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「ゾミア―脱国家の世界史」ジェームズ・C・スコット(著)佐藤仁(監訳)(みすず書房 2013年10月)

→目次など

■国家権力を逃れ、あえて野蛮に向かう人々■

「ゾミア」とは本書によれば「ベトナムの中央高原からインドの北東部にかけて広がり、東南アジア大陸部の 五カ国(ベトナム、カンボジア、ラオス、タイ、ビルマ)と中国の四省(雲南、貴州、広西、四川)を含む広大な丘陵地帯を指す新名称」である。 この地は、九つの国家の辺境に位置し、国民国家に完全に統合されていない人々が残存している。彼らは私たちの先祖の暮らしぶりを示しているとみなされることが多い。 実際、日本人はアカ族やミャオ族の暮らしに、日本の原風景を感じることがある。 しかし、スコットは「こうした人々が暮らす地域の多くは、破片地帯もしくは避難地域とみなすのが適切であると」し、 彼らの生業、社会組織、イデオロギーなどは国家から距離を置くために選ばれたものであるとしている。 同様なことはブッシュマンや南米のインディオにも当てはまるという。 また、スコットによれば、本書は多くの研究資料を吟味し、そこから法則を見出して、展開したものであり、オリジナルな要素はないという。

こうして、近代国家に完全には統合されていない人々の社会を分析していくことで、逆に国家とは何かが浮き彫りになっている。 つまり、国家に統合されないことを目的として編み出された生き方を確認していくことで、逆に国家は国民をどのような状態に置きたがっているのかが明らかになり、 そこから国家の本質が見えてくるのである。

この議論の中で、何度も狩猟採集を生業とするあり方について言及されている点も注目に値するだろう。 狩猟採集という生き方は、国家に組み込もうとする文明側からすれば、極めて不都合な生き方なのである。

私たちは、生まれつき国民国家に組み込まれた存在として、国家に管理されながら自由や民主主義、平等性を実現できると考えている。 しかし、本書を読む限り、そのようなあり方は不可能なのではないかと思えてくる。

本書に記された、民族の創造過程に関する考察なども刺戟的である。

内容の紹介


文明論は、人々が野蛮人の側に自主的に移っていく可能性を考慮していない。 - xiページ


もう一つ私が強調したいのは、本書で展開される議論は第二次世界大戦以後にはほぼまったく通用しないという点である。 - xiiページ


国家から逃げることは、数世紀前までは現実的な選択肢であった。 - 9ページ


歴史的に国家権力の基盤は、定地での穀物栽培であった。 定住型農耕は土地の所有権、家父長制にもとづいた家族制度、さらに国家が奨励する大家族制度に至る。 穀物農耕は拡張する傾向をもっており、病気や飢饉によって抑制されないかぎり、新しい場所への移動植民を必要とする余剰人口を産み出した。 つまり長期的視野に立てば、絶えず自らの複製をつくっては拡張を続ける穀物栽培こそが「遊牧的」かつ攻撃的であり、 狩猟・採集のほうが一定の地域への依存度が深く、安定した人口を支えていた。 ヒュー・ブロディが指摘したように、両者を比較すると狩猟・採集のほうが「動かずにしっかりと定着していた」のである。 - 10ページ


ゾミアをひとつの地域として編みあげているのは、政治的統一性ではなく(というのも、そんなものはそもそも全くない)、 農業様式の多様性という類似点、分散と移動というパターン、そして大ざっぱな平等主義である。 この点で低地にくらべて女性の地位が一般に高いことも偶然ではない。 - 19ページ


この理解は、山地民とは低地で文明を築いた人々から取り残された原始的な人々である、という広く行き渡った理解とは根本的に異なっている。 人々の場所や経済的、文化的行為は、国家という現象による産物と見なすのが妥当だろう。 - 28ページ


永住地を作ることは、税制の確立と並んでおそらく国家最古の営みだろう。 定住すると文化的、道徳的な水準は高まるという文明論は、国家の営みにつねにつきまとっていた。 高度な帝国主義のレトリックは、遊牧をする非キリスト教徒の野蛮人を「文明化」し「キリスト教化」することを、なんのてらいもなく語るが、そうした語法は近代人の耳には 時代遅れで田舎くさく、あらゆる蛮行の言い訳に聞こえる。 それにもかかわらず、帝国主義のレトリックを「開発」「進歩」「近代化」という語に置き換えてみると、新たな旗印のもとに進められるその事業が今も健在なのは明らかだ。 - 100ページ


東南アジアにおける植民地期以前の水稲国家や中国の清朝や公的資料にもとづく自画像では、 各々の王朝は輝かしい国家で、多くの住民が平和裏に参集したかのように描かれている。 それによると聡明な行政官が無作法民衆を導き、人々に読み書きを教えて、仏教や儒教のある王宮中心地へと向かわせた。 この中心地では、定住水田耕作を行い王国の忠実な臣民になることが文明の達成指標である。 イデオロギー色を帯びた他の自国描写がそうであるように、このヘーゲル的な国家の理想像は、人々の実際の経験、とくに辺境の人々の現実とはまったく異なる 残忍なパロディであって、あたかもベトナム戦争時のアメリカ政府による「和平工作」という言葉の使い方のようである。 - 162-163ページ


現代の研究と考古学的資料から明らかなように、最も厳しい環境にある人々を除き、 狩猟採集民は集住する定住者よりも、健康で病気にかかりにくく、とくに動物原性感染症の流行に強いことが知られている。 農業の出現は、総じて人々の福祉水準を向上させるよりも低下させてしまったようだ。(18) - 189ページ


原始的に見える人々の多くが、実はより自律的な生活を求めて、意図的に定住農業と政治的服従とに見切りをつけて きたとわかったきたのは、ごく最近になってからである。 すでに見たように、マレーシアのオラン・アスリは多くの点でこうした選択をした人々の好例である。 他方で最も顕著な事例は、南北アメリカ大陸が征服された後の記録に残されている。 フランスの人類学者のピエール・クラストルは、南アメリカで狩猟採集をする多くの「部族」が、遅れているどころか、かつては国家の構成員として定住農業をしていたと最初に主張した。 彼らは、支配から逃れるために意図的に定住農業を放棄したのである。 - 191ページ


移動耕作は最も小規模の国においてすら、財政と労働力を管理する国家機構の埒外にあるとされた。 まさにこの理由から、東南アジア大陸部の代表的な国家は例外なく焼畑農耕を非難し、やめさせようとしてきたのである。 移動耕作は国家財政には不毛な農法だった。 栽培品種が多様かつ分散しており、監視、課税、接収も困難だったからである。 焼畑農耕民自身も分散して暮らしていて、監視、強制労働、徴兵対象とするのが難しかった。 国家の嫌う焼畑の特徴はまさにそれゆえに、国家の支配から逃れようとする人々には魅力的だった。 - 194ページ


このように歴史をもたない平等主義的な集団では、各々のリネージ――つまり、この場合では家族――は それぞれに独自の家系に関する習慣と活用方法をもつようになる。しかし、多くのリスが誇りをもって指摘するひとつの「伝統」も存在する。 それは、独裁的になりすぎた首長を殺すという伝統である。 - 280ページ


本書が描きだし、理解しようとした世界は今にも消えつつある。 ほとんどの読者にとって本書で繰り広げた世界は自分たちの暮らす世界からはあまりにかけ離れているように映るだろう。 現代世界で私たちの享受できる自由に未来があるかどうかは、リバイアサン(強大な政府)を避けることよりも、それを飼いならすという途方もない仕事にかかっている。 - 329ページ


私たちの暮らす世界とは対照的に、本書でとりあげた世界は国家がいまほどには目前に迫りきっていない世界であった。 歴史を長い目でみればほとんどの人類が比較的最近まで暮らしていたのが、この世界にほかならない。 - 330ページ


作り話が多い文明の「実話」といのは、たいてい統制の行き届かないところに暮らし、やがては征服され、 一体化されていく野蛮で扱いづらい敵対的集団の存在を必要とする。 それがフランス人だろうが、漢人だろうが、あるいはビルマ、キン、イギリス、シャムの人々であろうが、「文明」は、こうした仮想敵の打ち消しによって規定される。 部族や民族性の概念が、統治権や税制のおよばなくなる場所を境にして生まれる大きな理由はこれである。 - 341ページ

強大な政府から逃れることも飼いならすこともせず、強大な政府を生まないために、狩猟採集の価値観を是とするような在り方があるのではないかと、私は考えています。

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「ルビリン」は東山動物園にいたアムールトラの名前です。土手で出会った子猫を迎え入れ、「るびりん」と命名しました。

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