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「インド動物ものがたり―同じ地上に生なすもの」西岡 直樹 (著)(平凡社 2000年11月)

→目次など

■ネコは、母神の使いだから、いちばんいいものを食べていいことになっている■

これは、留学先の寮のまずい食事にへきえきし、奮発して買ったエビを猫にとられた著者に対して、友人の奥さんが慰めた言葉です。猫が仕える母神はショスティ・マー(ショスティ母神)、ベンガル地方に伝わる女神信仰の神です。

このように、動物たちとの共存の影に、神話や民話、世界観がうかがえます。

全37話のうち、複数の話に、ポトゥアと呼ばれる絵師による挿絵が添えてあります。ポトゥアはベンガル人ですが、精霊信仰を続ける少数民族(とはいっても数百万人規模の)サンタル人たちの家を回って絵巻物を見せながらサンタル人の祭りや狩りの話を語る人びとです。写実性よりも、そのものらしさを表すことに専念した絵です。

収録されているのは、1973〜1978年頃のインドの様子。多くの動物たちが警戒心薄く人の生活のそばで暮らしています。神話や民話に触れ、日常の暮らしの様子を伝える文章を読むうちに、「同じ地上に生なすもの」と副題が付いた、インドの人びとの精神世界が見えてきます。 ラクダに乗って移動するとき、集落の中を通る際は、ラクダを降りる気遣い。ペットとして愛玩されるのではなく、動物の死がいや排泄物を食いながら自由に活動している犬たち。大地を支えるカメの上にミミズが土を積み上げて陸地ができたというサンタル人の世界創造神話。トラに食われる人があっても、「飛行機だって事故を起こすだろ」と言ってのける人。クマの毛のおまじない。マングースが教えたとされる薬草にまつわる哀しい話。信仰、生活、動物たちとの付き合い方の密接なつながりも伝わってきます。

「あとがき」には、次のように記されています。

インドのように、人間のすぐそばで、ほかの生きものたちが自分たちの生を営んでいるのはとても羨ましいことだと思う。生きようとする意志はすべての生物に共通するが、生の実践にはさまざまの形態があり、どの種ひとつをとっても違う。そうした動物たちの多様な生につね日ごろ接することから、人は無意識のうちにも、ジャングルで道しるべを見るような大きな安心を得ていると思った。

内容の紹介



ふだんゾウは、子供を置き去りにするようなことはけっしてないという。 そんなゾウが子供を置き去りにしたのだから、よほどたいへんな状況だったのだろう。 また聞くところによると、移動中のゾウは、傷ついた子供を置き去りにしてしまうのがふつうらしい。 - 39ページ

こうしてはぐれた子ゾウを、飼育されていたゾウたちと一緒にしたところ、水に浸した米を食べようとしない子ゾウに、飼育ゾウの一頭がまず自分で食べ、次に子ゾウの口に無理やり押しこんで教えたという話が紹介されています。


ヒンドゥーの世界観では、一般に植物は人や動物と同じような存在と捉えられている。 神々はいろいろな生きものに頻繁に顕現するから、木に神が宿るというのはあたりまえのことなのかもしれない。 しかし、道端に生えるゲントゥという植物のように、それ自体が神格化して崇拝の対象になる場合もある。 このクサギ属の小さな木が、ベンガル地方では皮膚病から人びとを守るゲントゥ神としてひと昔前まで盛んに祭られて得いた。 ここでは木はもうただの神の住居ではなくなっている。 女神モノシャの代理として拝まれるキリンカクも同じである。 - 256ページ

テレビや新聞を通じて私たちに伝えられる価値観が、ほとんどキリスト教的な価値観ばかりであることを思います。


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「ルビリン」は東山動物園にいたアムールトラの名前です。土手で出会った子猫を迎え入れ、「るびりん」と命名しました。

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