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「日本ユダヤ王朝の謎―天皇家の真相」鹿島ノボル (著)(新国民社 1984年1月)

→目次など

■人は動き、歴史は繰り返す■

日本書記に描かれている内容が、日本で起きたのではなく、朝鮮半島で起きたことだったとすればどうでしょう。

本書の著者、鹿島氏は、「Yahoo知恵袋の回答」によると、山口県熊毛郡田布施町在住の大室近祐氏と知りあったことで、明治天皇すり替え説を知りました。大室氏にとって鹿島氏はすり替え説を否定しない唯一の自己代弁者であり、鹿島氏にとって大室氏はネタと金銭面での最大のスポンサーであるという利害が一致して結びついたそうです。同じく、明治天皇すり替え説の論者である鬼塚英昭氏に影響を与えたのが鹿島氏であり、本書を出版している新国民社は、鹿島氏が設立した会社、この会社を継いだのが太田竜氏なのだそうです。(皆さん鬼籍に入られました。)信じるに足らずという内容の回答になっています。

調べてみると、鹿島氏の没後、新国民社の一切の在庫本をなどを譲渡した先が「新国民出版社」で、この会社の代表取締役を引き継いだのが太田氏であるようです。

それはさておき、本書に示されている歴史は真偽はともかく刺激的ではあります。
・大化の改新(のきっかけとなった入鹿殺し)は日本ではなく朝鮮で起こった。
・『日本書記』は、朝鮮の史籍をそのまま借りるか形式を借用して作られた
・大和には別の王朝と別の歴史があり、それが『隋書』の秦王国
・弥生以降、日本列島は中国や畿内に入植した苗族──毛人が農業社会を形成していたのに対して、朝鮮と九州の倭人はインド的なカースト社会を作っていた。
・中臣鎌足は実は新羅の重臣金?信である。
・大分県の宇佐市には古代(前10〜11世紀)としては世界一の規模の製鉄所があった。
・金田一京助は小樽手宮の絵文字を神主の偽作とまでいったが、フゴッペの絵文字が見つかって立場に窮した。
・聖徳太子像と同じく待童を従える構図を持つ出土品が中国にあった。

秦の始皇帝は漢人ではなく西方民族系であったそうです。随書に記されている古代日本の秦王国が秦の血を引いているとすると、『世界支配者vsライトワーカー』に描かれているような、古代から続く支配者の血脈も真実味を帯びてきます。支配者たちにとって、被支配者の話す言葉や、人種的特徴は問題ではないのです。

このような本を通して見えてくる世界は、国境などなく人々が動き回っている姿でもあります。定住、鉄器、騎馬、灌漑技術などによって勢力図に変化が生じることで故地を追われた人々の移動や、遠方への入植が起きる。貿易活動が人を移動させていく。現生人類はアフリカを出てパタゴニアやニュージランドまでただ一回の長い旅をしたと考えるのは不自然であり、何度も移動者があったと考えるべきなのでしょう。近代国家の枠組みによって人の移動が終わるわけはなく、グローバル企業の問題や移民の問題として表れていると考えるとよくわかります。ここには、国という枠組みや、共存という建前だけでは語れない世界があります。

最初は眉つばものの日ユ同祖論を論じているだけの本であると見ていたのですが、途中から面白くなって一気に読んでしまいました。

なお、本書は完結しておらず、続編があります。

内容の紹介


考安王朝と賤民カースト 『東日流外三郡誌』などは信用できないという体制史マニヤのために、面白い話があり。

八岳山麓を横切って、甲州から信州まで棒道が続いている。 この道はかつて武田信玄の騎馬軍団が、疾風のごとく通りすぎた道である。 その甲州よりに、念場千軒という非人のセブリがあったが戦国時代に焼かれて、非人たちは八岳山麓の各部落に定住し、のちに関守などになった。 このあたりの食堂に立ち寄ってみると、うどんの中に馬肉が入っていて、壁に「馬肉が嫌いな人は注文のとき云って下さい」と貼り紙があった。 念場の人々との関係はわからないが、ここに「大家(たいが)」「輿水」「長田(ちょだ)」という姓の人々がいて、大家の祖は孝安だと称している。 学者が部落を調査したところ、農業地帯としては珍しく複雑なカーストになっていて、寄り合いのとき座敷の上座に座るもの、下座に座るもの、下座に座布団なしで座るもの、土間に敷物を敷いて座るもの、敷物なしで座るものなどのカーストに分化し、明治時代まで低カーストのものは妻帯を禁じられていた。 また北巨摩全域にわたって父娘姦の例があって、その間に女子が生まれると結婚しない、という例があった。 こういケースが多いので村役場が困って、子の戸籍をつくるとき、親の欄に父何某、母不詳と書く慣行があった。 - 182ページ

「非人」は、庶民と比べて、むしろ支配者よりの人々として存在していた面があるようですね。「人々を支えた部落文化 第四回」の「生活の危機管理―江戸時代の警察」には、「現代、私たちが普通の生活において安全や安心を感じ、それを守るのは主に警察であり、その現場で働く巡査だ。江戸時代にこの巡査と同じ仕事をしていたのがキヨメ役、身分的に穢多・非人と呼ばれた人だった。江戸時代だけでなく、日本(和人社会・以下同)社会で警察制度が始めて成文化された古代検非違使の時代から現場で働く人は「放免」「下部」とか「非人」と呼ばれた。つまりこの国の警察制度の現場は、古代から明治維新まで社会的階層として下層の人が働いた。」とあります。


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「ルビリン」は東山動物園にいたアムールトラの名前です。土手で出会った子猫を迎え入れ、「るびりん」と命名しました。

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