熊本2日目

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 おはよう放送で目が覚める。正面の寝台は相変わらず空席。私の寝台の上段も、向かいの寝台の上段も客がいない。なぜ、後ろ向きの席を販売したのだろう?後で考えたが、この寝台車には1つだけ正面が壁の席がある。一番東京よりの寝台だ。この寝台は下りでは進行方向後ろ向きになる。知らない人と向かい合うのが嫌な一人客に人気があり、すぐに売れる物と思われる。そうすると、壁を挟んで反対側の寝台は進行前向きだが、壁越しに別の人が寝ていると、音が響いたりするのだろう。そのため、進行後ろ向きであるにも関わらず、敢えて、1つ飛ばした席、つまり私の今いる席を売ったのだろう、と推測。なんだか訳の分からない文で済みません。
 おはよう放送は下松の手前であった。外は雪。「7時には、x号車、y号車・・・を除き、寝台を片づけますのでご協力ください」とのこと。何号車が寝台を片づけないのかはよく聞いていなかったが、喫煙車は片づけず、いつまでも寝ていて良い。禁煙車は7時には片づけ、起きなければならないということらしい。
 下松からは立席特急券で空いている席に座れる。私は今まで「立席」というくらいだから、座れないのかと思っていたが、「空いている席にお座り下さい」と放送していた。混んでいる時期なら、立席の客はロビーカーに座るのだろうが、今日はガラガラ。
 再度、全部の号車を探検してみた。昨晩見たときよりはもちろん客は増えている。でも、上段はわずか2席しか客がおらず、あとの客は全て下段にいた。その下段にしても、乗車率は半分もない。しかも、熊本行きの1-3号車に関して言えば、やはり1,2号車は誰もおらず、3号車にしかいないのである。いや、厳密に言えば、1,2号車にも立席特急券で乗ってきたらしき客はいたが、布団やスリッパが乱れていないので、寝台客は皆無だったことになる。では、なぜみんな3号車に集めたか。
 周りに誰もいないと、客が不安になるのだろうか。治安維持の点で、ある程度客が集まった方が良いのかもしれない。確かに、寝台特急で一両で自分一人しかいなくて一晩過ごすのは、少し気味が悪いかもしれない。青春18きっぷ季節のムーンライトながらでそうなら嬉しいが。(そんなことあるわけないが)
 少し列車が遅れてると車内放送で繰り返す。車掌も、接続の問い合わせに答えている。徳山で車内販売が始まるといっていたので、ロビーカーで売るのかと思っていたが、ワゴンで売りに来た。幕の内弁当とコーヒーを飲み、雪の中国地方を眺める。7時過ぎ、作業服を着た3人のおばさん、おじさんたちが寝台を片づけに来た。片づけると言っても、浴衣や寝具を上段に乗せていくだけである。
「寝ていてはまずくて、起きなくてはいけないのですか?」と聞くと、寝ていても構わないとのこと。「これだけ空いているから」ということだろう。
 ゆっくりした時間が過ぎる。下関と小倉では機関車を付け替える。博多では、先を急ぐ客が降りて、特急つばめに乗り換える。このままはやぶさ・さくらで終点まで乗り通すよりも、博多で降りて、つばめに乗った方が早いのだ。鳥栖では「はやぶさ」と「さくら」を切り離す。切り離し作業の間にも二本の特急が追い抜いていった。

 さくらを切り離した後、はやぶさの一番後ろの窓から撮った写真。さくらを置いてけぼりにして、はやぶさは先に熊本に向けて発車する。さくらはこの10分後に長崎に向けて発車する。


 11時。熊本まではあと一時間。まもなくはやぶさ号の旅も終わり。時間の感覚が狂い、あと1時間というのがわずかな時間に感じられる。昨晩のおばさんが週刊誌を2冊くれた。11:59、熊本着。定刻より19分の遅れ。昨晩のおばさん2人組が、荷物を運んで欲しいと頼んできた。東京から熊本に引っ越すとのことで、思いスーツケースを抱えている。改札まで運んでほしいとのことで、運ぶ。人吉まで行くという。改札で別れた。
 久々に地面を踏んだ。晴れていた。一時間ほど間があるので、市電の終点の田崎橋まで歩き、田崎橋-熊本駅前の2駅間だけ乗ってみた。広告を付けた色とりどりの電車が行き交う。
 駅弁を買い込み、1300熊本発の特急あそ3号の真っ赤なディーゼル車に乗り込む。

特急あそ号。JR九州のコーポーレートカラーの赤色。3/13以降は特急「九州横断特急」特急「くまがわ」となり、JR初のワンマン特急として運転される。

熊本駅ホームの手洗所。蒸気機関車時代の名残か、熊本駅以外でも、あちこちで見られた。

熊本駅で買った駅弁「殿様弁当」。

 南阿蘇鉄道に乗りたいためだ。南阿蘇鉄道の乗換駅の立野で降りれば良いのだが、立野では3段式スイッチバックがある。立野で降りてしまってはスイッチバックを体験できない。そのため、敢えて立野の1つ先の赤水まで乗った。
 立野のスイッチバックでは、車掌がマイクでスイッチバックの説明をした。運転士と車掌が席を交代するのかと思ったが、交代することなくそのままバックしていった。
 1351赤水で降り。雪が降り、ものすごく寒い。付近を散歩して時間をつぶし、1422赤水発の普通列車熊本行きに乗る。一駅戻って立野に行くのだ。同じくスイッチバックしたが、今回は運転士は席を移った。特急車両と普通列車用の車両の性能の差だろう。
 接続は良く、1439立野発の南阿蘇鉄道高森行き。ぼーっとうとうとしながら車窓を眺める。ワンマン車で、案内テープが流れるが、運転士も「ご乗車ありがとうございます。次は長陽です」と放送する。運転しにアナウンスまでさせるとは、人使いの荒い会社だ。。。
 運転士の次のセリフで目が覚める。「次は阿蘇下田です」あれ?案内テープも「ありがとうございました。まもなく阿蘇下田です」とのこと。(セリフを録音したわけではないので、少し違っていたらすみません。)
 うーん、この駅は、長い駅名ランキングに名を連ねる有名な駅なのだ。時刻表には「阿蘇下田城ふれあい温泉」とある。数ヶ月前の時刻表を持ってきたので、もしかしたら、知らないうちに改称したのかもしれない。そういえば、車内の運賃表も、「阿蘇下田」と書いてある。よく見ると、次の「南阿蘇水の生まれる里白水高原」も、運賃表には「白水高原」とある。なんだ、長すぎて不評で変えたのか。
 さて、次の運転士の放送「次は白水高原です」。あっ、こちらも改称したのか。案内テープは「まもなく南阿蘇水の生まれる里白水高原、白水高原です」。ん?どっちなんだ?駅について、駅名標をよく見ると、「南阿蘇水の生まれる里白水高原」とある。1つ手前の駅は「阿蘇下田城ふれあい温泉」と書いてある。
 つまり、正式名称はやはり長い名前で、改称など行われていない。しかし、現場では全然その名前では呼ばれていないということだ。伊勢中川を中川とか、京成上野を上野とか、遠州小林を小林とか、旧国名や社名を省略するのはよくある。先に別の同名の駅があったので、やむを得ず2番煎じ的な名前を付けた場合である。
 しかし、阿蘇下田城〜や、〜白水高原は、自分で積極的に付けた名前のはずである。それを略してしまうとは。。。恐らく本社広報課は観光客誘致として良かれと思って命名したが、地元客には受けが悪く、結果的に現場では無視されているということだろう。しかし、実際に現地でそう呼ばれていないとあっては、長い駅名ランキングに入れるのは筋違いだと思う。やはり一位はルイスティファニーなんとか美術館前だ(ちゃんと覚えていない)。こちらも、一畑電鉄の現場で実際にそう呼ばれているかどうかは確かめてみないとわからない。

中松駅の駅名標。1つ手前の駅は「はくすいこうげん」とある。本当の名前は「南阿蘇水の生まれる水白水高原」であるはず。


 高森には1510着。蒸気機関車が展示してある。第3セクターの終着駅は、だいたいどこもきれいな駅舎である。ただ、私は第3セクターに乗ると、終着駅でしか降りない(途中下車しない)ので、どの駅も綺麗なのかどうかはわからない。

高森駅前の蒸気機関車。


 近所のスーパーで菓子パンなど買い込み、1613高森発の列車で折り返す。金曜日なので、通学の高校生で混んでいる。

南阿蘇鉄道のディーゼル車。宝くじ号と書いてある。

1639立野着。1645立野発の普通列車で1724水前寺着。本日の宿があるところである。
 東京ではもう暗くなり始めるが、ここはまだまだ明るい。ユースピア熊本ユースホステルといい、熊本県青年会館というところの一部をユースホステルとしている。フロントで説明を受け、今日は一人と相部屋。明日は私一人だという。
 部屋に行くと30過ぎの男性がいて、時刻表を見ているので同行の趣味の人らしい。取り敢えず荷物だけ置き、夕食のために外出。
 豊肥本線で一駅、新水前寺まで行く。ここで市電の水前寺駅通という駅で乗り換え。市の中心部は辛島町、通町筋、市役所前といった電停。ガイドブックで見つけたラーメン屋に行くが、全然おいしくない。楽しみにしていたのに。。。町中はマクドナルドやダイエーがある一方、夜の町でもあるようで、水商売のお姉さん達もたくさん歩いていた。和服姿のおばさん、おばあさんがたくさん目に付いた。総菜屋で辛子レンコンが150円で売られていた。駅前の土産物屋では800円もしたのに。昼の駅弁に辛子レンコンが一切れ入っていて、ビールに合いそうだと思ったところなので、買って帰る。
 宿に戻り、風呂に入る。同室の人と、旅行の話をする。その人は京都在住で、周遊きっぷ九州ゾーンで回っているという。ここのユースホステルに5泊しているという。明日帰るとのこと。夜の1時過ぎまで話し込んでしまった。

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