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「パンドラの種 農耕文明が開け放った災いの箱」スペンサー・ウェルズ (著), 斉藤 隆央 (翻訳)(化学同人 2012年1月)

→目次など

■育てるという決断がもたらした影響の大きさ■

この数年の読書体験によってわかった、「所有せず、定住せず、生物らしく暮らす狩猟採集社会」と、「所有し、定住することで、階層化され精神を病んだ農耕以後の社会」という、とてつもない大きな違いについて、より深く考えるために選んだ一冊です。

著者は、ナショナル・ジオグラフィック協会の協会付き研究員。各地でDNAを採取し、男性のY染色体を使って人類の移動を解明しようとするプロジェクトに取り組み『アダムの旅─Y染色体がたどった大いなる旅路』を著しています。本書でも、遺伝子の分析によって得られた知見を基に議論が進められています。

本書には、次のような多くの注目すべき情報が掲載されています(末尾のかっこはページ数)。

・現代のヒト集団における遺伝子の多様性から判断すると、人類は八〜五万年前に大きな事件に直面しており、およそ七万年前には、人口わずか2000人程にまで減って絶滅の危機にあった。(17)

全人類がわずか2000人であったとは、何ということでしょう。

・一九八四年に公表された、J・ローレンス・エンジェルの論文によると、農耕への移行後に人類の健康は低下した。(27)(同ページの表は、20世紀後半になっても、旧石器時代の健康な体を人類は取り戻していないことを示す)

この事実を私たちはあまりにも無視しているのではないでしょうか。

・新皮質の容量から言えば、ヒトの本来の集団サイズは148人。この人数は、気軽に頼みごとのできるような相手の数であり、見知らぬ相手と頻繁に会うことのない暮らしができる人数。(155、156)

見知らぬ人々と軽い関わりを続けざるを得ない都市生活は、生物的に不自然なのです。

・南太平洋のチャタム諸島に暮らすモリオリ族は、部族間の激しい戦闘で有名なポリネシア人の子孫であるが、農耕に適さない島で狩猟採集生活に戻るとともに、平和主義者になり、儀式的な戦いと話し合いによって意見の衝突を収めるようになった。(254)

資源が分散していることや、労働を投下しないこと、支配する術がないことなど、狩猟採集生活であればこそ、本来利己的である人が平和主義者になれることを意味しているようです。

・タンザニアの狩猟採集者であるハザェベ族は、死者をバオバブの木の近くの聖なる場所にそのまま置いて、動物たちに食べさせる。(270)

狩猟採集社会には、儀礼が発達していないという特徴も共通してみられます。アイヌもこれに近い方法でした。こうして、ヒトも命の輪に入ります。

本書は、パイオニア10号の船体に記す他の知的生命体へのメッセージとして、人類は国家や政治、宗教や物質的豊かさではなく、裸の男女と友好的な仕草という生物としての本質を強調することを選んだとして、次のように結ばれています(太字は引用者による)。

人類史における重大な転機を迎え、新石器革命が生み出した問題の一部の解決につながるツールを手にしている今、われわれがみずからを救うには、人間の本性を抑えつけるのではなく、受け入れる必要がある。それは、拡大や獲得や完成を重視する人間の文化を見直すということでもある。そしてわれわれは、人類がその進化史のほぼすべてにわたってしてきた暮らし方と今も接点をもつ人々からあれこれ学ぶことになる。そうすれば人類は、二〇〇万年後まで存在しつづけられるかもしれない。(277)

内容の紹介


・ジョナサン・プリチャードの遺伝子研究によれば一万年前に、ヒトは非常に強い自然選択を受けた。(19)

農耕の開始が、人の性質を大きく変えたことを意味しています。

・幼児期を過ぎてもラクターゼ遺伝子を働かせるような変異の存在頻度はヨーロッパ人では90%を越えるが、アジア人・アフリカ人の大多数は大人になると乳糖不耐性になる。(22)

牛乳はヒトの本来の食べ物ではなく、無理に飲む必要がないということを意味します。

・ノルウェー産サケの色を作るために、石油の副産物から作られた、エサの価格を25%も引き上げる高額な化学物質を与えている。(32)

石油を支配するもの強しの世界です。

・チュニジア沖のケルケナ島では魚をとりすぎない伝統漁法で生計を立てていたが、現代世界の侵入によって漁獲量が1割に落ち込み出稼ぎに行くようになった。(39)

まさしく、漁師とMBAの世界です。

・漁は現代の世界で大規模におこなわれているただひとつの狩猟活動(40)

このまま進めば、魚も限られた種類の養殖物しか食べられなくなる日は近いでしょう。

・イギリス本島最南端のコーンウォール地方では北緯50度にもかかわらずメキシコ湾流のおかげてヤシの木が生えている(46)

海流の影響の大きさを示しており、気候の安定を前提としているような現在の価値観の危うさも示しています。

・アフリカ、北米・オーストラリア・マダガスカルとニュージーランドのいずれでも、人類の登場によって大型動物が絶滅している(50)

狩猟採集生活であれば他の動物たちと共存できるという単純な構図なのではなく、人の能力は、自制を必要とする能力であることを示していると思われます。

・ガン性の腫瘍はほぼすべて、みずからのDNAを複製し、倍数体になって増殖する。(63)

この特徴を利用してガンを消滅させる可能性はあるでしょうか。

・小麦、イネ、トウモロコシは、遺伝子に柔軟性があっため、広く栽培されるようになった。150種ほどの植物を食べていたナトゥーフ人が数千年後にはわずか8種しか食べず、ほとんどが小麦という状態になった。(66)

味がよかったからという理由ではないようです。

・一般的な狩猟採集民の社会では、大半の人間の社会的地位はほぼ同等だ。(68)

私たちの社会や、人間の性質を考えると、狩猟採集生活において「社会的地位がほぼ同等」な社会が普遍的に実現されることは、大きな意味を持つのではないでしょうか。

・狩猟採集民でもすばらしく豊かな漁場のあったところでは、複雑な政治システムを誕生させた。(69)

つまるところ、資源の集中や定住化によって、人は平等社会を実現できなくなるのです。

・ショウジョウバエ、ヤノマミ、日本への原爆投下による遺伝的影響などを調査していたジェームズ・二ールが遺伝学の手法を人類学の領域に応用した。(86)

検査すれでも治療せず。情報は集めれども本人に告げず。原発事故のときと同じです。

・人の死因は、農耕誕生以前の外傷によるものから、農耕誕生以降は感染症によるものへと変わり、現在は非感染性の慢性病へと変わっている(98)

・マラリアの脅威が増したのは、農耕社会になってから(105)

・虫歯は農耕開始後およそ4倍増えた。(109)

・タンザニアの狩猟採取民ハザァベ族は、農耕・土地所有の概念・高度な道具・金銭を発達させなかった。 このため、政府によって文明化を名目に土地を一方的に奪われた。 子どもはミッション・スクールに連れていかれ、名前を変えさせられた。(246)

文明化を名目に土地を奪う人々は決して善意でなど動いていない。 文明は誕生以来続いている可能性のあるほんの少数の支配者によって描かれた虚構を、大多数の被支配者が受け入れることで成り立っている世界であるとみると、 なぜ、名目やミッション・スクールが必要であるのかが理解できると私は考えます。

・なかには、現代の暮らしに付きものの労働や蓄財を続けることにうんざりして、社会体制から外れて生きる道を選んだり、それどころか積極的に反抗したりする人さえいる。 一九六〇年代のティモシー・リアリー、1800年代初頭のラッダイット、マルクス主義者とレーニン主義者、アーミッシュ、スローフード運動など、いずれも近代化のもたらす脅威とみなすものに対して生まれた。 原理主義もこの延長線上にある。(256)

「労働や蓄財を続けることにうんざり」したのではなく、意味のない自然破壊、意味のない労働、意味のない消費にうんざりしています。

本書は、狩猟採集社会に着目し、人は何も残す必要などないのではないか問う点で、私は共感します。 『イシュマエル』と同様、農耕を否定し、狩猟採集社会から学ぶ内容になっています。 ただし、文明を維持したまま、狩猟採集的社会を作ることができると考えている点に私からすれば不満があります。

しかし、本書から紹介した上記の各部分は、本書の骨子ではなく、枝葉末節にすぎません。つまり、実のところ本書は、私にとって期待外れでした。

全体として、重要な事実を指摘しながらわかりにくい記述に終始し、最後には核心を外れ、むしろ誤った情報を拡散強化してしまうと感じる点で、『モンサント──世界の農業を支配する遺伝子組み換え企業』と同じ印象を私は持ちました。


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「ルビリン」は東山動物園にいたアムールトラの名前です。土手で出会った子猫を迎え入れ、「るびりん」と命名しました。

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