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「精霊たちのメッセージ―現代アボリジニの神話世界 (角川選書)」松山利夫(著)(角川書店 1996年10月)

→目次など

■神話世界には祖先たちの生き方も示されており、この土地に住む意味を伝える。おそらく、それは日本神話も基本的に同じである。■

オーストラリア大陸とタスマニア島に広く住んでいたアボリジニ。200以上(500ともいわれる)の言語に分かれ、白人たちが来る前に大陸全体を覆いつくしていました(無主地はありませんでした)。白人たちがやってきて、都市を作ったり、水源地を開発したりする中で故地に留まることができなくなり、伝染病やアボリジニ狩りによる虐殺のために数を減らし、多くの神話が失われていきました。

本書では、それぞれの言語グループが伝えてきて研究者らが書き留めた精霊の話や神話がテーマに沿ってまとめられています。暮らしの中の精霊たちの物語、広い地域に分布している、雨と関係の深い巨大な虹ヘビの話、人の誕生と火の獲得に関する神話、大地の創造と天空の構造に関する神話を見ていきます。虹ヘビの話でも言語グループが違えば内容が違い、火の獲得のパターンについても分布に偏りが見られるなど、アボリジニが多様であることがわかります。最後に、現代社会において神話を伝える意味が問われています。

アボリジニたちは、火を放って環境を作り変えていたとはいうものの農耕も牧畜も行わず、国を作ることもありませんでした。そのようなアボリジニたちの精霊に関する話や神話世界を知っていくと、日本でも国ができる前の段階には、このような神話や精霊信仰を持つ人々が住んでいたのだろうと想像されてきます。ダイダラボッチなどはその頃から伝わっているのかもしれません。

精霊といっても中には人を食べてしまう精霊もいます。また、神話の世界では、多くの殺人事件が起き、男女の性が性器の構造まで触れながらあからさまに語られていきます。こういった逸話は、人の本来のあり方が、決して平和で慎ましやかな様子ではなかったことを伝えているようです。

アボリジニの神話の多くには、実際の地理が語られてもいます。本書でもところどころに地図があり、神話に語られている道筋が示されています。日本の神話でも、因幡の白ウサギにせよ、神武東征の際の経路にせよ、実際の地理と結びついています。このように地名と神話の結び付きは、本書の最終章を読むと、大きな意味を持っていることがわかります。それは、この神話を持つ人々がこの地に住む正当性を語っているからなのです。

アボリジニは国を持たず支配者が存在しない世界に生き、日本神話は国を前提に支配者の意図を反映して作られているという点で大きな違いはあります。しかし、なぜ私たちはここに住むのかを説明するという機能は同じです。実際、オーストラリアのノーザンテリトリーでは、神話を持つことを背景としてアボリジニの土地の回復請求が行われ、土地が返還された例があります。神話を持つことは、私たちが祖先から伝わる土地に生き、そこで死んで土に返ることを意味し、私たちの生き方を定めてもいたのです。

このような神話は誰かが知恵を働かせて創作したものであり、その意味では、戒律や法律とも同じ位置づけになります。神話に従って生きることは、私たちが法律に従って生きること以上に、有意義なことなのかもしれません。

このような神話の機能に気づかせてくれる本でした。

内容の紹介


「ドリーミングを知っているか。わしの遠い祖先と、祖先のいいつたえにまつわる森の生きもの、それに海や星、風のことだ。わしのドリーミングの一つは、明けの明星だ。この星からわしの遠い祖先が生まれた。その話をきかせてやろう。
  この世の始まりのとき、チャンカオとマンボという二人の男女がいた。男のチャンカオは、ヤリとヤリ投げ器、石斧などたくさんの道具をもっていた。女のマンボは赤ん坊を抱き、石やオーカー(顔料)を入れた編み袋をもっていた。
  二人は長い旅をして、この土地にやってきた。そして、チャンカオがもってきたものから、やがて我われが使う道具のすべてができた。マンボは、編み袋に入れてきた石の一つを火に投げ入れた。するとこれが四つにわかれ、その一つが明けの明星になった。この明けの明星からやってきたのが、我われの祖先だった。だから、明けの明星は、わしのドリーミングだ。息子のおまえも、この星をドリーミングに持つことになる」 - 25ページ

「ドリーミング」は、トーテムのことなのですね。


第四章 人の誕生と火の獲得 一、人の誕生
  ジナン族のむらガマディでわたしのささやかな体験からはじまった神話への旅で、人びとはたくさんの精霊に囲まれて暮らしてきたことがはっきりした。それは動植物の豊かさへの期待であったり、歌や儀礼を人にもたらし教えたりするものだった。雨を司る大ヘビもいた。その中には人と対立する死霊もいた。それは彼らの神話の日常的な世界ではあるけれど、いわば周辺にすぎないだろう。神話の旅は、その核心へと向かわねばならない。それは人の誕生であり、宇宙の形成の神話だろう。つまり、アボリジニの人びとが人の誕生をどう語り、彼らが日常使用する火の起源をどのように説明しているのかであり、天空がどうしてつくられたかの説明である。そこへの旅に成功すれば、わたしたちはアボリジニの人びとの深遠な哲学、コスモロジーを共有できるかもしれない。
  その旅のために、少しの準備をしておこう。ここに「人の誕生」と「火の起源」、および「天空の神話と伝説」と題した三枚の図がある。これらの図は、人類学者のウォーターマンという人が、膨大なオーストラリア・アボリジニの人びとの神話を、語られる主題ごとに整理するという、困難な仕事の成果によっている。彼女がこれを成し遂げたのは、一九七八年だった。 - 100ページ


第六章 神話を語ることの現代的意義 一、神話が持つメッセージ (二)故地と人の魂のむすびつき
  創世の精霊がつくりあげ、祖先が暮らしつづけてきた故地は、アボリジニの人びとにとってたいへん重要である。それはいまも変わらない。そこで故地が何ゆえに大切なのかを、ここで少し考えておこう。話題を提供してくれるのは、ふたたびガマディむらのリーダー、ウヌウン氏である。まず、彼の話をきいてみよう。
  「人が亡くなると、われわれは遺体を土に埋葬する。これが一回めの葬送だ。それから二、三ヵ月たったころ、遺体を掘りだし、その骨を拾い集め、死者が生きていたときと同じように、すべての骨を足のつま先から頭骨まで順に樹皮のうえにならべる。その骨を中空にした丸太の柩に入れるのが二回めの葬送だ。やがて骨は雨にあらわれ大地にもどるが、死者の魂はなおそこにとどまっている。遺体をはなれた血と汗はあたりをさまよい、やがて地中を通って故地の中に精霊がつくりだした神聖な泉、ブラウィリへいく。その血と汗を追って、魂はブラウィリへいくのだ」
  このウヌウン氏の話によると、ジナン族の人たちは、死者のために二度、葬送の儀礼をおこなうという。一回めは肉体のためのものであり、二回めはオh根のための葬送である。しかし、この骨は柩に入れられたまま、その場所で大地にもどる。つまり、骨は動けない。これに対して死者の体(骨を含めた肉体)にやどった魂と血と汗とは、二度めの葬送のあとあたりをさまよい。やがて血と汗は神聖な泉へ向かう。それを追って魂もその泉へ向かい、精霊となってえそこで過ごすことになる。こうしてみると、神聖な泉を持つ故地は、血と汗に導かれた祖先の祖霊がやがて精霊となって暮らす土地だ、ということになる。故地には、精霊となった彼らの祖先が暮らしているのである。 - 199ページ


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「ルビリン」は東山動物園にいたアムールトラの名前です。土手で出会った子猫を迎え入れ、「るびりん」と命名しました。

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