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「縄文人の入墨―古代の習俗を探る」高山 純 (著)(講談社 1969年9月)

→目次など

■民族学的アプローチを目指す考古学者が入墨を通じて縄文人を探る/社会生活において必要とされる伝統的入墨の風俗を広く紹介■

縄文時代の入墨について考察しためずらしい本です。

縄文人の入墨といっても、記録として残されているわけでも、ミイラなどの形で見つかっているわけでもないので、土偶に記された文様のうち、確実に入墨と思われるもののみを対象とした考察になっています。 一方で、入墨の目的や、伝播について探るために、アイヌや南西諸島、ポリネシア、インドのナガ族、台湾、イヌイットなど各地の入墨を調べる必要があり、広く入墨についてまとめた資料になっています。 また、ある個人がその社会集団の一員であるかぎり、どうしてもしなければならないという種類のものに限ってあり、WikiPediaの「入れ墨」の項に記載されている目的とはまったく異なる目的が並んでいます(WikiPediaの利用も要注意ですね)。

これまで、入墨について考えてみたことはなかったので、世界各地で自然発生した風俗なのかと考えていましたが、本書では入墨も伝播したと考えられています。実際、タトゥという言葉はポリネシア語であり、西洋人は入墨に当たる単語を持ちませんでした。そう考えると、縄文人の入墨も伝わってきたものなのかもしれません。

入墨にはさまざまな目的があるようです。潜水中に意識がもうろうとして幻を見ることがないように女性たちが入れる場合。焼畑農民たちの間に広がる首狩の風習で、首狩に成功した青年がその印として刻む場合。この場合は、入墨が成人の証にもなっています。女児の成長にしたがって入墨を入れ成人したことを判別できるようにする場合。新生児の無事な成長を願うもの。死後に祖霊によって身元確認できるようにするためなど、入墨を入れることはぜひとも必要でした。

トーテムとして入墨を入れる場合もあり、日本でも南西諸島ではヤドカリを自分たちの祖先であると考えていたそうです。ヤドカリのような弱い存在を祖先と見るところに私はいとおしさを感じます。台湾には蛇を祖先と考える人々がいるそうです。私もやっとわかるようになったことなのですが、蛇を嫌うという価値観も、裸体に対する羞恥心と同様に、後付けのもののようです。

縄文人の入墨について考察し、本書にも言及されたページ(http://www.apocaript.com/about/ryukyu.html)に、入墨についての豊富な考察があります。

南北のアメリカや南太平洋諸島では西洋との接触によってトライバルタトゥーが消えていったのですが、東アジアにおいてその分布域を考えた場合にはやはり中華文明との地理的、政治的な距離との関係が見て取れます。部族的カルチャーは文明が波及してくるとそれに飲み込まれてしまうことが多いわけです。」

民俗学、文化人類学であれば多角的な比較による類推として縄文のタトゥーは当然存在したであろうという結論になるはずですが、刺青をめぐる世界的にもきわめて特殊なタブーを形成している現代日本社会にあってはそれがテーブルの上に乗せられること自体がほとんどないわけです。そこにはまるで自分の祖先が刺青をいれていたことを認めることですらも何か都合が悪いかのような空気があるような気もします。

生きていくうえで必要なものとして存在していた入墨。本書のような本で伝統的な入墨について知ることは、「物」ではない存在として人が生きるということの意味を考えるきっかけになるのではないでしょうか。文明社会が拒否する入墨は、生老病死の苦しみを受け入れて持続可能な生き方を続けるための精神世界を作るうえで欠かせないものであったのかもしれません。

内容の紹介


(倭人の入墨に関する)鳥居博士の見解
  この問題については鳥居(とりい)竜蔵(りゅうぞう)博士は、すでに大正六年(一九一七)七月発行の人類学雑誌第三十二巻七号の「倭人の文身と哀牢夷(あいろうい)」と題する論文において言及されている。
  博士によると、当時の水人たちは水中は恐ろしい闇黒な別世界で、ここには蛟竜魔鬼(こうりゅうまき)の類が棲んでいると考えており、もし身体に入墨をしておれば、蛟竜魔鬼の類はこれを見てかえって恐ろしがるのではないかという。
  したがって倭人は好んで入墨を施したのであるから、これは装飾ではまったくなく神秘的な宗教的な目的と解すことができ、換言すれば、この入墨は一種の禁厭、符咒(ふじゅ)の類であったといえるであろうと推論している。 - 144ページ


ナガ族の入墨の目的
  アッサムのナガ族の入墨の目的について、ハンブリーは、きわめて興味深いことを述べている。すなわち、
「最近ナガ族の調査から帰ってきたヘンリー・バルフォウーが私にいうには、なんといっても本質的なことは、土地を肥沃にさせ、結婚を可能にするためには首狩りに成功することである。 後者の点は人間の豊穣と結びついており、そのため男や女にとって、入墨は生殖を成功させるために欠くべからざるものである。 ペリーは首狩りについて、土地を肥沃にするために、本来行われた人身供犠(じんしんくぎ)の変化したものであると述べている。 入墨の起源と歴史をあつかうにあたって、私は紀元前四千から二千年にかけてのエジプトにおいて、入墨と身体塗彩が、一般に多産を象徴していると考えてられているかなりよく発育した女性像と、明確に結びついていることを示すことができる。 ナガの習俗において、私は身体に模様をつけることと、人身供犠と、土地と、ナガ種族の豊穣とが相互に連絡のあることをはっきりと知るのである」と。 - 156 ページ


入墨の起源についての私の考え
  ここで南・東アジア、オセアニア全般に流布している入墨習俗の起源について卑見を披歴しておきたい。
  私はハンブリーと同じように、これらの地域に広く分布している入墨習俗は系統的には一元的なものであると考える。 そしてそのはじめはインド方面ではないかと思っている。 しかし、インドの入墨習俗がエジプトから伝わったものであるというハンブリーの見解に対しては、そこまで研究していない現在の私にはなんともいえない。
  また同じことは、アメリカの入墨習俗についてもいえる。 ハンブリーは、アメリカ・インディアンの入墨習俗はポリネシア人たちがもたらしたものであると考えているのであるが、アメリカの先住民たちの入墨を目下収集中の私には、これについて卑見を開陳するだけの準備がととのっていない。 ただ一つだけいれることは、エスキモーの入墨習俗は、まちがいなくインドのそれと同一系統のものであるらしいということである。 - 279ページ



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「ルビリン」は東山動物園にいたアムールトラの名前です。土手で出会った子猫を迎え入れ、「るびりん」と命名しました。

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