  ええと...今回は、ここまでにしておきます...」house5.114.2.jpg (1340 バイト)

 

「はい、ミミちゃん、どうもご苦労様でしたあ、」外山が、手を叩いた。

「うん!」ミミちゃんがうなづいた。

  響子は椅子に腰を落とし、片腕を背もたれの方に掛けて言った

「うーん...少々疲れたわねえ...」

「私もだ。初めてですからねえ...ま、そのうちに、慣れてくるでしょうが...」

「チーコちゃん、」響子が、肩越しに片手を上げて言った。「紅茶を入れてきてくれな

い?いつものヤツ、」

「はーい!」チーコちゃんが答えた。「すぐ、入れてきまーす!」

「みんなの分もね」

「はーい!」

「響子さん、」ミミちゃんが響子の傍らに来て言った。「向こうで、ポン助がビヤガーデ

ンの準備をしてるよ」

「あら...そうそう!忘れてたわ!準備は出来たかしら?チーコちゃん、紅茶は中止

よ!」

 

                        2000年最終出前 <2000.10.16>

    ポン助のビヤガーデン   

                       house5.114.2.jpg (1340 バイト)lobby4.1119.1.jpg (2391 バイト)house5.114.2.jpg (1340 バイト)db3542.jpg (1701 バイト) 

   20世紀最後・夏の終わり    20世紀最後・夏の終わり

 

「ポンちゃん、ご苦労様!」マチコが、ビヤガーデンのハイパーリンクをくぐり

ながら言った。「また枝豆かあ、」

「おう、こいつは地ビールだぜ!」

「アラ...どこの地ビール?」

「軽井沢だ。造りたてが、今朝届いてよう、」

「ふーん。ポンちゃんは、いいルート持ってるんだあ、」

「マチコ!オハヨ...」支折がリュックサックを背負い、胸にデジタルカメラ

をぶら下げて入ってきた。

「支折、何処へ行ってたのよ?」

「ふふ...ここんところ、野草の写真を撮ってんのよ。そのうちにアルバム

にするわよ」

「ふーん...支折はいいわねえ。自由に仕事ができて。私は、この頃は大

変よ。塾長が、アシスタントの仕事をさせるから、」

「それが本来の仕事でしょ...」支折は、リュックサックを床に下ろした。そ

れから、デジタルカメラも首からはずし、その横に置いた。

「ポンちゃん、ご苦労様...何か、手伝うことはある?」

「無いよな、」ポン助は、P公の方を見た。

「うん、」P公がうなづいた。

 

  ハイパーリンクから高杉光一が入ってきた。夏美も一緒だ。彼女は、ジ

ーンズのスラックスに、ギンガム・チェックの長袖シャツを着ていた。

  里中響子が小さく手を上げ、高杉と何か話し込んでいる。それに外山も

加わった。それから、みんなでビヤガーデンの方へ歩いて来た。ミミちゃん

とチーコちゃんは、メモリーをバックアップし、少し遅れてやってきた。

                                        house5.114.2.jpg (1340 バイト) wpeA.jpg (42909 バイト) 

「もうすっかり秋の気配だよな、」ポン助が、半分空になったビールのジョッ

キを持って言った。「ビヤガーデンも最後だよな、」

「そうねえ、夏も終わりねえ...」マチコが言った。「暑い夏だったけど、」

「うむ」高杉が、唇についたビールの泡を拭いた「すると、このホームペー

ジも、もう満3年以上になるわけか。最初から、よく頑張ったな、マチコ」

「うん...とにかく、20世紀ももうお終いよねえ...」マチコは、地ビール

のジョッキを、口へ運んだ。「うーん...なんとなく、秋よね、」

「そうね」響子が言った。「21世紀かあ、」

「都内旅行に行くんでしょ、マチコ?」支折が言った。

「うん。一緒に行こ。夏美も行くでしょ?」

「私は、約束は出来ないわね。仕事の方の状況を見ないと、」

「もう...響子は?」

「私はダメよ。とにかく、ヒトゲノムの方が一段落しないと、」

「そっかあ...」

                                                                                  house5.114.2.jpg (1340 バイト)

 

                                                (2000.11. 2)

(2) 膨大なゲノム情報との格闘    house5.114.2.jpg (1340 バイト)

  wpe5.jpg (12116 バイト)<Inner Story ・ガイドライン=No.1/(2000.11. 2)wpe5.jpg (12116 バイト)     

 

「さあ...もう20世紀もあと2ヶ月足らずです...」響子は、プレゼンテーション・スク

リーンの前に立ち、背筋を伸ばして言った。

  彼女は、着替えてきたカーキ色のフラウすを、ゆっくりと肘まで捲り上げた。すっか

り涼しい陽気になっていたが、晴れていると日中はまだいくらか汗ばんだ。

「チーコちゃん、」響子は、ふと、窓の方へ足を運びながら言った。「外はいい天気よ。

窓を全部開けてちょうだい」

「はーい!」チーコちゃんは、独立コマンド系になっている、インフォメーション・スクリ

ーンの方へ跳んで行った。

  インフォメーション・スクリーンは、このホームページ基地内部の独立ネット系の

端末になっている。したがって、外部と接続するインターネットや、基地内の主要コン

ピューターからは、物理的に切り離されている。これは、外部からの進入を防ぎ、基

地の安定性を高めるためにとられているシステムの一環だった。

  21世紀まで後2ヶ月...この“ホームページ基地”も、内部空間の小説 “Inner

 Story” の器として、独自の進化を開始していた。

 

  チーコちゃんは、スクリーン横のパネルのボタンをポンと押し、音声ガイドで窓の開

放を命じた。まず、シャッターが左右に割れ、それから少し後れて窓も滑らかに左右

に開いていく。すると、陽光の輝く秋の庭園が見えてきた。窓のすぐ傍には、ぶどう

棚があった。棚の下には透通るように熟したマスカットが、たわわに垂れ下がってい

る。

  ぶどう棚の向こうは、芝生が開けていた。芝生の中にある白樺とポプラの木が、美

しい黄色に紅葉し、キラキラと微風で揺れている。そのさらに向こうは雑木林の縁に

なっていた。紅葉した雑木林の上は、青空が深く澄みわたっていた。吸い込まれるよ

うなその青空の奥深くに、かすかな巻雲が一筋流れている...

  響子は、木々の紅葉と、深く澄みわたった青空を、吸い込まれるように無心に見つ

めていた。心が無心に入る時...永遠の今は“合わせ鏡”のように、無心が無心を

映し出す。響子は、深い青空の中に吸い込まれていき、青空に溶け込み、1人称とし

ての青空を見つめていた...

「ほう...なかなかいい眺めだね...」外山が、窓の方へ歩いて来た。

「...はい...もうすっかり紅葉していますわ...」

「ところで、ここはどこかね?」

「あ、そう...ここは長野県の軽井沢です。その一番はずれになります。私は企画の

担当主任なので、ホームページの基地局の1つを、この軽井沢に作りました。今回

の、“最新・ヒトゲノム解読後の風景”が、ここでの初仕事になります。それで、“大

戦略・DNAの攻防”全体も、こちらの基地局に移しました」

「ふーむ...企画の担当主任というのは、権限があるんだね、」

「はい、」響子は、ニッコリとうなづいた。「でも、高杉塾長の許可が必要です。それ

に、今回のような基地局の設置ですと、ボスの承認も受けておかないと、」

「なるほど。ボスとは、よくコンタクトはとるんですか?」

「いえ。ごく、たまにです」

「私は、まだボスに会ったことがないが...」

「みんなそう。ボスはめったにこちら側には来ませんもの。でも多分、正月には会える

かも知れませんわ」

「うーむ、それは楽しみだ...さてと、休憩も取ったし、そろそろ始めるかね」

「はい」

                                                           

<ゲノミクス から プロテオミクス へ > wpe5.jpg (12116 バイト)   house5.114.2.jpg (1340 バイト)

 

  響子は、レーザー・ポインターを持って、プレゼンテーション・スクリーンの前に立っ

た。外山は、正面テーブルの椅子に掛け、ゆっくりと脚を組み上げた。

「...ええ、20世紀も後わずかです。ヒトゲノムの解読は、今世紀中に完了するので

しょうか...いずれにしても、もはや研究者の関心は、ゲノムを研究するゲノミクス

ら、タンパク質を研究するプロテオミクスへ移行していると言われます...

  このプロテオミクスとは、もう少し詳しく言うと、遺伝子が“いつ”、“何処で”、“どの

ように” 発現するか。また、その遺伝子が作り出すタンパク質の構造や、タンパク質

の機能や、種々のタンパク質の特性どのようなものかを研究するものです...」

 

「ええ...」外山は、インターネット正面カメラの中に入り、眼鏡に手をやった。「そうで

すねえ...ヒトゲノムの解読が最終局面を迎え、次にすべき戦略的課題は、約10万

ともいわれる遺伝子の解明です。それは具体的には、mRNA( メッセンジャーRMA)と、そ

れによって作り出される100万種を超えると推定されるヒトのタンパク質の解明で

す。  

  何度も繰り返しますが...ヒトゲノムは染色体地図で表示され、それはDNAの二

重ラセン暗号コードで書き込まれています。これは別な言い方をすれば、その個体の

全ての設計図を収めた、30億塩基対のデータベースです。

  これは全ての細胞の核の中にあります。そして、このDNAは、細胞の核から外へ

出ることはありません。DNAを部分的に転写し、スプライシングで遺伝子を整え、外へ

出て行くのはmRNAの仕事です。そして、このmRNAを人為的に逆転写して作った

のが、cDNAです。では、何故cDNAなどという遺伝子のコピーが必要なのかという

と、研究を進めていく上で非常に有力な道具であり、便利な素材だということです。

 

  さあ、そういうわけで...ええ...染色体の詰まった核から出たmRNAは、“リボ

ソーム”という細胞内のタンパク質製造工場へ行き、そこで設計図を示し、タンパク質

の製造に取り掛かります。

  このリボソームという小さな粒は、細胞質の中に浮遊していたり、小胞体表面に付

着したりしています。まあ、いわゆる巨大な製造工場とは、少しイメージが違います

ね。これについては、いずれ別の機会に、詳しく考察していくことにします...」

  

<遺伝子チップ > wpe5.jpg (12116 バイト) wpeC.jpg (18013 バイト)  house5.114.2.jpg (1340 バイト)       

  

「さて、“トランスクリプトーム”“プロテオーム”という言葉があります」外山は、チラリ

と窓の外に目を投げて言った。「“トランスクリプトーム”とは、ある時点に、ある細胞が

作っている、mRNAの全ての集合体のことをいいます。一方、“プロテオーム”とは、

それらのmRNAから作られる、タンパク質すべてのことをいいます。

  何故、このような概念を紹介するかというと、ここから...ええ、具体的に、遺伝子

とタンパク質を特定する作業が開始されるからです。

  また、 トランスクリプトームは トランスクリプトミクス(mRNAの全ての集合体の研究 )に対応

し、プロテオームはプロテオミクス(mRNAから作られるタンパク質の研究 )に対応しています。つ

まり、ゲノミクス(ゲノムの研究 )は、 トランスクリプトミクスとプロテオミクスという次の研究

段階に入ったというわけです。それでは、響子さん、“遺伝子チップ”の説明をお願い

します」

 

「はい。ええ、まず...米カリフォルニア州のサンタクララに、アフィメトリックス社とい

うベンチャー企業があります。この会社は、遺伝子チップを商業化した最初の会社と

して知られています。そして、この遺伝子チップ技術は、トランスクリプトミクス、つまり

mRNAの全ての集合体を研究する上で、非常に重要な地位を占めています。

   

  さあ、具体的な話に入りましょうか...遺伝子チップ(商品名: GeneChip)は、

 

  “親指の爪サイズのガラス上に、ある特定の種類の細胞が作る、全てのmRNAと

結合する“cDNA が、ずらりと貼り付けてある”

 

といいます。cDNA(相補的DNA)は、先ほども説明していますが、いわゆるmRNAから

DNAに逆に読み直して(逆転写)、人工的に作ったものです。mRNAは、一度スプライ

シング(編集)され、意味を持たないイントロンが取り除かれ、エクソンのみになっていま

す。したがって、これを逆転写したcDNAも、当然イントロンの部分は削除されていま

す」

「そうですねえ...」外山は、腕組みをしながら言った。「また、繰り返しになります

が、DNAはよく言われるように、二重ラセン構造になっています。したがって、その片

方があれば、コピーはいくらでも作れます。また、生殖細胞などでは、男性側の半分と

女性側の半分が結合し、子供にはその両方の形質の一部づつが受け継がれます。

それから、mRNAからDNAに逆転写されたcDNAですが...うーん...RNAとD

NAは構成要素が多少違いますし、口で言うよりもはるかに複雑なのかもしれません

ねえ...」

「あ、それでも...cDNAは、人工的に作られたといっても、遺伝子としては本物で

す」響子が、レーザー・ポインターを、プレゼンテーション・スクリーンの図上に当てなが

ら言った。「だからこそ、遺伝子チップの上に並べ、mRNAと結合させて、そのmRNA

を特定できるというわけです...はい、それでは、ミミちゃん、ガイドの方をお願いし

ます」

  響子は、パソコンで編集しているミミちゃんに小さく手を上げ、レーザー・ポインターを

コトリとコンソールの隅に置いた。

「うん!」ミミちゃんは、長い耳を揺らしてうなづいた。

 

wpe89.jpg (15483 バイト) 《 ミミちゃんガイド...No.8 》wpe5.jpg (12116 バイト)wpe5.jpg (12116 バイト)house5.114.2.jpg (1340 バイト)

《ミミちゃん/談》             

遺伝子チップ                           

 

<遺伝子チップの使い方> 

「mRNAを特定する遺伝子チップは、今後どんどん新しいタイプのものが開

発されていくようです。しかも、商業ベースで行われていますので、使う目的も

場所もそれこそ自由ということでしょうか...

  研究者は、まず調べたい細胞資料からmRNAを注出し、化学的な目印を

つけます。そして、それを遺伝子チップの上にたらします。それから、mRNA

がどのcDNAと結合したかを調べれば、資料に含まれていたmRNAの塩基

配列がわかります...」

 

<遺伝子発現の光景>

「ヒトの全ての細胞に核があります。そして、それぞれの核には、完全なDNA

のデータベースが備わっています。でも、各細胞により、それが使われるの

は、特定のごく一部です。したがって、その細胞の中に、どのようなmRNAが

あるかで、その細胞が何をしているかも分るわけです...

  例えば、インスリンを作るmRNAは、すい臓のベータ細胞に大量に存在し

ます。しかし、脳の神経細胞の中には、通常は全く存在しません。つまり、仕

事をする場所に、それぞれのmRNAが集まっているということです。

  それから、DNAの活躍の場としては...母親の胎内で受精卵から胎児

に至る一連の遺伝子発現の光景が、最も複雑でダイナミックなものだと思い

ます。でも、その作業が終わると、かなりの数の遺伝子は、もう再びmRNAに

転写されることはありません。彼等は、DNAデータベースの奥深く眠りにつ

き、再び個体が複製される時を待つのです...」

 

<新しい遺伝子チップの開発> 

「このアフィメトリックス社は、今年初め、2つの新しい遺伝子チップの開発に

乗り出したといわれます。いずれもヒト細胞解析用のもので、もうすぐ11月

ですから、相当に進んでいるのでしょうか...」

「1つは、6万種類のmRNAを特定できるものだといいます。そしてもう1つ

は、ガンに関係する1700のmRNAが、細胞に存在するかどうかを調べるも

のだといいます。うーん...」

 

<ヒト腫瘍遺伝子・目録計画> 

     アメリカ国立ガン研究所 <連邦政府、学術機関、製薬会社も参加...>

「ええと...これはヒトのガン遺伝子の目録を作るプロジェクトです。

うーん...色々な種類のガン細胞が作る、mRNAを調べ、全てのガン遺伝

子を特定していく仕事です。

  すでに、5万ほどのガン遺伝子を特定しています。これらは、1種類のガ

ンや、複数種類のガンで活性化していることが確認されています...」

 

「この計画から、乳ガンで活性化している遺伝子が、5692個見つかりまし

た。また、この内の277個は、他の組織や臓器では活性化しないことも分っ

ています。つまり、乳ガンのみに関与している可能性が、非常に高いというこ

とです。

  したがって、この277個の遺伝子が作り出すタンパク質を標的とした化合

物を作れば、副作用の少ない、非常に優れた乳ガン治療薬が開発できると

言われます」

                                wpe5.jpg (12116 バイト)house5.114.2.jpg (1340 バイト)       

 

「はい、ミミ君!どうもご苦労さま!」外山は、パンパン、と手を叩いた。「さて、少しま

とめておこうかね、」

「はい、」

「ええ...いま、ヒトゲノム及びその周辺の研究は、巨大な河のように流れています。

そして今の所、その標的は全てタンパク質に向かっているように思えます。何故、タン

パク質なのかといえば、DNA遺伝子が作り出すのは、タンパク質だからです。そして

また、ここに有機生命体の大いなる秘密があるからです」

「あの、有機生命体について、少し説明していただけるでしょうか?」

「うむ。この地球に存在している生命体...いや、人類文明がこれまでに出会った

生命体は...まあ、この地球からほとんど出たこともないわけだが...全てタンパ

ク質で構成された生命体だったでしょう。それ以外の型の生命体とは、まだ一度も出

会ってはいないはずです」

「...」

「そこで、このタンパク質というのは、多種類のアミノ酸で構成されています。そして、

このアミノ酸は、炭素原子を土台にして出来ています。こうした形で炭素原子を含ん

だものを、有機化合物と言うわけですね。有機生命体とは、このように炭素原子を土

台とした生命体ということです」

「はい、」

「この地球という惑星には、この様に生命体やその残滓に含まれる有機物系の炭素

があります。また、二酸化炭素(CO2)のように、アミノ酸とは関係のない無機物系の

炭素というものもあり、これらは大きく循環しています。

  石油や天然ガスなどは化石燃料と言われるように、有機物が地質年代的な時間

の中で醸成されて出来たものであり、有機物系のものです。しかし一方、地中や海水

中や大気中の無機物系の炭素というのも、実は膨大な量なのです。

  また、面白いことに、私たちの呼吸では酸素(O2)を吸い込み、二酸化炭素(CO2)を

吐出しています。では、<O2を取り入れ、CO2を排出するとなると、単純な計算でも、C

は余分に排出しています>...この炭素(C)はどこから来ているのでしょうか。ま

あ、私たちは、食物として大量のタンパク質を食べ、同時に炭素を取り入れているわけ

ですが、このような形で排出もしているのです。言い換えると、炭素は開放系システム

である私たちの体の中を様々な形でグルグル回り、通り抜けているわけですね...」

「面白いですね、」響子は、口元を崩した。

「生命体というものを考察する上では、1個の炭素の流れを追うというのも、面白いで

す。しかし、この話は、ここまでにしておきましょう。話が長くなります」

「はい」

「最近、地球温暖化との関連で、人類の化石燃料の使いすぎが問題になってきていま

す...しかし、それとは別に、化石燃料がすべて生命体の屍骸が堆積して出来たも

のだということは、別の意味ですごいことだと感じます。つまり、この地球という巨大

生命圏では、それほどの生命サイクルがあったということです。それほどのDNA型細

胞が、過去にこの地球表層部で発生し、降り積もって厚い層になっていたということ

です。

  そして、21世紀を迎えようとしている人類文明は、ようやくこの爆発的に拡大して

いく生命システムの解明に着手しました。しかし、そこで分ってきた事は、人知をはる

かに超える底知れない複雑さと、無限に増殖し進化していく計り知れない狂暴さ、そ

して、それを統括している意識の謎でした...」

「そして、それは、まさに私たちの姿だということですね、」

「そういうことです。このページではこれまで、ヒトゲノムや遺伝子は、タンパク質を作

り出すシステムとしてのみ眺めてきました。しかしこれらには、もう1つ別の重要な仕

事がありました。それは、子孫を残し、この設計図を正確に伝えていくという仕事

す。しかもこの過程において、“進化”という、想像を絶するような要素が組み込まれ

ているということです」

「ふーん...“進化”ですかあ...」

「ま、この話は、一応ここまでにしよう」

「はい。どうも、お疲れ様でした」

 

 

                                                (2000.11.20)

<4> タンパク質の解明へ向かって   wpe8.jpg (3670 バイト)wpeC.jpg (18013 バイト)house5.114.2.jpg (1340 バイト) 

         <Inner Story ・ガイドライン=No.2 晩秋の散歩道

                                      (2000.11.20)

   里中響子は、朝もやで霞む小道を歩いていた。足首まで降り積もった落ち葉に、う

っすらと白い霜が下りている。それが、歩くたびにザワザワと足に当り、心地よかっ

た。が、ここ数日の冷え込みで、両手をコートのポケットに入れていても、体の芯から

肌寒かった。これで、晩秋の軽井沢に、また一歩冬が近づいたのが実感できた。

  里中は、軽井沢に来て以来、この朝の散歩がすっかり気に入っていた。雨が降っ

ても、肌寒くても、それはそれで季節の流れである。彼女にとっては、そうした一つ一

つが感動の日々だった。また、散歩の中で、ひとり思索し、移り行く高原の秋を眺めて

いると、自分が自分になれる。彼女は、それが何よりも嬉しかった。彼女はまた、暇

があれば、昼でも夕方でも出かけたし、時には自転車で遠出をすることもあった。

 

  里中は、コートの襟を立て、両手をポケットに突っ込み、肩を張って歩いた。時々、

小刻みに震えた。そして、葉の落ちた雑木林を見上げ、自分の吐き出す真っ白な息

を見つめる。

  人気のない晩秋の別荘地を抜けて行くのも、毎日のように新しい発見があった。裸

の木の枝に、真っ赤に熟したカラス瓜を発見したり、鳥の巣箱を見つけることもある。

また、ついこの間までうっそうと下藪が茂り、紅葉の美しかった林がガラっと透け、そ

の向こうの荒れた大きな別荘が真近に見えりしする。

 

  里中はまた、時には眼前の事物に感動し、真実の結晶世界に感動し、その内なる

静かな我の風景に感動することもあった。そのように、禅の境涯を深める修行をして

いたからである。

  我が我を見つめ、世界が世界を見つめている時、無心が無心を見つめるようにな

る。そしてそこに、悟りの世界が開けて来るのである。彼女は、その中にひとりたた

ずみ、ひとり歩み、いま一歩の深い境涯を目指している自分を見つめていた。

  ピピッ、ピピッ、と携帯電話が鳴った。

  響子は、ゆっくりとコートの胸ポケットに手を当てた。それから、マフラーの間から手

を差し込み、携帯電話のスラップを引き出した。

「...はい...響子です...」

「あ、マチコ!ハイパーリンクで軽井沢に来たんだけど...誰も居ないのよね。何処

にいるの?」

「...私は散歩中なの...ミミちゃんも、チーコちゃんも居ない?」

「うん、」

「そう...じゃ、外かしら...」

「9時に、全員集合なんでしょ?」

「ええ...私も、あと10分ほどで基地局に帰るわ...あ、そうそう、マチコ。コーヒー

を入れておいてくれない?」

「うん。いいよ、」

「モカをね。いつものブレンドで、」

「ええ」

「寒いわよ、外は。すっかり霜が降りているわよ」

「ワー!本当?」

「ええ、熱いコーヒーをお願いね」

  響子は、携帯電話を切り、胸ポケットに入れた。それから、コートの手首を押し上

げ、手袋をまくり、時計を見た。8時23分になっていた。

  house5.114.2.jpg (1340 バイト)                                     

 

 

 (1) タンパク質の研究

<2次元電気泳動法>と、<芋づる式認定法>wpeC.jpg (18013 バイト)

          wpeA6.jpg (14454 バイト)      wpe5.jpg (12116 バイト)

「さあ...いよいよタンパク質の解明です...」

  響子は、プレゼンテーション・スクリーンの方から、コーヒーを飲んでいる外山に視線

を送った。外山は、響子にうなづき、それからまた手元のメモに目を落とした。

「この...遺伝子が作り出すタンパク質の解明こそが、ヒトゲノム解明後の最大のテ

ーマになるわけです...」

  外山がコーヒーを飲んでいるので、響子もマチコの入れてくれた2杯目のコーヒー

を、一口飲んだ。外を歩いてきたので、まだ体が冷えていた。コーヒーカップを、また

サイドテーブルの方にそっと戻した。

「ええ...mRNAの情報をもとに、リボソーム(タンパク質製造工場)で作られるこのアミノ

酸の鎖は、その構造の複雑さ、種類の多さは、まさに膨大なものです...ヒトゲノム

の解読は確かに難関でした。でも、これから始まるタンパク質の解明に比べれば、そ

れはまさに、文字通り序曲に過ぎなかったのかも知れません...」

「さあ...」外山が、正面の作業テーブルの方から言った。「この分野では、現在“分

子スキャナー装置”の開発計画があります。これは、1つの細胞に含まれる数千種

のタンパク質を分離し、特定する作業を、自動化しようというものです...」

「それは...どの程度進んでいるのでしょうか?」

「さあ...まだ、分りませんねえ...これは、ヒトゲノム解読で、“国際ヒトゲノム計

画”と競争を演じた、あのセレーラ社が関係するベンチャー企業です」

「すると、似ていますね...あのゲノム解読のやり方と、」

「うーむ、詳しいことは分りませんが、」

「はい、」

「さあ、この章も、張り切って行きましょう!」

「はい!あの、これでラストになるのでしょうか?」

「そうですね...“ヒト以外でも進むゲノム解読”と、“日本の現状”については、別

の項目を作りますからね」

「はい、」

  外山は、飲み干したコーヒーカップを、テーブルの端のほうへ押しやった。

                                 house5.114.2.jpg (1340 バイト)  

 

「さあ、」と、響子は、スクリーンをコントロールしているチーコちゃんの方に目を投げ

た。「ともかく、タイトルに示したように...タンパク質の解明には、今の所<2次元電

気泳動法>と、<芋づる式認定法>という2つ方法があります...

  ええ...<2次元電気泳動法>は、個々のタンパク質を、分子量電荷という2つ

の性質に基づいて整理していきます。

  それから、<芋づる式認定法>の方は、すでに分っているどのタンパク質と結合

するかを調べ、その機能グループ別に整理していくものです。

  まあ、そうですねえ...ともかく、このあたりから、何とか多種多様なタンパク質

を、フルイに掛けていくということでしょうか...ええ、では次に、この2つの方法を、も

う少し具体的に説明していきます...」

 

<2次元電気泳動法>                  wpe5.jpg (12116 バイト)

 

「これは具体的には、細長い筒状のゲル(ここでは、ゼリー状態でpHの勾配を作ってあるタンパク質)

中で、タンパク質を電荷によって分離します。これが、いわゆる1次元目。それから、

多少の仕掛けをして、電流を流し、タンパク質を分子量によって分離します。これが2

次元目です...ここでは、具体的な説明は省略していいかしら?」

「ああ...うむ...あまり詳しい、技術的な話をしてもしょうがない」

「はい。ええ、そういうことで...ともかく、こうしたゲルの中では、小さいタンパク質は

速く移動し、大きいタンパク質はゆっくりと移動します。こうした一連の作業で、分子

量は同じだが、電荷の違うタンパク質や、電荷が同じでも分子量の違うタンパク質な

どが識別できるようになったわけです、」

「そうですね。こうした装置のロボット化も進んでいます。資料のゲルから自動的にタ

ンパク質の点を取り出し、酵素を使ってタンパク質を細切れにし、その断片をレーザ

ー質量分析機にかけるといったプロセスです。むろん、得られた情報は、コンピュー

ター解析にかけられるわけです...」

「ミミちゃん...そっちの方で、何かガイドがある?」

「うん!いいかしら?」

「ええ。それじゃ、お願いね」

wpe89.jpg (15483 バイト) 《 ミミちゃんガイド...No.9 》wpe5.jpg (12116 バイト)wpe5.jpg (12116 バイト)house5.114.2.jpg (1340 バイト)

<2次元電気泳動法の欠点

          ミミちゃん/談            

「ええと...この2次元電気泳動法には、限界があります。それは、きわめ

て電荷が大きいタンパク質や、分子量の小さいタンパク質は、うまく分離でき

ないということです...

  それから、疎水領域(水をはじき、脂質となじむ領域)のあるタンパク質も、うまく

いかないといいます...

 

  “細胞内のシグナル伝達経路”に関する前の方の章で、細胞膜を貫通す

受容体型チロシンキナーゼについて考察しました。実は、このタンパ

ク質も、疎水領域を持っています。

  ところが、この膜貫通タンパク質は、薬の標的になるので、非常に重要な

タンパク質です。疎水領域を持つのは、SH2ドメインなのですが、このSH2ド

メインをもつタンパク質は、多数あります...うーん...

wpe5.jpg (12116 バイト)                                     wpe5.jpg (12116 バイト)

 

 

<芋づる式認定法>                    wpe5.jpg (12116 バイト)

 

「Let's me see ...(日本語訳 : ええと...) ...」

  響子は、ボンヤリと英語でつぶやいた。そして、無表情にプレゼンテーション・スク

リーンを眺め、ゆっくりと首をかしげた。

「さあ...この<芋づる式認定法>というのは、すでに分っているどのタンパク質に

結合するかを調べ、機能グループ別に整理していく方法です...

  アメリカのコネティカット州ニューへブンにあるキュアジェン社は、ワシントン大学の

ハワード・ヒューズ医学研究所と共同で、パン酵母において、1004種類のタンパク

質と結合する957種類のタンパク質の、機能を推測したと発表しています。これ

は...ええ...今年2000年の2月ですね、」

「...響子さん、」外山は、テーブルの上で片手を上げた。「この酵母については、もう

少しくわしく説明しておこうか」

「あ...はい、」

「いや、私が説明しよう...ええ、この酵母というのは、つまり、糖分アルコール

炭酸ガス(COに分解する働きのある細菌です...まあ、イーストとも言われ、酒や

パンの製造に使われているものです。むろん、一口に酵母といっても、色々な種がい

ます...

 

  さて、この酵母というのは、そもそも単細胞であり、“真核生物”に分類されます。

真核生物とはどういう意味かというと、細胞内に(DNAを収容するカプセル)をもつという意

味です。これは、つまり、動物や植物の細胞の原型と言えるものなのです。この“真

核生物”に対し、“原核生物”というのがあり、これは細胞内に核をもたない生物のこ

とです。例えば...まあ、大腸菌などがそうですね。

  大腸菌は、したがって、核膜で囲まれた明確な核構造をもっていません。しかし、

大腸菌にもDNAはあるわけであり、これらはいわば裸の状態で細胞内に存在して

いることになります。まあ、したがって、遺伝子工学においても、単純で扱いやすいと

いうことにもなりますが...

 

  はい...酵母の説明は、ここまでです」

 

「はい、」響子は、やや頭を傾げてうなづいた。それから、ミミちゃんの合図に気付き、

そっちの方にも、しっかりとうなづいた。「ええと...したがって、構造が単純なのは、

原核生物の“大腸菌”だということですね。これは、よく研究されています。でも、単細

胞の真核生物を研究するなら、“酵母”がいいということです。また、その上の多細胞

を研究するなら、“ショウジョウバエ”が適しているといわれます。

  ええ、ミミちゃん...それじゃ、ガイドの方をお願いします」

「うん!」

 

wpe89.jpg (15483 バイト) 《 ミミちゃんガイド...No.10 》wpe5.jpg (12116 バイト)wpe5.jpg (12116 バイト)house5.114.2.jpg (1340 バイト)

<酵母2ハイブリッド法>

          ミミちゃん/談                   

「酵母のゲノムは、1996年に解読が終了しています。約6000の遺伝子

あるといわれていますが、その内の1/3はまだ機能が分っていないと言わ

れています...」

 

<酵母2ハイブリッド法>は、配列の分っている未知のタンパク質を、“餌

タンパク質”として使います。そして、これに結合する“捕食者タンパク質”

探し出し、その機能を探るというものです。

  うーん...つまり、すでに分っているどの捕食者タンパク質と結合するか

で、餌タンパク質の機能が推測できるというわけです...」

 

「キュアジェン社とワシントン大学の共同研究グループは、このようにして、

酵母の未知のタンパク質を整理しました。“エネルギー生成”、“DNA修復”

といったような、機能グループに分けたと言っています...」

                                      house5.114.2.jpg (1340 バイト)   

 

「...さて、このキュアジェン社のライバルの1つに、ソルトレイクシティーに本拠を置

く、ミリヤッド社があります...」

  響子は、スクリーン上で、ミリヤッド社の写真を拡大した。

「ええ...このミリヤッド社のあるソルトレイクシティーというのは、2002年に冬季オ

リンピックが開催される都市ですね...ソルトレイクというのは、文字通り、塩の湖をさ

すと聞いています...あ、すみません。雑談はこれくらいにします...

  ええ、このミリヤッド社は、乳ガン卵巣ガンに関係する遺伝子BRCAの遺伝子診

断をしている会社として有名です。この会社は、“酵母2ハイブリッド法”の変形版を

使って、ゲノム全体を調べるというより、特定の病気の経路に焦点を絞って研究をし

ているといいます。例えば、シェリング社と提携して、MMAC1遺伝子がつくるタンパ

ク質の生化学的な相互作用を探っています...

  うーん、そうですねえ...とりあえず、この2つの遺伝子ぐらいは、心に留めてお

いて下さい。こんな遺伝子があるのだなあと...

  今後、時代と共に、様々な遺伝子が話題になってくると思いますが、それらはこん

な風に、膨大な複雑系の中から探し当てたものだということを、知っておいて下さい。

 

   BRCA.... 乳ガン卵巣ガンに関係する遺伝子。

      MMAC1...これに変異が起きると、脳腫瘍前立腺ガンを招きます。

 

<タンパク質チップ>                      wpe5.jpg (12116 バイト)house5.114.2.jpg (1340 バイト)

 

「1つ前の章で、遺伝子チップについて説明しました...」外山は、テーブルの上

で、コードレス・マウスを滑らせながら言った。「ところが最近、“タンパク質チップ”とい

うのも、ようやく使えるようになってきたと聞いています。もちろん、こっちの方はタン

パク質チップですから、タンパク質を効率的に特定するシステムです」

「ええーと...」響子が言った。「この“タンパク質チップ”は、カリフォルニア州パロア

ルトのシファージェン社の製品ですね?」

「そう。シファージェン社の製品です。これは、“水に溶けるか”、“金属イオンに結合

するか”など、様々な性質によってタンパク質を分離する、細長い帯のセットのようで

すねえ...それからこの帯を、シファージェン社のチップ読み取り機(質量分析器を内臓)

かけると、タンパク質が特定できるということですね。ああ、なろほど...」

「ふーん...こういうシステムが、どんどん進化していけば、頼もしいですわね、」響

子は、外山の顔をのぞき込み、口もとを崩した。

「うむ、」外山も、微笑してうなづいた。「現在、ヒトゲノムの周辺では、あらゆる分野で

技術革新が展開しています。何をやるか、何処に目をつけるか、まさにフロンティアと

呼ぶにふさわしい分野です。

  ちなみに、このシステムを使った最初の研究の1つは、“前立腺ガンの初期段階で

の、腫瘍マーカーを探す”という仕事だったといわれています。これはイースタンバー

ジニア大学で行ったもので、“良性な前立腺疾患の診断用マーカーを12コ、いわゆ

る悪性腫瘍である“前立腺ガンの腫瘍マーカーを6コ見つけたと報告しています。

  前立腺の腫瘍が、良性か悪性のガンかを見分けるのに、有効な手段になるでしょ

う。現在は、前立腺ガン抗原を使って分析していますが、これよりも有効かもしれま

せん。まあ、ともかく、新しい角度からの技術が導入されれば、より精度が高まること

は間違いありません」

「はい、」

 

構造ゲノミクス研究>                     wpe5.jpg (12116 バイト)house5.114.2.jpg (1340 バイト)

 

「あの、外山さん...」響子は、レーザー・ポインターを握った手を、肩の高さまで上

げた。

「うむ...何かね?」

「人のタンパク質は、実際どのくらいの種類があるのでしょうか?」

「うーむ...実際の所は、まだ分らないのでしょうね。ある研究者は、10万個の遺伝

子、100万種を超えるタンパク質と言っています。しかし、遺伝子の数すらも、まだ正

確には特定されていないのですから、」

「はい、そうでした...遺伝子の数も、4万から16万といった数字で表現されること

もありました...そうすると、当然、タンパク質の種類の数も、大きく変わってきます

わ」

「まあ...ヒトのタンパク質を全て特定するのは、確かに重要です。しかし、一方、タ

ンパク質の機能を真に理解するには、その構造を見極めることが必要ですね」

「はい」

「そこで重要になってくるのが、“構造ゲノミクス研究”です。

  “構造生物学”では、まず分子を精製して、結晶を成長させます。そして、そこに、

X線を照射します。すると、X線は結晶の原子に当たって跳ね返り、回折パターンをつ

くります。それから、この回折パターンは、分子の立体構造に読みかえられるわけで

すね。いわゆる、いま提唱されている構造ゲノミクス構想というのは、こうしたプロ

セスをスケールアップし、高速化するというものなのです」

「はい...今の説明では、よく分かりませんけど、」

「うむ。まあ、X線照射による回折パターンで、タンパク質の立体構造を研究している

ということです。つまりこれが、タンパク質の機能を知ることに結びついてくるのです。

そうですね、ともかくこうした新分野の研究については、今後詳しく説明する機会が

あると思います」

「はい、」

アメリカ国立衛生研究所(NIH)では、大学などでのこの分野の研究に、2000万ドル

もの助成を予定しているといわれます。また、企業ベースでも、この研究に参加しつ

つあるようです。まずは、“高精度のX線結晶回折法”を開発中とも聞いています」

「はい」

ヒト・プロテオーム( ヒトの、全てのmRNAから作られる、全てのタンパク質 )で、個々のタンパク質の

立体構造が分れば、そのタンパク質に結合して機能を阻害したり、機能を促進したり

する化合物を作ることにつながります。これが、いわゆる合理的な薬の設計(ラショナル・

ドラッグ・デザイン)と呼ばれるものです。そして、この合理的な薬の設計こそが、当面のビ

ジネスチャンスであり、ベンチャー企業や製薬会社の最大の関心事になっているわけ

です」

「はい...ええ...ちなみに、人体を構成する全タンパク質のうち、その構造が分っ

ているものは、現段階では1%程度と言われています...

  ええ...この章は、これで終わります...」

 

  響子は、プレゼンテーション・スクリーンの脇で直立し、深く一礼した。

 

 

wpe5.jpg (12116 バイト) “最新・ヒトゲノム解読後の風景”は、一応これで終わります。

次は、“ヒト以外でも進むゲノム解読”になります。これは、最高モードの

ヒトゲノムを解読する上での、重要なステップとなるものです。どうぞ、ご期

待ください」            

                                                             <里中 響子>

                                 house5.114.2.jpg (1340 バイト)