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「★神話伝説辞典」朝倉 治彦、井之口 章次、岡野 弘彦、松前 健(共編)(東京堂出版 1963年4月)

→目次など

■普段から交流のある国文学、民俗学、神話学を先行する四人の学者が共同で編集したこの辞典で、この地の人々が伝承してきた重要な知識を綜合的に振り返る■

この辞典は、上層の文化(文献資料)と、基層文化(民俗資料)を綜合的にあつかうとともに、近隣民族や人類文化の中での位置を常に考えようとした、学際的な分野の開拓の試みとして編纂されました。国文学、民俗学、神話学という異なる分野で活動しながら、普段から交流のある四人による共編になっています。

日本の神話・伝説・昔話・説話と、これに関連する歌謡・芸能・信仰などについて解説されており、話の内容を示すよう努めてあるため、元の話を知らなくても読むことができます。また、項目ごとに適度な分量で記述されているので、神話や伝説を直接当たるよりもわかりやすくなっていると感じました。

見出し項目の数は明記されていませんが、450ページにほどのページ1ページに2〜3項目記載されているので、1000項目を超えていると思われます。なかなか大変な分量です。

本書に収録された伝説や昔話の中には、小学生の頃本で読んだり、まんが日本むかし話で見たりしたことのあるものも多くあります。しかし、たとえば雪女の項を読むと、歳神と同じような捉え方をしていた地域もあり、神霊として片目片脚の伝承を持っていたことを知ることになるなど、専門家の手を経て文脈が加えられています。

「夢」の項を読むと、意図して夢を見ることができる人について触れてあり、「櫛」の項を読むと本来、神霊の占めるものを他と区別するしるしであったとあります。こうして、日常的な物や経験に対する精神性も変化したことを知ります。

周辺地域に類似する説話のある場合はそれも明記してあることや、神話に登場する国栖などの先住民も収録されていることは、遠い昔に、この国で起きただろう民族移動や支配権争いについて空想を広げさせてくれます。天の岩戸の神話も、それを伝える氏族ごとに別々に脚色されていたことを私はここで知りました(「氏族神話」の項)。

項目ごとに、必要に応じて柳田国男、折口信夫などの参考文献が記されていることから、詳しく知りたい場合にも役立ちそうです。

「神」や「来世観」を読むと、日本人のもともとの信仰について知ることにもなります。物部氏などの氏族の由来から、歌舞伎や能楽に関する項目、各地の飯盛山や亀石の伝説など、上層から基層までの文化を広く扱う内容であるため、かつての日本人がどのような知識を持ち、どのような精神性を持っていたのかが伝わってくるように感じます。私は知らなかったことがあまりに多いことに驚いています。

日本の神話を教わることもなく、まんが日本むかし話も放送されなくなり、伝承や信仰も忘れ去られようとしている今、この辞典の価値は高まっているのではないでしょうか。

最後に短い項目から「げんばのじよう 玄蕃丞」を紹介しておきます。

信州松本附近にいた狐で、桔梗ケ原を本拠地としていた。鉄道が初めてしかれた頃、汽車にひかれて死んだと言われているが、今なお生きているとも言われる。この狐は武田の合戦の始終をよく知っていて、一年に一度廻状を廻しては、近村の住民を招いて、この話をきかせた、そのときは、急ごしらえながらも立派な家に迎えて、本当の御馳走を出して食わせたという。

不思議なことに、ネット上には、玄蕃丞がいたずらをしたという話はあっても、本当の御馳走を食わせたという話はありません。私は、しかし、こういったおとぎ話を昔の日本人は半ば信じていたのではないかと思います。

内容の紹介


いずしびと 出石人
新羅の王子とされる天之日矛を始祖とし、但馬、淡路(皆兵庫県)、近江(滋賀県)、若狭(福井県)、摂津(大阪府)、筑後(福岡県)、豊前(大分県)、肥前(長崎県)等にわたり、広大な分布を持っていた大陸系の種族。記紀や風土記には、天の日矛(ひぼこ)ないしその妻の女神(アカルヒメ)の巡礼伝説ないし鎮座伝説として語られる。この族人に田道間守(たじまもり)清彦(すがひこ)、神功皇后の母君などがある。 したがってそれらの話は、彼らの伝えたものと考えられる。『古事記』の春山之霞壮夫(はるやまのかすみおとこ)の話もそうである。書紀にある話、垂仁帝が彼らの神宝を日槍の孫清彦に獻らしめた所小刀一(ふり)のみ惜しんで出さず、他日暴露したので、獻じたが、小刀はいつの間にか庫から紛失しており、みずから淡路島に到って、島人に祀られたという話は、朝廷が彼らを支配懐柔しようとした史実を物語るものであろう。→あめのひぼこ
〔参考〕三品彰英『建国神話論考』。同『日鮮神話伝説の研究』。松前健『日本神話の新研究』。 - 60ページ

古代の種族についても記されています。


せくらべいし 背競石
史上の著名人などが背丈を競べたという伝説をもつ石。京都府愛宕(おたぎ)郡の天満宮社の入口にあるものは、高さ四、五尺で弁慶の背競石と言い、鞍馬山にあるものは高さ四尺ほどの石だが、牛若丸が奥州に下るとき、身の丈を調べたという。 福岡県直方(のおがた)市のは、日本武尊が熊襲征伐のため筑紫に下られたとき、大渡川から遠賀(おんが)郡杉森を経て尺岳に下られ、山下にそびえる大石にもたれて御身の丈を競べられたので尺岳(はかりだけ)の名が起こった。そのとき大石はにわかに(みこと)の御丈より一尺ほど縮んで低くなった。 長崎県東彼杵(そのぎ)郡のは、身長と力量を後世に伝えようとした男が、高さ八尺五寸、横三尺の大石を自らここに運んだもの。この石の下にある高さ三尺の同形の石は、坐ったときの高さだという。 - 270ページ

山、石、樹木などに関する言い伝え、信仰も多く収録されています。


ちいさこばなし 小さ子話
日本の小人の話は、ケルト人のフェアリーや、チュートン人のエルフなどのような、山や森に住む精霊的存在ではない。むしろ人間の子として成長し、後に人も及ばぬ難事業をなしとげて、立派な男子と変り、同時に幸運な結婚に入るという話ばかりである。神代の少彦名命(すくなひこなのみこと)や、お伽草子の一寸法師は最も有名であるが、またかぐや姫や瓜子姫ももとは同様な存在であったらしい。 昔話としては青森県に伝えられる、母のかかとから生まれたアクト太郎、岩手県に伝えられる、すねから生まれたスネコタンパコ、佐渡の親指から生まれた豆粒ほどの豆助、岐阜県の指太郎など皆同じ系統の話である。 これらの少童は『吉蘇志略(きそしりゃく)』の小子塚の由来話にも見える、小さ子という名で一括して呼ばれていたらしい。 これらは皆霊界から神が少童の形で人界に出現し、福徳をもたらすという信仰から出ており、それはまた他方奥州の座敷ワラシ、カギキレワラシ、ウントク、ヒョウトクのような、地方的俗信や昔話に残る霊童の伝承とも通ずるものがある。 こうした小さ子は、粟茎にはじかれて、常世に渡る少彦名以来、何らかの程度に農耕と関係をもっており、いたがって一種の穀霊、豊穣霊ではなかったかといわれている。類似の伝承は東南アジアにもある。→すくなひこな
〔参考〕柳田国男「一寸法師譚」(妹の力収録)。石田英一郎『桃太郎の母』。 - 300-301ページ

コロポックルに触れられていないのは気になりますが、このような形で、小さい人の話を受けとめたことがなかったので新鮮でした。


ふるいふるかね 篩古金
言葉のおかしみを中心とする笑話。お茶売りと篩屋と古金屋とが、それぞれ呼び声をあげながら行商していた。お茶売りが「新茶ぁ新茶ぁ」と呼んで歩くと、そのあとから篩屋が「ふるいーふるいー」とつける。 古い新茶に聞えて面白くないというので喧嘩になったが、ちょうどそこへ古金屋が通りかかり、そのあとへ「古かねー、古かねー」とつづけ、三人そろって仲よく商売をした。この類の話は落語にもとり入れられている。 - 395ページ

こうした、ちょっとした笑い話も多く、日本人はもともと笑いが好きだったことを知ります。


ざとうころばし 座頭転し
山梨県北都留郡にある。むかし盲人がここを過ぎ、うしろの盲人が先の盲人を呼んだが、道がまがりくねっていることを知らず、声をたよりに進んで踏みはずして谷底に転死したところ。 福井県大野郡の比丘尼転しは御岳山の山中にある。むかしある比丘尼が登ろうとして、天狗に転ばされて死んだ。女人禁制の山だったためであろう。 誰かを突き落としたという伝説地は他にもある。 愛知県北設楽郡の田にこかしでは、むかし六十歳になると谷から落として死なせたという言い伝えがあるし、鳥取県日野郡にも六十落しとか人落しとか言って、六十歳または六十二歳の老人を落したという。 大分県大分郡のねこ落しや、山梨県北都留郡の乳児落しにも、子を谷底に落とした伝説がある。 - 214ページ

無自覚に生きていると、命の大切さという建前を言わなければ許されない世界に気づくことができません。逆にここに示されているようなあり方が、狩猟採集社会から少し前の日本まで含めて普遍的に存在していたと知ることで、逆にそうせざるを得ない事情を知り、今の状態を疑問視する機会を得ます。私は今51歳、病気やけがで死ななくてもあと9年の命ということになります。


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「ルビリン」は東山動物園にいたアムールトラの名前です。土手で出会った子猫を迎え入れ、「るびりん」と命名しました。

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