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「宇宙人謎の遺産―彼らこそ地球文明の影の支配者だ」五島勉 (著)(祥伝社 1975年8月)

→目次など

■理想に向かうはずの世界が便利ではあるが窮屈で救いのない世界に向かう中で、はるか古代と現代社会を一本に結ぶ視線が意味を持つ、電子書籍でも読めるロングセラー。■

ナスカの地上絵や、レバノンのバールバック神殿近くに放棄された巨石は確かに存在しています。宇宙服を着てヘルメットをかぶったような姿を描いた壁画もあちらこちらに確かに存在しています。聖書やマハ・バラータには月着陸船を思わせるような飛行物体や核兵器の使用を思わせるような戦争の様子が確かに描かれています。

これをどう解釈すればよいのでしょうか。

小惑星帯に目を転じれば、かつてここにもっと大きな星があり、地球や火星よりも先に生命が誕生していた可能性があります。改めて調べてみると、小惑星帯は、実際、液体の水が存在できる、ハビタブルゾーンの端に位置しているのです。セレスは氷の下に海が存在する可能性があるとして注目されてもいます。

旧約聖書では神が複数形で自称している記述があります。一神教の神なのに複数形なのはなぜでしょうか。この神は救う者と救わない者を弁別する神でもあります。そして、増えて世に満ちよと命ずる神でもあります。

私はこの本で展開されている宇宙人説に一切賛同するものではありません。それにも関わらず大変楽しく読むことができました。それは、私と同じく、人類史について、過去と未来について思索する人物が想像力をたくましくして展開する話に引き込まれたからです。

人類史を振り返り、現代社会を分析しながら本書を読むと、ここに描かれた内容は、宇宙人の存在ではなく、文明を築いた人類のたどった足跡を示す出来事たちです。

たとえば、ナスカの地上絵や、運搬途中で放棄されたバールバックの巨石は、大衆の不満のはけ口を作り、富を蓄積するためにオリンピックや公共投資が繰り返される現代社会と重なるように思えます。帝国主義時代に植民地に立派な建物が建築されたこととも重なる部分があるかもしれません。

ヘルメットをかぶったような人物が遠く離れた場所で同じように壁画に描かれていることは、それらの社会がこのような人物像を必要としていたからに他なりません。それは、文身や首狩り、大きな痛みを伴う成人儀礼、巨石建造物の構築などが、社会の特定の発達段階(高度狩猟採集民、未開農耕民、都市の発達した古代社会など)において発達してくることと同様なのでしょう。

キリストが否定したはずの旧約聖書が今もキリスト教の聖書として使われ、ノアの方舟、バベルの塔など旧約聖書に描かれた物語が、今も世界中の人々の思想に大きな影響を与えています。本書でも、宇宙人と結びつけながらキリスト教徒たちの悪行を批判しつつ、キリストを人類唯一の偉人のように扱うことでキリスト教世界を世に広める役割を果たしてしまっているという点を見逃すことはできません。

古代の不思議な遺跡などについて知ることができればと考えて読み始めた本でしたが、読んでみれば、内容は遺跡にとどまっていませんでした。生命は条件さえ合えば誕生してくるものであろうということ、文明の過ちの原因を宇宙人に押しつけたくなる心情、宗教を利用した大衆洗脳の影響力などを再確認する契機にもなりました。

ちなみに、入手した本のカバーに掲載されている推薦文を寄せているのは、竹村健一、落合恵子、西丸震哉という面々です。

内容の紹介


(ストーンヘンジについて)
建てた目的はわからなかったが、多くの学者が長いあいだ調べて、日の出と関係があるらしいことをつきとめた。 冬至や夏至の日になると、ある石の隙間と別の石を結ぶ線の方向に太陽が昇るのだ。 それで、英国の先住民族はこの石を使って、季節の移り変わりを正しく知り、農業や漁業のために利用したのだろう、という学説がでてきた。
  私はこの説に疑問を持っており、太陽ではないある星々を観測して、何かを占ったのではないかと思うのだが、はっきりはわからない。 が、いずれにしろ、人力で建てられたことはまちがいない。 あえて宇宙人を持ちださなくても、何千人かの人間の根気と、それをささえる何かの信仰さえあれば、これは古代人の技術で十分つくれたのである。 - 78-79ページ

この本では、何でもかんでも宇宙人だというのではなく、大陸移動説などの学説や、ある程度の実情を踏まえてあるため、説得力が増しています。


私の結論―彼らが人類を誤らせた
つまり、人類が近い将来、もし滅びるとすれば、それはこういう絶滅兵器による戦争、あるいは環境破壊の果て、言いかえれば奇形的に発達しすぎた文明によって滅ぼされるおそれが非常に強い。 これは、いままでの文明が、ある面では快適さや便利さをもたらしたとしても、本質的には、人類を大量殺人と破滅に引きずりこんでいくものだった、ということである。
  なぜそうなったのか。 それは、いままでの文明が、「自分(の仲間)だけが正しい」と信じこんだ者の文明、「自分(の仲間)以外は正しくないから滅ぼしてもいい」と考える文明だったからではないか。 少なくとも、キリスト教国→欧米人が強引に押しすすめてきた文明は、すべてそうだったのではないか。 - 215-216ページ

現在のマスコミは、キリスト教のイメージを肯定的に、イスラム教や伝統社会のイメージを否定的に伝え続けていますが、事実はまったく違っていることがわかります。 ただし、エスノセントリズムはキリスト教に限りません。 遊動生活者を定住生活者が見下し、真新しい服を着た者は古びた服を着た者を見下すこともまた普遍的です。 農耕民たちが遊動者たちの土地を奪いとってきた歴史は、キリスト教に限りません。 これは、生物としてのエゴ、言語の持つ欺瞞性と継承性、耕地や建造物に囲まれて住むことによる自然界からの隔離など複数の要素によってもたらされる当然の結末であって宇宙人を持ちだす必要のない事象であると私は考えます。 しかしながら、現代文明の問題の本質を付いているという点で注目したい内容であると感じます。


古書即売会で偶然手に入れた本でしたが、今も売れ続ける理由のわかる面白い本でした。


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「ルビリン」は東山動物園にいたアムールトラの名前です。土手で出会った子猫を迎え入れ、「るびりん」と命名しました。

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