雪室俊一プロフィール

最終更新: 2013/08/03 (ショートプロフィール集、ラジオトーク追加、10年ぶりに整理)


ショートプロフィール集

「漫画家・アニメ作家人名事典」(日外アソシエーツ 1997年)

1941年1月11日生まれ、神奈川県横浜市出身、筆名=洋駿太郎(よう・しゅんたろう)、シナリオ研究所(第8期) 1961年卒。 テレビドラマ「近頃の若いやつ」が新人シナリオコンクールに佳作入選。1965年日活映画「あいつとの冒険」でデビュー。 以後テレビに転じ、アニメを中心にドラマ、劇画原作などを手がける。手がけた脚本は3000本以上。 主な作品に「ジャングル大帝」「ムーミン」「サザエさん」「魔法使いサリー」「キャンディキャンディ」「Drスランプ」「小さな恋のものがたり」「キテレツ大百科」「などの他、映画「遠い海から来た少女」(広島県広報映画)、毎日児童小説コンクール優秀作「まぶしい季節」がある。 受賞:毎日児童小説(優秀賞、第37回)「まぶしい季節」、日本放送作家協会、趣味:アマチュア無線、ドライブ。

「おはよう!スパンク」文庫版

1月11日生まれ、千葉県出身(おそらく間違い)。日本脚本家連盟会員。映画、コメディー、アニメのシナリオを多数執筆。 主な作品『サザエさん』『魔法使いサリー』『とんがり帽子のメモル』『ムーミン』『キャンディ・キャンディ』『キテレツ大百科』『あずきちゃん』など。
第1巻巻末あとがき:泳げない。逆上がりができない。運動会はいつもビリ。気が小さいくせに、あつかましくて、さびしがり屋。何を隠そう、スパンクは少年時代のぼくがモデルです。

「テクマクマヤコン」(2005年12月8日発行、バジリコ)著者略歴

脚本家。日本脚本家連盟会員。1941年1月11日生まれ。映画、コメディーのほか、黎明期からアニメのシナリオを多数執筆。 代表作に『サザエさん』『ハリスの旋風』『あしたのジョー』『ゲゲゲの鬼太郎』『魔法使いサリー』『ひみつのアッコちゃん』『とんがり帽子のメモル』『ムーミン』『キャンディ・キャンディ』『キテレツ大百科』『あずきちゃん』など。無類のクルマ好きとしても知られる。

アニメーション神戸パンフレット(2009年10月)よりプロフィール

1941年、横浜市生まれ。シナリオ研究所卒業後、松浦健郎氏に師事し、内弟子生活を送る。独立して日活の青春映画『あいつとの冒険』で脚本家デビュー。テレビドラマや構成番組を手がけていたが、先輩の紹介で書いた、ちばてつや氏原作の『ハリスの旋風』が大ヒットしたお陰でアニメシナリオの仕事が多くなる。
『魔法使いサリー』『ひみつのアッコちゃん』『あかねちゃん』『若草のシャルロット』『キャンディ・キャンディ』『あずきちゃん』などの少女ものを中心に『もーれつア太郎』『天才バカボン』『ゲゲゲの鬼太郎』『ムーミン』『Dr.スランプアラレちゃん』『とんがり帽子のメモル』『がんばれ元気』『キテレツ大百科』など多彩な作品を執筆。
40年以上続いている長寿アニメ『サザエさん』では2,000本以上のシナリオを担当し、現在も毎週、作品を発表している。
近年、自伝的エッセイ『テクマクマヤコン・ぼくのアニメ青春録』(バジリコ)を上梓した。

東京アニメアワードパンフレット(2011年10月)よりプロフィール

1941(昭和16)年1月11日、神奈川県横浜市に生まれる。'61年、シナリオ研究所(第8期)を卒業。テレビドラマ『近頃の若いやつ』が新人シナリオコンクールに佳作入選。松浦健郎に師事し、数本の共同脚本を手がけた後、日活映画『あいつとの冒険』('65)で単独デビュー。以後、アニメ、実写ドラマ、バラエティ番組などを通じて3400本以上の脚本を手がける。 アニメとの関わりは、石郷岡豪の誘いで参加した虫プロの『ジャングル大帝』('65)が最初。その後、ピープロの『ハリスの旋風』('66)でちばてつや作品の魅力に触れ、東映動画の飯島敬PDとの出会いが縁で『魔法使いサリー』('66)『ひみつのアッコちゃん』('69)などの魔女っ子路線を手がける。『アッコちゃん』の有名な呪文「テクマクマヤコン」や「ラミパスラミパス」は。雪室が脚本中で創案したものである。 '69年にはフジテレビの別所孝治PDの紹介で『サザエさん』に第1回から参加し、現在までに1500本を超えるエピソードを執筆。イクラ、花沢さん、中島、ホリカワくんなどお馴染みのキャラクターの命名も雪室によるものである。 ファミリー物や少女物に参加することが多く、アニメの代表作はほかに『あかねちゃん』('68)『若草のシャルロット』('77)『がんばれ元気』('80)『Theかぼちゃワイン』('82)『とんがり帽子のメモル』('84)『キテレツ大百科』('88)『ピーターパンの冒険』('89)『クッキングパパ』('92)『あずきちゃん』('95)など。 何気ない日常の出来事を独特の視点で切り取って見せる手腕は見事で、特に子供の言動をユーモラスにとらえる観察眼には定評がある。原作を務めたマンガ『おはよう!スパンク』('81)は第5回講談社漫画賞・少女部門を受賞。また、毎日中学生新聞に連載した小説『まぶしい季節』('89)が毎日児童小説コンクール・優秀作に選ばれている。


受賞


雪室さんのエッセイ

2001年秋から2003年夏にかけて WEBアニメスタイルにて雪室さんのコラム『アニメやぶにらみ』が連載されました。 日本のアニメの歴史とほぼいっしょに歩んでこられた「生き証人」なのに、大量の脚本作品以外の著作をほとんど残されていない雪室さんの、アニメ界や自作に対する思い、自らの生い立ちを読むことのできる貴重な資料です。 連載時のトップページが移動していますが、記事自体は残っていますので、以下直リンクも貼っておきます。

また、このコラムを大幅に加筆して、単行本「テクマクマヤコン」が発行されました。内容をこちらに紹介しています。コラムを読んで面白かった方はぜひ購入をお勧めします。


ラジオインタビュー

ラジオインタビューが何回かあり、とても面白かったのでテキストにしてみました。長いのでこちらで読んでください。


雪室俊一さんの寄稿、インタビューなど

昔の記事の発掘や、シナリオ関係の雑誌への寄稿をご紹介します。

東京アニメアワードの受賞パンフレット

↑をクリックすると記事画像を表示します。

女性自身2012年8月14日号のインタビュー「最近のサザエさんは何かヘン!」

↑をクリックすると記事画像を表示します。

「あずきちゃん同窓会」 (2002年9月発売、あずきちゃんDVD-BOX付録冊子)

『あずきちゃん』DVD-BOXの付録冊子は、制作スタッフ・出演者のインタビュー、設定資料、OPの絵コンテなどを満載した豪華版です。 ぜひ買ってください。
この中で雪室さんも「普通の人たち」と題して2ページの短文を寄せている。 この作品が「熱い支持を受ける」「しあわせな作品」であること、そしてその「すべてを書くことができたのは作家冥利に尽きる」こと。 さらに、演出やキャスティングについても、気に入った点を書いている。ジダマは「ぼくの好みのキャラでつい力が入ってしまう」そうです。うれしいですね。
また、他のスタッフのインタビューの中にも雪室さんのエピソードがたくさん出てきます。これはできれば買って読んでください。

「マッドハウスに夢中!!」 (2001年7月発行、オークラ出版、\2800)

『あずきちゃん』を制作したアニメ制作会社「マッドハウス」の特集本。スタッフインタビューの中で、雪室さんも1ページ、「マッドハウスのイメージは『気鋭の物作り集団』」と言うタイトルで『あずきちゃん』を中心に語っています。(雪室さんはマッドハウス所属ではありませんが)
この中で、『あずきちゃん』の企画を見せられたときに、「あ、これは確かに俺にしか書けない!!」と思ったこと、「直しはなく」「非常に楽しくやらせてもらった」ことなど、制作時の感想を書かれているのがとてもGOODです。 また、マッドハウス自体についても、演出のすばらしさ、そして、「作品に合ったスタッフをウマく、起用する」など、よい印象を語っています。
このような環境があって、雪室さんが思う存分筆をふるったのが『あずきちゃん』なんだと、改めて認識でき、たいへんうれしくなりました。

「アニメック」1985/5号

「とんがり帽子のラストインタビュー」と題して、『とんがり帽子のメモル』放送終了を迎えた雪室さんのインタビュー記事がある。
脚本制作における裏話や、雪室さんの直截な感想が多数収録されていて、作品に対する疑問を解く大きな資料的な価値がある。 例えば「僕は「メモル」がスタートした時は、本当は人間は出したくなかったのね。」とか、マリエルのお父さんが「設定ではもう死んじゃってるんですよ」といった話は、すべてのメモルファンにとって驚くべきことであろう。
ボクは前半のリルル村編の方が好みなんですが、「前半はかなりノッて書いてましたから」「前半は世界観を創り出すという意味では辛かった」「後半は割と楽」と言われているように、大変な仕事だったことがわかります。 また「マイコン人形」を出した理由も言及されています。
「こっちが何を意図したのかという隠し味の部分までわかってくれる年齢の人まで大勢観てくれて、支持してくれたのは作者としてうれしかったです。」とも書かれていました。

「アニメック」1984/11号

「メモル独占インタビュー」として「大人の中で子供の中で」と題した、雪室さんのインタビュー記事がある。
ここでは特に、『メモル』という作品を作る難しさについて語っている。人間界とリルル星人という2つの世界があって、なおかつ接点を持たせなければならないこと。 大きさの非常に違うもの同士の会話を書くつらさ。このあたりは、『ムーミン』『コロボックル』での経験と試行錯誤が生きているということです。 私は『メモル』を見ていて、そういった作る側の苦労というのは、全く感じることがありませんでした。それだけ、こういった難しい問題点を乗り越えて作られた作品なんだということを、この記事を読んで初めて実感しました。
さらに、メモル自身の設定についても語っています。メモルは最初考えていたよりもずっと子供っぽくて、主役としては書きにくかったとのこと。 「メモルもマリエルと同じ世代の少女にしたかったなぁ」と書かれています。

「アニメック」1984/11号

「私の中のキャラクター」というコラムに、「国松、オチャラ、茜たち」というタイトルで2ページの文章を寄せている。
雪室さんをアニメの世界に引き込むことになった『ハリスの旋風』『あかねちゃん』(いずれもちばてつやさん原作) について、思い入れをたっぷりと語ってくれている。 ちばてつやさんの原作については「それまで、ぼくがあまりマンガを読まなかったのはストーリイしかないからだ。ストーリーは読者を笑わせたり、ハラハラさせたりするが心にはなにも訴えない。登場人物に血が通ってないからだ。」 「ロボットが出なくても、清く正しく強いスーパーヒーローが登場しなくても、こんなに魅力的な作品が出来ることをちばさんの原作は教えてくれたのだ。」 と、まさにそれが雪室作品の原点であることを主張しています。 そして、娘さんに「あかね」と命名したエピソードも紹介してくれています。

一方で、アニメ初作品 (『ジャングル大帝』だと思いますが) については「すべて絵が優先で、そのためにはドラマがメチャクチャになってもいいというプロデューサの思考が、ドラマ育ちのぼくには我慢ならなかった。」と途中でオリた理由を書いています。 また、『あしたのジョー』『おれは鉄平』のちば原作アニメについても、制作スタッフと意見が合わずに降板した事情を書いています。

映人社「ドラマ」1980/8号

「仕事場訪問」という企画で、雪室さんの自宅 (東京・八王子) を訪問した取材が写真・見取図入りで掲載されている。92年の記事より内容は豊富。
まず、自宅の外観写真には電柱のように見えるアマチュア無線の巨大なアンテナがあり、著書として「モービル・ハムの走らせ方 −あなたの車がしゃべり出す−」が紹介されている。

長いインタビューでは、経済的理由で昼間働きながら定時制高校に通っていたこと、お金が欲しくてシナリオを書き始めたことから始まり、作品については主に『サザエさん』について話をしている。

インタビューの最後に「これから手掛けてみたい番組は?」との問いに対して、雪室さんは「少年と少女のごくありふれた話をやってみたいですね。誰でも思い当たるような話。」と答えている。 これって、まさに『あずきちゃん』を予言する言葉にしか、ボクには思えないです! これも驚きの発見でした。

映人社「ドラマ」1992/3号

「作家の仕事場」という企画で、雪室さんの自宅 (東京・八王子) を訪問した取材が写真入りで掲載されている。 普段着の雪室さんを鮮明な写真で拝むことができるが、1980年の写真とあまり変わらないように見えるのは気のせいだろうか?
仕事部屋には洋邦画のビデオが約1000本ということで、雪室さんが非常に映画好き (というか研究熱心と言うべきか?) であることがよくわかる。

映人社「ドラマ」1999/4号

「アニメシナリオ35年」と題して、第1作「ジャングル大帝」からを振り返っている。雪室さんによる「サザエさん」のシナリオも掲載されている。 自分のことを「自己主張が強く、直しをいやがり、気に入らないとすぐ降りると、きわめて評判のわるいライターが、これだけの作品を書けたのはほんのひと握りの理解者がいたためである」と書いているのが印象的。 でも、「雪室俊一」という名前すら知らない理解者が数千万人いるのも事実ですよね。
アニメ黎明期の創作エネルギーに対して、後年のリメイク作品が前作に及んでいない現状や、その原因に対してもコメントを述べている。必読の一編である。

シナリオ作家協会「シナリオ」2001/9号

台本や資料の配達に使われる、宅配便のサービスについて不満を書いている。 ターゲットは「飛脚のトラック」の「S社」なのだが…。ともかく、雪室さんに宅配便を送るときは「S社」は避けるように注意しよう。


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