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「カンジ―言葉を持った天才ザル」スー サベージ・ランボー (著), 加地 永都子 (翻訳)(日本放送出版協会 1993年3月)

→目次など

■簡単な英語を聞き取り、レキシグラム(記号の言語)とジェスチャーによって人間とコミュニケーションするサル(類人猿)■

1993年発行の古い本です。

動物と会話ができるという考えは、犬や猫の鳴き声だって翻訳できると考えている私たち日本人にとっては当たり前のことかもしれません。ペットを飼っていれば、普通に話かけ、ある程度相手も理解していると考えます。しかし、カンジ(宝の箱という意味の名前を与えられたボノボ)が登場するまで、サルはヒトの言葉を理解できないと科学者たちは考えていました。

ボノボはチンパンジーに近縁の類人猿です。群れ同士の戦いや狩りなど凶暴性の目立つチンパンジーとは違い、ボノボは性的な接触を通じて穏やかな社会をつくり、ジェスチャーによってコミュニケーションも行うという、興味深い存在です。

カンジは、「ジャガイモを亀に投げられる?」といった戸惑うような内容の文にほとんど正しく反応できることで英語の聞き取り能力を示して見せました。カンジのほうからはレキシグラムという記号言語やジェスチャー、または手を引いて目的の方向に向かうことなどによって人間に意思を伝えることができます。

本書はこのようなカンジとの出会い(生後六カ月)から、能力を発揮し始めたきっかけ、カンジの日常を綴り、カンジの言語能力について分析した後で、ヒトとサルの違いを検討して終わっています。寛容で放任主義でありながらガンコでもあるボノボの子育て、言葉を持ったカンジの独り言、ぬかるみや籔をものともしないボノボの強さなどを知ることもできる面白い本です。



追記:
この本は発売当時にも読みました。今回は、この本にあるような異種の動物間のコミュニケーションは、程度の差はあっても普遍的に成り立つのであって、大騒ぎすることではないのかもしれないと感じました。言葉を話せないために生存が脅かされているのであれば大問題ですが、人間以外の動物たちは言葉の必要のない世界で、必要なコミュニケーションを行いながら問題なく生きているのですから。

内容の紹介


カンジをそばに置いてマタタ[引用注:カンジの養母になったボノボ]に授業をしようとするときは、いつもいらいらさせられっぱなしだった。 カンジはやりたいようにやっていいのだと、マタタがあくまでも主張するからだ。 夜のグルーミングの時間にじゃまをするといったような、マタタも許さないことをやった場合は、私がでしゃばってカンジを叱ってもマタタは意に介さなかった。 ところが、それ以外ではカンジのやっていいことといけないことについて、私にはいっさい決定権は与えられていない。 この点では、マタタは一歩も譲らなかった。 - 50ページ


カンジは森へ出かけるのがいやになったことが一度もないばかりか、蚊やダニや蛇や暑さ、雨、ウルシ、ぬかるみの沼地など、人間の仲間にとっては時に不愉快でしかないさまざまなことも、まったく意に介さない。 カンジののんきで運まかせの精神を挫くものといえば、スズメバチと稲妻、雷ぐらいしかなかった。 - 80ページ


こうした生き物は、過去の人間と同じような進化の道をたどるのだろうか。 石の道具をつくり、ほかの動物を(ほふ)り、原始的な住居を建て、小さな村や家庭基盤を形成し、捕食のために狩人になり、食糧を貯蔵し、仲間の部族に戦争をしかけ、植物を植えて収穫し、都市国家を建設し、やがては地球を去ってほかの世界をめざすようになるのだろうか。 私はそうは思わない。 なぜなら、人間と類人猿とは単純なことがらを伝達する能力だけで分けられるものではないからだ。 未来について考え、かつ未来の計画を立てる能力や、過去と未来の出来事の間にある因果関係を認識する能力もまた、人間と類人猿とを区別するものだ。 たしかにカンジはいくつかの計画を立てることができるし、すばらしい記憶力ももっているが、複雑な未来の行動を計画する能力は彼にはない。 - 219ページ


実はこの未来を予測する能力が人間の不幸の源でもあるようなのだが…

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「ルビリン」は東山動物園にいたアムールトラの名前です。土手で出会った子猫を迎え入れ、「るびりん」と命名しました。

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