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「森の猟人ピグミー」コリン・タンブール(著)藤川玄人(訳)(筑摩書房 1966年9月)

→目次など

■良質なフィールド・ワークで知る「森」の持つ意味■

この作品は、1966年に筑摩書房から出版された『現代世界ノンフィクション全集9』に「極北の放浪者」、「カラハリの失われた世界」とともに収録されています。単行本としては、『ピグミー森の猟人―アフリカ秘境の小人族の記録』に該当すると思われます。 狩猟採集生活と農耕生活の違いに気付き、世界の狩猟採集民を知ろうと考えて入手した一冊です。

ピダハン 「言語本能」を超える文化と世界観』と同じように相手を尊重する態度で研究し、魅了された人物によって書かれている良い本です。

コリン・タンブールが一緒に過ごした相手は旧ベルギー領コンゴ、現在のコンゴ民主共和国にあるイトゥリの森に住むピグミー族でした。1950年代のことです。紀元前二千五百年のエジプトの記録にすでに登場しているピグミー族は、定住民と接触を保ちながらも、4500年経た今も狩猟採集生活を続けています。
1951年に初めてイトゥリの森を訪れたタンブールは肉をたずさえて農作物と交換しようとやってきたピグミーと出会いました。ピグミーたちは土地の定住民(「ニグロ」と表記)の部落にいる間はニグロの風習に従いながら、ニグロとはまったく違う価値観を持ち続けており、森では別人のように充実して有意義な生活を送っています。
二度目の訪問でピグミーたちと親交を深めたタンブールは、出発の直前、ピグミーたちから額に「森の男」刻印を刻まれました。そして、二年の後にイトゥリの森に戻ることになったのでした。

ターンブルは、部落を離れて森の生活に戻るピグミーたちに同行し、文章の端々にピグミーに対する尊敬が感じられるこの本を書いたのでした。本書を読むことで、狩猟採集生活を送る人の価値観とはどのようなものであるのかを想像できるようになり、狩猟採集生活と農耕牧畜生活の間にある大きな価値観の違いがわかってきます。

この素晴らしい異色の人類学者コリン・タンブールの本はもうあまり出回っていません。今、私は、『豚と精霊』を読んでいます。少し難しい内容になっていますが、興味のある部分を読むだけでも随分学ぶところの多い本です。
私はタンブールに出会って、ピダハンと出会ったときと同じような興奮を覚えています。きっと、今後の人類のありかたを考える上でとても重要な情報を残してくれた研究者です。
タンブールは、森という神聖な存在とともに生きるピグミーの歓喜と、子豚のように泥にまみれて生存競争にあけくれている文明社会を念頭にしたと思われる『豚と精霊』を著した跡で消息を絶ったそうです。伝道者をやめたダニエル・L・エヴェレットに通じる逸話のように感じます。
タンブールは、人にとっての「森」の意味を教えてくれています。

ピグミーの家をネットで検索してみてください。このような場所に暮らす人々が、神聖な存在とともにあり、有意義で充実した生活を送っています。

本書から


(もの静かなモーク老人がある晩語ってくれたこと)
「森はな、わしらにとって父親でも母親でもあるんだ」と彼はいった、「父親や母親と同じように、わしらのいるものは―食い物でも着る物でも家でも薪でも―なんでもくださるんだ。そしてかわいがってもくださるんだ。森は親御さんじゃから、普通ならうまくゆくんだ。だからな、うまくゆかん時は、きっとなにか理由があるに違えねえんだ。」 - 74ページ


森の善意に対する彼らの全き信仰をもっとも強く表明するのは、たぶん誰かが死んだ時に歌うモリモの歌であろう。彼らの歌はいかなる場合も具体的な願いをこめた歌ではない。すなわち、あれをしてくれ、これをやってくれ、といった要求の歌ではないのである。彼らとしては森に目ざめてもらえばよいのである。それだけで後は万事がうまくゆくのである。 - 75ページ


一年のうち一定の時期はニグロの部落に住み、ニグロから大人扱いされるための条件として割礼を受ける一方で、ピグミー自身の社会で成人として認められるための条件とは一切ならず、独自の方法で大人になるピグミー。彼らを定住民に隷属する人々と見ることは誤りなのである。

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「ルビリン」は東山動物園にいたアムールトラの名前です。土手で出会った子猫を迎え入れ、「るびりん」と命名しました。

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