るびりん書林 別館



こちらは旧サイトです。
関連書評などの機能の追加されている新サイト(https://rubyring-books.site/)に順次移行中です。
ぜひ、新サイトをご利用ください。

「裸体人類学」和田正平(中公新書1211 1994年10月)

■裸体は性的誘引物か■

本書は貴重な内容を扱い、図表や写真も多く、充実した内容の新書である。ただ一点だけ、私には納得のいかない部分がある。それは人類が体毛を失ったとき、裸体が性的誘引物になったとする説についての解釈である。
本書によると、人類が体毛をなくした理由として、デズモンド・モリスは、狩猟の追跡行動で体温を過熱させにくくするためという要因を重要視しているしい。毛の減少、汗腺の増加、皮下脂肪層の発達の三つが組み合わさり、絶えず重労働を強いられたわれわれ人類の今日の生存を可能にしたという。
これに対し、本書では、女性が男性をひきつけるためにより早く無毛化を促進させたという、アメリカの人類学者ヘレン。E・フィッシャーの説を上げて次のように述べている。

この見方は私の裸族の研究にとってきわめて有効な示唆をふくんでいる。体毛を失い、全身が性器化すれば、むきだしの裸体そのものが異性を引きつける性的誘引物になる。われわれ現代人は性器の露出にこだわるが、原初的な身体観からすれば性器は性器化した全身の一部にすぎないということになる。アマゾン奥地の裸の住民たちが、とくに性器の露出に頓着しないのも、こうした面から理解しておく必要がある。 - 29ページ

この考えが本書を貫いているようであるが、私には、性器を隠さない人々は、裸体が性的誘引物ではないことを示しているように思えてならない。
江戸の人々にとって裸体が性的誘引物であれば、『逝きし世の面影』にあるような江戸の人々の裸体に対する羞恥心のなさは生まれなかったであろう。本書の中でも、裸が日常的であるとそれ自体では性的関心をよびおこせないという記述もある。

むしろ、この裸体の日常性が裸体の性的意味を薄めるという点を重視すべきだったのではないかと、私には思えてならない。

特に面白いなと思った部分()内はページ数
・ヒトは裸体になってから迎えた氷期(10万年前〜3万年前)にむしろ獲物が多い北方圏に向かって拡散分布した。(まえがきiii)
・そもそも人類は羞恥心などなかった。白人の着衣文化が地球上であまりにも普遍性をもったため、熱帯地方で優勢であった自然裸体の観念が、完全に負の価値に転換した。(まえがきiv)

・西アフリカのトーゴには「ビエール・ベニン」という銘柄のうまい国産ビールがある。(4)
・トーゴ北部の諸族は、1950年代まで男女ともほぼ全裸が常態だったがタンベルマ族だけがなぜか今も裸族と呼ばれている。(17)

・南米裸族の特徴は、性器には何ひとつ隠蔽物をつけないことである。(23)
・トーゴでタンベルマ族だけが裸族と呼ばれるのは、「未開」を暗喩しているからである。ただし、人類文化史から見るとつい最近まで人類はすべて裸族であった。(25-26)

・ティエラ・デル・フエゴ島などで、裸体に近い人類が寒地で生活できたのは火があったからであった。(30-31)
・皮下脂肪の厚さは民族によって差があり、ドイツ人やフランス人などは日本人よりも皮下脂肪も筋肉も厚い。(32)
・脂臀の発達する民族としてコイ族、サン族、オンゲ族(アジアのネグリト)など、古代のカポイドの生き残りがある。(33)
・ケニアとスーダンの国境地帯に住むカリモジョン族は湯気をたてて滝のように地面に流れ落ちる雌牛の尿を浴びて身体を温める。(35)

・スーダン中部に住むヌバ族も、カリモジョン族も恥部という言葉も考えも持たない。(39)
・アフリカでは、植民地時代をとおして西洋化の重要な指標の一つは衣服であり、裸体にたいする羞恥心をたたきこまれた。(44)
・キリスト教だけでなく、イスラム教も着衣してから祈るよう教えている。(45)

・同僚の江口氏から『アフリカ最後の裸族―ヒデ族と暮らした100日』というジュニア・ノンフィクションが出ている。(47)
・北カメルーンのマンダラ山地には平地に住むフルベ族からマタカム(山猿の意)と蔑称される裸族がいるが、砂鉄から鉄を作る技術を持った職能集団を含んでいる。(48)
・1969年、政府はマンダラ山地民に衣服を着るよう命令を出し、まだ裸で歩いている者がいると。憲兵隊がとらえて牢獄に送り込むという「裸狩り」をおこなったという。(49)
・アフリカで最後まで裸族が残っていた標高の高い地域は、北緯8〜12度の間に位置しており(「裸族ベルト」)、裸体性のほかに、分節組織、集約的農耕、鍛冶師、瘢痕文化、砦形住居などの文化特性を持つ。(51)
・集約的農耕は可耕地の少ない場所で食料を確保する必要性から生まれた。(52)

・アフリカ大陸では牧畜民も、巧緻な階段式耕作システムを発達させた農耕民も、長い裸族時代を持ち、「黒人アフリカは大半が最近まで『裸族文化』の世界であった」と言える。(68)
・着衣の有無は「未開」と「文明」の差でなく、機織の技術を持つマタカム族は衣服の着用を発達させていない。(69)
・裸体が当たり前の社会では裸体が裸体と感じられなくなり、わずかな装身具をつけているだけで十分美しくそれだけで完成された姿であると思われてくる。(71)

・熱帯アフリカで発祥した人類は、集団間で争いがおこったとき、瘢痕文身の飾りが敵味方を見きわめる重要なマークになっていた。(82)
・ザイール女性の瘢痕についてベルギー人行政官は「性的興奮を高めるため」と述懐している。(84)

・日本列島にも倭国の呪術的な文身など古くから多くの風習があり、沖縄には明治時代まで女性が手に入れ墨をする風習があった。(100)
・コンゴ川下流の住民には善、悪、マジック・パワーという三つの原理があり、赤、白、黒の三色が独特の意味をもって、身体装飾、仮面の彩色などに使用されているという。(103)
・1970年代、タンザニアのニエレレ前大統領は、マサイ族に槍の携行を禁じ、下着をつける政府命令を出した。裸体を恥とする西洋文明的な価値観に影響された行政措置だが、自然に調和したマサイ族の裸体スタイルと、性器を隠すだけが目的の今様のパンツ姿とでは、組み合わせが悪すぎて戦士の格好にならないことは誰が見ても明らかである。(109-110)

・ヌバ族、イボ族など、非イスラム教徒の場合は、儀礼に必要なもっとも重要な身体彩色は全裸を前提としなければ成立しない。(113)
・人間は成人になっても外形的な決め手に欠けているため、イニシエーションによって身体に傷痕をほどこすのが生殖公認の目印となる。人間の裸体は単なる裸体ではなく儀礼化された裸体となる。(118)
・古いアフリカ文化の担い手のニグロイドには割礼や陰核切除のような性器を損傷する施術はない。(121)
・ドゴン族の神話に陰核切除が語られているがドゴン族にこの風習が最初から存在したとは考えにくい。(122)

日本の庶民社会では、成年式を「ふんどし祝い」や「ゆもじ祝い」といい、男はまたぐらから性器を締める布をもらい、女は下半身を隠す腰巻きを贈られた。こうして日本社会でも、庶民のあいだでは熱帯地方と同じように、ふんどしや腰巻きさえつけておれば、羞恥心を感じることは少なく、人足、職人、猟師など、ふんどしひとつでくらす人も珍しくなかった。そして「裸一貫」という言葉も生まれた。 - 124ページ

・昔の日本では、飛び火を防ぐために屋根に登って真っ裸で赤い腰巻を振った話、女陰を見せて風神を退散させる習俗、風邪にかかったとき地蔵さまの前で真っ裸になって踊ると治るという民間信仰など、裸体に対する羞恥心が発達していなかった。(125-126)

被服学では「自然裸体(bare)」と「脱衣裸体(naked)」とを区別して、裸族は、犬や猫や牛のように、生まれたままの自然裸体で成長し、社会を形成して生活しているので、羞恥心も非礼の感も、みっともなさも、全然意識していないと解釈されている。しかし、裸族の裸は、動物(ヒト科以外)と同じ意味で「自然裸体」といえるだろうか。また、犬、猫、牛と同じように、裸の身体に羞恥心が働かないのだろうか。 - 133ページ


・アタコラ山中に住み、唇に栓をはめる風習を持つタンベルマ族の女性に口唇の栓を外すよう頼んだとき、女性は下着を脱ぐよう頼まれたような驚きを示した。(133-135)
・裸が日常的で、それ自体では性的関心をよびおこせない裸族は、どこかにエロティシズムを感じさせるアクセントをつけなければならない。(138)

・皮膚をもっとも露出させた状態にある裸族は、性器化した自分たちの裸体に飽きてしまい、グロテスクに見える身体変工、身体彩色、奇抜な装身具などによって、性的魅力を再構成したとみることもできるだろう。(143)
・裸族や準裸族は、圧倒的にニグロイドであり、モンゴロイドにもかなり存在するが、コーカソイドの中には本来的な意味で裸族は存在しない。(144)
・ユダヤ教、キリスト教、イスラム教はすべてコーカソイドの宗教であり、神は衣服をまとっている。(144)
・裸が悪いことで罪な状態であると考える西洋人の伝統は旧約聖書から出ている。(145)

こうして美術というもっとも上品な形式においても、教会は、裸体は抹殺されるか隠蔽されるかせねばならぬ、と決定したのである。女体の美しさを公衆に展覧することは、とんでもない好色な悪趣味で、快楽への誘惑であるというのが敬虔なキリスト教信者たちの認識であった。いわんや、自分の主人や肉親以外の男性の目にその美しさを見せてはいけないと身を律せられてきたイスラム教徒の女性にとっては、脱衣裸体は姦通にひとしく、娼婦のやることであった。概括的にいえば、これがコーカソイドの普遍宗教から生まれた裸体感である。 - 150ページ


・白人は有色人種の奴隷化に躊躇しなかった。年中裸で暮らしているモンゴロイドやニグロイドは野獣に等しく、同じ人間とはみなされなかった。(163)

・ブータンではブータン人の民族性を強化しようと、ブータン人(人口約114万人、大部分はドゥルクパ族)たるものは「みんなブータンの民族衣装を着よう」という運動を始めた。(183)
・英語では、他人に見られることを予想せずに裸になっている状態を「ネイキッド(naked)」、他人に見られることを予想して裸になっている人物の状態を「ヌード(nude)」という。裸族は「ネイキッド」。(186)
・アフリカ美術はヨーロッパの人体の理想像、あるいは理想的人体美の追求とは発想をまったく変えなくては理解できない。(186-187)


改めての感想
子どもの頃、湯上りの祖父はふんどしを締めていたが、横から玉袋が見えていた。祖母は上半身裸でいることがよくあった。年を取ると、羞恥心がなくなるからだと思っていた。
祖母のお姉さんの家についていった妹は、風呂が屋外にあって、まるみえだと言っていた。
だんだんと裸の考えが昔と今とでは違っているのではないかと思っていたところで、『逝きし世の面影』に出会った。
やはり、以前の日本人は裸に対する羞恥心が少なかったことを知った。

私たちは、裸体に性的な意味を必ず付加するよう条件付けされてしまい、かえって性的な関心にとらわれながら生きている。この状況を作り出したのは、おそらくこの本で分析されているとおり、コーカソイドの宗教である三つの宗教なのであろう。
ここでも私は、一宗教は、人類を救う存在ではなく、人類を支配するための道具でしかないという結論に達してしまう。

植民地支配において、改宗させることにも増して裸体を禁止することに力が入れられたのは、文化を破壊し、劣等感を持たせるために、裸体の禁止が有効であり、現代にも続く3S(セックス、スクリーン、スキャンダル)に利用するためにも裸体を禁止する必要があったからであろう。
支配者は裸体を隠させたがるらしいのである。



トップへ

お問い合わせ:

お気軽にお問い合わせください。

サイト内検索:

るびりん

「ルビリン」は東山動物園にいたアムールトラの名前です。土手で出会った子猫を迎え入れ、「るびりん」と命名しました。

neko to hon

書評

書評

書評

書評

書評

書評

書評