Community Space /ボスの展望台/ボスのTwitter/2015/3月 |
3月/March
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3月 31日 |
《 響子の・・・ 小倉百人一首
》・・・(341) 勝負の間は、酒や肴(さかな)もめくった様です。天皇の御前とはいえ、緊張もほぐれて います。その風雅な品格の中で、勝負は水を打った(/大勢の人々が静まりかえるさま)ように 高まります。 右の兼盛か…左の忠見か… 研ぎ澄まされた感覚の中で、優劣がめぐります。歌が、交互に、声高にうたわれます。
《 響子の・・・ 小倉百人一首
》・・・(340) さあ…平兼盛の歌は右…
私の噂がもう立ってしまった… 誰にも知られないように… 心ひそかに、思いはじめたばかりなのに…>
《 響子の・・・ 小倉百人一首
》・・・(339) 判者は大変ですが、座は益々白熱を帯びて来ます。左右の方人達の声も喧(かまびす) しくなります。そして、最後の<恋>の部になります。恋の歌は5番勝負です。 この時の出詠歌人は12人。 藤原朝忠(ふじわらのあさただ/三十六歌仙の1人。官位は従三位・中納言。土御門中納言または堤中納言と号 する。『小倉百人一首』では中納言朝忠。)、大中臣能宣(おおなかとみのよしのぶ/三十六歌仙の1人。官位は 正四位下・祭主・神祇大副。)、壬生忠見(みぶのただみ/【30番→ 壬生忠岑】の子。父とともに三十六歌仙の 1人に数えられる。官位は正六位上・伊予掾。)、源順(みなもとのしたごう/嵯峨源氏の一族。下総権守・和泉守等 を歴任し、極官は従五位上、能登守。)らで… 女流歌人は中務(なかつかさ/三十六歌仙の1人。母は、【19番→ 伊勢】)、本院侍従(ほんいんのじじゅ う/村上天皇の中宮(ちゅうぐう)安子や女御(にょうご)徽子(きし/斎宮女御)らにつかえた。摂政/藤原伊尹(これただ) と太政大臣/藤原兼通の兄弟,歌人の藤原朝忠らと恋愛関係にあったといわれ、,恋の贈答歌がおおい。)らです。
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3月 30日 |
《 響子の・・・ 小倉百人一首
》・・・(338) 判者は…左大臣/藤原実頼(ふじわらのさねより/平安時代中期の公卿。 摂政関白太政大臣を歴任した 藤原忠平の長男)で、温和重厚な人物で信望があります。歌合は進行し、いよいよ白熱し ます。 判定理由は…<左歌の心ばえ、いとをかし>とか、<右歌、させることはなけれ ど、難は見えず>とか、<歌の品の同じほどなれば、持(じ/歌合わせで、引き分けのこと) にぞ定め申す>などです。
《 響子の・・・ 小倉百人一首
》・・・(337) 申の刻(さるのこく/現在の午後4時前後)…天皇が臨御(りんぎょ/天子がその場においでになること)… 日が暮れて、灯がともされ、庭には篝火(かがりび)が焚かれます。左右に分かれた方 人(かとうど、かたうど/味方、仲間)の頭には、天皇のお妃(おきさき/・・・更衣が当った。更衣は本来、 天皇の衣替えに奉仕する女官の称ですが、嬪・女御に次ぐ令外の后妃の身分になりました。)を頂きます… お題は<霞・鶯・柳・桜・藤・暮春・・・>から、<恋>に至るまで20番。講師(こうじ) が歌を詠み上げ、判者(はんじゃ)が勝ち負けを判定して行きます。
皇の御殿とされ、紫宸殿(ししんでん)が儀式を行う殿舎であるのに対し、日常の政務の他四方拝・叙位・除目などの行事も 行われた。ただし、この清涼殿も次第に儀式の場としての色彩を強め、中世以降は清涼殿に替わって、常御所が日常の居 所となった。
《 響子の・・・ 小倉百人一首
》・・・(336) 弥生のつごもり/晦日/三十日には…もう藤が咲いていたでしょう… 歌合が行われたのは清涼殿(せいりょうでん)…天皇をはじめ女御(にょご)方がご臨席で、 百官(ひゃっかん/数多くの役人)や女房(にょうぼう/女官)達も居流れて、世紀の一大歌合を見 守ります。 村上天皇は気鋭の35歳であらせられました。この気力で、世紀のセレモニーに臨ま れました。
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3月 29日 |
《 響子の・・・ 小倉百人一首
》・・・(335) ことは… 宮廷だけの盛り上りではありませんでした。朝野(ちょうや/朝廷と民間、天下)をあげて、時代 的な文学的機運の高まりがあり、男女貴賎(だんじょ・きせん)を問わず、歌心が深まり、そ の頂点が天皇の御前での、内裏における一大歌合になりました。 時は… 弥生のつごもり(晦日/月の最後の日)… 陰暦では…翌日から初夏に入る、3月30日でした。
《 響子の・・・ 小倉百人一首
》・・・(334) その上… 朝廷の実力も富もともに充実していた時期で…日本史上に燦然(さんぜん/きらきらと光り輝 くさま)と輝く、豪奢(ごうしゃ/非常にぜいたくで、はでなこと)にして華麗(かれい/はなやかで美しいこと)な 歌合を、催しきる…ことが出来たわけですね。 その歌合とは… 当時の、一流の歌人達が左右に分かれて…天皇の御前で、歌の勝敗を競うという華 やかなものでした。
《 響子の・・・ 小倉百人一首
》・・・(333) この歌合は… 国文学史上でも特筆すべき一大事で、<天徳内裏(てんとく・だいり)歌合>とも… 村上帝の、印象的な年号の天暦から、<天暦の御時(てんりゃくの・おんとき)の歌合>とも 呼ばれています。 村上天皇は…当代きってのインテリで…芸術愛好家で、ご自身も典雅(てんが/みやびな さま)な歌を詠まれる歌人であられました。
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3月 28日 |
《 響子の・・・ 小倉百人一首
》・・・(332) 「この歌は…『拾遺集(しゅういしゅう) - 巻11/恋』 に、<天暦(てんりゃく)の御時(おんとき) の歌合>として載っています。 これは第62代/村上天皇の天徳4年3月30日に、内裏(だいり)で催された歌合です。 この時の歌合は、後世の模範と仰がれ、以後、歌合はこの時の盛儀(せいぎ/華やかでり っぱな儀式)にのっとることになりました。
《 響子の・・・ 小倉百人一首
》・・・(331) 【40番→ 平兼盛】(たいらのかねもり/平安時代中期の歌人。三十六歌仙の1人。父は光孝天皇の曾孫にあ たる大宰大弐・篤行王。臣籍降下前は兼盛王と名乗っていた。官位は従五位 上・駿河守。)
顔の表情にまで、出てしまっているようだ… 私の恋は… 想いごとでもしているのかと…
人に尋ねられるほどになってしまった… >
《 マチコ → in 永田町 》・・・(29)
「志願者が激減すると、どうなるか?」大川が言った。「アメリカでもそうだが、貧しく、 職のない若者が志願するようになる… “貧富の差が・・・戦場に駆り出されるリスクと直結” するわけだ。日本社会に、“新 たな衝撃と・・・新たな差別”が生まれるわけだが…そもそもが…戦争ゴッコ であり、 必要のない混乱 だ!」
《 マチコ → in 永田町 》・・・(28)
「韓国軍は、」ブラッキーが言った。「ベトナム戦争にも参加していたぜ!」 「うむ!ブラッキー(/元米海兵隊・軍曹の経歴を持つ)は、当時を知っているわけだな…」 「最後の、サイゴン(/現在のホーチミン市)撤退に立ち会っただけだが…」 「まあ…」大川が言った。「即、韓国の様に徴兵制になるわけではない。しかし、自衛 隊員の志願者が、激減する可能性は高い…」
《 マチコ → in 永田町 》・・・(27)
「若者は…」軍事担当の大川が言った。「日本の軍国化を傍観するが、アメリカと同様 にアフガンやイラクで闘えば…何千人もの戦死者が出る。 そこで、自衛官のなり手が減少すれば、徴兵制 になる。身近では、韓国が徴兵制を 敷いている」 |
3月 27日 |
《 響子の・・・ 小倉百人一首
》・・・(330) 『源氏物語』 で浅茅が出てくるのは、常陸宮(ひたちのみや)の姫君/末摘花(すえつむはな) の邸(やしき)ですね。 <浅茅は庭の面(おも)もみえず、しげき蓬(よもぎ)は軒をあらそひて生ひのぼる> …という荒れた邸に、姫君は心変わりもせず住んでいる場景です。浅茅の浅は、丈 が低いとか、疎(まば)らに生えている、とかの意味です。
《 響子の・・・ 小倉百人一首
》・・・(329) 等はこの歌を、うまく、王朝風な言い回しにすげかえています。 <浅茅>は古典ではよく出てくる場景です。王朝の頃(/天皇が政治の実権を握っていた時代。 奈良時代と平安時代を指しますが・・・狭義では平安時代の言い換えとして用いられます。)は、少し都を外れ ると、浅茅の野や、篠原があった様ですね。<小野の篠原>というのは、特定の場 所ではなくて、<小>は接頭語(せっとうご/単独では用いられず、常に他の語の上について、その語と ともに一語を形成するもの → お話、小猫)です。
《 響子の・・・ 小倉百人一首
》・・・(328) < 私が、あの人を恋していることを… あの人は、知ってくれているのだろうか… いや、知らないだろうなあ…
あの人に告げ、知らせてくれる人はいないんだもの… >
《 響子の・・・ 小倉百人一首
》・・・(327) そこから…広漠な原野が想起され、中に佇む心細さと忍ぶ恋の辛さもあり、心に訴 えます。 実はこの歌は… 『古今集 -
巻11/恋』 にある歌から採られている…というのが定説と言います。
《 響子の・・・ 小倉百人一首
》・・・(326) 「この歌は…『後撰集 - 巻9/恋』 に、<人につかはしける>として載っています。 <人>とは女性…恋人へ贈った恋歌ですね。 うーん… <浅茅生の 小野の篠原>は、<しのぶ>を引き出すための、序です。これは、 <しの… 篠竹>に掛っています。
《 響子の・・・ 小倉百人一首
》・・・(325) 【39番→ 参議等】(さんぎひとし/源 等(みなもとのひとし)・・・平安時代前期から中期にかけての公家。 嵯峨源氏、中納言・源希の次男。官位は正四位下・参議)
しのぶれど あまりてなどか 人の恋しき 人に隠して忍んでいても、想いが溢れてこぼれそうになる… どうして、あの人のことが、こんなに恋しいのだろうか… >
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3月 26日 |
《 マチコ → in 永田町 》・・・(26)
機に備え…軍国化だぜ!」 「本当の危機が…」ポン助が言った。「分かってないよな!」 「ああ!官僚は元々、タワケ集団だが…自民党も腰抜けだぜ!」 「そうだよな!」
《 公共放送・NHK/考
》・・・(116)
<放送法による要請>を出すと言うが…公共放送は国民の浄財で運営する、【全 影響力排除の・・・社会安定化装置】 だ。 ここに<法による要請>を出すこと自体…憲法の解釈改憲 に続き…法治国家の タガを取り外す ものだ!
《 公共放送・NHK/考
》・・・(115)
治力を…城内に導き入れて…名実共に・・・国民を裏切った! 番組・コンテンツへの不可侵〕 が安堵(あんど/)された。それが…NHK国会の実態 だ!
《 公共放送・NHK/考
》・・・(114)
た。しかし…事実上、何の意味もない。 NHKが… 国民から乖離 している事も…社会安定化装置としての・・・本来使命 を放棄 している事も…構造的議論はナシだ。ただ、籾井(もみい)会長を吊るし上げた だけだ。
《 響子の・・・ 小倉百人一首
》・・・(324) だからこそ… 恋が燃え上がっていた時は…別れる事などは絶対にない…と、何度も神仏に誓った のでしょう。右近はその事を言っています。 『大和物語』(やまとものがたり/平安時代中期の和歌説話集。作者未詳。2巻。約 173段。)に、この歌 が載せられていて、そこに至った男女の誓い事も載っていますが、よくある話という 事ですね。
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3月 25日 |
《 響子の・・・ 小倉百人一首
》・・・(323) 時の権力者の御曹司(おんぞうし)で…歌に優れ、音楽の才もある貴公子です。一方、 右近の身分は低く、醍醐天皇の皇后穏子(こうごう・おんし)に仕える一介の女房です。 当時は、血筋・身分は絶対的な社会です。恋の熱が冷めれば別れがきます。【19番 →伊勢】の場合と、非常によく似ているかも知れませんね。
《 響子の・・・ 小倉百人一首
》・・・(322) 男性には、非常に好かれた様子ですから…頭も良く、機知も巧みで、情もあったはず です。トータルで眺めた場合、右近が最も愛したのは、この歌の藤原敦忠(あつただ)だ ったのでしょう。 彼は、『小倉百人一首 → 43番』 の歌の作者で、菅原道真を太宰府に左遷した、左 大臣/藤原時平の3男です。
《 響子の・・・ 小倉百人一首
》・・・(321) つまり… 男に忘れ去られる我身のことは何とも思わない。でも、神仏に誓ったあなたは、罰(ば ち)が当たって死んでしまう。いい気味だと思うけれど、死んでしまうのはイヤなのです …と。 男は、こういう女性がいいのです。でも恋多き右近が、こんな貞淑(ていしゅく)な女性だっ たのでしょうか?
《 公共放送・NHK/考
》・・・(113)
NHKは、税金同様に浄財で運営される…日本国のミニチュアであり…民主主義
社会のバロメーター! これは、現在の日本国の姿! 日本の民主主義社会のゲージ! 安倍政権/高市総務大臣の野望は・・・断固拒否だ!
《 公共放送・NHK/考
》・・・(112)
例の官邸人事で、安倍カラーの不適正委員達が、送り込まれている。 NHK会長にも…安倍カラー/財界人事の籾井(もみい)氏が押し込まれ、打たれ強 い所を見せている。
《 公共放送・NHK/考
》・・・(111)
【浄財運営・・・国民メニュー/国民の皿】 に箸(はし)を突っ込む状況下で…国民は 何をしているのか? ここが大問題! 肝心の運営委員会がチャラ(/帳消し)にされ…例の、経営委員会(/何故か、国会同意人 事)がセットされている!
《 HP/ 『人間原理空間』 の方で・・・アップロード 》 / 3月24日 エボラ戦争・レポート
《 公共放送・NHK/考
》・・・(110) 国会… 衆議院/総務委員会で…NHK会長が、本人資質等の問題で吊し上げられている。 全てもっともな事だが…それが<国会という政治の場>に持ち込まれていること自 体…<全影響力排除の公共放送>への侵害だ! 首相官邸/財界/国会による…侵害の3態/3つの形態…の風景だ!
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3月 24日 |
《 響子の・・・ 小倉百人一首
》・・・(320) <誓ひてし>が… 愚かなわが身に掛かるのか、恋しかった人が約束したコトに掛かるのか… それによって、女性の心の座標が違ってきます。 神仏に誓い、それを裏切った人に、神仏の罰(ばち)が当たればいい…その先です。も う1つの要素は、右近は恋多き女性だったことです…
《 響子の・・・ 小倉百人一首
》・・・(319) 「この歌は… 『拾遺集 - 巻14/恋』 に載っています。 歌の解釈は2通りあって… <わすらるる 身をば思はず>で、切る場合と… <わすらるる 身をば思はず 誓ひてし>で、切る場合です。 切り方によって、意味が少し変わってきます。
《 響子の・・・ 小倉百人一首
》・・・(318) 【38番→ 右近】(うこん/平安時代中期の女流歌人。父は右近衛少将藤原季縄。醍醐天皇の中宮穏子に仕え た女房で、元良親王・藤原敦忠・藤原師輔・藤原朝忠・源順(みなもとのしたごう)などと恋愛 関係があった様です。)
ても… いつまでも愛すると神に誓ったあなたに… 神罰が下って命を落としてしまわれるのも… 私は嫌なのです…〉
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3月 23日 |
飼っていた雀の子を逃がしてしまった幼い紫の上と、柴垣から隙見する源氏。
《 響子の・・・ 小倉百人一首
》・・・(317)
詠み人知らず/一説では第51代/平城(へいぜい)天皇として…次の歌もあります。 白露の歌は別格の観があります。
《 響子の・・・ 小倉百人一首
》・・・(316) 白露を玉と詠んだ歌には…僧正遍昭(そうじょうへんじょう/【12番】・・・天つ風 雲のかよひ路
吹きとじよ をとめの姿 しばしとどめむ)に、次の歌があります。 濁りに染らない清らかな心をもつ… その心でどうして… 葉の上に置く露を水晶(/または真珠)と見せ… 人を騙(だま)すのか… >
《 響子の・・・ 小倉百人一首
》・・・(315) 清らかな美しい歌ですね。定家もこの歌が好きだった様で、百人一首にも採り、広く 後世に伝わりました。 <5・7・5・7・7>で、秋の野の白露を詠みきり…1000年にわたり歌壇/日本の 歴史に、燦然(さんぜん)と残っています。私たちもこんな1首を、作ってみたいものです ね。
《 響子の・・・ 小倉百人一首
》・・・(314) 『後撰集 - 秋中/308』 の歌は…『新撰万葉集』 の詞書(ことばがき)に<寛平御時(か んひょうの・おんとき/日本の元号の1つ。仁和の後、昌泰の前。889年から898年までの期間。宇多天皇~醍醐天 皇。) 后宮(きさきのみや)の歌合の歌>とあります。 『古今集』 の歌の方の詞書は…<是貞親王(これさだ・しんのう)の家の歌合によめる> …ですね。うーん…これでは状況がよく分かりませんが、宇多天皇の寛平初年頃に 作られた様です。
《 響子の・・・ 小倉百人一首
》・・・(313) < 秋の野に置く白露は… 水晶の玉だろうか… つらぬいて通す…
蜘蛛の糸すじよ…〉 (つらぬ)き、やわらかな露の玉の美しさに心も静止します。先の歌のこぼれ散る動と… 糸で貫かれた静ですね。
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3月 22日 |
《 響子の・・・ 小倉百人一首
》・・・(312) この歌は…『後撰集 - 秋』 に<延喜(えんぎ/・・・日本の元号の1つで、醍醐朝の一部。901年から 923年までの期間。形式的ながらも天皇親政が行われた。延喜の治と呼ばれます。)の御時、歌めしけれ ば>としてあります。 うーん…清冽(せいれつ/水などが清らかに澄んで冷たいこと。)な歌です!これは実景(じっけい/実 際の景色)なのでしょうか! 『古今集』 に朝康の…もう1つ別の、白露の歌があります。
《 響子の・・・ 小倉百人一首
》・・・(311) 【37番→ 文屋朝康】(ぶんやのあさやす/平安時代中期の歌人。六歌仙の文屋康秀の子。従六位下・大 舎人大允。)
風がしきりに吹きつける、秋の野原は… まるで、紐(ひも)に通してない水晶の玉が… パラパラと散り乱れて、吹き飛んでいるようだよ…〉
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3月 21日 |
《 響子の・・・ 小倉百人一首
》・・・(310) 清原深養父は…実は全く別の所で、歴史に名を残しています。それは 『枕草子』 を 書いた清少納言の曾祖父(そうそふ)としての名です。清少納言の父/清原元輔(きよは らのもとすけ/三十六歌仙の1人。官位は、従五位上肥後守。)は、深養父の孫になります。 つまり…清少納言は散文家ですが、由緒ある歌人の家柄に生まれた女性…だった わけですね…」
《 響子の・・・ 小倉百人一首
》・・・(309) ただし…300年ほど後の藤原俊成(ふじわらのしゅんぜい/平安時代後期から鎌倉時代初期の公家・歌 人・・・藤原定家の父)には認められて、『古来風躰抄』(こらいふうたいしょう)にはこの歌が採られ ています。 『古来風躰抄』 とは…式子内親王(しきし・ないしんのう/藤原定家とは・・・世を忍ぶ恋愛関係にあったと する伝説があります。)に求められて、藤原俊成が著した歌論書(/和歌の本質を論じた書)です。古 来からの歌の中で、俊成が秀歌と認めたものを挙げ、鑑賞批評したものです。
《 響子の・・・ 小倉百人一首
》・・・(308) たまたま、後世のために知らるる者は、ただ和歌の人のみ。いかにとなれば、こ とばは人の耳に近く、義は神明に慣(なら)へばなり> …とあるように、深養父はまさに、そんな人だったのでしょうか。ただ藤原公任(ふじわら のきんとう/平安時代中期の公卿・歌人。関白太政大臣/藤原頼忠の長男。『小倉百人一首』では大納言公任。)の 判断基準にはかなわず、三十六歌仙には洩(も)れています。
《 響子の・・・ 小倉百人一首
》・・・(307) 清原深養父の…詳しい生涯は不明です。10世紀前半の人で、官吏としては不遇です が、勅撰集(ちょくせんしゅう/天皇や上皇の命により編集された歌集・・・時代により、『古今集 - 後撰集 - 拾遺集 - 後拾遺集 - 金葉集 - 詞花集 - 千載集 - 新古今集』・・・など)に41首も入っています。 『古今集 - 真名序(まなじょ・・・漢文による序文)』に… <貴きことは相将(しゃうしゃう/大臣や大将)を兼ね、富めることは金銭を余すといへど も、骨いまだ土中に腐(く)ちざるに、名は先ず世上に滅す。
《 響子の・・・ 小倉百人一首
》・・・(306) 清原深養父の歌は…ニヒル(/冷たく醒めていて、暗い影のあるさま)の影があり、乾いた機知で あり…人々には人気があった様です。 翻(ひるがえ)って、現在の日本を眺めると…“林家三平系/支離滅裂のお笑い”は…存 外に、人気がない様です。TVメディアなどで煽(あお)っていますが、機知に品位が無い からでしょうか。
《 響子の・・・ 小倉百人一首
》・・・(305) 『古今集』 の時代の人々は…機知/ウイット・エスプリというものを珍重しました。明晰 (めいせき)なものを愛し、硬質な理知を好み、ユーモア/有情滑稽(うじょうこっけい)を楽しん だ様ですね。 <雲のいずこに 月宿るらむ>…という軽い諧謔性(かいぎゃくせい/面白さと共感とが混り合 った状況を描写する性質)が、この時代の人々には受けたのでしょう。
《 響子の・・・ 小倉百人一首
》・・・(304) …だからどうした?こんな歌のどこがいいのか? …と言う人が、いるかも知れませんが…これも 『古今集』 的なのだそうです。 私などは、理屈ではなく、思わず口元が緩み、その夏の夜明けの、どことない倦怠感 (けんたいかん)に共感します。これが…人生の時間ですよね…
《 響子の・・・ 小倉百人一首
》・・・(303) 深養父(ふかやぶ)の歌の…短夜(みじかよ)は… 『古今集 - 巻3/夏歌』 の前後の関係から、厳密な夏至というわけではなく、旧暦六 月下旬頃といいます。この頃は下弦の月で…月の出は遅く、夜明けが早く…日が出 ているのに、月は中天に白く霞(かす)んでいます。いわゆる有明(ありあけ)の月ですね。
《 響子の・・・ 小倉百人一首
》・・・(302) 夏歌は… 太陰暦/旧暦の…四月(卯月/うづき)/藤の花から始まります。五月(皐月/さつき)/初夏 を告げる渡鳥の時鳥(不如帰/ほととぎす)、あやめ、五月雨(さみだれ)=梅雨(つゆ)、卯(う)の 花、そして夏至(げし/新暦の6月21日頃)の短夜(みじかよ)。旧暦の六月(水無月/みなずき)は新 暦では7月(・・・7/12~8/9 )、季語は百合(ゆり)になります。旧暦六月が終れば、はや立 秋ですね。季語は残暑になります。
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3月 20日 |
《 響子の・・・ 小倉百人一首
》・・・(301) 〈夏の夜… 横になったと思ったら… 時鳥の鳴き声に、目が覚めた…
もう、雲が白くなったよ…〉 でも…同じ夏歌でも、季節の移り変わりがあります。季語が時鳥の初夏五月(さつき)と、 六月(みなつき)の短夜(みじかよ)では、だいぶ開きがあります。
《 響子の・・・ 小倉百人一首
》・・・(300) この歌は…『古今集 - 巻3/夏歌』 に、<月のおもしろかりける夜、暁(あかつき)が たによめる>として載っています。 同意の歌としては、同じ『古今集 - 巻3/夏歌』 に…紀貫之の歌があります。
鳴くひと声に 明けくるしののめ(東雲/夜明けの薄明かり)
《 響子の・・・ 小倉百人一首
》・・・(299) 【36番→ 清原深養父】(きよはらのふかやぶ/平安時代中期の歌人。『枕草子』を書いた清少納言の曽祖 父。官位は従五位下・内蔵大允。)
まだ宵のうちと思っていたのに… はや、白々と明けそめた… 月は山の端に入るひまもなく… 雲のどの辺りに、宿っていることやら… >
《 響子の・・・ 小倉百人一首
》・・・(298) 歴史的にも…第一級の紀貫之の歌は… 屏風(びょうぶ)などに書かれる様な、堂々としたものが多い様です。また、公的な場が 多いとも言われます。 晴れがましく、美しく、おめでたい…そうした歌の名手です。そうした歌で、1000年 間にわたり、歌聖と呼ばれています。
《 響子の・・・ 小倉百人一首
》・・・(297) 『古今集』 の撰者は…紀友則・紀貫之・凡河内躬恒・壬生忠岑の4人で…序文では 紀友則が筆頭に挙げられています。 でも…編集の中心は当時の第一人者の貫之で、友則は途中で没しています。友則 は貫之の従兄弟(いとこ)ですが、20歳ほど年上で、その様子が分かります。
《 響子の・・・ 小倉百人一首
》・・・(296) <人はいさ>の<いさ>は、打ち消しで、“いざ”ではありません。 うーん… この知人は男性か女性かで、だいぶ様相が違ってきます。でも、貫之はその事には 言及していません。もちろん、当時は知る人ぞ知るという事でしょうが、今は歌だけが 残っています。
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3月 19日 |
《 響子の・・・ 小倉百人一首
》・・・(295) ともかく、貫之の方は定宿(じょうやど/いつもきまって泊まる宿屋)にしている知人の家があった わけです。ところが久しぶりに行ってみると、そこの人は…
です。
《 響子の・・・ 小倉百人一首
》・・・(294) 大和の長谷寺は奈良県桜井市初瀬にあり、十一面観音菩薩が本尊、平安時代には 熱い信仰がありました。 『源氏物語』でも玉鬘(たまかずら)の姫が徒歩(かち)で参詣し、そこに描かれる二本(ふたも と)の杉は、現在も境内にある様です。 『枕草子』では…清少納言が、椿市(つばいち)の粗末な宿に泊まっています。
《 公共放送・NHK/考
》・・・(109) 高市総務大臣(/女性)は… TV画像では…笑いながら(/総務大臣も、NHK会長も、)この<大悪事を進めた>が…女 性が輝く時代とかでも…これほどの<国家大撹乱>を、見過ごすわけには行かな い! どうも…安倍政権の覇道政治は… 稚魚(ちぎょ)の観があり…児戯(じぎ/子供の遊び)の臭いがし…結局、なに1つ・・・明るい 展望が開けていない!(/近視眼的な成長戦略そのものが・・・文明史的・戦略眼が致命的に欠落している)
《 公共放送・NHK/考
》・・・(108) さらに、もう1つの問題点は… 安倍カラー/安倍官邸人事 と言われる…NHK/籾井会長だ! 籾井氏は財界人であり、別名で財界人事とも言われる! <全影響力排除で・・・浄財運営の・・・公共放送/国民メニュー/国民の皿> に…<政治と財界が・・・箸(はし)を突っ込む・・・行儀の悪さだ!>
《 公共放送・NHK/考
》・・・(107) 一方、<法による要請>を出す総務省だが…全影響力//政治力・経済力・軍 事力・暴力を排除の目的で…浄財運営の公共放送 を、政治力で・・・踏みにじる 所業だ! < NHKは・・・日本国のミニチュア! > まさに、<国家/行政による・・・ちゃぶ台返しで・・・全信用システムを崩壊> …させる所業だ!
《 公共放送・NHK/考
》・・・(106) NHKは… 高市総務大臣の、放送法による<要請/事実上の命令>に応えると言うが、その 主体性は何処に在るのか? 国民の関知しない・・・NHK経営委員会 が…神のごとく・・・天から降臨 したわけ ではない。国民から乖離している・・・NHK経営委員会 では、言語道断の所業だ!
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3月 18日 |
《 響子の・・・ 小倉百人一首
》・・・(293) かの家のあるじ、かくさだかになんやどりはあると、いひいだして侍りければ、 そこにたてりける梅の花を折りてよめる> …とあります。 貫之が、大和の長谷寺に参詣した時に、寺近くの知人の家に泊めてもらった時の様 です。参詣のたびに泊まっていた様ですね。
《 マチコ → in 永田町 》・・・(25)
恐れがあります。でも、安倍政権のやっていることは、八ッ場(やんば)ダム建設の再開 や、軍備の増強です。無駄なものばかりですわ!」 「うん! そう、NHKも同じよね…TV全体がダメだけど…」
《 マチコ → in 永田町 》・・・(24)
た。「安倍総理の縮小版/小型版が、NHKの籾井(もみい)会長かしら?」 「安倍カラーという事ですから、」青木が言った。「ズレは無いでしょうな、」 「浄財も、使い道が間違っているし?」 「そう…戦争ゴッコが…お望みですねえ、」
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3月 17日 |
《 響子の・・・ 小倉百人一首
》・・・(292) 「ええ…『古今集』 の撰者/紀貫之の歌ですね。 これは 『古今集 - 巻1/春上』 にあり、長い詞書があります。これを読むと、この歌の 作られた情景が分かってきます。
たりければ、
《 響子の・・・ 小倉百人一首
》・・・(291) 【35番→ 紀貫之】(きのつらゆき/平安時代前期の歌人。『古今集/古今和歌集』の選者の1人。また三十六 歌仙の1人。紀友則は従兄弟。散文作品として、『土佐日記』があります。日本文学史上、 少なくとも、歌人としては、最大の敬意を払われてきた人物です。)
どんなお心か、分かりませんが… この昔なじみの故郷では… そこに咲く花は、昔と変わらずに… 良い匂いで、私を迎えてくれますねえ…〉
《 響子の・・・ 小倉百人一首
》・・・(290) これに比べ、女の老いの歌で思いつくのは… 小野小町の歌に見るように、容色の衰えの嘆きに、重なるのでしょうか…
す。
《 響子の・・・ 小倉百人一首
》・・・(289) < 私が見てからでも、ずいぶんと久しくなったものだ… この住之江の海岸の、背の低い松は…
いったい、どのぐらいの長い年月を、過ごして来たのだろうか… > すよね。
《 響子の・・・ 小倉百人一首
》・・・(288) 私も老いたが、屈せず雄々しく… 生を終わろうと思う…
高砂の松ではないけれど… > 側(そば)にいた業平(*在原業平らしき人)が、詠んでいます。
《 響子の・・・ 小倉百人一首
》・・・(287) 『古今集』
ではこの歌の前に、<詠み人知らず>として次の歌があります… 風雪に耐えて、変わらぬ色を増している…
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3月 16日 |
《 響子の・・・ 小倉百人一首
》・・・(286) この歌の老いの孤独と悲しみは、凛(りん)とした男の淋しさです。長寿の老松の風景 は神寂びて(かみさびて/古びて神々しく見える)立派ではあっても、老人の淋しさを慰(なぐさ) めてはくれません。 作者の興風(おきかぜ)は、親友が次々と世を去り、とうとう1人になってしまった、人生 の悲哀と、毅然(きぜん)と対峙している様ですね。
《 響子の・・・ 小倉百人一首
》・・・(285) <高砂>は今の兵庫県高砂市…住吉は大阪市の住吉付近…古代にはどちらの海 岸でも老松が生い茂り、美しい景色の名所だったと言われます。 謡曲(ようきょく/能の台本)/『高砂』では、老夫婦の尉(じょう)と姥(うば)があらわれて、相生 の松(あいおいのまつ/雌株・雄株の2本の松が寄り添って生え、1つ根から立ち上がるように見えるもの。夫婦の 契りの深さにたとえる。高砂神社のものが有名。)のいわれを物語ります。では、なぜ淋しい歌なの でしょうか。
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3月 15日 |
《 マチコ → in 永田町 》・・・(23)
「民主党政権もガッカリだけどさあ…自民党政権はそれ以上に、国民を裏切ったわよ ね! 何のために、<戦争放棄した国・・・絶対平和主義の国・・・平和憲法の国>にな ったのかしら?」 「まさに、そういう事ですなあ… 自民党はハッキリと…国民を裏切っています!」
《 マチコ → in 永田町 》・・・(22) 国民の大多数は…“原発再稼動は反対”だし、“特定秘密保護法や・・・集団的自 衛権や・・・憲法9条改正には・・・反対!”…よね。 私たちは選挙で、そんなことに…“賛成投票を・・・した覚えはない!”、のよね。じゃ あ、“自民党の中の・・・歯車が・・・壊れている”…のかしら?」
《 マチコ → in 永田町 》・・・(21)
稀有(けう/めったにないこと)な・・・反民意/反国民的な・・・官僚組織!” 一体….日本の戦後民主主義の中で… “どう間違えば・・・民意/国民総意とはかけ離れた様な・・・戦前の軍国主義に 回帰する様な”…政治になってしまうのか?」
《 響子の・・・ 小倉百人一首
》・・・(284) 「この歌は… 『古今集 - 巻17/雑歌』 に<題しらず>として載っています。この歌の前後には、 老いの嘆きの歌が集められていて、これもその1つです。 高砂の松(たかさごの松/兵庫県高砂市の高砂神社境内にある、黒松と赤松とが基部で合した相生(あいおい) の松。)は、住吉の松(すみよしの松/大阪市住吉区の、住吉大社の松)と共に長寿とされ、めでた いものですが、ここは人生の晩年の淋しさを詠んでいます。
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3月 14日 |
《 マチコ → in 永田町 》・・・(20)
“人類文明の暴走で・・・地球生態系が・・・破局点(カタストロフィー・ポイント)へ落下して います” ねえ!」 「世界に、」マチコが言った。「リーダーがいないのよね!」 「うむ! G7・リーダー (/フランス、アメリカ、イギリス、ドイツ、日本、イタリア、カナダの・・・7つの先進国のリーダー) も… “戦争ゴッコ・・・経済ゴッコ の中毒” …になってますねえ!」
《 マチコ → in 永田町 》・・・(19)
幼稚で乱暴 な総理大臣が…信用のできない各大臣 を取り揃え…国家国民を考え ない官僚組織 を使い… トンデモナイ事 をしていますねえ…」 「うーん…」マチコが、うなづいた。「それが… 何処の、国かが・・・問題よね! 」
《 響子の・・・ 小倉百人一首
》・・・(283) 【34番→ 藤原興風】(ふじわらのおきかぜ/平安時代の官人・歌人。官位は正六位上・治部少丞。三十六 歌仙の1人。)
高砂の松は、私と同じように… 年古りている、とはいうけれど… 松も昔なじみの、友ではないのだもの… >
《 響子の・・・ 小倉百人一首
》・・・(282) 『新古今集/新古今和歌集』 は…鎌倉時代初期の後鳥羽院の勅撰和歌集で、撰者 は…藤原定家・源通具(/堀川通具/ほりかわみちとも)・六条有家(/藤原有家)・藤原家隆・飛 鳥井雅経(あすかいまさつね/『小倉百人一首』では・・・参議雅経)・寂蓮(/俗名は藤原定長)の6人です。 『小倉百人一首』 は…藤原定家が、京都市右京区/小倉山の麓の、小倉山荘/嵯 峨山荘…後世の時雨亭(しぐれてい)で、撰集しました。
《 響子の・・・ 小倉百人一首
》・・・(281) ええと、時代的には… 『万葉集』 は…古代から奈良時代の終わりまでで、巻1は持統天皇(/や、柿本人麻呂)な どが関与し、最終的に大伴家持がまとめた様です。 『古今集/古今和歌集』 は…平安時代の醍醐朝の勅撰和歌集で、撰者は紀友則・
紀貫之・凡河内躬恒・壬生忠岑の4人です。 |
3月 13日 |
《 響子の・・・ 小倉百人一首
》・・・(280) 【2番】と 【4番】から…万葉調と新・古今調の違いが分かります。新・古今風に…流 れを優美にするためですが…改悪だと評判の悪いものす。 写生的で素朴な力強さの…万葉調。象徴的で情緒的な気分の漂う…新・古今調。技 巧的で繊細で優美な…古今調…と言います。
《 響子の・・・ 小倉百人一首
》・・・(279) この歌は…これぞ 『古今集』 の“心”といい…『万葉集』 好きの人々からは…凡庸単 純(ぼんようたんじゅん)と排斥されて来た…とも言います。 うーん…『万葉集』 好きと、『古今集』 好きですか。【2番→ 持統天皇】と 【4番→ 山 部赤人】 に、万葉歌を新・古今調風に、変えた歌がありました。
《 響子の・・・ 小倉百人一首
》・・・(278) それができないと… 微風に沈む花吹雪の情景描写だけになります。この歌の核心は…<しずこころ> /静かな心…でしょう。<しずこころなく>は桜を擬人化しています。では…私達自 身も桜の花となって…満開に咲き、春の光の中で、散っていたらどうでしょうか…
《 響子の・・・ 小倉百人一首
》・・・(277) 「この歌は… 『古今集 - 巻2』 に、<さくらの花のちるをよめる>として、載っています。 <久方の>は…光・日・空・月・天…などにかかる枕詞ですね。 うーん…まずこの歌の、ゆったりとした心象風景の中に身を沈めてみないと、上面を 通り過ぎてしまいます。
《 響子の・・・ 小倉百人一首
》・・・(276) 【33番→ 紀友則】(きのとものり/平安時代前期の歌人・官人。紀貫之の従兄弟(いとこ)にあたる。官位は 六位・大内記。三十六歌仙の1人。)
日の光がのどかに射している、おだやかな春の日… 静かな心もなく、桜の花はあわただしく… 音のない花吹雪となり、散り急ぐのだろう… >
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3月 12日 |
《 響子の・・・ 小倉百人一首
》・・・(275) < 昨日と言い…今日と言って…日々を暮らし… 明日はもう新年を迎える… 飛鳥川の流れが速いように…
あっと言う間に、過ぎ去ってゆく月日であることよ… > ます。うーん…その通りです。今も昔も同じですよね…」
《 響子の・・・ 小倉百人一首
》・・・(274) 列樹(つらき)は、醍醐朝で壱岐守(いきのかみ/壱岐島(いきのしま)は九州・玄界灘にある島。そこの守 に任官されましたが、大国の地方官ではありません・・・)に任じられ、着任前に亡くなった様です。歌 は5首が伝わるのみです。次の歌は…『古今集 - 冬歌/341』 で、<年のはてによ める>として大晦日(おおみそか)に詠んでいます。
(八咫烏は・・・日本神話において神武東征の際、高皇産霊尊によって神武天皇 のもとに遣わされ・・・熊野国から大和国への道案内をした・・・3本足のカラス。
現在、日本サッカー協会のシンボルマーク
になっています。
《 響子の・・・ 小倉百人一首
》・・・(273) その意味では、列樹(つらき)の身分は身近ですね。 でも…縄文中期で、推計人口30万人…弥生時代で200万人…そこから、日本民族 が膨れ上がって来ました。はなから、悲観することも無いのです。 ただ逆に…その時代から、天皇の血統が明示されてきた事は…民族の宝です…
《 響子の・・・ 小倉百人一首
》・・・(272) 春道列樹(はるみちのつらき)は、風のしがらみの歌を 『小倉百人一首』 に採られて、歴史 に名を残しました。 父は主税頭(ちからのかみ)/現在の財務省局長クラスで、本人が管理登用試験(/中国・ 唐の科挙を見習ったものでしょうか、)をパスし、叙位任官(じょい・にんかん/・・・叙位は、朝廷の儀式の1つ で、五位以上の位階を進授する行事。任官は、官職に就くこと。)され役人になっています。現在はエリ ートですが、皇族・貴族社会では、出世は限定的です。
《 響子の・・・ 小倉百人一首
》・・・(271) …と1首を詠み、女達に捧げています。 おお、花だ花だ…これは満開の花だらけ… 道を避けることも出来ぬほど…
花が散りますなあ… > です。
《 響子の・・・ 小倉百人一首
》・・・(270) 詞書(ことばがき)の<志賀の山越え>は、『古今集』 の前書(まえがき)にはよく出てきま す。この時代の歌枕(/和歌に多く詠み込まれる名所や旧跡。)かも知れない…と言います。 紀貫之が、春にこの<志賀の山越え>をした時に、女達が連れ立って来るのに出 逢い… (梓弓/・・・神事などに使用されるアズサの木で作られた弓。枕詞としての梓弓は・・・『万葉集』などにおいては、 春(張る)、引く・・・などを導きます。)
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3月 11日 |
《iPhone 6 Plus を購入》・・・(14) (昨日/Apple Store 銀座店へ ) iPad mini のバッテリー交換に、 Apple Store 銀座店 へ行きました。しかし… バッテリーはまだあるとのことでした。 充電コードを接続して使用していたら、急に充電率が下がったのですが、そんな使い 方はしない方がいい…ようです。
<時間があり・・・ 改装したという東京駅を見て・・・皇居の方へまわって帰りました。>
《 響子の・・・ 小倉百人一首 》・・・(269) うーん…<風のかけたる>と風を擬人化(ぎじんか)…かるく拈弄(ねんろう/・・・ある物事や 概念を、ずっと心にとどめ、手で揉むように、もてあそぶようにして、くり返し考えていくこと。仏道修行のひとつで、そう することで、考えの質が高められ、物事の本質に近づくこと。)するところが、『古今集』 調…なのだそう です。 <しがらみ>は…川の水を堰(せ)き止める柵(さく、しがらみ)…杭を打ち、板や竹を打ち 付けたものです。してみると…清水の下が落葉で堰き止められる程度ではなく…川 なのですね…
《 響子の・・・ 小倉百人一首 》・・・(268) これは、山道で見た実景でしょうか… 晩秋の紅葉の吹き込む清流は、さぞ旅心を満足させたでしょう。今は、その道も消えか けている様です。でも、それが尚の事、往年の風雅を偲ばせます。風雅とは、今も昔も 変わらない、それを感じ取ることの出来る心なのでしょうか。
《 響子の・・・ 小倉百人一首
》・・・(267) 「山越えの、美しい歌ですね… 『古今集 - 巻5/秋歌下』 に、<志賀の山越えにてよめる>として、載っています。 志賀の山越えは、京都市左京区北白川から如意ヶ岳と比叡山との間を通り、近江志 賀へ抜ける山道とか。志賀寺参詣もあって、往来は多かった様です。
《 響子の・・・ 小倉百人一首 》・・・(266) 【32番→ 春道列樹】(はるみちのつらき/物部氏の一族。官位は六位・壱岐守まで出世したが、赴任前に 没しました。)
それは、清流で流れ切れずにいる…紅葉の集まり… なんと…美しい紅葉の柵だったよ… >
《 響子の・・・ 小倉百人一首 》・・・(265) ええ…坂上是則(さかのうえのこれのり)ですが、蹴鞠(けまり)の名人で三十六歌仙の1人で すから、多才だった様です。下級官吏から累進(るいしん)して地方長官になっています。 貫之や躬恒や忠岑とも、さぞ意気投合していたのでしょう。 是則は大和権少掾(やまとの・ごんの・しょうじょう/・・・を経て、従五位下・加賀介(かがの・すけ)まで、出世 しています。)の時があり、吉野へは公用だったのでしょうか…」
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3月 10日 |
《 響子の・・・ 小倉百人一首 》・・・(264)
翌年の2月。西行の旅立ちと入れ替わるように、義経が到着した様です。 でも…静御前の、消息と歌は、義経に届いたはずですよね。現在はライン(/無料通話 ・メールアプリ)で一発ですが…古のロマンです…
《 響子の・・・ 小倉百人一首 》・・・(263) 奥州藤原氏は西行の縁戚です。鎌倉と一触即発にあるのは、百も承知での訪問で す。歌人である西行は、当然、静御前の歌は知っていたはずです。 一方…義経・弁慶主従の逃避行は…安宅の関(/加賀・・・石川県小松市安宅町)で 『歌舞伎 /勧進帳』(/歌舞伎十八番の1つ。この関越えがモデルになった。)を演じ…翌1187年2月に平泉 に入っています。
《 響子の・・・ 小倉百人一首 》・・・(262) 静御前は…鎌倉武士が追討する義経への思いを、天下に歌い上げました。 彼女が神前で舞ったのが…1186年4月8日…頼朝が鶴岡八幡宮で、偶然、西行法 師を見かけ御所(/大倉御所・・・源頼朝の邸宅(現在の・・・鎌倉市二階堂・西御門・雪ノ下3丁目一帯の地)) へ招いたのが…同年の8月15日です。西行は東大寺再建の勧進(かんじん/元来は、仏 道精神に励むことが功徳になるということを人に教えて、仏道に入ることをすすめること。後に・・・堂塔を造ったり、寺 社の修理のために必要な寄付金を募ることを、いうようになった。)で、奥州平泉へ行く途中でした。
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3月 9日 |
《 響子の・・・ 小倉百人一首 》・・・(261) …さらに…
吉野の大雪の中での、今生(こんじょう/この世)の、立ち別れです。 さあ…頼朝は怒り出します。でも、政子のとりなしで、彼女に褒美(ほうび)を与えたと言 います。
《 響子の・・・ 小倉百人一首 》・・・(260) でも、静(しず)/静御前は詠(うた)いました… しづのをだまき(苧環/おだまき・・・つむいだ麻糸を空洞の玉のように巻いたもの)
くり返し 昔を今に なすよしもがな 麻糸を巻いたおだまきから… 糸が繰り出されるように…たえずくり返しつつ… どうか…昔を今にする方法があったなら…>
《 響子の・・・ 小倉百人一首 》・・・(259) 1186年4月8日… 鶴岡八幡宮(/鎌倉市)の神前で、白拍子(しらびょうし/平安時代末期から室町時代初期にかけて行わ れた歌舞の一種、およびその歌舞を演じた舞女。)の静御前は舞を舞います。源頼朝や妻/政子 (/北条正子・・・伊豆国の豪族、北条時政の長女。伊豆の流人だった頼朝の妻となり、頼朝が鎌倉に武家政権を樹 立すると御台所と呼ばれる。)をはじめ、名のある武将が、都一番と評判の白拍子の舞に刮 目(かつもく/目をこすってよく見ること。)しています。スーパースターのライブです。 神前の舞ですから当然、関東鎮護、鎌倉幕府の安泰を祝うものです。
《 響子の・・・ 小倉百人一首 》・・・(258) ええ、この歌ですね… 上は雪が深くて、女の足では付いて行けず、逃避行の足手まといになります。彼女 はここで別れ、囚われ人として、鎌倉へ護送されます。
《 響子の・・・ 小倉百人一首 》・・・(257) 実は、『古今集』 には…この歌/<冬歌332>の少し前に、<冬歌327>に前出 の壬生忠岑の、次の歌があります。
歌取し、歴史上有名です。
《 響子の・・・ 小倉百人一首 》・・・(256) 京都/平安京の醍醐朝においては… <壬申の乱>は100年以上も昔の出来事です。吉野離宮(/吉野町・宮滝遺跡)も都から 遥かに遠く、山深い幾重もの峠を越えた異郷です。でも、数多くの歌に詠まれ、歴史 とロマンの心象風景が鮮やかです。その、吉野の里の雪…が詠まれています。
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3月 8日 |
《 響子の・・・ 小倉百人一首 》・・・(255) 大海人皇子は吉野離宮へ逃避後、天智天皇の監視下で<吉野出兵>となります。 数日で数万の軍勢を糾合し、2方向から近江朝/大津京(/滋賀県大津市錦織の遺跡が近 江大津宮の跡・・・琵琶湖のほとり(天智帝は、朝鮮の<白村江の戦い>に敗れた後、唐と新羅の反撃を恐れ、水 城、防人を配置しますが、都も飛鳥よりさらに奥の大津に移しています))へ進軍します。 戦史上例のない武力の糾合が、大海人皇子/天武天皇の比類なきカリスマ性を生 みます。ここから天武・持統朝が始まります。
《 響子の・・・ 小倉百人一首 》・・・(254) 「この歌は…『古今集 - 巻6/冬歌』 にあり…詞書(ことばがき)に… <大和国にまかれりける時に、雪の降りけるを見てよめる> …とあります。 吉野といえば桜ですが、私は 『万葉集』 の考察をしていますので…第38代/天智 天皇の末期、大海人皇子(天智天皇の実弟で片腕/皇太子/後の天武天皇)の都落ち/吉野へ の逃避行<・・・詳しくはこちらへ>が頭に浮かびます。
《 響子の・・・ 小倉百人一首 》・・・(253) 【31番→ 坂上是則】(さかのうえのこれのり/平安時代前期から中期にかけての官人・歌人。 三十六歌仙 の1人。醍醐天皇の御前で蹴鞠が行われ、そのとき206回まで続けて蹴って1度も落 とさなかった。天皇はことのほか称賛し、絹を下賜した。)
この明るさは…有明の月の光かと思ったが…白い雪… これは薄雪の積もったあかり…吉野の里に降る白雪だ… >
《 響子の・・・ 小倉百人一首 》・・・(252) ええ…忠岑(ただみね)は同じ
『古今集』 の中に、次の歌があります… そのようにあなたの心も…私から離れてしまった… ほんとうに無情なあなた… >
《 マチコ → in 永田町 》・・・(18)
「そうです!」大川が言った。「喧嘩でゴタつている中に・・・殴り込みをかけるわけ ですな! 何の役にも立たない・・・」 「そうよね、」 「日本は、“平和国家の・・・戦略眼” を持つべきです!」
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3月 7日 |
《 マチコ → in 永田町 》・・・(17)
思ふ世に など波風の たちさわぐらむ 英開戦の 〔御前会議〕 において、この歌を2度朗誦(ろうしょう/詩句などを声高に読むこと)さ れました…」
《 響子の・・・ 小倉百人一首 》・・・(251) 地方豪族たちは…荘園を作りますが、徴税と警察権で国司(/地方行政単位である国の行政 官として中央から派遣された官吏。)が介入して来ます。それを嫌い、彼等の任免権を持つ、摂 関家に荘園を寄進する者が出ます。 すると、実際に手を出してこなくなり、競って藤原氏に荘園を寄進するようになります。 この時代の、力と富の別の側面が見えますよね。
《 響子の・・・ 小倉百人一首 》・・・(250) こうした逸話(いつわ/世人の目から逸した(逃れた)話のこと。 特定の人物や物事にまつわる興味深い話とし て逸話が語られることが多い。)からも… 王朝時代の生活の一端や、主従の姿、酔っぱらいの振る舞いが、垣間見えて来ます ね。また、辞去する時に引出物や褒美を与えるのも、摂関家(せっかんけ/摂政・関白に任ぜ られる家柄。平安中期以後・・・藤原氏北家の九条流をいい、鎌倉期にはそこから近衛・九条・二条・一条・鷹司の五 摂家が分立し、江戸時代に及んだ。)の絶大な力と財力を感じさせます。 財力の源は…荘園(しょうえん/公的支配を受けない一定規模以上の、私的所有・経営の土地)領主の、 摂関家への荘園の寄進(きしん/・・・寺院や神社などに土地や金銭、財物を寄付することですが、荘園の 寄進は庇護を受けるためです。)です。
《 響子の・・・ 小倉百人一首 》・・・(249) 時平は… 「これぞ、風雅というもの!愉快じゃ、愉快じゃ!よく訪ねて下さった!歌を肴に、 まず、一献!」 …と、一転、上機嫌となり、一夜じゅう主客は快く酔い、音楽も楽しんだ。辞去する時 には、右大臣の定国には引出物(ひきでもの/祝い事で招待客に配られる贈呈品のこと)を、忠岑に は褒美(ほうび/ほめて与える金品)を与えました。
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3月 6日 |
《 響子の・・・ 小倉百人一首 》・・・(248) < 御殿の階段に置いた霜の上を… この夜中にふみわけ、わざわざ、参上したのでございます…
他所へ行ったついでに、思いついて寄ったわけではございません… > ので、風流人の時平も、これには感じ入って、うなります...
《 響子の・・・ 小倉百人一首 》・・・(247) 「大将殿は、仰せられておりまする・・・
もちろん、この歌は…【6番→ 中納言家持】 の本歌取(ほんかどり/歌学における和歌の作成 技法の1つで、有名な古歌(本歌)の1句もしくは2句を自作に取り入れて作歌を行う方法。)ですよね。橋は左 大臣邸の階段を指しています。歌を訳すと、こういう意味になります…
《 響子の・・・ 小倉百人一首 》・・・(246) <この夜更けに、何をしに来た?>と、時平は腹を立てますが、高い身分の客人 を追い返すわけにもいきません。 「何処へお出かけになった帰りですかな?」などと言う。 随身の忠岑が…パチパチと爆(は)ぜる松明(たいまつ)を手に捧げながら、跪(ひざまず)き、 定国の代弁をして、ご挨拶(ごあいさつ)を申し上げます…
《 響子の・・・ 小倉百人一首 》・・・(245) 「おお、そうだ、これから左大臣邸に参ろう!」 …と言い出します。酔っ払いには往々にある話です。 突然押しかけられた左大臣は時平(/・・・摂政・関白だった藤原基経の長男。褒子/京極御息所の 父親。父・基経の死の時点では時平はまだ若年だったため、宇多天皇は自ら親政を始めます。そこで、皇親である 源氏や学者の菅原道真らを起用。醍醐天皇が即位すると道真とともに左右大臣に並び対立、ついに時平は道真を 讒言して大宰府へ左遷させます。時平は政権を掌握すると意欲的に改革に着手しますが、39歳の若さで死去。道 真の祟りとされます。)です。この頃、ライバルの道真(みちざね/菅原道真)を左遷し、意気揚々 の若き実力者…気性も激しい方です。邸の人々は、右大将の来訪に大慌(おおあわ)て です。
《 響子の・・・ 小倉百人一首 》・・・(244) でも定家は、女への恨みではなく、別れの辛さと取り… <このぐらいの歌が詠めれば、この世の思い出になるだろう> …と賞讃しています。 忠岑(ただみね)は、右大将(/右近衛府(うこんゑふ)の長官・・・左近衛府とともに、武器を持って宮中の警護、 行幸の供奉(ぐぶ)などをつかさどった役所。この地位は左遷する直前まで、右大臣の菅原道真が兼務していた。)/ 藤原定国の随身(ずいしん/平安時代以降、貴人の外出のとき、警衛と威儀を兼ねて勅宣(勅命の宣旨、みこ とのり。)によってつけられた近衛府の官人)だった事があります。 ある夜、定国は他所(よそ)で酒を飲んで酔い…夜更けて帰る途中…
《 響子の・・・ 小倉百人一首 》・・・(243) 「この歌は…『古今集 - 巻13/恋の部』 にあります。 この歌の前後には、逢えない恋や、女のつれなさを恨む歌が並んでいます。それで この歌も別の解釈ができます。つれなく見えるのは、有明の月と、女の両方に掛か るというものです。忠岑(ただみね)に聞きたいですね。
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3月 5日 |
《 響子の・・・ 小倉百人一首 》・・・(242) 【30番→ 壬生忠岑】(みぶのただみね/平安時代前期の歌人。三十六歌仙の1人。子に同じく三十六歌仙 の1人である壬生忠見がいる。)
あなたのそばに、もっと長く居たかった… あの日から私は、夜明け前の暁ほど… 辛く感じる時はないようになった… >
《 響子の・・・ 小倉百人一首 》・・・(241) 古代王朝の官僚・武官を形成たのが貴族です。一方で、王朝文化を開花させます。 当時の皇族や貴族社会はコンパクトで、血統が非常に交錯しています。 日本は…この時代の人口数百万人から…つい最近、1億3000万人余のピークに 達して、減少に向かっています」
《 響子の・・・ 小倉百人一首 》・・・(240) 醍醐天皇や禄(ろく/お祝儀)を受ける躬恒の姿が、眼前に浮かんで来ます… 越えたのは、15世紀以降と推定されます。江戸時代前半の17世紀に人口が急増、18世紀から19世紀は3000万 人前後で安定化しています。)です。 この時代は、筑紫の太宰府が唐・朝鮮に開かれていて、奥州に征夷大将軍/坂上田 村麻呂(さかのうえのたむらまろ)が平定に向かい…平泉が栄えた頃(/奥州・藤原氏3代とは・・・藤 原清衡(きよひら)、基衡(もとひら)、秀衡(ひでひら)で・・・4代泰衡(やすひら)の時・・・平家が滅んだあとのゴタゴタ で逃亡してきていた義経を裏切る形で、鎌倉の頼朝に滅ぼされます。頼朝が攻め込む直前、西行法師が平泉を訪れて います。頼朝は、奥州平泉を平定した後、鎌倉幕府を開いています。)です。
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3月 4日 |
《 響子の・・・ 小倉百人一首 》・・・(239) この歌は… 白雲が私の肩に下りているのは、天から吹き下ろして来る風であろう。白絹は雲…あ りがたき思し召しは天つ風…躬恒の即妙(そくみょう)の歌です。 躬恒はまさに呼吸するように、歌が口から流れ出すような歌人だった様です。歌の姿 も、一種の風格がありますね。
《 響子の・・・ 小倉百人一首 》・・・(238) この歌は…“射る”と“入る”をかけた洒落(しゃれ)で、醍醐天皇は大いに賞(め)でられま した。 『大鏡』(おおかがみ/平安時代後期の歴史物語。作者未詳。)によれば、躬恒は褒美(ほうび)に白絹 の衣を賜ります。そして、それを肩に掛け(/慣例として禄(ろく/お祝儀)を賜る時は、肩に掛ける。)、 再び即興で詠みます…
《 響子の・・・ 小倉百人一首 》・・・(237) 躬恒(みつね)は…即興(そっきょう/その場の感興を、即座に詩歌や音楽などに作ること。)歌人としても 名を残しています。 ある時、醍醐天皇から下問(かもん/自分より身分・年齢の低い者に対して物事を尋ねること。)があり ました。 「月の異名を、弓張(ゆみはり)というのは、如何なるゆえか?」 躬恒はすぐさま、歌でお答えしました。
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3月 3日 |
《 マチコ → in 永田町 》・・・(16)
釈するかです… <人間原理・・・ホモサピエンスの共同意識体で形成される・・・“今”・・・の波束 の収束(/量子力学のコペンハーゲン解釈)> …において<今>は、過去・未来へも浸潤(しんじゅん/水がしみ込むように・・・思想・勢力・雰囲気 などが広がっていくこと。/ガン細胞が、まわりに広がっていくこと。)しています。 つまり…根拠の影は、ありますわ…」
《 マチコ →
in 永田町 》・・・(15) 「その上で、」茜が言った。「その時…何があるのか… ボス/岡田に言わせれば… <人間原理の世界軸・・・ストーリー性の・・・原型への回帰の力・・・> …つまり回帰の方向へ、文明史の強いバイアス(/かたより)がかかっている、という事 ですわ。だから、予知というものが可能なのです…」
《 マチコ →
in 永田町 》・・・(14) 「でもさあ…」マチコが、茜の方を見た。「ハルマゲドン は、本当に来るのかしら?」 「『聖書』の信憑性(しんぴょうせい/信用してよい度合い)の問題ですわ、」茜が言った。「同一 の神を…ユダヤ教とキリスト教とイスラム教が、別々に解釈しています。仏教徒が口 を挟む余地はありません」 「うん、」マチコが、うなづいた。
《 マチコ →
in 永田町 》・・・(13) 「うーん…」マチコが首を傾げた。「『聖書』にあるハルマゲドン は、本当に起るのかし ら?」 「オバマ大統領は…」大川が言った。「『聖書』に手を置いて宣誓(/アメリカ大統領就任時の 宣誓)しています。仏教徒の我々とは違い、本当に恐れていますな。米軍はあの地域 から、足を抜きたいのが本音でしょう」
《 マチコ →
in 永田町 》・・・(12) 「微妙ですねえ…」青木が、眼鏡に手を当てた。「どっちも、簡単に倒せそうで…根は 深い所にあります」 「でもさあ…」マチコが言った。「根はどっちも…ハルマゲドン に続いているわけよね え?」 「まあ、そうです」青木が言った。「安倍総理の原発再稼動へのこだわりも、核武装が 本音でしょう。そうでないと、説明がつきませんねえ」
《 マチコ →
in 永田町 》・・・(11) 「バグダーディー(/IS・イスラム国の指導者。カリフを自称。)さんと、」マチコが言った。「安倍総 理が似かよって見えるのは…それが王道(/徳による統治)ではなく、覇道(はどう/武力や権 謀をもっての支配・統治)だからよね?」 「うーむ…」大川が言った。「その通りですなあ、」 「モスル(イラク第2の都市。イスラム国が、モスルを制圧してから半年が経つ。ここで強固な支配を確立し、拠点 を築いたことで、一気に勢力を拡大させた。イスラム国の牙城。 )ヘ本格的な攻撃が始まるけど、安倍 政権が倒れるのと…どっちが早いかしら?」
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3月 2日 |
《 響子の・・・ 小倉百人一首 》・・・(236) でも、躬恒は…紀貫之らと共に 『古今集』 の撰者です。身分は低かったのですが、実 力者です。 だから、と言うのではありませんが… 私は、この白菊の歌の…軽さ・浅さ・透明さが、むしろ好きですわ。そこへいくと、家持 のかささぎの歌は、何とも意味不明ですよね。
《 響子の・・・ 小倉百人一首 》・・・(235) 躬恒の歌は…些細(ささい)なことを大げさに詠んだもので無意味であり…虚構なら家 持のように、大ウソをつくのが面白い…と言います。 ホホ…そう言っている、子規のヤンチャ魂は好きですね。子規は明治維新のど真中 の頃の俳人で、『歌よみに与うる書』 は力作です。
《 響子の・・・ 小倉百人一首 》・・・(234) 俳人・歌人・国語学研究家である正岡子規(まさおかしき/明治時代を代表する文学者の1人。死を 迎えるまでの約7年間は結核を患った。享年34歳。<・・・詳しくはこちらへどうぞ>)は… この躬恒(みつね)の歌を、<1文半文のねうちもこれなき駄歌(だか)に御座候(ござそう ろう)>とけなしています。でも、【6番→ 中納言家持】の…
《 響子の・・・ 小倉百人一首 》・・・(233) うーん… こうした単純で子供のような機知(きち/ウイット。その場その場に応じて活発に働く才知。頓智(とん ち))は…裏返せば人生の深みが香ります。こうした繊細な驚きの中に、王朝時代の 風雅の心があったのでしょうか。 現代人のいる….物欲・欲望・薄っぺらな大量消費のパラダイムでは…時空間その ものが異質の響きです。
《 響子の・・・ 小倉百人一首 》・・・(232) 「この歌は… 『古今集 - 巻5/秋歌下』 に<白菊の花をよめる>として載っています。同様の趣 向で、躬恒(みつね)の春の歌もあります…
《 響子の・・・ 小倉百人一首 》・・・(231) 【29番→ 凡河内躬恒】(おおしこうちのみつね/平安時代前期の歌人・官人。三十六歌仙の1人。『古今 集』を撰集した1人。官位は六位で、和泉大掾。和泉国(いずみのくに)は、かつ て日本の地方行政区分だった令制国の一つ。畿内に属する。掾(じょう)は、国司 の三等官で、中央政府における“判官”に相当する。大国と呼ばれる最上級の令 制国には特に大掾・少掾が設置された)
白菊の花が、分からないじゃあないか… あて推量で、折るなら折れるかも知れないが… 一面、白い中の白菊だからなあ… >
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3月 1日 |
《 マチコ →
in 永田町 》・・・(11) 「ともかくさあ…」マチコが、頭を深く傾げた。「イスラム国/IS のバグダーディー(/イス ラム国指導者、カリフを自称。)さんは、勝手な事を言ってるけどさあ… 安倍さんも、<国民に・・・丁寧な説明をしないで>…どんどん勝手な事をやってる わよね!」 「そうだよな…」ポン助が、コクリとうなづいた。
《 マチコ →
in 永田町 》・・・(10) 「そのハルマゲドン が…」マチコが言った。「イスラム国/IS と関係して来るわけか あ…」 「もし…」軍事担当の大川が、口を開いた。「シリアのアサド政権が、落ちるような事 があれば…イスラエル北部に位置するゴラン高原で、イスラエルとイスラム国が対 峙する事になるねえ、」
《 マチコ → in 永田町 》・・・(9)
るハルマゲドン/最終戦争の地は、シリアのゴラン高原(/ガリラヤ湖に接した・・・スラエル、 レバノン、ヨルダン、シリアの国境が接する高原。以前はシリア高原と呼称。メギドの丘はイスラエルにある丘。)で …<谷を死人で埋め尽くす>と言われていますねえ…」 「ゴラン高原には…」茜が言った。「1996年~2013年まで、自衛隊がPKO(/国連平 和維持活動)で派遣(/国際連合兵力引き離し監視軍(UNDOF)への派遣)されていますわ…」
《 マチコ →
in 永田町 》・・・(8) 「グローバル世界 が…」茜が言った。「“経済原理で・・・破滅的に暴走”している のと…“安倍政権が・・・国家国民を考えない官僚の・・・言いなりで暴走” してい るのとも…酷似 していますわ!」 「うーん…そうよね!」マチコが、うなづいた。「全てが、ハルマゲドン(/メギドの丘の意 のヘブライ語に由来するギリシア語で・・・終末的な戦争が行われる場所・・・ヨハネの『黙示録 - 16章の16』。転じ て、世界の命運を決する最終戦争。)に向うのかしら?」
《 マチコ →
in 永田町 》・・・(7) 「おう、」 「何となく、何処かがユルんでいて…イスラム国/IS が出来てしまったわよね?」 「ああ…」 「コレってさあ…何となく、日本で安倍政権が出来てしまったのと、酷似(こくじ)してい ないかしら?」 「そうだよな、」
《 響子の・・・ 小倉百人一首 》・・・(230) うーん… つまり…そんな事を言っていられる、身分・人格だったわけですね… 在原業平もそうですが…“どちらも”とは…なかなか行かない様です。その分、色々な 女に恋歌を贈ったり、贈られたりして… そして…年齢を経て足元を見た時…この歌の風景に重なる様な現実が… 」
《 響子の・・・ 小倉百人一首 》・・・(229) それが…
波は岸を洗いますが、私は岸へ寄る事もなく、沈んだままでございます… このまま浮き上がるということは、ないのでございましょうか… >
《 響子の・・・ 小倉百人一首 》・・・(228) ええ、源宗于(みなもとのむねゆき)は… 第58代/光孝天皇の皇子/是忠親王(これただしんのう)の子で、臣籍降下で源姓とな っています。『大和物語』では、かなり活躍しているそうです。 宗于は…地方官を経て右京大夫(右京職(うきょうしき)の長官。正五位上相当。)になっています。 官位が進まないので、宇多天皇にそれとなく歌を奉(たてまつ)っています…
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