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「もりはマンダラ: もりと人との愛の関係」徳村彰 (著)(雲母書房 2014年12月)

→目次など

■森(木水土)が人を育んだのかもしれない■

ヒトは気候が乾燥して森が減りサバンナが広がる中でサバンナに進出したことを契機にチンパンジーおよびボノボとの共通祖先から分かれたと言われています。しかし、そうではなく、森の中ですでにヒトになっていたのだという人もいます。コンゴの森に住む狩猟採集者ピグミーと暮らした研究者は、森こそが人にとって快適な住みかなのだと実感したといいます。実際、農耕を開始する以前の人類は森を住みかとしていたと考えられます。ヨーロッパでも、キリスト教が進出する以前は森が大きく広がっていました。ネイティブアメリカンは、一本の木、もっと言えば一本の枝が必要になって切る時も、自分の七代先の世代にそれがどのようになるかを考えてから切りなさいと教えたといいます。人は本当は森に生まれ、森に暮らしてきたのかもしれません。

さて、この本の著者徳村さんは、17歳のときヒロシマで内部被ばくしました。その影響もあったのでしょうか大病を患って余命宣告を受ける中で、悔いなく生きたいと、1971年、子どもが主人公の『ひまわり文庫』を横浜に夫婦で開設します。ところが、子どもたちは静かに本を読んだり、読み聞かせを聞くなんてことはありませんでした。子どもたちの願いは思いっきり自由に遊べる場所だったのです。

そこで、子どもたちの夢をかなえようと1983年北海道滝上町の町有林を無償で借りて、都市の子どもたちが遊びに来られるようにしました。そこは、電気もガスも水道もない森の中。冬の森に行くなんて馬鹿げていると地元の人たちからもあきれられながら、いつしか生命力も蘇り、森から多くのことを教えられてきたといいます。この本のタイトルで使われている、木水土を組み合わせて造語されたモリの字も、森は木と水と土の間、あらゆる生命(イノチ)が結ばれ、輝き、はぐくまれるところという意味で使われています。

この本の内容は、毎年一回発行されている「森の子どもの村つうしん」に掲載された文章をまとめたものになっています。原発事故のあった2011年をはさんだ時期に描かれた文章です。広島での内部被ばくとフクシマ原発による放射能汚染を経て人間中心主義の世界と、森が教えてくれる森と人との愛の世界の違いを思い、愛の関係に入っていくことに世界を変える力があるのだといいます(107ページに図。しかし、愛という概念も人間中心主義ではないかとへそ曲がりの私は感じます、宮沢賢治や新聞記事など本書での言及先も私は気に入りません)。

そうして異論をはさんだり、首をかしげたりしながら読み進めていくと、胸を打つ文章に出会えたりもします。

わたしがよく行く小国町で聞いた話です。この町で全国からクマ撃ちが集まって会合を開いた時、「餌を食べている熊を撃つか」どうか議論になったそうです。長野(今年一番多くクマを殺した県)のハンターは「熊が一番油断している時だ、チャンスだ」と言いました。現代のハンターの九九%の考えです。マタギの心をうけつぐ小国のハンターは猛反対したそうです。「餌を食べている時、熊はいちばん幸せな時だ。熊も生命(イノチ)、幸せにひたっている生命(イノチ)を殺すのは山の掟に反する」。 クマさんを絶滅の危機にさらすことは、同時に、「人間的な心」を捨てることであり、自らの幸せ、存在をも危険にさらすことです。あらゆる生命(イノチ)に対してもそう言えます。

七万年前から一万五千年前ほどまでの最終氷期にアフリカを抜けて世界中に広がっていった祖先たちは寒い森で大型獣を追いながら暮らしていたことでしょう。この本を読みながら、人は森で生れたのだと改めて感じるのでした。

内容の紹介


生命(イノチ)を全うするということは、一つには文明の名のもと、便利さに目がくらみ、本来生命がもっていながら忘れ去り、ないと思いこんでいた力が自分にもあるとわかり、その力をひき出し、思い切り燃焼させることだ。 もう一つは、森さん、木さんたちが、幾億年という長い年月の中で培い、蓄積してきた不思議の力に気づき、感じ、謙虚に学んで自らの生命(イノチ)を豊かにすることである。 - 5ページ


わたしは春も好きですが、一年中でどの季節が好きかと問われれば躊躇なく冬をあげます。 冬をなぜ「フユ」と言うのか、前にも書きましたが繰り返します。 古くから日本人は一年の間に弱まった(たま)の再生を願って「冬祭り」を行ってきました。 カイコ状の容器に入った霊を振りながら祈り、歌い、踊ります。 (たま)はこの「タマフリ」によって元気づき、増殖し、天地も人も勢いをとりもどす。 (たま)がふゆる(増える)からこの聖なる季節を「フユ」と呼んだと言われています。
  これは言い伝えにとどまりません。 わたしの森に生きた二十一年がまさにそうでした。 わたしは、とりわけ冬の森から信じられないほどの不思議をいただいて今に至っています。 ここでは、嫌いなものが好きになり、できなかったことができるようになり、病んだカラダが癒されてきました。 - 171ページ



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「ルビリン」は東山動物園にいたアムールトラの名前です。土手で出会った子猫を迎え入れ、「るびりん」と命名しました。

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